平和外交研究所

2018 - 平和外交研究所 - Page 20

2018.06.05

マレーシアの政変 マハティールとアンワル

マレーシアの政変について一文を東洋経済オンラインに寄稿しました。

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2018.06.01

マレーシアの政治② 変化

鉄人アンワルと野党連合 
 2018年5月の選挙で、野党連合PHは与党連合BNに大勝した。1957年の独立以来初めての政変であった。
 野党連合が結成されたのは1990年代の末であり、その指導者は、当時の首相マハティールに辞任を求める運動を展開して逆に副首相兼財務相の職を解任されたアンワル(Anwar Ibrahim)であった。この時以来、アンワルは野党勢力のリーダーとなり、与党UMNO(統一マレー国民組織)やマハティールと対立することになった。

 アンワルは1999年、汚職の罪で6年の刑、翌年には同性愛の罪で9年の刑を受けた。
 同性愛の容疑については、これから後すさまじい法廷闘争が始まり、国際的な関心も集まった。西側の人権団体、アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチは、いずれの容疑についてもアンワルの訴追は不当であると強く批判した。当時の米副大統領、アル・ゴアは、同性愛罪に対する裁判は嘲笑に値するとアンワルを擁護した。

 アンワルの逮捕後、同人の支持者は、アンワルの妻ワン・アジサを押し立て、People’s Justice Party (Parti Keadilan Rakyat in Malay、略してPKR、2003年からこの名称)を結成した。PKRは政府批判の中核となり、PAS( Pan-Malaysian Islamic Party )およびDAP( Democratic Action Party、中国系、社会民主主義)とともに野党連合(Pakatan Harapan 略してPH)を形成した。
 アンワルの支持者は裁判の再審を求めて運動を展開した。そして2004年、マレーシアの最高裁判所は同性愛の罪状を覆す判決を下し、アンワルは9月2日に釈放された。しかし、マレーシアの法律では、刑期が終わった後も5年間は政治活動を禁止されており、アンワルは、2008年4月まで、つまり次回の選挙が終わるまで政治活動をできなかった。

 アンワルは同年8月、ペナンのプルマタン・パウ選挙区で行われた補選で当選し、政界に復帰し、2013年5月の選挙に向けて政治活動が可能となった。与党連合BNはすでに退潮傾向にあり、アンワルは選挙で勝つ自信があると公言していたという。実際、PHは50・9%の得票率を獲得し、47・4%のBNを打ち破った。しかし、獲得議席は過半数に届かなかったので、この時は、政権交代は起こらなかった。
 この間、アンワルはすでに容疑が晴れたはずの同性愛の罪で再び訴追されており、2012年1月、マレーシアの裁判所は無罪を言い渡した。しかし、2014年3月、上訴裁判所は一審の無罪判決を覆し、禁錮5年の有罪判決を下した。そして、2015年2月、マレーシアの連邦裁判所は上告を退け、有罪判決が確定し、アンワルは収監された。
 裁判が確定後に同じ容疑で国が再審を求めるのはあり得ないことであり、しかも政治的な圧力が働いている疑いが濃厚であった。再審の決定を欧米諸国は強く批判した。米国政府は直ちに、”The United States is deeply disappointed and concerned by the rejection of Anwar Ibrahim’s final appeal and his conviction … The decision to prosecute Mr Anwar, and his trial, have raised serious concerns regarding the rule of law and the independence of the courts”というメッセージを発した。
マレーシア政府はこれに対して聞く耳を持たないという態度であったが、ナジブ首相はこの件で強い圧力を受けたであろう。また、この裁判と並行して大騒ぎになっていた1MDB問題でもナジブ氏は困難な立場に立たされていたが、ナジブ時代は何も変わらなかった。
 結局、この問題が解決されたのは選挙後であり、マハティール新首相の推薦を受けてマレーシア国王は恩赦を決定し、アンワルは2018年5月16日に釈放された。

 アンワルが置かれていた過酷な境遇は極めて複雑であったが、要するに、アンワルは1998年の解任以来20年の間に3回裁判を受け、半分近くは収監されていたのだ。また釈放されても政治活動は制限されていた。マハティールが2003年に首相を辞任して以来、2004、08、13、18年と4回選挙が行われたが、アンワルは13年以外選挙に出られなかったのである。そのときも、裁判を戦いながらの選挙であった。

 アンワルとマハティールの関係はドラマチックだ。アンワルはもともとマハティール首相の下で認められ、第一の後継者候補となった。しかし、後にマハティールと袂を分かち、野に下り、同性愛の罪で投獄された。
しかし、アンワルの恩赦を勧めたのもマハティールであった。アンワルは釈放後、マハティール首相と副首相に就く妻、ワン・アジサ人民正義党総裁を「全面的に支援する」と表明した。
 マハティールとアンワルは和解したのだ。マハティールは再度首相に就任したが、すでに92歳、長く続ける意図はなく、1~2年でアンワルに譲るとも言われている。
 アンワルが実際に政治の前面に出てくるのはいつか、必ずしも明確でないが、新政権において事実上強い影響力を持つであろう。

PH新政権の政策
 マハティールは選挙キャンペーン中、消費税の廃止、石油に対する補助金の復活、低所得層に対する医療保険の導入などを掲げていたが、これらを実施すると財政負担が増加する。
 かといって、公約に違反すれば世論の反発を招くことになる。新政権に課せられている課題は複雑かつ重い。

 経済状況は回復するか。現在、原油安、中国経済の減速、米国の利上げ、財政赤字、1MDB問題など環境はよくない。17年の成長率は前年比+5・9%であり、停滞状態が続いている。
 中長期的にも、賃金の上昇などによりマレーシアは生産拠点としての優位を失いつつある。東南アジアの中でいち早く工業化を達成したが、それだけに「中進国の罠」に陥いるのも早かったと指摘されている。マレーシアは2020年までに先進国入りを果たすことを目標としているが、道筋は描けていない。

 政治面では、従来のブミプトラ中心の政治がもはや維持できなくなりつつあるという見方もある。
 サバ、サラワク両州はこれまで旧与党連合BNが強い地方であったが、新政府と離れたくないので、BNから離脱していく可能性がある。
 ジョホール州もBNの強い地方であるが、今次選挙では票が激減しており、同様の状況にある。
 中国系のMCAやインド系のMICも今次選挙で支持母体からの票が減少した。MCAの指導者、Liow Tiong Laiは落選した。
 一方、UMNOは同じイスラム系のPASに接近する可能性がある。しかし、PASとすれば、権力を失ったBNやUMNOに魅力はなかろう。
 
 政治構造の変化はBNだけの問題でない。ペナン州のGeorge Townで選挙日の2日前に起こった大規模なPH支持のデモ行進には、この地に多い中国系だけでなく、マレー人やインド系も参加した。つまり、「マレーシア人」であることを強調する傾向が出てきているのである。この傾向はインド系に顕著で、中国系はいつまでも中国人であり、「マレーシア人」のアイデンティティが全体的にどの程度高まっているか、疑問の声もあるようだ。
 一方、今次選挙については短期的な側面に注目する向きもある。PHが勝利を収めたのはマハティール効果が大きかったという指摘である。前回選挙まで中国系やインド系の票はほぼ野党に流れており、マレー人はそのため野党連合を嫌う傾向があったが、マハティールが首相になればマレー人を中心とする国の枠組みが大きく変わることはないとの安心感が生まれたという。
 しかし、マハティールが政治を指導するのは長くないとすれば、マハティール効果はどうなるか、マレー人はまたPHから離れていくか、という問題もある。

 このほか、マレーシアとしては汚職体質を改革していかなければならず、そのためには強力で独立した汚職取締機関が必要であると指摘されている。これも新政権にとって大きな課題である。
 また、政治の影響を受けることが多く、汚職対策について十分な力を発揮できなかったメディアの体質を改善し、独立で自由な言論空間を確保することはマレーシアがさらに発展するのに絶対的に必要である。
2018.05.31

マレーシアの政治① その源流

 5月9日に投票が行われたマレーシアの連邦下院選で、大方の予想を覆して野党連合が大勝した。このことは、マレーシア政治に詳しい人たちの間でも驚きだったらしい。下院の定数は222。うち、野党連合が113議席、ナジブ首相が率いる与党連合は79議席、その他の政党が計30議席を獲得した。
 同国には上院(国家院、元老院とも呼ばれる)もある。定数は70であり、約3分の2が国王の勅任、3分の1が国内13州の州議会で2人ずつ選出されるが、勅任議員は現在、政党の影響を強く受けるようになっている。そもそも上院の権限は小さく、首相の指名など重要政治問題は下院で決定される。マレーシアの議会と言えば下院を指すとも言われている。
 マレーシアの政治は長期にわたって安定しており、60年以上も政権交代がなかった。この機会にマレーシアの政治状況を2回に分けてみておきたい。

ブミプトラ
 マレーシアは、70%がマレー人と先住民族(ブミプトラ、いわゆる「土地の子」)、中国系は25%、インド系は数%という民族構成である。
 ブミプトラはイスラムでなければならないと定められている。中国人がマレー人の妻との間で設けた子はイスラムでないためブミプトラとして認められない。
 イスラムが公式宗教として位置づけられているが、他宗教の信仰の自由も認められている。

 民族別に政党があり、マレー人がUMNO(統一マレー国民組織)、中国系がMCA (Malaysian Chinese Association)、 インド系がMIC (Malaysian Indian Congress)である。これらが、与党連合Barisan Nasional(国民戦線、英語ではNational Front。略してBN)を構成しているが、UMNOが圧倒的な力を持っており、歴代の首相はUMNOから選ばれている。

 マレーシアの憲法をはじめ法令において、ブミプトラ優遇が定められている。
 ブミプトラ優遇制は徹底しており、笑い話だが、異なる民族からなる盗賊のグループでもブミプトラの分け前は特別に多いそうだ。

 民族差別をこれほど公然と行っている国は世界的にめずらしい。しかもマレーシアではマレー系が圧倒的に多く、優遇策は本来必要ないはずだ。しかし、実際には中国系やインド系は強い経済力があり、また、文化的な観点からも多数民族であるマレー系に優遇策が必要なのである。
 特殊な制度であるが、国家の実情に応じた政治体制という意味では、中国における共産党の独裁と類似している面がある。

 なお、1969年にマレー系と中国系との間で激しい民族衝突が起こり、国際的な関心を集めた。その後も中国系の不満が表面化することがあるが、先鋭な対立には至っていない。

偉大なマハティール
 UMNOのチャンピオンであったのがマハティール(Mahathir bin Mohamad)であり、マレーシアの首相を22年(1981~2003年)の長きにわたって務めた。他にそのような例はない。マハティールはマレーシアの近代化と経済発展のために数々の業績をあげた。日本に倣おうとする「ルック・イースト(東方政策)」は有名である。
 しかし、1990年代の後半にはさすがのマハティールも政治・経済両面で困難に遭遇した。
 経済面では、1997年のアジア通貨危機でマレーシアもマイナス成長に陥ったが、他の東南アジア諸国よりも早く立ち直った。マハティールはこの点では評価された。
 一方、アジア通貨危機とほぼ同時期にUMNO内部での権力闘争が激しくなった。マハティールがあまりにも長く首相の座にあったため、またその強権的な政治手法が原因で、マハティールに対する批判が強くなったのであった。
 批判運動の中心がマハティール首相の下で副首相兼財務相を務め、一時期はマハティールの後継者と目されたこともあったアンワル(Anwar Ibrahim)であり、アンワルはマハティールの辞任を求める運動、reformasiを展開した。
 反撃に出たマハティールは1998年9月、アンワルを解任し、治安維持法違反で逮捕し、政治闘争に終止符を打った。この時以来、アンワルは野党勢力のリーダーとなり、UMNOやマハティールと対立することになった。

 1999年の選挙でもマハティールは政権を維持したが、UMNOは退潮し始めており、後継者探しが始まった。次回の選挙を目前にした2003年10月、マハティールは辞任し、後任首相にアブドラ・バダウィ(Abdullah bin Haji Ahmad Badawi)が就任した。
 2004年3月の選挙で、アブドラが率いる与党BN(Barisan Nasional)は大勝し、獲得した議席数は90%を超えた。
 アブドラ政権は、滑り出しは好調であったが、しだいに尻すぼみ状態になり、2008年3月の選挙では4年前と状況が一変していた。BNは勝つには勝ったが、獲得議席数は3分の2に届かず、アブドラは翌年4月、副首相のナジブ(Mohammad Najib bin Tun Haji Abdul Razak)に首相の座を譲った。
ナジブ首相と国際的スキャンダル
 ナジブはマレーシアの第2代ラザク首相の長男であり、若いころから政治を志し、マハティール首相およびアブドラ首相の下で要職を歴任するという政界のサラブレッドであった。ナジブが首相になったとき、マレーシアはUMNOが退潮傾向にあり、経済は2008年の世界金融危機の影響を受けて停滞していた。新政権への期待は大きかった。
 しかし、経済の立て直しは簡単でなかった。マレーシアは東南アジアの中でいち早く工業化を達成した国であり、労務コストの上昇から優位性を失いつつあった。「中進国の罠」に陥っているとも指摘されていた。
ナジブ政権が自由主義的な経済政策を取ったのは合理的な選択であり、各種補助金の削減、外国からの投資に関する制限を緩和し、また、ブミプトラの特権をカットするなどしたが、国内の不満はかえって増大した。
 2013年の選挙では与党連合BNに対する支持率がさらに下がり、得票率は野党連合PHに及ばなかった。しかし、BNは過半数の議席を維持した。そうなった原因としてブミプトラの勢力が強い地方やボルネオ島では、人口に比べて多くの議席が割り当てられていることなどが指摘されていたが、ナジブの政権維持能力は高いと見られていた。
 また、ナジブは対外関係において、とくに米国および中国との関係を進め、高い評価を得ていた。
 
 そんな中、政府系ファンドである1MDBの資金流用疑惑が起こり、ナジブ首相の立場は著しく損なわれた。1MDBは、2009年にナジブが主導して創設した投資会社であり、自身が顧問会議のトップとして経営に関与し、マレーシアを先進国入りさせるプロジェクトの一環として期待されていた。
 しかし、この投資会社は、14年までに多額の負債(約420億リンギット 国家予算の16%)を抱え込んでいたことが明るみに出た。不正経理の疑惑も指摘された。不透明な取引を通じて7億ドル近い資金がナジブ・ラザク首相に流れたともうわさされた。
 米司法省は首相の個人口座に預け入れられた6億8100万ドル(現在の為替レートで約770億円)が1MDBから盗まれたものだと指摘した。この問題はスイス、シンガポールなど複数の国を巻き込むスキャンダルに発展した。問題発生から4年になるが、関係各国での捜査は現在も進行中であり、ナジブ元首相は訴追の危険にさらされている。

 2018年の選挙で大方の予想を裏切ってBNが大敗したのは、ナジブの力に対する過大評価と、もともとはアンワルが率いていたが、マハティールが支持に回った野党連合PHへの過小評価に原因があったと思われる。


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