3月, 2015 - 平和外交研究所 - Page 3
2015.03.24
リー元首相のご冥福をお祈りする。
リー・クアンユー・シンガポール元首相の死去
リー・クアンユー・シンガポール元首相は学生時代から3月23日に他界するまで、つねに傑出した人物であったことは世界中に知られている。私は2000年、瓦防衛庁長官(当時)がリー上級相に会見した際、お供の一人として同氏の偉大さを垣間見る機会があった。同氏は首相職を退いてからすでに10年経過していたが、アジアの政治状況を一分の緩みもなくフォローしていた。リー氏が日本に対して強い関心を抱いていたこともよく知られていたが、いわゆる「日本びいき」という情緒的なことでなく、アジア情勢の透徹した分析から論理的に導き出した結果として日本に強い期待を抱いていた。リー氏がかくしゃくとして、しかしそれをやさしい言葉で包んで語った光景は忘れられない。リー元首相のご冥福をお祈りする。
2015.03.23
多国間の安全保障としては、①紛争が継続している状況で活動する多国籍軍、および②休戦あるいは和平が成立している状況で行なわれる平和維持活動、の2種類の活動が主である。
与党が合意した共同文書「安全保障法制整備の具体的な方向性について」(以下「共同文書」)においては、①と②に加え、③「国連が統括しない人道復興支援活動や安全確保活動などの国際的な平和協力活動」があるとし、この種の活動についても一定の条件の下に自衛隊が参加する道を開いている。多国籍軍についてはすでに論じたので、本稿では②と③の平和維持活動について論じる。
順序は逆になるが、③について、共同文書は自衛隊が参加する条件の一つとして「国連決議に基づくものであることまたは関連する国連決議などがあること」を掲げているが、この条件は具体的にどのような意味か分かりにくい。
まず、「国連決議に基づくもの」であるが、③は国連でない平和協力活動の場合であり、その場合に「国連決議に基づく」ことはありうるか。常識的にはないだろう。平たく言えば、国連決議があるのに国連でない平和協力活動などないと思われる。
共同文書は「国連決議に基づくもの」に続けて、「またはこれに関連する国連決議などがあること」を条件としている。これも分からない。「関連する」とは何に関連するのか不明である。「国連決議など」の「など」とは何か、これも不明である。
与党の中では説明があるのかもしれないが、国民にとっては、このように自衛隊が参加する条件という重要なことが不明確なままになっている。
あえて想像すれば、③は過激派組織「イスラム国」に対する空爆のような事態を指しているのかもしれない。空爆は、「国連が統括しない人道復興支援活動や安全確保活動などの国際的な平和協力活動」に当てはまるからである。しかし、もしそうであれば、自衛隊がそもそも参加することを認めるべきかという基本的な問題があり、かりにそれを肯定するとしても、その条件は明確になっていなければならない。共同文書の記述ははなはだしく不明確であり、国民には不親切である。
一方、PKOについて共同文書は、「国連PKOにおいて実施できる業務の拡大および業務の実施に必要な武器使用権限の見直しを行なう」と述べている。これには原則賛成したい。
冒頭で①と②の区別として指摘したように、PKOは停戦あるいは和平の成立を前提として行なわれる業務である。かりに、停戦が崩れるとPKOは撤退する。実際にそのような例はある。停戦ないし和平を前提とするというPKOの基本的性格は維持されている。
しかるに、PKOへ自衛隊が参加する場合、武器の使用について制限を課していたのは、自衛隊は「自衛」の範囲を超えて武器を使用できないという立場であったからである。なぜ「自衛」に限っていたか。これを理解するには日本国憲法が成立していらいの経緯にそって自衛隊の在り方を見ていくのが便宜である。
憲法が制定された際、日本に「戦力」はまったくなかった。自衛隊らしきものは一切なかったのである。いわゆる絶対平和主義の時代である。しかし、数年後それはあまりに現実から遊離しており、日本国の防衛のためには武器を持つ部隊が必要であり、それは憲法においても禁じられていないという解釈となり、自衛隊が創設された(名称は変わったが、ここでは煩雑になるのでとくに言及しない)。
しかし当初は、自衛隊は海外へ派遣できないと解釈されていた。海外に出ると国際紛争に巻き込まれる恐れがあるからである。しかし、この解釈を厳格に維持することも現実に合わなかった。たとえば、航海訓練などで海外へ出ていくのはどの国でも当たり前のことである。とくに問題になったのはPKOであり、1990年の湾岸戦争を契機に日本はPKO法を成立させ自衛隊などが国連PKOに参加する道を開いた。その限りにおいてはいわゆる「海外派兵」は可能となった。
しかし、そうなっても自衛隊は「自衛」しかできないという方針は変わらなかった。自衛隊員が武器を使用できるのは自らを守るためだけであり、他国の部隊が危険にさらされても武器は使用できない。つまり、憲法下で厳禁されている「武力の行使」が例外的に許されるのは「自衛」の場合だけだという立場は変わらなかったのである。
(日本では「武器の使用」と「武力の行使」は区別されているが、これも煩雑なことになるので、本稿では同じ意味とみなし、文脈次第で使い分けている。)
現在もその解釈は変わっていない。2014年7月の閣議決定が集団的自衛権を行使できる道を開いた際、憲法解釈が変わったと評されたが、日本国憲法は「自衛」の場合に限り武力を行使できるという解釈は放棄しなかった。
具体的には、集団的自衛権が必要となる他国に対する攻撃であっても、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」は、「あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容される」と記載した。外国が攻撃された場合に防衛に協力するという国際間の問題を、「自衛」という日本国憲法のふるいにかけたのである。
そうすることは憲法擁護、憲法解釈の一貫性の観点から積極的に評価される面があったが、集団的自衛権の行使という国際間の問題を、「自衛」という我が国の問題に転換させることに他ならず、不可能を可能にするくらい困難な離れ業であった。
共同文書は、「国連PKOにおいて実施できる業務の拡大および業務の実施に必要な武器使用権限の見直しを行なう」とだけ記載した。今まで「自衛」でないからという理由でできなかった範囲の武力行使ができるようになる、と読める。たとえば他国のPKO部隊が危険な状態に陥った場合、それを助けることは「自衛」でないからわが自衛隊はできないと解してきたが、共同文書によればそれができるようになるようである。そうなると、憲法違反の問題が出てくるはずであるが、共同文書はどのような理屈を考えているのか何も説明していない。
ここでもう一度、PKOは紛争が終了したことを前提に成立していることを想起してもらいたい。従来自衛隊がこれに参加する場合も、「自衛」の範囲内ということで自衛隊員の生命を守るためにしか武器を使用できないというのが日本の立場であったが、PKOという国際の場で「自衛」に徹することはそもそも無理ではなかったか。国際社会における我が国の責任を果たすためにPKOへの参加を認めざるをえなくなったが、憲法の解釈を変えるわけにはいかないという制約のために、国際社会でも我が国の論理を貫いたのであり、やむをえず採用した方便であったと思われる。しかし、その方便には限界があり、「自衛隊員は隊員自身の生命を守るためだけに武力を行使できる」という非国際的な結論にならざるをえなかった。
このように従来は憲法の武力行使禁止の例外はつねに「自衛」の例外で見てきたが、国際的観点から憲法を見なおしてみると、PKOへの参加は「自衛」であるか否かにかかわらず日本国憲法に反しないと見ることが可能である。すなわち、憲法が禁止しているのは国際紛争を解決する手段としての武力行使であり、国際紛争が終了しているPKOにおいては、日本が国際紛争に巻き込まれることはそもそもありえない。したがって、PKOは憲法の禁止に当てはまらない事態として憲法解釈を再構築することが可能であると考える。
もちろん、日本国憲法が武力の行使を禁止し、また戦力を持たないこととしてきたこと、その下で現実の事態に照らして「自衛」だけは憲法に触れないという解釈を導き出してきたことは我が国の戦後の歴史において重要なことであった。しかしながら、「自衛」には限界があることがますますはっきりしつつある今日、「自衛」論にこだわるべきでない。一方、日本国憲法を再度読み直してみれば、国際紛争に巻き込まれる危険がないPKOでは憲法の禁止に触れないと解釈できるし、それは自然な解釈である。その場合、「自衛」論がなくなるわけではない。自衛隊はあくまで「自衛」の範囲内で活動する。しかし、それと同時に、自衛隊は海外でPKOなどに参加し、必要に応じて武器を使用する。それが憲法に触れないことはPKOの本来的性格である「紛争がない状態である」ことにより担保されている。
さらに、PKOにおいては、国連決議は必ず存在し、決議のないPKOはない。このことも重要なことである。多国籍軍の場合、国連決議の存在を絶対の条件とすれば、米国から100点満点をもらえないだろうことは3月15日に述べたが、PKOの場合はそのような問題もない。
多国籍軍とPKOを通じて、国連決議の存在を条件とすることは日本国憲法の国際紛争に巻き込まれることの厳禁にもっともよく調和する。また、憲法を離れても、国連決議が成立しないのは各国の意見が割れているからであり、そのような場合には我が国はとくに注意し、自制してよいのではないか。何もしないというのではない。意見が割れている場合には武器行使につながることはしないということである。
日本では「歯止め」の有無がよく問題になる。もちろんこれは重要なことであるが、国際的に理解されるかと言えば、疑問がある。「国際貢献は自衛の範囲内に限る」も「集団的自衛権の行使はできるが自衛の範囲内である」も国際的には分かりにくい。表現は若干簡略化したが、閣議決定、あるいは共同文書の文言をそのまま使っても各国には分かってもらえないどころか、ますます分かりにくくなるだろう。このような観点から見ても「自衛」だけで自衛隊の行動を律することは限界にきていると考える。
安保関連の法律を整備するにあたって、「自衛」を貫くのがよいか、それとも「国際紛争に巻き込まれない」という柱を立てて行くのがよいか再検討すべき時が来ている。
安保法制‐「自衛」か「紛争に巻き込まれない」か
(この文章を読まれる方は3月15日の「安全保障関連法案‐国連決議を条件にするべきだ」も参照されることをお薦めします。)多国間の安全保障としては、①紛争が継続している状況で活動する多国籍軍、および②休戦あるいは和平が成立している状況で行なわれる平和維持活動、の2種類の活動が主である。
与党が合意した共同文書「安全保障法制整備の具体的な方向性について」(以下「共同文書」)においては、①と②に加え、③「国連が統括しない人道復興支援活動や安全確保活動などの国際的な平和協力活動」があるとし、この種の活動についても一定の条件の下に自衛隊が参加する道を開いている。多国籍軍についてはすでに論じたので、本稿では②と③の平和維持活動について論じる。
順序は逆になるが、③について、共同文書は自衛隊が参加する条件の一つとして「国連決議に基づくものであることまたは関連する国連決議などがあること」を掲げているが、この条件は具体的にどのような意味か分かりにくい。
まず、「国連決議に基づくもの」であるが、③は国連でない平和協力活動の場合であり、その場合に「国連決議に基づく」ことはありうるか。常識的にはないだろう。平たく言えば、国連決議があるのに国連でない平和協力活動などないと思われる。
共同文書は「国連決議に基づくもの」に続けて、「またはこれに関連する国連決議などがあること」を条件としている。これも分からない。「関連する」とは何に関連するのか不明である。「国連決議など」の「など」とは何か、これも不明である。
与党の中では説明があるのかもしれないが、国民にとっては、このように自衛隊が参加する条件という重要なことが不明確なままになっている。
あえて想像すれば、③は過激派組織「イスラム国」に対する空爆のような事態を指しているのかもしれない。空爆は、「国連が統括しない人道復興支援活動や安全確保活動などの国際的な平和協力活動」に当てはまるからである。しかし、もしそうであれば、自衛隊がそもそも参加することを認めるべきかという基本的な問題があり、かりにそれを肯定するとしても、その条件は明確になっていなければならない。共同文書の記述ははなはだしく不明確であり、国民には不親切である。
一方、PKOについて共同文書は、「国連PKOにおいて実施できる業務の拡大および業務の実施に必要な武器使用権限の見直しを行なう」と述べている。これには原則賛成したい。
冒頭で①と②の区別として指摘したように、PKOは停戦あるいは和平の成立を前提として行なわれる業務である。かりに、停戦が崩れるとPKOは撤退する。実際にそのような例はある。停戦ないし和平を前提とするというPKOの基本的性格は維持されている。
しかるに、PKOへ自衛隊が参加する場合、武器の使用について制限を課していたのは、自衛隊は「自衛」の範囲を超えて武器を使用できないという立場であったからである。なぜ「自衛」に限っていたか。これを理解するには日本国憲法が成立していらいの経緯にそって自衛隊の在り方を見ていくのが便宜である。
憲法が制定された際、日本に「戦力」はまったくなかった。自衛隊らしきものは一切なかったのである。いわゆる絶対平和主義の時代である。しかし、数年後それはあまりに現実から遊離しており、日本国の防衛のためには武器を持つ部隊が必要であり、それは憲法においても禁じられていないという解釈となり、自衛隊が創設された(名称は変わったが、ここでは煩雑になるのでとくに言及しない)。
しかし当初は、自衛隊は海外へ派遣できないと解釈されていた。海外に出ると国際紛争に巻き込まれる恐れがあるからである。しかし、この解釈を厳格に維持することも現実に合わなかった。たとえば、航海訓練などで海外へ出ていくのはどの国でも当たり前のことである。とくに問題になったのはPKOであり、1990年の湾岸戦争を契機に日本はPKO法を成立させ自衛隊などが国連PKOに参加する道を開いた。その限りにおいてはいわゆる「海外派兵」は可能となった。
しかし、そうなっても自衛隊は「自衛」しかできないという方針は変わらなかった。自衛隊員が武器を使用できるのは自らを守るためだけであり、他国の部隊が危険にさらされても武器は使用できない。つまり、憲法下で厳禁されている「武力の行使」が例外的に許されるのは「自衛」の場合だけだという立場は変わらなかったのである。
(日本では「武器の使用」と「武力の行使」は区別されているが、これも煩雑なことになるので、本稿では同じ意味とみなし、文脈次第で使い分けている。)
現在もその解釈は変わっていない。2014年7月の閣議決定が集団的自衛権を行使できる道を開いた際、憲法解釈が変わったと評されたが、日本国憲法は「自衛」の場合に限り武力を行使できるという解釈は放棄しなかった。
具体的には、集団的自衛権が必要となる他国に対する攻撃であっても、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」は、「あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容される」と記載した。外国が攻撃された場合に防衛に協力するという国際間の問題を、「自衛」という日本国憲法のふるいにかけたのである。
そうすることは憲法擁護、憲法解釈の一貫性の観点から積極的に評価される面があったが、集団的自衛権の行使という国際間の問題を、「自衛」という我が国の問題に転換させることに他ならず、不可能を可能にするくらい困難な離れ業であった。
共同文書は、「国連PKOにおいて実施できる業務の拡大および業務の実施に必要な武器使用権限の見直しを行なう」とだけ記載した。今まで「自衛」でないからという理由でできなかった範囲の武力行使ができるようになる、と読める。たとえば他国のPKO部隊が危険な状態に陥った場合、それを助けることは「自衛」でないからわが自衛隊はできないと解してきたが、共同文書によればそれができるようになるようである。そうなると、憲法違反の問題が出てくるはずであるが、共同文書はどのような理屈を考えているのか何も説明していない。
ここでもう一度、PKOは紛争が終了したことを前提に成立していることを想起してもらいたい。従来自衛隊がこれに参加する場合も、「自衛」の範囲内ということで自衛隊員の生命を守るためにしか武器を使用できないというのが日本の立場であったが、PKOという国際の場で「自衛」に徹することはそもそも無理ではなかったか。国際社会における我が国の責任を果たすためにPKOへの参加を認めざるをえなくなったが、憲法の解釈を変えるわけにはいかないという制約のために、国際社会でも我が国の論理を貫いたのであり、やむをえず採用した方便であったと思われる。しかし、その方便には限界があり、「自衛隊員は隊員自身の生命を守るためだけに武力を行使できる」という非国際的な結論にならざるをえなかった。
このように従来は憲法の武力行使禁止の例外はつねに「自衛」の例外で見てきたが、国際的観点から憲法を見なおしてみると、PKOへの参加は「自衛」であるか否かにかかわらず日本国憲法に反しないと見ることが可能である。すなわち、憲法が禁止しているのは国際紛争を解決する手段としての武力行使であり、国際紛争が終了しているPKOにおいては、日本が国際紛争に巻き込まれることはそもそもありえない。したがって、PKOは憲法の禁止に当てはまらない事態として憲法解釈を再構築することが可能であると考える。
もちろん、日本国憲法が武力の行使を禁止し、また戦力を持たないこととしてきたこと、その下で現実の事態に照らして「自衛」だけは憲法に触れないという解釈を導き出してきたことは我が国の戦後の歴史において重要なことであった。しかしながら、「自衛」には限界があることがますますはっきりしつつある今日、「自衛」論にこだわるべきでない。一方、日本国憲法を再度読み直してみれば、国際紛争に巻き込まれる危険がないPKOでは憲法の禁止に触れないと解釈できるし、それは自然な解釈である。その場合、「自衛」論がなくなるわけではない。自衛隊はあくまで「自衛」の範囲内で活動する。しかし、それと同時に、自衛隊は海外でPKOなどに参加し、必要に応じて武器を使用する。それが憲法に触れないことはPKOの本来的性格である「紛争がない状態である」ことにより担保されている。
さらに、PKOにおいては、国連決議は必ず存在し、決議のないPKOはない。このことも重要なことである。多国籍軍の場合、国連決議の存在を絶対の条件とすれば、米国から100点満点をもらえないだろうことは3月15日に述べたが、PKOの場合はそのような問題もない。
多国籍軍とPKOを通じて、国連決議の存在を条件とすることは日本国憲法の国際紛争に巻き込まれることの厳禁にもっともよく調和する。また、憲法を離れても、国連決議が成立しないのは各国の意見が割れているからであり、そのような場合には我が国はとくに注意し、自制してよいのではないか。何もしないというのではない。意見が割れている場合には武器行使につながることはしないということである。
日本では「歯止め」の有無がよく問題になる。もちろんこれは重要なことであるが、国際的に理解されるかと言えば、疑問がある。「国際貢献は自衛の範囲内に限る」も「集団的自衛権の行使はできるが自衛の範囲内である」も国際的には分かりにくい。表現は若干簡略化したが、閣議決定、あるいは共同文書の文言をそのまま使っても各国には分かってもらえないどころか、ますます分かりにくくなるだろう。このような観点から見ても「自衛」だけで自衛隊の行動を律することは限界にきていると考える。
安保関連の法律を整備するにあたって、「自衛」を貫くのがよいか、それとも「国際紛争に巻き込まれない」という柱を立てて行くのがよいか再検討すべき時が来ている。
2015.03.20
第1の出来事は2014年3月18日に起こった学生運動である。そのきっかけとなったのは立法院(台湾の議会)での中国とのサービス貿易協定の審議であり、約300人の学生が議場になだれ込んで抗議し、議場の外では学生の行動を支持する人が万の単位で集まった。さらに学生は警察の防衛線を破って行政院にも突入した。この中で学生はひまわりをシンボルに使ったので「太陽花(ひまわり)運動」とも、また、日付を取って単に三一八とも呼ばれている。
学生の実力行動は約20日間続いた。台湾でこのように大規模な、しかも強硬手段を使った運動が起きたのは初めてであった。主な原因は、就職難で学生たちの不満が高じていたのに、馬英九政府は中国との関係を重視して中国とのサービス貿易協定を結ぼうとしたからであった。馬英九総統の支持率はそれ以前から下降傾向にあったが、この事件の結果、10%前後まで低下した。
この事件は馬英九総統を支持する中国政府にとっても衝撃的であり、4月16日、このような運動は両岸関係の平和的発展を阻害すると学生たちを批判した。しかし、この「ひまわり運動」の約半年後に、香港で「雨傘革命」と呼ばれる反政府学生運動が起きた。中国政府は学生の不満から生じたこれら反政府運動が中国国内へ影響することを強く警戒し、神経をとがらせたと思われる。
台湾ではひまわり運動から8か月後の11月29日に統一地方選挙が行われた。「直轄市長」、「県市長」以下「先住民区民代表」まで9つのカテゴリーの選挙が一斉に行われたので、「九合一」と呼ばれている。政治的にもっとも重要なのは6つの直轄市の選挙であり、台北市長は無所属の柯文哲、台北市の隣の新北市は国民党の朱立倫が当選したが、その他4つはすべて民進党候補が当選した。さらに直轄市以外のカテゴリーでも民進党候補は国民党候補を次々に破った。
台北市長選に民進党は候補を出さなかった。最初の段階では候補を出そうとしていたが、柯文哲に勝てそうもないので早々と自党候補は引っ込め、柯文哲支持に回っていたのである。また、新北市は台北市と並んで従来から国民党が強いところであるが、民進党候補はもう少しで当選するところまで国民党候補を追い上げた。「九合一」は民進党の大勝利であったと言われている。
台北市長になった柯文哲は救急医療・臓器移植の権威である台湾大学教授であり、政治の世界では無名の人物であった。ところが選挙戦が進むにつれ、本命候補と目されていた国民党の連勝文より人気が集まっていることが世論調査で判明した。連勝文は国民党名誉主席・連戦の息子で金も地位も知名度もあったが、評判は上がらなかった。あわてた国民党は、柯文哲の家庭は「青山」という日本名を持っていたことなどを口実に個人攻撃したのでますます票を失ったそうである。
ともかく、柯文哲の圧勝は大多数の人の予想をはるかに超えるものであり、同人について、顔つきはごく普通、髪型はバサバサ、コミュニケーションがよくできないなどいろいろと言われた。映画俳優然とした馬英九とは正反対のキャラであるが、それが受けたとも言われている。なお、柯文哲の立候補には夫人の陳佩琪の働きも大きかった。彼女も台北市ではよく知られ、尊敬されている小児科の専門医である。
柯文哲市長の個性を示すエピソードがいくつかある。一つは歯に衣着せず発言することで、ある時外国からの訪問客が贈り物をしたところ、「こんな安物はいらない」と言ってすぐ処分したそうだ。新市政府で柯文哲は、「能力があるものを登用するのは当然、なければやめてもらう」と公言し、いわゆる外省人も要職に登用している。台湾では外省人と本省人、すなわち台湾人との区別は今でも大きな意味があるが、そのようなことには重きを置かないようである。
それでも台湾人にとって柯文哲は愛すべき市長である。さる2月28日、いわゆる二二八事件(国民党軍が台湾に来て多数の台湾人を虐殺した)記念式典での演説は、涙で何回も中断された。講演が終わって臨席の馬英九総統が握手を求めたが、応じなかった。彼は柯P(カーピーと発音する)と親しみと尊敬をこめて呼ばれている。PはPhD、つまり博士であり、さしずめ「柯博士さん」といったところか。
就任してまだ3か月そこそこであり、行政能力を判断するには早すぎるかもしれないが、同人の特色ある仕事ぶりは目立っている。能力優先であることは前述した。さらに、服務規律に厳しく、公務につく者は任命から1か月以内に財産を公表すること、勤務場所以外への移動と接待については1週間以内に申告すること、講演なども報告することなど細かく指示しており、柯文哲市長は透明性を重視すると評判になっている。申し分のない滑り出しである。
柯文哲市長について長々と書いたのは、台湾では、国民党対民進党というこれまでの図式だけでは政治状況を語れなくなっているからである。
民進党は「九合一」選挙で大勝したが、投票率では国民党をわずかに上回った程度であった。ひまわり運動が起こったのは、厳しい経済状況の中にありながら、馬英九政府が台湾人の気持ちを無視して中国との関係を進めようとしたからであり、必ずしも民進党に支持が移ったのではなかった。将来、様々な事情で風向きが変われば、国民党が議席を奪い返すことは十分ありうる。台湾は日本と同様小選挙区制であり、風向きが変わると全体の支持率以上に議席が動く。
民進党には功罪両面がある。陳水扁総統の下での8年間、行政能力に欠ける(経験がないためであったが)ことが明らかになり、また、中国による民進党敵視政策も手伝って同党の評価は急落し、皮肉にも国民党復権のおぜん立てをする結果になった。
しかし、民進党は総崩れになったのではなかった。党首蔡英文は、2012年の選挙で馬英九に敗れたが、その後も党内の支持を失わず、同党首の下で党勢の回復はかなり進み、今回の「九合一」選挙では民進党が国民党に勝利した。とくに台湾南部では民進党の勢力は強く、高雄市の陳菊市長などはライバルを寄せ付けない女傑である。
2016年1月16日実施と決定された次期総統選挙では、馬英九の後をついで国民党の新党首となった朱立倫が立候補を決断すればチャンスがあるという見方もあるが、大多数の見方は蔡英文の勝利である。
他方、民進党はいくつかの弱点を抱えている。政党としての組織力ではまだ国民党に遠く及ばない。民進党内部は蔡英文党首を中心に結束しているとは言い難い状況もある。
また、蔡英文は前回の総統選挙で、中国との関係についての立場が明確でない、台湾独立を目指すかもしれないというイメージを持たれ、米国からも警戒されて敗北した。現在、蔡英文は中国との関係について「現状維持」をしきりに強調している。これであれば、台湾の国民は、非民進党系をふくめて安心できる。
しかし、中国との関係は複雑であり、蔡英文が総統になれば中国は馬英九時代にはなかった態度を取る可能性があり、そうなると「現状維持」を標榜しているだけではすまなくなるとの指摘もある。また、中国が意図的に蔡英文の障害とならなくても、中国との経済関係が悪くなると国民の支持は民進党から離れていく。
一方、国民党は今回の敗北で明らかになった党勢頽廃から立ち直れるか。同党の強みである組織力は依然として健在であり、選挙での大敗の原因、国民の支持を失った原因の究明と党勢の立て直しに懸命である。一つの大きな問題は馬英九の失政の評価であり、馬英九と国民党は等号ではない。朱立倫党首が馬英九色を脱し、かつ、台湾人の民意を吸い上げることができれば、国民党が復権する可能性はある。
しかし、国民党にとってさらに大きな問題がある。歴史的に見ていく必要があるが、国民党は元来大陸を武力ででも回復するということを国家目標としており、それは国民が何と言おうと変わらない国家綱領であった。戒厳令が解除されたのは1987年である。しかし、このような国家目標は国民党の主体的判断だけでなく米国との関係でも放棄せざるを得なかった。米国が中国と国交を樹立した際、中国による台湾の武力統一を許さないという約束を米国から取り付けたが、台湾が武力で大陸を回復する可能性もなくなったのである。
しかしそうなると国民党にとっても台湾人の民意を吸収して政治に反映できるかということが従来に増して大きな問題となった。つまり、国家目標が武力による大陸制圧から、他国と同様国民の福祉実現に変わったのである。しかし、民進党政権下で国家目標がさらに変化し、台湾独立に近くなったのではないかという疑念が持たれ、事態は複雑化して同政権は退場した。
そこで出てきた国民党の馬英九は、台湾の揺れを独立寄りから戻して中国との関係重視に向かい、それに伴い国民の願望を軽視しているという反発を受けた。
では朱立倫は何を目標として党勢を立て直せるか。かりに台湾の現状維持を中間、台湾の独立を左、中国との統一は右とすれば、国民党の目指す方向は現状維持でなく、右半分の中にある、右の中のどのくらいのところかは別として、右にあることは間違いない。それで台湾人の心を取り戻せるかということである。世論調査によれば、「中国人でなく、台湾人だ」という意識を持つ国民が増え、7割に達している。大多数の国民は中国との関係を進めたくないのであり、彼らの心は左半分にある。
つまり、国民党としては、「現状維持」は言えないが、国民の民意は重視せざるをえないという大変なジレンマを抱えているのであり、それは国民党にとってボディーブローとなって利いてくるのではないかと思われてならない。
過去1年に起こった変化は、民進党と国民党にはそれぞれ強いところも弱いところもあること、また、台湾の国民は民進党と国民党の間を行ったり来たりするだけではないということをさらけ出す結果になった。平たく言えば、どちらの党にも満足できない人たちが増えているのである。
柯文哲が無所属で選挙を戦い、勝利したことはそのような新しい情勢を象徴的に表している。民進党は柯文哲を支持し、国民党は敗れたが、柯文哲は民進党でなく、同党寄りと見ることさえ適当でない。同人は二二八記念には人前で涙を流す台湾人であり、また「九合一」選挙において民進党の協力を得たのでそれなりに借りを作っているだろうが、基本的には、党派より能力を優先させる人物である。台湾人か外省人かを問わず仕事ができる者は使うというドライな姿勢に彼の特性が表れている。
台湾にはすでに国民党と民進党以外の小政党ができているが、それらは問題でなく、注目されているのは党派の別を超える勢いを示している柯文哲であり、国民は同人を「第三の勢力」として見始めている。台湾のテレビでは「第三の勢力」と「素人政治」という言葉が連日飛び交っている。
もっとも、「第三の勢力」が民進党や国民党に比較できるくらい組織的にまとまっているのでないことは明らかである。この言葉は国民党や民進党のように既存の政党には満足できない勢力があることの象徴として使われているにすぎないかもしれない。それ以上になりうるか。もう少し時間をかけて見ていく必要がある。
当面の問題は2016年1月の総統選挙である。第三の候補は出るかもしれないが、実質的には民進党と国民党の戦いになる。今後の台湾にとって重要なことは経済問題であり、また中国との関係である。いずれについても不確定要因があり、見通しは不透明である。そのような状況の中で、一介の市長であるが、国民的人気があり、党派を超える勢いのある柯文哲の動静は台湾の国政にも影響するのではないかと注目されている。
台湾に第3の政治勢力が生まれつつあるか?
3月16日から19日まで台北に滞在した。前回訪問した1年半前と比べ台湾は大きく変化していた。以下は台湾の変化を大づかみに描写した試論である。第1の出来事は2014年3月18日に起こった学生運動である。そのきっかけとなったのは立法院(台湾の議会)での中国とのサービス貿易協定の審議であり、約300人の学生が議場になだれ込んで抗議し、議場の外では学生の行動を支持する人が万の単位で集まった。さらに学生は警察の防衛線を破って行政院にも突入した。この中で学生はひまわりをシンボルに使ったので「太陽花(ひまわり)運動」とも、また、日付を取って単に三一八とも呼ばれている。
学生の実力行動は約20日間続いた。台湾でこのように大規模な、しかも強硬手段を使った運動が起きたのは初めてであった。主な原因は、就職難で学生たちの不満が高じていたのに、馬英九政府は中国との関係を重視して中国とのサービス貿易協定を結ぼうとしたからであった。馬英九総統の支持率はそれ以前から下降傾向にあったが、この事件の結果、10%前後まで低下した。
この事件は馬英九総統を支持する中国政府にとっても衝撃的であり、4月16日、このような運動は両岸関係の平和的発展を阻害すると学生たちを批判した。しかし、この「ひまわり運動」の約半年後に、香港で「雨傘革命」と呼ばれる反政府学生運動が起きた。中国政府は学生の不満から生じたこれら反政府運動が中国国内へ影響することを強く警戒し、神経をとがらせたと思われる。
台湾ではひまわり運動から8か月後の11月29日に統一地方選挙が行われた。「直轄市長」、「県市長」以下「先住民区民代表」まで9つのカテゴリーの選挙が一斉に行われたので、「九合一」と呼ばれている。政治的にもっとも重要なのは6つの直轄市の選挙であり、台北市長は無所属の柯文哲、台北市の隣の新北市は国民党の朱立倫が当選したが、その他4つはすべて民進党候補が当選した。さらに直轄市以外のカテゴリーでも民進党候補は国民党候補を次々に破った。
台北市長選に民進党は候補を出さなかった。最初の段階では候補を出そうとしていたが、柯文哲に勝てそうもないので早々と自党候補は引っ込め、柯文哲支持に回っていたのである。また、新北市は台北市と並んで従来から国民党が強いところであるが、民進党候補はもう少しで当選するところまで国民党候補を追い上げた。「九合一」は民進党の大勝利であったと言われている。
台北市長になった柯文哲は救急医療・臓器移植の権威である台湾大学教授であり、政治の世界では無名の人物であった。ところが選挙戦が進むにつれ、本命候補と目されていた国民党の連勝文より人気が集まっていることが世論調査で判明した。連勝文は国民党名誉主席・連戦の息子で金も地位も知名度もあったが、評判は上がらなかった。あわてた国民党は、柯文哲の家庭は「青山」という日本名を持っていたことなどを口実に個人攻撃したのでますます票を失ったそうである。
ともかく、柯文哲の圧勝は大多数の人の予想をはるかに超えるものであり、同人について、顔つきはごく普通、髪型はバサバサ、コミュニケーションがよくできないなどいろいろと言われた。映画俳優然とした馬英九とは正反対のキャラであるが、それが受けたとも言われている。なお、柯文哲の立候補には夫人の陳佩琪の働きも大きかった。彼女も台北市ではよく知られ、尊敬されている小児科の専門医である。
柯文哲市長の個性を示すエピソードがいくつかある。一つは歯に衣着せず発言することで、ある時外国からの訪問客が贈り物をしたところ、「こんな安物はいらない」と言ってすぐ処分したそうだ。新市政府で柯文哲は、「能力があるものを登用するのは当然、なければやめてもらう」と公言し、いわゆる外省人も要職に登用している。台湾では外省人と本省人、すなわち台湾人との区別は今でも大きな意味があるが、そのようなことには重きを置かないようである。
それでも台湾人にとって柯文哲は愛すべき市長である。さる2月28日、いわゆる二二八事件(国民党軍が台湾に来て多数の台湾人を虐殺した)記念式典での演説は、涙で何回も中断された。講演が終わって臨席の馬英九総統が握手を求めたが、応じなかった。彼は柯P(カーピーと発音する)と親しみと尊敬をこめて呼ばれている。PはPhD、つまり博士であり、さしずめ「柯博士さん」といったところか。
就任してまだ3か月そこそこであり、行政能力を判断するには早すぎるかもしれないが、同人の特色ある仕事ぶりは目立っている。能力優先であることは前述した。さらに、服務規律に厳しく、公務につく者は任命から1か月以内に財産を公表すること、勤務場所以外への移動と接待については1週間以内に申告すること、講演なども報告することなど細かく指示しており、柯文哲市長は透明性を重視すると評判になっている。申し分のない滑り出しである。
柯文哲市長について長々と書いたのは、台湾では、国民党対民進党というこれまでの図式だけでは政治状況を語れなくなっているからである。
民進党は「九合一」選挙で大勝したが、投票率では国民党をわずかに上回った程度であった。ひまわり運動が起こったのは、厳しい経済状況の中にありながら、馬英九政府が台湾人の気持ちを無視して中国との関係を進めようとしたからであり、必ずしも民進党に支持が移ったのではなかった。将来、様々な事情で風向きが変われば、国民党が議席を奪い返すことは十分ありうる。台湾は日本と同様小選挙区制であり、風向きが変わると全体の支持率以上に議席が動く。
民進党には功罪両面がある。陳水扁総統の下での8年間、行政能力に欠ける(経験がないためであったが)ことが明らかになり、また、中国による民進党敵視政策も手伝って同党の評価は急落し、皮肉にも国民党復権のおぜん立てをする結果になった。
しかし、民進党は総崩れになったのではなかった。党首蔡英文は、2012年の選挙で馬英九に敗れたが、その後も党内の支持を失わず、同党首の下で党勢の回復はかなり進み、今回の「九合一」選挙では民進党が国民党に勝利した。とくに台湾南部では民進党の勢力は強く、高雄市の陳菊市長などはライバルを寄せ付けない女傑である。
2016年1月16日実施と決定された次期総統選挙では、馬英九の後をついで国民党の新党首となった朱立倫が立候補を決断すればチャンスがあるという見方もあるが、大多数の見方は蔡英文の勝利である。
他方、民進党はいくつかの弱点を抱えている。政党としての組織力ではまだ国民党に遠く及ばない。民進党内部は蔡英文党首を中心に結束しているとは言い難い状況もある。
また、蔡英文は前回の総統選挙で、中国との関係についての立場が明確でない、台湾独立を目指すかもしれないというイメージを持たれ、米国からも警戒されて敗北した。現在、蔡英文は中国との関係について「現状維持」をしきりに強調している。これであれば、台湾の国民は、非民進党系をふくめて安心できる。
しかし、中国との関係は複雑であり、蔡英文が総統になれば中国は馬英九時代にはなかった態度を取る可能性があり、そうなると「現状維持」を標榜しているだけではすまなくなるとの指摘もある。また、中国が意図的に蔡英文の障害とならなくても、中国との経済関係が悪くなると国民の支持は民進党から離れていく。
一方、国民党は今回の敗北で明らかになった党勢頽廃から立ち直れるか。同党の強みである組織力は依然として健在であり、選挙での大敗の原因、国民の支持を失った原因の究明と党勢の立て直しに懸命である。一つの大きな問題は馬英九の失政の評価であり、馬英九と国民党は等号ではない。朱立倫党首が馬英九色を脱し、かつ、台湾人の民意を吸い上げることができれば、国民党が復権する可能性はある。
しかし、国民党にとってさらに大きな問題がある。歴史的に見ていく必要があるが、国民党は元来大陸を武力ででも回復するということを国家目標としており、それは国民が何と言おうと変わらない国家綱領であった。戒厳令が解除されたのは1987年である。しかし、このような国家目標は国民党の主体的判断だけでなく米国との関係でも放棄せざるを得なかった。米国が中国と国交を樹立した際、中国による台湾の武力統一を許さないという約束を米国から取り付けたが、台湾が武力で大陸を回復する可能性もなくなったのである。
しかしそうなると国民党にとっても台湾人の民意を吸収して政治に反映できるかということが従来に増して大きな問題となった。つまり、国家目標が武力による大陸制圧から、他国と同様国民の福祉実現に変わったのである。しかし、民進党政権下で国家目標がさらに変化し、台湾独立に近くなったのではないかという疑念が持たれ、事態は複雑化して同政権は退場した。
そこで出てきた国民党の馬英九は、台湾の揺れを独立寄りから戻して中国との関係重視に向かい、それに伴い国民の願望を軽視しているという反発を受けた。
では朱立倫は何を目標として党勢を立て直せるか。かりに台湾の現状維持を中間、台湾の独立を左、中国との統一は右とすれば、国民党の目指す方向は現状維持でなく、右半分の中にある、右の中のどのくらいのところかは別として、右にあることは間違いない。それで台湾人の心を取り戻せるかということである。世論調査によれば、「中国人でなく、台湾人だ」という意識を持つ国民が増え、7割に達している。大多数の国民は中国との関係を進めたくないのであり、彼らの心は左半分にある。
つまり、国民党としては、「現状維持」は言えないが、国民の民意は重視せざるをえないという大変なジレンマを抱えているのであり、それは国民党にとってボディーブローとなって利いてくるのではないかと思われてならない。
過去1年に起こった変化は、民進党と国民党にはそれぞれ強いところも弱いところもあること、また、台湾の国民は民進党と国民党の間を行ったり来たりするだけではないということをさらけ出す結果になった。平たく言えば、どちらの党にも満足できない人たちが増えているのである。
柯文哲が無所属で選挙を戦い、勝利したことはそのような新しい情勢を象徴的に表している。民進党は柯文哲を支持し、国民党は敗れたが、柯文哲は民進党でなく、同党寄りと見ることさえ適当でない。同人は二二八記念には人前で涙を流す台湾人であり、また「九合一」選挙において民進党の協力を得たのでそれなりに借りを作っているだろうが、基本的には、党派より能力を優先させる人物である。台湾人か外省人かを問わず仕事ができる者は使うというドライな姿勢に彼の特性が表れている。
台湾にはすでに国民党と民進党以外の小政党ができているが、それらは問題でなく、注目されているのは党派の別を超える勢いを示している柯文哲であり、国民は同人を「第三の勢力」として見始めている。台湾のテレビでは「第三の勢力」と「素人政治」という言葉が連日飛び交っている。
もっとも、「第三の勢力」が民進党や国民党に比較できるくらい組織的にまとまっているのでないことは明らかである。この言葉は国民党や民進党のように既存の政党には満足できない勢力があることの象徴として使われているにすぎないかもしれない。それ以上になりうるか。もう少し時間をかけて見ていく必要がある。
当面の問題は2016年1月の総統選挙である。第三の候補は出るかもしれないが、実質的には民進党と国民党の戦いになる。今後の台湾にとって重要なことは経済問題であり、また中国との関係である。いずれについても不確定要因があり、見通しは不透明である。そのような状況の中で、一介の市長であるが、国民的人気があり、党派を超える勢いのある柯文哲の動静は台湾の国政にも影響するのではないかと注目されている。
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