平和外交研究所

中国

2014.08.21

尖閣諸島に対する中国の変化?

8月15日付の『日本経済新聞』は、尖閣諸島に対する中国の行動に変化が見られることを報道している。

「中国が、尖閣の揺さぶり戦術を変えはじめた。」
「いちばんはっきりしているのが、尖閣周辺の領海に、中国船が侵入する頻度が下がっていることだ。今年1~6月に侵入した中国船は延べ40隻。月平均にならすと、6・6隻だ。昨年同期(94隻、月平均15・66隻)の半分以下に減った。」
 「1回当たりの侵入時間も短くなってきた。昨年は4時間を超えることも少なくなかったが、今春以降はほぼ2~3時間で推移しているという。」
 「これだけではない。昨年まで繰り返された危うい挑発にも、一定の抑えが効くようになった。政府関係者らによると、尖閣付近では昨年、中国船が日本の漁船を捕まえ、法執行をしようとしたり、日本の巡視船の進路に割って入ったりする動きがあった。だが最近、こうした行為はかなり減った。日本漁船を強引に追いかけ回すのはやめるよう、中国当局が指示を出したとの情報もある。」
「中国軍に近い日中関係筋によると、中国の安保担当者らは「監視船を増強し、いまの頻度で(領海侵入を)続ければ、日本の実効支配は着実に崩れていくと判断している」という。」
「この緊張がさらに高まれば、中国は南シナ海にも多くの監視船を配備しなければならない。その分、尖閣に回せる隻数は減る。南シナ海の状況は、中国の尖閣対応に大きく影響する。中国に精通した元米政府高官はこうみる。」

この記事は興味深い。中国の環球網(人民日報傘下)さらには台湾の聯合報も転載ないし、それを引用して報道している。
2つの異なる解釈が紹介されているが、両方とも正しい可能性もある。

2014.08.18

習近平に対する称賛

8月18日の『多維新聞』は、習近平が国民的人気を博しているという論評記事を掲載している。政治的課題の関係では習近平の置かれている状況は容易でないことを示す材料が多く、本ブログでもそのような傾向の文章が多くなっているが、この多維新聞の論評はかなり趣を異にしている。断片的であるが、注目された文章はつぎのとおりである。訪中した人が街中で聞く声はこの論評と軌を一にするものが多い。
ただし、中国はこれまで軟弱外交であったというのは、外国での常識とかなりかけ離れている。また、共産党への称賛との関係についても趣旨は必ずしも明確でないが、ほぼ原文通り紹介しておく。

○習近平に対する称賛は、リーダーとしての能力の点ではある程度毛沢東や鄧小平に近づいている。
○習近平は王岐山の力を借りて腐敗撲滅運動を進め、民衆の期待に応えている。習近平が政権の座に就いた時、人々は反腐敗運動がこのように長期間継続されるとは思わなかった。習近平の腐敗撲滅にかける情熱は前任者に勝っている。
○習近平が普段着で街に出て自らパオズ(包子)を買いに行ったことは、ある調査ではその月に国民が最も満足したことであるという結果が出ており、労働教育制度の廃止や月探査機の月面着陸よりも上であった。また、習近平の執務室には家族の写真が飾ってあるなど、、、(原文はこのように途中で終わっている)。
○習近平は外交で「姿勢を低くして力を蓄える」ことをやめ、国民の利益を犠牲にすることは絶対にないこと、いかなる国も中国が核心的利益で妥協することなど望みえないことを明言している。中国の民衆は長期間続いた軟弱外交の病を一掃してくれることを期待している。
○習近平を肯定的に評価する意見は中国共産党全体の評価を上回っている。これは研究に値する現象である。習近平に対する評価は共産党の評価を上げるのに役立っている。中国は長期にわたって一党独裁体制の政治を行ない、指導者によって中国に及ぼす影響が違っていた。習近平個人に対する称賛が中国共産党に対する称賛に引き上げられるならば、共産党の「合法性」は大いに高められる。

2014.08.17

中国雑記 8月16日まで

○NYT紙のネットサイトは8月14日、習近平はすでに反腐敗闘争の目標を江沢民に定めているという内容の記事を流している。作者は狄雨霏(Didi Kirsten Tatlow)。その根拠として、301医院に掲げられていた江沢民の字が撤去されていたことを示す写真もつけている。ただし、その字は14日には元の場所に戻されていた。
○追及の手は中央電視台にもおよび大ボスの郭振玺に続いて、10人が連行された。14日にはCCTV-8の副总监黄海涛も連行された(多維新聞8月15日)
○8月15~18日、寧波あるいは上海沖で実弾の発射訓練を行うので一定範囲の海域が立ち入り禁止となった。我が国の終戦記念日と関係しているかもしれない。
○鄧小平の評価に関わる言論が増えている。8月22日が生誕110周年に当たるので同人関係の評論などが増えているのは明らかであり、鄧小平の業績の再評価とみなすことはできないが、最近の言論は鄧小平礼賛一辺倒でなく、ある程度批判的である。
8月16日付の『多維新聞』は、1978年12月21日に掲載された同紙「特约评论员」の「人民万岁」と題する一文を引用し、鄧小平、華国鋒、葉剣英、胡耀邦らの間で意見が違っていたことを紹介している。1978年から翌年にかけて北京の西单に民主化を求める壁新聞が多数張り出された時のことで、当時は一方で、改革開放路線が決定され動き出す時であった。それだけにかじ取りは困難であり、民主化に過度に流れると危険であると鄧小平は思っていたのであろう。魏京生はまさにそのことを象徴しており、「民主か、新しい独裁か」と題して鄧小平を名指しで批判して捕えられ、15年の刑を科された。短命に終わった「北京の春」である。一方、保守派の華国鋒もその後まもなく引きずりおろされ、葉剣英は高齢で(当時約80歳)影響力はなく、胡耀邦は鄧小平に忠実で、鄧小平の地位がますます強固になっていった。
鄧小平は1989年の天安門事件とその後の南巡講話まで左右の対立の中で改革開放路線を進めていき(拙著「習近平政権の基本方針‐鄧小平の示唆」『習近平政権の言論統制』蒼蒼社 2014年を参照されたい)、そのことにチャレンジすることは中国ではまず不可能であり、今日に至るまで基本的にはそのような雰囲気が支配的であった。
そのような経緯を背景に考えると、今回『多維新聞』がどういう意図でそのようなことを書いたのか気になることである。
なお、『多維新聞』がその時点でそのようなことを書けたのは、米国に拠点があるからであろう。

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