オピニオン
2013.08.22
「8月3日に就任したイランのロハニ新大統領は6日の記者会見で、悪化していたイランと国際社会との関係改善に努める考えを明らかにした。核問題については、原子力の平和利用はイランの権利であり今後もウラン濃縮を継続すると述べつつも、米国が強権的な姿勢で臨むのでなければ話し合う用意がある、強い政治的意思があれば遠くない将来に解決が可能である、イランに対する制裁は解除すべきであるなどと語った。
ロハニ大統領は、激烈な言葉を使いがちであった前任のアフマディネジャド大統領とちがって穏健な保守派であり、2003年から05年にかけ西側諸国との核問題に関する交渉で首席交渉官を務めたこともあり、国際的感覚が豊かな人物である。米欧諸国やロシアは新大統領の就任を歓迎している。
イランによる核開発が核兵器の製造につながる危険性を警戒する西側諸国や中ロ両国がイランをいさめ、何とか国際的に受け入れ可能な解決に導こうと交渉を始めてからかなりの年月が経過したが、一歩前進しては一歩後退することを繰り返してきた。イランが核兵器を開発すると直接脅威を受けるイスラエルは、もはやこれ以上の猶予はならないと危機感を高め、イランの核施設をみずから攻撃破壊する可能性を口にし始めていただけに、ロハニ大統領の下で核問題交渉が前進することが期待される。
イランとの核交渉は、これまで国連の常任理事国にドイツが加わる形(P5+1)で行なわれてきた。ロハニ大統領はこの交渉を再開することに前向きである一方、前述したように米国との2国間対話を始める用意もあることを明言している。
日本としては、P5+1による交渉に参加する余地はないだろうが、イランと米国との対話には加わってもらいたい。それは次の理由からである。
オバマ大統領は2009年に政権の座について以来、イランとの直接対話に前向きであることを表明してきたが、それは実現しなかった。その理由の一つは、イランが米国に強い警戒心を抱いているからである。とくにイランでの1979年革命の前後から両国間に摩擦が発生し、米国がさまざまな形で干渉してきたとイランは認識している。
どの国際紛争においても一方の側だけに責任があるのは稀であろう。テヘランで米国の大使館員が人質にとられた際には、米国は強引に自国の軍隊をヘリコプターで送りこんで救出を試みたが、失敗に終わった。大使館員を人質にとる行為自体も、またイラン政府がそれを解決できないことなどについてイラン側に責任があることは明らかであったが、それでもイラン人は、米軍の実力行使により主権を侵害されたと憤った。ちなみに、2011年、米国がパキスタンでアルカイダの首領オサマ・ビンラディンを殺害するために行なった作戦はイランでの作戦とよく似ており、やはりパキスタン国内では主権侵害に対する怒りが噴出した。
米国とイランとの直接対話で起こりがちなもう一つの問題は、イランが国際査察に中途半端な協力しかしなくなり、これに対し米国が圧力を加えることである。査察について米国とイランの立場は全く異なっており、米国はイランに対して核不拡散条約(NPT)を順守し、IAEA(国際原子力機関)の査察に全面的に協力するよう要求するが、米国はそのような要求をイランから受けることはない。これは確かに不平等なことであるが、核兵器国と非核兵器国を区別するNPT体制の下ではやむをえないことである。しかし、イランは一方的に要求されることに抵抗があるため、米国の言いなりにはならないと反発し、結局査察にも協力しなくなる。ロハニ大統領の「米国が強権的な姿勢で臨むのでなければ話し合う用意がある」というのはまさにそのような悪循環に陥る危険を考えての発言であろう。
しかるに、日本はイランに対する査察問題に、米国とは違った立場から貢献できる。IAEAの査察要求はきつく、その受け入れのためにはかなりの費用も人手もかかるが、どんなことでも従うほかない。日本は約30年にわたって我慢を重ねて査察に協力し、21世紀になってようやく、日本は核兵器開発に進む危険はないという評価をもらうことができた。イランに対してはこのような経験に基づいて、IAEAの査察に協力することの重要性と我慢の必要性を説得できる。失礼ながら、米国はそのような説得に不向きなのではないかと思われる。
私ごとであるが、数年前、イランのモッタキ外務大臣(当時)に軍縮大使としてこの日本の経験について説明する機会があった。同大臣はその後で、この説明を興味深く聞いたと語っていたそうである。この説明の場に西側主要国の大使連中も同席していたが、彼らも注目したそうであり、なかには「日本の新しい方針か」と言ってきた人もいた。内容は何も新しいことではなかったが、日本がそのようなことをイランの要人に直接説明することを彼らは注目したのである。なかには、積極的に評価すると言ってくれた大使もいた。日本が独特の立場からイランを説得することを西側諸国も評価しうると考えてよいのではないか。
イラン、米国および日本はそれぞれ違った立場にあるが、それを生かして査察に関し協力することは可能である。日本の参加を受け入れるよう米国とイランに説得を試みるべきではないか。」
イランの核交渉に日本は参加すべきである
キヤノングローバル戦略研究所のホームページに掲載のコラム「8月3日に就任したイランのロハニ新大統領は6日の記者会見で、悪化していたイランと国際社会との関係改善に努める考えを明らかにした。核問題については、原子力の平和利用はイランの権利であり今後もウラン濃縮を継続すると述べつつも、米国が強権的な姿勢で臨むのでなければ話し合う用意がある、強い政治的意思があれば遠くない将来に解決が可能である、イランに対する制裁は解除すべきであるなどと語った。
ロハニ大統領は、激烈な言葉を使いがちであった前任のアフマディネジャド大統領とちがって穏健な保守派であり、2003年から05年にかけ西側諸国との核問題に関する交渉で首席交渉官を務めたこともあり、国際的感覚が豊かな人物である。米欧諸国やロシアは新大統領の就任を歓迎している。
イランによる核開発が核兵器の製造につながる危険性を警戒する西側諸国や中ロ両国がイランをいさめ、何とか国際的に受け入れ可能な解決に導こうと交渉を始めてからかなりの年月が経過したが、一歩前進しては一歩後退することを繰り返してきた。イランが核兵器を開発すると直接脅威を受けるイスラエルは、もはやこれ以上の猶予はならないと危機感を高め、イランの核施設をみずから攻撃破壊する可能性を口にし始めていただけに、ロハニ大統領の下で核問題交渉が前進することが期待される。
イランとの核交渉は、これまで国連の常任理事国にドイツが加わる形(P5+1)で行なわれてきた。ロハニ大統領はこの交渉を再開することに前向きである一方、前述したように米国との2国間対話を始める用意もあることを明言している。
日本としては、P5+1による交渉に参加する余地はないだろうが、イランと米国との対話には加わってもらいたい。それは次の理由からである。
オバマ大統領は2009年に政権の座について以来、イランとの直接対話に前向きであることを表明してきたが、それは実現しなかった。その理由の一つは、イランが米国に強い警戒心を抱いているからである。とくにイランでの1979年革命の前後から両国間に摩擦が発生し、米国がさまざまな形で干渉してきたとイランは認識している。
どの国際紛争においても一方の側だけに責任があるのは稀であろう。テヘランで米国の大使館員が人質にとられた際には、米国は強引に自国の軍隊をヘリコプターで送りこんで救出を試みたが、失敗に終わった。大使館員を人質にとる行為自体も、またイラン政府がそれを解決できないことなどについてイラン側に責任があることは明らかであったが、それでもイラン人は、米軍の実力行使により主権を侵害されたと憤った。ちなみに、2011年、米国がパキスタンでアルカイダの首領オサマ・ビンラディンを殺害するために行なった作戦はイランでの作戦とよく似ており、やはりパキスタン国内では主権侵害に対する怒りが噴出した。
米国とイランとの直接対話で起こりがちなもう一つの問題は、イランが国際査察に中途半端な協力しかしなくなり、これに対し米国が圧力を加えることである。査察について米国とイランの立場は全く異なっており、米国はイランに対して核不拡散条約(NPT)を順守し、IAEA(国際原子力機関)の査察に全面的に協力するよう要求するが、米国はそのような要求をイランから受けることはない。これは確かに不平等なことであるが、核兵器国と非核兵器国を区別するNPT体制の下ではやむをえないことである。しかし、イランは一方的に要求されることに抵抗があるため、米国の言いなりにはならないと反発し、結局査察にも協力しなくなる。ロハニ大統領の「米国が強権的な姿勢で臨むのでなければ話し合う用意がある」というのはまさにそのような悪循環に陥る危険を考えての発言であろう。
しかるに、日本はイランに対する査察問題に、米国とは違った立場から貢献できる。IAEAの査察要求はきつく、その受け入れのためにはかなりの費用も人手もかかるが、どんなことでも従うほかない。日本は約30年にわたって我慢を重ねて査察に協力し、21世紀になってようやく、日本は核兵器開発に進む危険はないという評価をもらうことができた。イランに対してはこのような経験に基づいて、IAEAの査察に協力することの重要性と我慢の必要性を説得できる。失礼ながら、米国はそのような説得に不向きなのではないかと思われる。
私ごとであるが、数年前、イランのモッタキ外務大臣(当時)に軍縮大使としてこの日本の経験について説明する機会があった。同大臣はその後で、この説明を興味深く聞いたと語っていたそうである。この説明の場に西側主要国の大使連中も同席していたが、彼らも注目したそうであり、なかには「日本の新しい方針か」と言ってきた人もいた。内容は何も新しいことではなかったが、日本がそのようなことをイランの要人に直接説明することを彼らは注目したのである。なかには、積極的に評価すると言ってくれた大使もいた。日本が独特の立場からイランを説得することを西側諸国も評価しうると考えてよいのではないか。
イラン、米国および日本はそれぞれ違った立場にあるが、それを生かして査察に関し協力することは可能である。日本の参加を受け入れるよう米国とイランに説得を試みるべきではないか。」
2013.08.21
「原子力空母は航続距離が長いが、エンジン系統が複雑であり大型の船舶にのみ適している。製造価格は通常エンジンの艦艇に比べ18%も高い。米国の原子力空母は3分の1の時間は修理に充てられている。最大の欠点は、安全面で問題があることである。」などと分析した記事(北京晩報20130820)。米国の原子力空母の性能が気になるようである。
米原子力空母の性能を気にする中国
「原子力空母は我々よりどのくらい進んでいるか」「我々は劣勢か」と見出しではあるが、「原子力空母は航続距離が長いが、エンジン系統が複雑であり大型の船舶にのみ適している。製造価格は通常エンジンの艦艇に比べ18%も高い。米国の原子力空母は3分の1の時間は修理に充てられている。最大の欠点は、安全面で問題があることである。」などと分析した記事(北京晩報20130820)。米国の原子力空母の性能が気になるようである。
2013.08.16
「ルース駐日米大使は離任前の8月8日、記者会見で、「オバマ大統領自身が在任中に広島、長崎を訪問できれば名誉なことである。その言葉の誠意に疑いはない」と語った。ルース大使は米国の大使として初めて、2010年に広島を、また2012年に長崎を訪問して以来、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念する式典に原則毎年参加している。
同大使はこの記者会見のなかで、米国の大使として被爆地を訪問することをオバマ大統領が支持していることも明らかにした。オバマ大統領は2009年の就任直後から「米国は核兵器を使用した唯一の核兵器国として行動する道義的責任がある」と述べるなど核兵器の廃絶に積極的だ。去る6月にはベルリンで、米ロ両国が保有する核弾頭をそれぞれ1000~1100程度にまで削減する新提案を行なったばかりである。
米国大統領の被爆地訪問が実現すれば画期的な出来事となろう。その可能性が高いことを示唆したルース大使の発言が強い関心を呼び起こしたのは当然である。
それは簡単なことでない。日本も米国もいまだに「戦後」から完全には脱却できないでいる。米国内には原爆投下を否定的に見ることに対する強い反発があるどころか、それは第二次大戦を早期に終わらせるのに必要であったと肯定する気持ちもある。日本人から見れば、どのような理由があるにせよ、多数の市民を犠牲にする攻撃は許されないが、米国の世論はかなり異なっている。
また、米国には日本の核武装を恐れる気持ちがある。これは日本人にはわかりにくいことであるが、日本に対する懸念はいろいろな機会に顔をのぞかせてきた。在沖縄米海兵隊司令官が「在日米軍は日本の軍事大国化を抑える「瓶のふた」だ」と発言して物議をかもしたのはかなり以前(1990年)のことであるが、その後も日本の軍事大国化、あるいは核武装を恐れる発言は何回も繰り返されており、米国内にはそのような気持が牢固として存在している。これも米国が「戦後」を脱却していないことの表れであると思う。
このような状況の中で米国の大統領として被爆地を訪れることは米国内で政治問題化する危険がある。被爆地で謝罪を強いられるのではないかという猜疑心もあるようだ。しかし、オバマ大統領はそれにもかかわらず、被爆地訪問を積極的に検討している。
我々日本人としてもそのようなオバマ大統領を支持していきたい。広島と長崎も、米大統領の訪問を受け入れる用意があると理解している。単に過去を清算するためでなく、米国の大統領に核兵器の非人道性を直視し、核の廃絶に前向きに取り組んでもらいたいからであろう。被爆地として米国の大統領に謝罪を求める考えはないと現地の高校生が発言するのをシンポジウムで聞いたこともある。
ルース大使は、被爆地を訪問するたびに「強く心を動かされる」「米国人だけでなく世界中の人々はすべて、広島と長崎を訪れるべきだと思う」と語っている。この発言のなかにはいろいろな意味が込められているように思う。
かつて私は、米国務省の元高官であった人と一緒に広島の原爆資料館(「平和記念資料館」)を見学したことがあり、見学を終了したところでその人が恐怖のまなざしでこちらを見ていることに気が付いた。彼は恐ろしいものを見て強いショックを受け、同じものを見た私が感情的になって何を言い出すかかたずをのんで見守っていたのであるが、その目は単なる恐怖だけでなく、絶望的な無力感をも表しているように感じた。おそろしいことをしてしまった、何の申し開きもできないと悔やみ、うなだれる人の目である。
米国の大統領が諸々の困難を克服して広島、長崎を訪問し、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念することにははかりしれない意義がある。「原爆の投下国としての米国とその被害を受けた国としての日本(ルース大使の言葉)」という両国間の距離を縮めることにも、また、米国が「戦後」から脱却することにも資するであろうが、もっとも重要なことは、米国の大統領として、核兵器の抑止力としての意味は認めつつも、核兵器が人類に何をもたらし、どのような意味を持っているのかを、原爆がさく裂した地に立って考えてもらうことである。それは核の廃絶や拡散防止を議論する国際会議に出席するより何倍もの効果があるであろう。」
オバマ大統領は被爆地を訪問するか
キヤノングローバル戦略研究所のホームページに掲載された一文。「ルース駐日米大使は離任前の8月8日、記者会見で、「オバマ大統領自身が在任中に広島、長崎を訪問できれば名誉なことである。その言葉の誠意に疑いはない」と語った。ルース大使は米国の大使として初めて、2010年に広島を、また2012年に長崎を訪問して以来、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念する式典に原則毎年参加している。
同大使はこの記者会見のなかで、米国の大使として被爆地を訪問することをオバマ大統領が支持していることも明らかにした。オバマ大統領は2009年の就任直後から「米国は核兵器を使用した唯一の核兵器国として行動する道義的責任がある」と述べるなど核兵器の廃絶に積極的だ。去る6月にはベルリンで、米ロ両国が保有する核弾頭をそれぞれ1000~1100程度にまで削減する新提案を行なったばかりである。
米国大統領の被爆地訪問が実現すれば画期的な出来事となろう。その可能性が高いことを示唆したルース大使の発言が強い関心を呼び起こしたのは当然である。
それは簡単なことでない。日本も米国もいまだに「戦後」から完全には脱却できないでいる。米国内には原爆投下を否定的に見ることに対する強い反発があるどころか、それは第二次大戦を早期に終わらせるのに必要であったと肯定する気持ちもある。日本人から見れば、どのような理由があるにせよ、多数の市民を犠牲にする攻撃は許されないが、米国の世論はかなり異なっている。
また、米国には日本の核武装を恐れる気持ちがある。これは日本人にはわかりにくいことであるが、日本に対する懸念はいろいろな機会に顔をのぞかせてきた。在沖縄米海兵隊司令官が「在日米軍は日本の軍事大国化を抑える「瓶のふた」だ」と発言して物議をかもしたのはかなり以前(1990年)のことであるが、その後も日本の軍事大国化、あるいは核武装を恐れる発言は何回も繰り返されており、米国内にはそのような気持が牢固として存在している。これも米国が「戦後」を脱却していないことの表れであると思う。
このような状況の中で米国の大統領として被爆地を訪れることは米国内で政治問題化する危険がある。被爆地で謝罪を強いられるのではないかという猜疑心もあるようだ。しかし、オバマ大統領はそれにもかかわらず、被爆地訪問を積極的に検討している。
我々日本人としてもそのようなオバマ大統領を支持していきたい。広島と長崎も、米大統領の訪問を受け入れる用意があると理解している。単に過去を清算するためでなく、米国の大統領に核兵器の非人道性を直視し、核の廃絶に前向きに取り組んでもらいたいからであろう。被爆地として米国の大統領に謝罪を求める考えはないと現地の高校生が発言するのをシンポジウムで聞いたこともある。
ルース大使は、被爆地を訪問するたびに「強く心を動かされる」「米国人だけでなく世界中の人々はすべて、広島と長崎を訪れるべきだと思う」と語っている。この発言のなかにはいろいろな意味が込められているように思う。
かつて私は、米国務省の元高官であった人と一緒に広島の原爆資料館(「平和記念資料館」)を見学したことがあり、見学を終了したところでその人が恐怖のまなざしでこちらを見ていることに気が付いた。彼は恐ろしいものを見て強いショックを受け、同じものを見た私が感情的になって何を言い出すかかたずをのんで見守っていたのであるが、その目は単なる恐怖だけでなく、絶望的な無力感をも表しているように感じた。おそろしいことをしてしまった、何の申し開きもできないと悔やみ、うなだれる人の目である。
米国の大統領が諸々の困難を克服して広島、長崎を訪問し、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念することにははかりしれない意義がある。「原爆の投下国としての米国とその被害を受けた国としての日本(ルース大使の言葉)」という両国間の距離を縮めることにも、また、米国が「戦後」から脱却することにも資するであろうが、もっとも重要なことは、米国の大統領として、核兵器の抑止力としての意味は認めつつも、核兵器が人類に何をもたらし、どのような意味を持っているのかを、原爆がさく裂した地に立って考えてもらうことである。それは核の廃絶や拡散防止を議論する国際会議に出席するより何倍もの効果があるであろう。」
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