平和外交研究所

2月, 2015 - 平和外交研究所

2015.02.28

皇太子さま誕生日のお言葉をメディアはどう伝えたか

 2月23日は皇太子さまの誕生日。その日の新聞各紙は事前の記者会見で皇太子さまが語られたことを報道したが、重要な点についての報道ぶりはまちまちであった。このことを池上彰氏は「新聞のななめ読み」で指摘している。
 NHKも一部カットして報道したと指摘されている。これはインターネットで流れていることである。少々さかのぼるが、天皇陛下の「新年のご感想」についてもNHKは報道しなかったとインターネットで騒がれていた。ただし、紙面と違って、NHKの場合は何回も放送されるので、「まったく報道しなかった」というのは困難である。天皇の「新年のご感想」については、実は夜明け前の5時38分に報道していた。
その時の放送内容は、「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」であり、正確な報道であった。
 皇太子さまの誕生日会見に戻ると、重要なポイントは、歴史の教訓と憲法への言及の2点であり、これらについて各新聞の報道ぶりがまちまちだと池上氏は指摘しているのである。
 NHKは各紙と同じ2月23日に、やはり午前5時7分という夜明け前の時間帯に、「戦後70年にあたって皇太子さまは、「戦争の記憶が薄れようとしている今日(こんにち)、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と話されました」と報道した。しかしこれは重要な2点のうち1点だけであり、憲法に皇太子さまが言及されたことはこのNHKの早朝の放送でもカットされていた。つまり池上氏の指摘はNHKにもあてはまっていたのである。
 すべての報道に問題があったわけではない。池上氏が指摘しているように毎日新聞と、それに東京新聞だけは皇太子さまの憲法への言及を正しく報道していた。

 はたしてこのような状況でよいのだろうか。二つの大きな懸念がある。一つは、天皇陛下や皇太子さまのお言葉は、全文をそのまま報道すべきであったと思う。お言葉に対し、各紙、放送局は意見があるかもしれない。中には、政治の領域に立ち入るべきでないという考えがあるかもしれない。しかし、かりにそうであっても黙って無視するのは天皇や皇太子さまの実像とは違ったことを国民に伝えることにならないか。
 もう一つの懸念は、歴史の教訓と憲法という重要な問題について日本がどのように考え、行動するか各国とも注目しており、彼らにとって日本のメディアの報道は重要なニュースソースであり、また考えるよすがである。こんなことはここで指摘するまでもなく十分認識されているだろうが、あらためて世界に目を向けてほしい。
 ともかく、今後は天皇陛下や皇太子さまの重要発言がどのように報道されるか今まで以上に注意を払っていく必要がありそうだ。
2015.02.26

防衛省は文民統制を手直しする?

THEPAGEに本日(26日)掲載された一文です。

「「背広組」と「制服組」を対等に――。政府は、防衛省設置法を改正し、文官である内部部局の防衛官僚が武官である自衛官より上位にあると解釈される規定を改める方針を固めました。27日にも閣議決定され、国会提出されると報じられています。この改正をめぐっては、「文民統制」(シビリアンコントロール)の観点から懸念する見方もあります。文民統制とは一体どういうものなのでしょうか。

「背広組」が防衛相を補佐する規定
 防衛省は我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つことが任務です。そのために置かれている陸海空自衛隊の最高指揮権は総理大臣にあり、その下で防衛大臣が自衛隊を指揮・運用しますが、その際、防衛大臣は官房長や局長から補佐を受けることになっています(防衛省設置法12条)。

 この官房長や局長が置かれているところが「内部部局」、略して「内局」であり、そこで勤務している人たちは制服の自衛隊員(制服組) でなく、ビジネススーツの事務官(背広組) です 。

 防衛大臣は内局の補佐を受けて自衛隊を指揮するという、いわば三者構成の仕組みは防衛省だけのユニークなものです。これを導入したのはいわゆるシビリアンコントロールのためですが、現在、自衛隊員の地位を高める目的で、内局のあり方を変更しようという計画が防衛省で進められていると報道されています。
「軍は政府の決定に従う」というルール
 シビリアンコントロールはもともと欧米で確立された概念ですが、我が国にとっても極めて重要な問題です。その意味については、さまざまな説明がありますが、要点は、「軍は政府の判断・決定に従わなければならない」ということです。

 軍と政府の主張・判断が異なる場合、軍は武力を持っているのでその判断を政府に強制することも可能ですが、それを許しては軍の暴走を止められなくなる、戦争の惨禍をもたらすという歴史的経験に基づき、国民の利益を擁護し、その希望を実現するには民主的な政府の判断・決定を優先させなければならないというルールが確立されています。民主的な政治であれば誤りはないということではなく、国民が受け入れた方法で出された決定であれば、それでよしとしようという考えであると思います。

「文民統制」と「文官統制」の違い
 日本では新憲法にこのルールが盛り込まれました。日本国憲法第66条2項の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定です。また、前述した防衛省設置法の内局規定です。

 日本におけるシビリアンコントロールは「文民統制」と呼ばれています。「文民」は、新憲法制定の際、日本には「civilian」に該当する言葉がなかったので、新たに使われた訳語です。
 しかし、軍を統制する主体は、総理大臣や国務大臣、また内局の背広組と、すべて公務員であり、いずれも民間人ではありません。そのため、「文民」より「文官」のほうが用語として適切であるとして、「文官統制」という言葉が使われるようになりました。そして、日本では「文民統制(政府による統制)」と「文官統制(背広組らが政府を支える統制)」を区別する傾向もありますが、それは本質的な区別ではありません。趣旨はどちらも「軍人でない公務員による統制」と解すべきであり、英語ではシビリアンコントロール(civilian control)しか使いません。
シビリアンコントロールはどうなる?
 内容的には、理想論を言えば、憲法66条だけでは十分でなく、「軍は政府の判断・決定に従わなければならない」というルールを直接的に規定したほうがよいという考えもあり得ます。もっともその場合は、憲法で日本には「軍」がないことになっているのでそのまま記載することはできず、「軍」を「自衛隊」に書き換えるなど一定の調整を加えることが必要でしょう。
 また、防衛省の内局についても現在の防衛省設置法の規定が最適か、検討の余地はあります。しかし、一部に報道されているような「作戦のことが分からない文官に防衛大臣を補佐させるのは問題だ」というのは狭量な考えであるのみならず、本来のシビリアンコントロールに背馳(はいち)している恐れがあります。旧憲法下で、満州から華北地方へ侵攻した例など、作戦上の理由から戦闘範囲が拡大したことは何回もありました。

 今後、自衛隊の海外における活動が拡大する可能性が大きくなっています。そのようなことも視野に入れて、内局の在り方を含め防衛省設置法の改正を検討していくのは理由のあることでしょうが、この重要なシビリアンコントロールを弱体化させず、より強固にしていくことが肝要です。

2015.02.25

国連での70年記念と中国の積極外交

 国連安保理の議長を務める中国(2月の担当)の提案で2月23日、国連創設70年を記念して公開討論会が開かれた。
 中国がこの討論会を提案したのは、安倍首相が今年中、場合によっては来る4月末に開催される予定のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)60周年記念式典で発表する可能性がある戦後70周年談話に関し、一種の牽制をする狙いと、第二次大戦の記念行事を通じて中国のグローバルな存在感を高めようとする積極的な外交目的の両面があると思われる。
 安倍首相が70年談話について、「村山談話と小泉談話を全体として継承するが、キーワードについては引き継がない」との趣旨を述べていることに中国などが強く警戒していることは周知のことである。
国連での討論会で、中国の王毅外相は「過去の侵略の罪のごまかしを試みる者がいる」と演説した。これは特定の国を指すものでないと討論会後の記者会見で説明したそうだが、日本の安倍首相を指していることを疑う者はまず皆無であろう。
 世界中が見ている国連は、中国が安倍首相の姿勢を懸念していることを各国にアピールする最適の場であったのだろう。安保理の常任理事国はすべて戦勝国であり、中国としては常任理事国はもちろん、その他の理事国からも理解が得られると踏んでいたものと思われる。日本の吉川大使は日本が戦後努めてきたことを説明し事実上の反論を行なった。一部の報道では、この討論会で日中両国が論争したと伝えられた。当然である。
 王毅外相の発言、とくに「ごまかしを試みる者がいる」という表現はたがいに主権国として尊重しあう外交の常識に照らして問題である。ただし、表向きはどの国とも言っていないので、中国は逃げ道は残しつつ過激な表現を使ったのである。
 中国は、昨年12月13日、それまで江蘇省や南京市が中心となって催してきた南京事件記念式典を、今年から「国家哀悼日」として政府による主催に格上げした(1月31日のHP)。さらに今回の国連での公開討論である。習近平政権の、とくに歴史問題をめぐる対日強硬姿勢はますます顕著である。

 中国は第二次大戦の記念行事を通じてグローバルな存在感を高めようとする積極的な外交目的があるというのは、日本との戦争だけでなく、中国が関係しなかった欧州戦線での連合国の勝利をも利用しようとしていることである。ドイツとの戦勝記念を大々的に行いたいのはロシアであるが、百カ国以上の首脳に招待状を送っている。中国はそのなかに一国であるが、中国は日本との戦争とあわせて戦勝を祝おうと逆提案した。ロシアでの記念式典に出ないということではなく、従来通り参加するのであろう。それに加えて、中国は「第二次大戦」の勝利を中国の主催で、軍事パレードもして大々的に行いたいのである。具体的な方策はまだ不明であるが、来る5月のロシアでの式典ではそのような考えを強調するものと思われる。

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