平和外交研究所

ブログ

ブログ記事一覧

2019.02.01

日本とイランの選手の行動形態に見る文化の違い

 第17回アジアカップ準決勝で日本はイランに3-0で勝利した。この試合の中で、イランの選手が日本選手に暴行ともとれる過激な振る舞いを行ったことについて。イラン国内でも批判的な声が上がった。イラン議会のアリ・モタハリ副議長は、自身のインスタグラムで選手への処分を求めたという。同議長の発言は冷静な判断結果であった。

 この試合においては、その件とは別に、もう一つ印象的なことがあった。日本の南野選手がイランの選手に倒されながらも素早く立ち上がり、ボールがゴールラインを割る直前に追いつき、一転してゴール前にセンタリングを送り、大迫選手が頭でねじ込んだことである。これが先制点となり、その後日本はさらに2点を加えて快勝した。
 
 このプレーについては、「イランの選手がプレーを中断してしまったのに、日本はプレーを続けた」とか、「ペナルティーエリア付近での主審への集団抗議は幼稚だ」などと評されているが、それだけでは表面的な感想に過ぎない。なぜ、南野選手はプレーを続けたのに、イランの選手はそれを追いかけなかったのか。なぜ日本の選手とイランの選手の行動に違いが出たのかが大事なポイントである。

 イランの選手がボールに向かって走っている南野選手を追いかけなかったのは、南野選手と接触して倒したが、それはイラン側のファウルではないことを審判にアピールするためであった。その気持ちは分からないでもない。ファウルと認定されれば、ゴールに近い距離からフレーキックを与えることになるので、非常に危険である。なんとかしてそうなるのを防ぎたかったのだろう。

 一方、南野選手は、審判がプレーを止めていないかったので、当然プレーを続行し、ボールに追いつき、反転して決定的なセンタリングを送ることができた。つまり、権利主張よりもルールに従ってプレーすることに専念し、その結果、絶好のチャンスをつかみ、素晴らしいプレーをしたのである。

 南野選手と違ってプレーを止めたのは一人のイラン選手でなく、付近にいた数人の選手もみなそうであった。つまり、数名のイラン選手は、だれもがボールを追いかけることより、自分たちがファウルをしたと判断されることを恐れたのである。瞬時ではあったが、両国選手の行動形態には重要な違いがあった。イランでは権利を主張したり擁護することを重視し、日本ではルールに従ってプレーすることを重視するという文化の違いが表れていたと思う。

 日本の森保監督は常々、審判がプレーを止めるまで手を抜くな、と教えているそうだ。そのことも大きな要因だったとは思うが、かりに同監督がイラン・チームを率いていたとしたら、イランの選手ははたして違った行動を取ったか疑問である。やはり権利主張(擁護)を優先させたのではないかと思われてならない。
2019.01.30

習近平の独裁的権力はほんものか その2

 習近平主席は国政の全般にわたって権力を一身に集め、また、憲法を改正して終身主席になる道を拓くなど、独裁的地位を固めたと言われる。
 しかし、実際には、習近平の地位はまだ完全には固まっていないと思われる。その証左に、つぎのような出来事が起こっている。

〇陝西省では、石炭採掘と大規模違法建築に関し、中央の指示を無視したり、従わなかったりする事件が発生した。

 前者は「千億鉱山開発案件」と呼ばれる。石炭の採掘をめぐって陝西省と鉱山開発業者との間で争いが起こり、訴訟となった事件である。発生したのは2006年なので習近平の前任の胡錦濤主席の時代であったが、政権が代わってからも問題は解決しなかった。裁判はすでに中国の最高裁判所まであがり、業者側が勝訴したが、執行はされていないという。
 長年問題が解決しなかっただけではない。本件については陝西省の前書記(ナンバーワン)であった趙正永が関与していた。具体的な問題は一部しか明らかになっていないが、最高裁で事件を担当した王林清裁判官が判決を書く直前の2016年11月、関係のファイルが20日間あまり逸失したことがあった。
 王裁判官は当時から身の危険を覚えていたらしく、公式の記録とは別に個人的な記録を作っており、これはのちに公になった。しかし、王氏自身は現在行方不明となっている(ラジオ・フランス・アンテルナショナル1月24日)。最高裁の暗部を暴露したからだと言われている。

 後者は「秦岭別荘違法建築案件」と呼ばれ、テレビ局の取材がきっかけとなって発覚し、同省のガバナンスが問われる問題に発展した事件である。違法建築は4桁に上るほどの数であり、しかもテレビ局の放映で一般の関心が高かったので、中央は陝西省に対し事件の糾明と善処を求めた。しかし、陝西省ではまじめに対処せず、中央からの指示を関係部署に回すだけでほとんど何もしなかった。習主席としても手を焼いたらしく、前後6回にわたって指示を出した。また、中央は陝西省に対して人事上の措置も行い、数十名を入れ替えた。さらに反腐敗運動で恐れられる中央規律検査委員会から調査チームを派遣してようやく陝西省を従わせることができたという。陝西省が違法建築の除去を始めたのは2018年8月であった。
 中央の機能不全は胡錦濤時代の代名詞のように見られているが、習近平政権下でも起こっているのである。

 この2つの事件は、習近平主席の権威は実際には絶対的でなく、指示通りには動こうとしない地方の指導者がいることを示唆している。中国の省・自治区のナンバーワンは中央の大臣クラスであり、人事異動で中央政治局入りすることがよくある。

 中国は、問題があるとみなした人物を強権的な方法で拘束し、取り調べる。その例は、国際刑事機構の孟宏偉総裁をはじめ脱税容疑の有名女優、人権派弁護士、日本に滞在中の研究員、香港の書店主など多数に上る。王林清裁判官の場合は現在のところ状況が不明であるが、実際には、拘束されていると思われる。

〇長老による習近平批判
 中国の著名な改革派経済学者である茅于軾(ぼううしょく 天則経済研究所名誉理事長)は2018年末、Voice of Americaのインタビューで、「習近平は今日に至るまで国家を指導する理念を作っておらず、国をどの方向に導いていくか、どのような道筋で、何を目標に、どのような人を用いて治めていくか明確にしていない。アドバイザーに助けられて指導者らしくしているのか。あるいは表面は立派だとほめられながら実際には批判されているのか。それとも本人が馬鹿なのか。終身的に地位を確保するには憲法を改正する必要などない」と痛烈に批判している(当研究所HP「中国人研究者による習近平主席批判」2018年12月19日)。
 このように激しい習近平批判は、常識的には不可能である。もちろん、茅于軾は当局からにらまれ、手荒に扱われているだろうが、他の人と違って拘束はされず、何とか活動を続けている。
中国には例外的に大胆な政府批判を行える人物がいるのも事実である。民主化を求める人たち、弁護士、長老などであり、共産党の権威を重視する習近平主席の下でこれらの勢力は大幅にそがれているが、長老の一部には今なお強い発言をする人物が残っており、茅于軾はその一人である。

 中国共産党の歴代総書記の中でもっともリベラルな人物の一人であり、「ブルジョワ自由化」を進めたと批判され失脚した胡耀邦の長男、胡德平もそのような長老になりつつある。
 1月16日、リベラルな研究者の会合で、胡徳平は、「ソ連の失敗は高度に中央集権的な政治体制と硬直した経済制度が原因であった。両方とも社会主義国として当然のことではない。資本主義国家は技術の進歩により効率を高めた。大量の資本投下により成長を図るのは間違いだ」と発言し、注目された。最後の論点は明らかな政府批判である。

〇陳小雅の政府批判
 陳小雅は1955年生まれ。かつて『紅旗』誌の副編集長を務めるなど体制派の研究者であったが、天安門事件を題材にした『八九民運史(八九は天安門事件のこと。民運とは民間運動の意味である)』を発表したため当局からにらまれ社会科学院から追放された。しかし、その後も、中国における民主化運動について著作活動を続けている。
 1月27日、陳小雅は、出国しようとしたが空港で止められた。陳は、習近平、王滬寧および郭声琨(公安部長)の3名に対し、公開状を送り付け、「あなたたちは何を根拠にわたくしの出国は国家の安全に危害をもたらすなどと言うのか。その証拠を見せてほしい」とかみついた。しかも、同書簡の末尾には「病人が国を治めている。これこそ国家に対する最大の危険である」と大胆な言葉を書き添えた。

2019.01.28

習近平の独裁的権力はほんものか その1

 今年は「中華人民共和国」建国から70周年にあたる。しかし、中国、とくに権力の中枢は祝賀ムードにないようだ。

 日本のメディアは慎重に見守っているが、『多維新聞』(在米の中国語新聞)、BBC、ラジオ・フランス・アンテルナショナル(rfi)などは中国政治の異常な状況を概略以下のように伝えている。

 1月21日から各省(地方の各省・自治区)、各部(国務院の各省庁)のトップを集めて「研討会(研究と検討の会)」が、続いて25日には党中央政治局会議が開催されたが、異例である。
 政治局会議は昨年末に開催されたばかりであった。これは中国共産党の最重要会議の一つであり、毎月開催されるものではない。また、「研討会」が4日間にわたって開催されたのは、事の重大さを示しており、「重大危機处理研討班」と報道したものもあった。

 24日、「研討会」を締めくくるにあたり、王 滬寧(ワン フーニン)政治局常務委員(トップ7の一人)は「最悪の事態に備えよ」と発言した。中国では、そんな言葉はめったに聞かれない。王滬寧は何を言おうとしていたのか憶測を呼んだ。

 25日の政治局会議では「党の政治建設を強化することに関する中共中央の意見」や「中国共産党重大事項請示(指示を仰ぐこと)報告条例」などを審議したが、これも異例なことだった。党の強化については、習近平政権が成立して以来何回も呼びかけてきたにもかかわらず、また党建設を強化するというのは奇妙なことである。

 「重大事項に関し指示を求め、報告する条例」は、「指示を求めるべきであれば実際に求めなけらればならない」と言っている。習近平は各機関、各地方のすることに安心していない、草木皆兵(相手の勢いなどに恐れおののくあまり、何でもないものに対しても、自分の敵であるかのように錯覚しておびえること)のような状態にある。

 これらの会議で一貫して強調されたのは「安定」と「政治的安全」であった。習近平自身も「七つの安全」を唱えたが、その中で一番重要なのは「政治的安全」であった。

 若干さかのぼって、1月17日の全国公安庁局長会議で、趙克志公安部長はさらに直接的に、「政権の安全、制度の安全が国家政治の安全の核心である。中国共産党の指導と我が国の社会主義制度を敢然と防衛しなければならない」と述べていた。

 中国の内部事情は外から見たのとかなり違っており、共産党の独裁体制についての不安定感はかつてないほど深刻だ。

 このような政治の不安定感は最近急速に高まった。数年前、中国は米国とともに世界を管理しようとした。数カ月前にも「目には目を、歯には歯を」などと強がりを言っていたが今はまるで違ってきている 1949年に中国共産党が初めて政権を奪取した時のように、薄氷を踏むように危うく、敵に取り囲まれているという評論もある。

 安全が脅かされている原因は、対外面では米国との貿易戦争である。

 対内面ではMinsky Momentが来ているとも言われている。資産価格が大幅に下落する危機であり、所有権、株券、不動産、ファンド、銀行、証券会社、などについて信用がなくなれば問題が爆発し、だれも逃げられなくなる。

 習近平自身、意外な事態が起こりうることに警鐘を鳴らしているが、ではどうするかについては、あくまで党中央の監督を強化し、さまざまな規則を制定するなど専制的な方法で対処しようとしている。しかし、本当に恐ろしい事態が起これば、絶望的な「自力更生」しかなくなるのではないかという者もいる。共産党にも、独裁体制にも頼れなくなることである。

 以上のような見方は、一部、思い込みや誇張があるかもしれないが、我々が見逃すことができない事実も伝えている。習近平以下の指導者が共産党独裁体制の維持可能性について懸念を抱いていることは今年になってから現れ始めた現象でなく、かねてからの問題であるが、以上が伝える中国の状況は想像以上に深刻である。

 中国という巨大な国の政治状況を安易に単純化できないのはもちろんである。習近平政権は第1期(2012~17年)において、汚職の摘発や国家制度の改革などおいては顕著な実績を上げたかに見えたが、政権の基盤を強化できたかといえば、疑問がある。習近平氏はそのような状況の中で、あくまで共産党による指導を強化して乗り切ろうとしているようだが、はたして正解か、今年1年だけでもさまざまなことがありそうだ。

アーカイブ

検索

このページのトップへ

Copyright©平和外交研究所 All Rights Reserved.