平和外交研究所

3月, 2015 - 平和外交研究所

2015.03.31

(短文)尖閣諸島と地図

 1969年に中国政府が作成し、「尖閣群島」という日本名表記を使用した(過去には「尖閣諸島」をこのように表記することもあった)地図を日本の外務省が最近公表した。 これに関する在米の台湾人研究者、黎蝸藤(ローマ字ではLi WotengともLi Wotenとも表記しているようだ)の評論、「中日どちらが地図戦争を勝つか」を3月24日付の明報が掲載している。
 同氏は最近、『釣魚台是誰的(尖閣諸島は誰のもの)』という本を出版し、尖閣諸島に関する問題の解決は国際司法裁判所に委ねるのがよいという意見を発表して注目された人物である。これについては改めて論じることとする。
 なお、中国語を読まれる方は次の評論も参照されることをお薦めする。
黎蝸藤﹕終戰70年 要認識不要仇恨
http://dddnibelungen.blogspot.com/2015/03/70.html
黎蝸藤﹕中國為什麼無法打贏 釣魚島的輿論戰
http://dddnibelungen.blogspot.com/2015/03/blog-post_14.html
 地図が国際法上主権の根拠となるかについて、黎蝸藤氏はつぎの諸点を述べている。
○日本の外務省が中国の地図を公表したことについて、中国側には劉江永のように、尖閣諸島が中国領であることを示す証拠となる地図は多数あり、地図戦で中国は負けないと言う者がいるが、まったく意味のない口先だけのことである。
○そもそも、主権をめぐる国際紛争において地図は効力を持たない。1928年のIsland of Palmas事件において、当事国である米国は多数の地図を提出したが、仲裁官はそれを主権主張の根拠とすることを拒否した。
○古い地図は、表示が不正確で、島の位置が違っていたり、名称が現在と異なっていたりする。南シナ海に関する古い地図でも島の位置表示は不正確で、たとえば「石塘」は厦門付近に表示されており、西沙諸島か南沙諸島かの区別さえ困難である。
○昔の地図に名前が記載されていてもその島に主権が及んでいたことを示す証拠などない場合が多い。また、たとえば、南シナ海の島として表示されていても、「世界地図」として、あるいは南シナ海の「夷国」の地図として作られていることがある。地図に表示があるだけで中国の領土であることを示しているとは言えない。
○国際法によれば、主権を認定するには主権の主張と有効支配が必要である。地図上中国の領土として表示されていれば主権の主張は認定されるだろうが、有効支配があるとは限らない。たとえば、中華民国の地図は長らく蒙古を中華民国領として表示していた。現在でもそのようなことを主張すれば笑いものになるだろう。
2015.03.30

尖閣諸島の歴史的経緯ー古文献に見る

(THEPAGEに3月28日掲載された)

 尖閣諸島に関し、最近2つの出来事がありました。1つは、中国の国家測絵総局が1969年に「尖閣群島」と日本名で表記した地図を日本外務省が公開したことです。本年3月付の「尖閣諸島について」と題する同省の資料に掲載されています。
 2番目は、昨年、北京でのAPEC首脳会議に先立って日中両国の事務方が関係改善のために合意したことについて、中国の在米大使館員が米国の研究者に対し、日本側が従来の態度を変更し、尖閣諸島は両国間の問題であることを認めたと説明してまわったことです。
日本外務省が昨年11月7日に公表した合意では「双方は,尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し,対話と協議を通じて,情勢の悪化を防ぐとともに,危機管理メカニズムを構築し,不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた」と記載されているだけであり、尖閣諸島は両国間の問題であるということは一言も書いてありません。日本政府の「尖閣諸島をめぐり,解決すべき領有権の問題は存在していない」という立場はまったく変化していません。中国が一方的に要求しているだけです。

 この機会に尖閣諸島についての考え方をあらためて整理しておきましょう。重要な論点は6つあります。
①古い文献にどのように記載されているか。
②日本政府が1895年に尖閣諸島を日本の領土に編入したことをどのように見るか。この行為を批判する見解もあります。
③戦後の日本の領土再画定において尖閣諸島はどのように扱われたか。とくにサンフランシスコ平和条約でどのように扱われたか。簡単に言えば、尖閣諸島の法的地位いかんです。
④その後日中両政府は尖閣諸島をどのように扱ってきたか。「棚上げしたか否か」という議論、1969年の中国国家測絵総局の地図、さらには昨年の日中合意などもこのグループに含まれます。
⑤1968年の石油埋蔵に関する国連調査との関連。
⑥沖縄返還との関連。

 ①から⑥までの論点のうち、もっとも基本的なものは、①の、古文献にどのように記載されているかと、③の、国際法的に尖閣諸島はどのような地位にあるかです。まず、本稿では古文献の記載を説明します。

中国は1971年から従来の態度を変更して尖閣諸島に対する領有権を主張するようになりましたが、その根拠として、明国の海防を説明した書物『籌海圖編(ちゅうかいずへん)』(胡宗憲著)、清国の使節(冊封使)であった汪楫(オウシュウ)の『使琉球雑録(しりゅうきゅうぞうろく)』、それに西太后の詔書の3文献を引用していましたが、最後の文献は偽造であることが判明しており、現在は使わなくなっています。琉球は古くは日本と清の双方に朝貢しており、その関係で数年に1回清朝から琉球に使節(冊封使)が派遣されており、その旅行記がかなりの数残っています。
 汪楫の『使琉球雑録』は、福建から東に向かって航行すると尖閣諸島の最東端の赤嶼で「郊」を過ぎる、そこが「中外の界」だと記載しています。これについて、中国政府は「中外の界」は中国と外国との境だと主張していますが、この「中外の界」と言ったのは案内していた琉球人船員であり、それは「琉球の中と外の境界」という意味でした。つまり尖閣諸島は琉球の外であると記載されていただけです。琉球の外であれば明国の領域になるわけではありません。そのことは後で説明します。
『籌海圖編』については、その中の図が尖閣諸島(の一部の島)を中国名で示しているのは事実ですが、この文献には明軍の駐屯地と巡邏地(じゅんらち。警備する地域)がどこまでかということも示しており、尖閣諸島はいずれについても外側にあると図示されています。つまり明国の海防範囲の外にあることが記載されていたのです。

 一方、明や清の領土は中国大陸の海岸までが原則で、それに近傍の島嶼が領域に含まれていることを示す文献が数多く存在しています(最近出版された石井望氏の『尖閣反駁マニュアル』などを参考にしました)。 
○同じ汪楫が著した『観海集』には「過東沙山、是閩山盡處」と記載されていました。「閩山」とは福建の陸地のことであり、この意味は「東沙山を過ぎれば福建でなくなる(あるいは福建の領域が終わる)」です。東沙山は馬祖列島の一部であり、やはり大陸にへばりついているような位置にある島です。
○明朝の歴史書である『皇明実録(こうみんじつろく)』は、臺山、礵山、東湧、烏坵、彭湖、彭山(いずれも大陸に近接している島嶼)は明の庭の中としつつ、「この他の溟渤(大洋)は、華夷(明と諸外国)の共にする所なり」と記載しています。つまり、これらの島より東は公海だと言っているのです。
○明代の勅撰書『大明一統志』も同様に明の領域は海岸までであると記載しており、具体的には、「東至海岸一百九十里」と記載しています。これは福州府(現在の福州)の領域を説明した部分であり、「福州府から東へ一百九十里の海岸まで」という意味です。一百九十里は福州から海岸までの直線距離40数キロにほぼ合致します。同じ記載の文献は他にも多数あります。

以上、中国の古文献では、清や明の領域が海岸までであることが明記されています。中国大陸と琉球の間の海域は『皇明実録』が言うように「華夷(明と諸外国)の共にする所」だったのです。また、このことは、尖閣諸島を含めこの海域に存在する無人島は中国も琉球も支配していなかったことを示しています。このような記述は歴史の常識にも合致します。中国の古文献は政治的な影響を受けることなく、実体をごく自然に記載していたと思われます。
なお、日本政府は1895年に、尖閣諸島が無人島であることを確認して日本領に編入しました。それ以来一貫して日本の領土です。

2015.03.28

鳩山元首相のクリミア訪問

THEPAGEに26日掲載された。

「鳩山元首相が3月10日から12日まで、昨年ロシアに併合されたクリミアを訪問し、各方面から批判されました。菅官房長官は、「日本政府は訪問を再考するよう働きかけたが鳩山元首相は聞き入れず、日本政府の方針と反する形で訪問した。軽率な行為であり、極めて遺憾である。厳しく批判する」と記者会見で述べました。

 「日本政府の方針と反する形で訪問した」という意味は、(1)日本政府はロシアによるクリミア併合を認めない方針である、(2)鳩山元首相がロシアのビザでクリミアを訪問したことは、クリミアがロシアの一部であることを認めたと解される恐れがあり、日本政府の方針に反している、という2つのことを含んでいます。

 ビザとは入国許可のことで、あらかじめ政府間の取り決めでビザが不要になっている場合以外は、これがないと外国へ入国できません。クリミアへ入るならば、本来はウクライナのビザで入るのですが、クリミアはウクライナから事実上離脱しているのでウクライナのビザを認めず、入境を拒否するでしょう。したがって、実際には、日本人がクリミアへ入るにはロシアのビザを使うしか方法はありませんが、クリミアをロシア領として認めない日本政府は、そのような行動を旅券法違反として処分する可能性があります。

 鳩山元首相はクリミアでの記者会見で、「日本政府が旅券を没収し、あるいは無効にするならば、日本へは帰らずそのままクリミアに移住しようか」と発言しました。さらに、「ロシアがクリミアを併合する根拠となった住民投票で住民の意思は自由に表明された」「クリミアの住民はロシアに併合された後幸せに生活している」「ロシアに対し日本を含め各国が課している制裁は理由がなく、解除すべきである」などとも発言したと報道されています。

 各国の報道機関は(と言っても一部ですが)、菅官房長官の発言を中心に報道していますが、鳩山元首相のこのような言動を常軌を逸しているとみなしているものもあるようです。一方、欧米の新聞の中には、「きつい批判(harsh criticism AP通信)」「 冷たいお叱り( fresh rebuke ウォールストリートジャーナル)」「厳しく批判(sharply criticized ロイター通信)」などという表現を使っているものがあります。彼らは菅官房長官の発言は思いのほか厳しいと感じている可能性があります。そのような受け止め方になるのは、政府の方針に反する個人の行動でも許容する度合いが比較的高いためだと思われます。
 なお、中国のメディアはもっぱら日本の通信社および新聞による報道を引用していました。ロシアによるクリミアの併合は中国として認めたくない、かといって日本や欧米を支持したくないので、そのような報道になったものと思われます。
 鳩山元首相によるクリミア訪問は、我が国でははなはだしく常軌を逸脱していると取られ、批判されましたが、重要なポイントをあらためて整理してみましょう。

 第1に、鳩山元首相は、ロシアの行動は本当に許されないものであったか、各国がロシアに制裁を課したのは妥当であったかを検証するためにクリミアを訪問しました。このような問題意識を持つこと自体はとくに非難されるべきことでありません。

 第2に、しかし、検証するための方法は問題となるでしょう。ロシアのビザでクリミアに入国すれば、検証する前にロシアのクリミア併合を認めてしまうことになる恐れがあります。日本政府の指摘はもっともです。

 第3に、個人で訪問しても実態は簡単にはわかりません。ロシアやクリミア側の説明を聞いただけでロシアの行動に問題はなかったと判断すべきではありません。何事についても、紛争当事者双方の言い分を聞く必要があります。

 第4に、日本政府が行かないように要請しているのを無視することの是非も問われるでしょう。安倍内閣の決定を鳩山元首相が認めないのは自由ですが、だからと言って日本国、日本政府の立場を損なうことは問題です。日本の元首相としては、政治的に相いれない政権の下でも一定程度の自制は求められるはずです。

 第5に、元首相の立場をさておき、一国民として考えても、外国では日本国の、かつ、日本と友好関係にある諸国の保護を受けており、それに応じて自らも問題を起こさないよう責任を負っているのではないでしょうか。
 
 一般論ですが、外国では日本国内以上によく分からないことがあり、個人の行動も予想に反する結果となる恐れがあるので慎重さが求められます。鳩山元首相のクリミア訪問は、ロシアが評価した以外各国に対して大して影響を及ぼしていないようですが、それはともかく、日本人として海外の行動には一定の自制が求められると思います。

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