平和外交研究所

3月, 2015 - 平和外交研究所 - Page 6

2015.03.04

ネムツォフ暗殺とプーチン政権の姿勢

 ロシア政府がウクライナに介入したことなどを批判し、3月1日に反政府デモを呼びかけていたボリス・ネムツォフ氏(以下敬称略)が2月27日深夜、モスクワ市中心部の路上で殺害された。プーチン政権下ではセルゲイ・ユシェンコフ(2003年)、ユーリ・シェコチーヒン(2003年)、アンナ・ポリトコフスカヤ(2006年)、スタニスラフ・マルケロフ(2009年)、アナスタシア・バブロワ(2009年)、ナタリア・エステミロワ(2009年)など政治家、ジャーナリスト、人権活動家が暗殺されている。ロンドンでは2006年にアレクサンドル・リトビネンコ元情報将校が毒殺されている。
 事件発生後、ロシア政府の姿勢に各国の注目が集まった。プーチン大統領は犯行を非難し、特別の捜査チームを立ち上げ、みずから指揮するなど迅速に対応しているが、各国の新聞は、と言っても見たのは数えるほどであるが、プーチン政権に批判的な報道をしている。ロシア政府を直接批判することはできないが、次々に暗殺事件が起こる政治状況を改善できないことはロシア政府にとっても問題だという角度から論じている。
 ロシア政府を安易に批判することはもちろん差し控えなければならない。ネムツォフがロシア政府のウクライナ政策を批判するのは正しかったか、まちがっていたか、本当のことは簡単には分からない。そういう意味では西側の報道にも自制を求めたいところだが、しかし、ロシア政府に同情する気にはなれない。
 大きく言って二つの理由があり、その一つは前述した、暗殺事件が次々に起こるのに有効な対策を取れていないからである。
もう一つは、ロシア政府は、ネムツォフのような、政府に批判的な人たちを擁護しなかったどころか、ネムツォフが率いていた政党を非合法化することによりむしろ危険な状況に追いやったからである。テロリストにとっては、野党の指導者より非合法活動をするネムツォフのほうが攻撃しやすかっただろう。つまり、ロシア政府の決定は結果的に今回の事件発生を助長した面があったのではないかということである。
 ウクライナの親ロシア派を助けているロシア軍は、少なくともその一部は、政府の方針に逆らってでも民族主義的な行動に走ったという点で、ネムツォフを殺害したテロリストと共通している。平たく言えば、偏狭な民族主義的衝動に駆られて、してはいけないことをしてしまったということであるが、いずれの場合もロシア政府、プーチン大統領の姿勢は問われる。
 ロシア政府としては民族主義的主張に乗るのは即効性のある施策かもしれないが、ネムツォフのような人の存在と行動は、ロシアにおいてよりよい政治を求める理性と勇気があることの証であり、かりに政府にとって都合の悪いことを言ってもロシアという国にとっての貢献は顕著である。もしネムツォフのような人がいなければロシアのイメージは非常に悪くなっていたであろう。
 ロシア政府がネムツォフのような人を擁護するか否か、反対する者に対してどのような態度で臨むかは、ロシアの民主主義を測る尺度となる。これは国際社会にとってのみならず、ロシアにとっても極めて重要なことである。反対する野党を非合法化したことは政府批判の強権的封じ込め、言論の封殺であり、ロシア政府は民主化とは逆の方向に向いていたのではないか。
 3月2日付の英フィナンシャル・タイムズ紙は、「ウクライナを巡って国際的な緊張が高まる中、欧米諸国はロシアから手を引いて孤立させる誘惑に駆られるかもしれない。しかし、欧米諸国がそうした行動をとれば、ネムツォフ氏の命を賭けた仕事や他のロシアの民主運動家に対してひどい仕打ちをすることになる。
 旧ソ連時代と同様、ロシアの反体制派は欧米諸国の民主主義を希望の源と見ている。欧米諸国は、現政権に制裁を加えつつも、可能な限りロシアの人々との係わりを絶つべきではない。」と書いている。
 ロシアは日本にとってのみならず、世界中の多くの国々にとっても大切な隣国である。
2015.03.02

中国革命功労者の親族と反腐敗運動 習近平自身の身体検査

 反腐敗運動は習近平政権が成立して以来最も力を入れてきたことであり、検挙者の数などで見れば過去2年間、かなりの実績があったと言える。しかし、革命の元老の親族による国有企業を利用した私腹肥やしは、必ずしも違法でないため、退治は困難である。
 2月20日の『多維新聞』はこの問題についてかなり踏み込んだ分析を行なっており、参考になる。この新聞は、本HPでも何回か紹介したが、米国に本拠を置く中国語の新聞で、中国の内政にはよく通じている。
 「紅色中国」とは「赤い中国」、すなわち共産党による支配下の中国のことであり、「紅色権貴」とはこのような中国における「権力と地位」を兼ね備えた者、いわゆる幹部を言い、「紅二代」「紅色子女」とは革命の功労者の子を指す。「紅色身分」とは革命の功労者の親族という身分のことである。
 なお、2月3日に当HPで「反腐敗運動と「紅色家族」」について掲載した一文も参照願いたい。

○2015年になって「安邦保険」が突如世間を騒がせるようになったが、鄧小平と陳毅の親族を巻き込んでいたからである。同社の副社長姚大锋は北京のメディアに対し、メディアは伝聞や事実と異なる噂を流し安邦保険の吴小晖社長を個人攻撃していると批判し、裁判に訴える権利を留保すると述べたが、この弁解はあまり効き目がなかった。
 財新網はこのインタビューに先立って、安邦保険の吴小晖社長と鄧小平の孫娘鄧卓苒はすでに夫婦でなくなっていると報道し、また、陳毅(元老の一人、元外相)の息子の陳小魯が公開の場で「自分は安邦保険をコントロールしていない。顧問に過ぎない。そこにいるだけで、株も持っていない。会社の経営に介入していない」などと言明したことを報道していた。 
 しかしこのような報道は、疑惑を晴らすことはできなかった。安邦保険は鄧小平の親族を身内に入れていたために他の会社を次々に併呑できたことは周知のことである。現在安邦保険には「紅色権貴」はなくなっているとしても、飛躍の基礎はすでに出来上がっていたのであり、それは「紅色権貴」の原罪であった。

○以前「紅色子女」は政治や軍など親の職業を継ぐことが多かったが、最近の優秀な若者は商業に身を投じ、ものすごく頑張って伸している。これには二つの種類がある。一つは大国有企業に入り、掌握してしまうタイプである。元老王震の次男である王軍が中信(中国中信集団公司 中国で最大級の政府系産業・金融企業集団)を掌握したことがよく知られているが、長男の王兵は天下り的に南海石油公司の社長になり、三男の王之は長城コンピュータ公司の総経理になるなど一家の三人が経済のかなめで活躍した。
 中信は、鄧小平が改革開放政策の一環で外資を導入するため、1979年に栄毅仁(赤い資本家と呼ばれた。後に、国家副主席)に設立させた会社であり、海外の有力企業による中国への直接投資を助け合弁事業を立ち上げるなど中国の産業発展に重要な役割を果たした。その後を継いだのが王軍であり、さらに秦晓(元中国科学院副書記秦力の子)や孔丹(共産党の情報機関である中央調査部部长孔原の子)などが社長になった。いずれも「紅二代」である。また、中信の傘下子会社にも「紅二代」が大勢入っている。彭真の子である傅亮、栄毅仁の子の栄智健、張震の子の張連陽、曾培炎の子曾之杰などである。
 李鵬の子李小鵬が華能集団の総経理になったこと、娘の李小琳は現在でも中国電力国際発展集団を支配していることも有名である。

○国有企業に入らず独立で起業する紅二代がもう一つのタイプである。このタイプはとくに改革開放後に出てきた子女に多い。強い背景を持ちながら、現代企業経営と金融を学んだ権貴階級であり、金融界などで水を得た魚のように活躍している。
 2012年の第18回党大会前後に暴露された温家宝の家族による横領案件についてはまだ解明されていないことが多く、彼らの「原罪」を証明する確たる証拠はない。しかし、「宝石の女王」と呼ばれる温家宝の妻、張蓓莉と彼らの子で「新天域資本」創設者の温云松および娘でモルガン・スタンレーを助けた温如春、それに温家宝の弟でタフな温家宏らの勢力はあなどれない。
 モルガン・スタンレーが2年前から何回も調査を受けたのは高官の子女を受け入れているためであり、温如春が業務外の方面との間を仲立ちしたほか、中国銀行業監督管理委員会前副主席兼中国光大集団の会長である唐双寧の子お唐暁寧や鉄道部元総技術士張曙光の娘張曦曦を使っていた。今年(2015年)2月には商務部部長の高虎城の子高珏との関係のために再び調査の対象となった。
 「紅色子女」がすでに巨大な勢力を形成していることは明らかである。彼らは主要な国有企業から、あるいは自前の企業を作って巨大な利益を手に入れている。多くの場合、権力とカネをブレンドして巧妙に利用している。彼らには政治に人脈があり、また、彼らだけが得られる情報があり、市場では両方が役に立つ。

○毛沢東の孫である毛新宇は、かつて、「毛沢東は、毛家は絶対に商売をしない、いかなる経営活動もしないという家訓を残した」と言ったことがあった。毛沢東に限らず、中国共産党の元老の多くはこれに似た戒めを説いていた。たとえば鄧小平時代の中共八元老の一人である李先念も子女や親族に対して大変厳しく、「商売をして金儲けしてはならない」と明確に禁止していた。
 1985年5月、国務院は、指導者の子女、配偶者の商売を禁止する決定を行ない、「彼らは特殊な身分と社会的地位を利用し、国家が欠乏している物資をかすめ取り、非合法の売買をして、大衆の不満を惹起し、党の威信を著しく損ない、党政の指導者のイメージを損なった。県・団級以上のいかなる幹部の子女、配偶者も国営企業、集団的企業、合弁企業および子女の就職のための「労働サービス性業種に従事している者(劳动服务性行业工作者)」を除き、商業に従事してはならない。いずれの幹部の子女、とくに経済関係の職に就いている幹部の子女は家族関係を利用し、参加と派遣の区別、正価と割引値の区別などを利用し、関係を強要し、違法な売買を行ない、暴利をむさぼってはならない」と定めた。
 しかし、改革開放の激流は止めようがなかった。1989年に天安門事件が惹起された誘因の一つは幹部による不正な金儲け(官倒)への反発であった。
 2013年の『新財富』誌は「毛沢東の孫娘孔東梅とその夫であり泰康人寿(これも保険会社)の会長である陳東昇が50億元をため込んでいる。これはその年度の中国の富豪番付で第242位である。孔東梅は毛沢東の遺訓に背かないか質問されたのに対し、「時代は変わった」と述べた」と報道している。
 確かに時代は変わっている。中国の「紅色権貴」は祖先の遺訓をいつまでもそのまま受け継ぐことはできないだろう。しかし、かれらが商業を行なうと、生来の「紅色身分」があるために簡単に利益を得られる。周永康の子周浜が石油、鉱業さらには電力まで影響力を拡大することができたのも一つの例である。

○習近平の「家訓」
 習近平は政権に就く前後、家族に商業を禁止した。その母である齐心は2008年と2011年3月の2回にわたって家族会議を開き、家族が習近平の旗印をバックに商売を行なうことを厳禁した。さらに2012年の家族会議では、すべての家族に対し商業利益につながるいかなる活動も禁止し、習近平の弟習遠平は上海における一切の仕事を禁止された。習家の高飛車な姉御(大姐)斉橋橋とその夫の鄧家貴はすべての商売を放棄させられた。習近平が身内のことを心配せずに反腐敗運動を行なえるのはこのようなことをしていたからである。
 家人が商売をせず、蓄財をしないことこそ李下に冠を正さないもっとも有効な方法であり、中共はそれをできるのである。

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