平和外交研究所

2014年10月

2014.10.30

四中全会コミュニケ全文を読んで

10月28日、四中全会のコミュニケ全文が発表された。24日のブログはコミュニケの要約をもとに書いたが、全文を改めて読んでもブログを変更する必要はないことを確認した。「中国の特色ある社会主义法治」の一語が中国の司法の矛盾を表している。今回のコミュニケは腐敗取締りが進展したことを誇っているが、「中国の特色ある社会主义法治」とは共産党の指導の下にある司法であり、これで国民の信頼を得ることはできるのであろうか。

2014.10.28

学生デモと香港の経済人

学生による占拠に対し香港の主要経済人がどのような態度を取るか、非常に微妙な問題になっていることを10月25日付の香港『明報』紙が伝えている。たとえば、長和主席の李嘉誠、恒基主席の李兆基、嘉里主席の郭鶴年および九倉主席の吳光正などは占拠を非難することをひかえている。このことを新華社が報道したが、彼らはそのように報道されると中国政府との関係で困るのであろう。中国政府に何らかの働きかけをしたためか、新華社報道はすぐに取り消された。

しかし、中国網などでは”Hong Kong tycoons reluctant to take side amid Occupy turmoil”という題名でこの記事が見られる。この記事は署名入りで、次のような内容である。
「政治協商会議副主席で前香港政府長官の董建華は24日メディアを通して再度占拠を中止するよう呼びかけた。董建華が率いる香港経済人の代表団は占拠が始まる1週間前に習近平と会った。習近平は彼らに対し、財界人は団結一致して中央と特区政府の下にある香港のために力を合わせよりよい未来を創造するよう要請した。
香港でデモに反対している経済人は董建華ら少数である。李嘉誠は10月15日声明を発表し、デモ隊に帰宅を呼びかけ、「みなさん、今日の激情が明日の遺憾になってはならない」と話しかけたが、デモ隊の要求に賛成かどうかについては態度を明確にしなかった。また、李兆基、郭鶴年、吳光正などの大物は一切沈黙を守っている。習近平と会見した人たちの中では董建華のみが24日の記者会見で、香港警察はデモを処理すべきである、しかし、梁振英長官らはそのようにしていないと明確に述べている。」

2014.10.27

香港のデモと習近平

香港のデモについて中国政府が頭を痛めていることは間違いない。10月26日の「禁書網」サイトは香港の月刊誌『前哨』11月号を引用して、香港のデモに関して習近平をめぐる権力闘争が再燃していることを伝えている。真偽のほどは分からないが、記録しておいてよいことであろう。要点は次の通り。

○香港政府および香港警察の「反占拠」勢力は中南海の死活をかけた権力闘争に関係がある。占拠を排除するという名目で、全世界のフラッシュライトを浴びながら香港版天安門事件を起こし、すべての困難の責任を他人になすりつけようとする習近平の手を鮮血で染めさせようとする人たちがいる。かれらは、現職・退職の汚職官吏のため、習近平を引きずり下ろす爆薬を仕掛けているのだ。
○9月28日夜10時、中共中央の香港マカオ工作協調小組の張徳江組長、統一戦線工作担当の劉延東副総理、香港中連弁(中国駐香港特別行政区弁公室)の張暁明主任および香港政府の梁振英長官は、武力を用いてでも占拠を排除する意見を共同で提出した。また、これに先立って、デモ隊の中に紛れ込んでいた私服の警察官から、武器の使用が必要であるという意見が上がっていた。
○香港マカオ工作協調小組の李源潮などは、この共同建議に意見を述べず事実上反対の姿勢であったが、習近平はきっぱりと拒否した。李源潮により伝えられた習近平の言葉は次の通りであった。
「絶対に発砲してはならない。天安門事件の教訓を忘れてはならない。発砲を認める者は失脚する。催涙弾も必要でない。打つなら打ってもよいが、彼らが退けばすぐに止めるべきだ。占拠の問題は一歩一歩悪くなり、現在の状況に至った。どのように解決するか、あなた方の問題だ。結論的に言えば、流血は絶対まかりならない。民衆の支持を取り付けよ。香港のことは香港の人民と協議しなければならない。」
○9月28日午後5時58分、最初の催涙弾が撃ち込まれた。その後約8時間の間に、87発の催涙弾が発射された。しかし、デモ隊は一時的に避難しただけですぐに戻ってきた。しかも、それに怒りを覚えた一般市民までが応援に駆け付けた。そして、警察の防衛戦を破るため1万人に近い市民が占拠地をコーズウェー・ベイからモンコクに広げた。その間、警察は引き上げなければ銃を使う準備をしているという噂を流していた。29日1時57分、催涙弾の発射は止まった。
○もし発砲が行なわれていたら、学生がひどいことになっただけでない。習近平もそうなっただろう。そうなれば香港の繁栄は終わっていた。そうなっても張徳江は江沢民の庇護の下で責任をすべて他人に押しつけるのであろう。

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