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2013.09.13

北朝鮮の黒鉛減速炉再稼働?

北朝鮮は寧辺(ヨンビョン)にある黒鉛減速型原子炉を再稼働しているか、あるいはその準備を始めていると報道されている。米ジョンズ・ホプキンズ大学の北朝鮮研究グループの衛星写真分析結果に基づくものであり、韓国ではこれに対し、まだそうは言えない、わざとそう思わせているだけだという声もあるようだ。北朝鮮はさる4月に黒鉛減速炉を「再整備、再稼働する措置をとる」と表明していたから今回の報道が正しいと見るのではないが、核の問題に関する韓国の見方には甘いところがあると、私はかねてから思っている。
北朝鮮で起こっていることについては少々違った角度から疑問がある。4月の発表時にすでにあった問題であるが、北朝鮮は二〇〇九年に、従来から使用していた黒鉛減速炉の代わりに各国で使用されている軽水炉を自力で開発することにしたと訪朝した米人科学者に述べており、その際は二〇一二年までに軽水炉を完成させるとしていた経緯がある。しかし、それは少なくとも時間的に無理だというのが米人科学者の見方であったが、準備、とくに軽水炉に必要な濃縮ウランを製造する施設は当時すでにできており、訪問した人たちは「顎が外れるくらいに驚いた」そうである。米人の表現であり、日本語なら「腰が抜けるほど」と言ったところであろう。
二〇一三年四月の黒鉛減速炉再稼働の発表は、二〇〇九年の軽水炉計画とどのように関係していたのか、気になるが、今でもはっきりしていない。推測にすぎないが、軽水炉計画が遅れているので、とりあえず方針を一部修正して、黒鉛減速炉も再稼働させることとしたのかもしれない。
北朝鮮では、「人工衛星」発射実験、核実験、さらにその一連の流れのなかで行なった朝鮮戦争の休戦協定破棄宣言、さらには高級軍人の頻繁な人事異動など変化がかなり激しく起こっており、これらは金正恩第一書記の采配(口出し?)が原因ではないかと思っている。黒鉛減速炉についてもそのような面があるのかもしれない。

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2013.09.10

人民解放軍との衝突もいとわない「城管」

9月4日午後、青島で「城管」と人民解放軍兵士が衝突した。「城管」の言葉の意味は「町の管理者」であるが、実態はその言葉の印象とはほど遠く、暴力沙汰を起こすこともしばしばで、露天商の女性が、取り締まりを受けたとはいえ、殴り倒され血みどろになって路上に放置されている姿がネットで流れたりしている。断わっておくが、「城管」は公務員であり、中国では誰よりも恐れられている。
青島で問題になったのは人民解放軍の監視塔で、当局より撤去を命じられたが聞き入れなかったらしく(ここまでは推測)、「城管」はブルドーザーでその強制撤去に取りかかったところ、それを阻止しようとする人民解放軍兵士数名と殴り合いになり、兵士は衆寡敵せず蹴散らされ、監視塔は撤去されてしまったという話である。一部始終が写真付きでネットに流れている(文匯網 これは香港ベース)。
人民解放軍は、中国内部の秩序維持を担う武装警察と密接な関係にあり、中国の現体制は人民解放軍や武装警察なくして維持できない。「城管」はそれと衝突するのもいとわないのである。

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2013.09.09

四つの基本原則と習近平体制

「共識網(あえて訳せばコンセンサス・サイト)」が9月4日に、2008年に書かれた文章を掲載した。張顕揚という理論家がインタビューで語ったことを文章化したものであるが、張顕揚はこれが完成する3年前(2005年)に死亡していた。つまり、このインタビューはかなり以前に、おそらく今から10年くらい前に行なわれていたものと推測される。
その談話がどうして今頃になって出てくるのか。どのような意図、背景があるのか。たんなる歴史回顧でないことは確かである。
張顕揚は1979年1月18日、北京で開催された理論工作会議のことを語っている。160余名が参加し建国以来30年の理論宣伝工作の経験と将来について議論することが目的であった。前年末の中央委員会総会(第11期3中全会)で改革開放政策が決定され、文化大革命の混乱は過去のこととして近代的国家建設の遅れを取り戻そうという時であり、理論工作についても自由な立場から議論できる雰囲気であったらしい。
この会議は2回の休会を挟んで約2ヵ月間続き、後半の会議に出席した鄧小平は「四つの基本原則」を堅持することが必要だと総括した。これは、社会主義の道、プロレタリア独裁、中国共産党の指導およびマルクスレーニン主義・毛沢東思想であり、言わばコチコチの革命路線である。新しい政治情勢に心を弾ませていた参加者は冷水を浴びせられ、会議前半の自由な雰囲気は吹き飛び、以後この会議のことは肯定的に論じられなくなったそうである。
「纏足のようなよちよち歩きではだめだ」と大胆な改革の檄を飛ばした鄧小平のもう一つの側面をしめす一事であるが、この文章は次の言葉で締めくくられている。
「1979年の理論工作会議が解禁になることを望んではいけない。四つの基本原則に新しい説明を期待してもいけない。いつも上ばかり向いている必要はない。」
冒頭に述べたことに戻るが、今日の状況にも関連しているからこそ、「共識網」はわざわざこのような古い話を待ちだしたのであり、習近平体制下の中国で革命路線と経済建設路線をめぐってかなり深刻な意見の違いがあることがっここにも表れているように思われる。
「共識網」はどちらが重要と思っているのか。少なくとも二つの路線のバランスに気を配っていることは明らかであるが、締めくくりにはさらにつぎの後段がある。
「歴史の伝承には官と民の二つの道がある。民間の火はしばしば官によって抹殺されるが、いつか正しく受け入れられる日が来る。これとは反対に、官が強制した欽定の歴史は、いつかかならず唾棄され、歴史の殿堂から駆逐される。胡喬木(元中共政治局員 毛沢東の秘書を務めたり、憲法の起草にかかわった。一般には保守派、すなわち革命的路線を重視するとみられていた)は、「四つの基本原則はもたない。早晩憲法から引きずりおろされるだろう」と語っていた。中共当局にとっては、門を出たとたんにカラスの不吉な声を聞いたのも同然であっただろう」。これを見ると、「共識網」は四つの基本原則をあまり好いていないのかなと思われる。

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