11月, 2018 - 平和外交研究所 - Page 3
2018.11.12
東沙群島は南沙諸島や西沙諸島に比べ話題になることは少ないが、台湾海峡と南シナ海を結ぶ重要な地点にある。台湾が実効支配している。
中国が南シナ海の諸島を占領し、軍事基地を建設するようになったのは米国の意図を読み違えたからだったが、米側の態度にも問題があった。
13年前の2005年2月、東沙群島に上陸し、恒久的施設を建てようとした中国漁民を台湾の巡視船が追い払った。すると、その報復として、中国は200隻を超える漁船を派遣して東沙群島の港を封鎖し、気象状況が悪い時など中国漁船は東沙群島に上陸し、設営して居住する権利があると主張した。
台湾政府は、両岸関係の窓口を通じて問い合わせをしたが、何の回答も得られなかった。
同年4月から5月にかけ、2隻の中国の「研究船」が漁船に守られながら東沙群島海域へ侵入してきたので、台湾の巡視船はそれを阻止した。その時中国船は反撃することなく引き上げたので大事に至らなかったが、時の陳水扁政権は緊張した。
当然、米国在台湾協会(AIT)はこれら一連の出来事を詳細に知っていただろうが、6月4日に台湾の防衛担当相が米国に協力を依頼してくるまで無関心を装っていた。台湾側は、数日前に中国の潜水艦が東沙群島付近で奇妙な故障を起こしてとどまっていたので米側に協力を求めたのであった。
しかし、AIT代表のDouglas Paalはこの事件にかかわりたくなく、台湾側の要請は、台湾内部の権力闘争から起こったものと見た。ワシントンへの報告でも大きな問題でないと伝えた。
台湾側は、中国が非軍事的な手段であったが東沙群島を支配下におさめ、基地を建設しようとしていると分析していた。これは正しかった。東沙群島は台湾海峡とルソン海峡を結ぶ海上交通の要所であり、日本と東南アジアおよび中東間の貿易はここを経由して行われる。また、中国の軍事活動、特に潜水艦の活動にとっても重要な海域である。
にもかかわらず、米国は台湾の協力要請を冷たくあしらったのだ。
2009年3月、またしても事件が起こった。中国が、「米国の科学調査船「Langseth」号は東沙群島一帯の中国の排他的経済水域を侵犯している。すぐに同海域からたち去るべし」と北京の大使館に抗議してきたのである。その際、米大使館員は、「1999年、2000年および2001年の調査の時には中国当局の許可をえていたが、2009年の航行については許可がなかったので、米側は中国の排他的経済水域を避ける航路に修正した」と説明したそうだ。この説明は、中国の排他的経済水域とは何かを理解しないナイーブなものであった。中国が主張する排他的経済水域は東沙群島の問題にとどまらない。台湾を基線にしている可能性がある。
その後、国務省は北京の大使館あて、米国国家科学財団は「Langseth」号に対して、「北京との摩擦を避ける」べしとの指示を出す予定だと伝えてきた。米国政府は、中国政府と事を構えることはしない方針だったのだ。それはとんでもないことだった。台湾海域を航行するにも中国の許可が必要になりかねないからだ。
2009年2月に就任したオバマ大統領は4月1日、ロンドンで胡錦涛総書記と会談した。中国側は2005年以来の経緯を持ち出してきたが、これは中国の策略だった。就任したばかりで東沙群島のことなど何も知らないオバマ氏に、西太平洋での行動を控えるよう指示させる狙いだったのだ。
中国はそのあとから南シナ海において大胆に行動するようになった。中国側は、米国がこれらの事件を通じて、中国の海洋に対する権利を黙認したと誤って解釈したのだろうが、そうさせた原因は米国政府が臆病だったことにあった。
さる10月、米海軍の科学調査船「Thompson」号が高雄港に寄港したのはよいことであった。台湾は、また、スプラットリー諸島で台湾が支配している太平島を米国の艦船に開放することも検討している。
南シナ海で中国が大胆な行動に出た理由―東沙群島をめぐる米中のズレ
台湾紙『自由時報』(11月11日付)に掲載されたJohn J. Tkacik, Jr.(元国務省員。現在フーバー研究所。中国・台湾関係の論考が多い。)の寄稿である(要旨)。東沙群島は南沙諸島や西沙諸島に比べ話題になることは少ないが、台湾海峡と南シナ海を結ぶ重要な地点にある。台湾が実効支配している。
中国が南シナ海の諸島を占領し、軍事基地を建設するようになったのは米国の意図を読み違えたからだったが、米側の態度にも問題があった。
13年前の2005年2月、東沙群島に上陸し、恒久的施設を建てようとした中国漁民を台湾の巡視船が追い払った。すると、その報復として、中国は200隻を超える漁船を派遣して東沙群島の港を封鎖し、気象状況が悪い時など中国漁船は東沙群島に上陸し、設営して居住する権利があると主張した。
台湾政府は、両岸関係の窓口を通じて問い合わせをしたが、何の回答も得られなかった。
同年4月から5月にかけ、2隻の中国の「研究船」が漁船に守られながら東沙群島海域へ侵入してきたので、台湾の巡視船はそれを阻止した。その時中国船は反撃することなく引き上げたので大事に至らなかったが、時の陳水扁政権は緊張した。
当然、米国在台湾協会(AIT)はこれら一連の出来事を詳細に知っていただろうが、6月4日に台湾の防衛担当相が米国に協力を依頼してくるまで無関心を装っていた。台湾側は、数日前に中国の潜水艦が東沙群島付近で奇妙な故障を起こしてとどまっていたので米側に協力を求めたのであった。
しかし、AIT代表のDouglas Paalはこの事件にかかわりたくなく、台湾側の要請は、台湾内部の権力闘争から起こったものと見た。ワシントンへの報告でも大きな問題でないと伝えた。
台湾側は、中国が非軍事的な手段であったが東沙群島を支配下におさめ、基地を建設しようとしていると分析していた。これは正しかった。東沙群島は台湾海峡とルソン海峡を結ぶ海上交通の要所であり、日本と東南アジアおよび中東間の貿易はここを経由して行われる。また、中国の軍事活動、特に潜水艦の活動にとっても重要な海域である。
にもかかわらず、米国は台湾の協力要請を冷たくあしらったのだ。
2009年3月、またしても事件が起こった。中国が、「米国の科学調査船「Langseth」号は東沙群島一帯の中国の排他的経済水域を侵犯している。すぐに同海域からたち去るべし」と北京の大使館に抗議してきたのである。その際、米大使館員は、「1999年、2000年および2001年の調査の時には中国当局の許可をえていたが、2009年の航行については許可がなかったので、米側は中国の排他的経済水域を避ける航路に修正した」と説明したそうだ。この説明は、中国の排他的経済水域とは何かを理解しないナイーブなものであった。中国が主張する排他的経済水域は東沙群島の問題にとどまらない。台湾を基線にしている可能性がある。
その後、国務省は北京の大使館あて、米国国家科学財団は「Langseth」号に対して、「北京との摩擦を避ける」べしとの指示を出す予定だと伝えてきた。米国政府は、中国政府と事を構えることはしない方針だったのだ。それはとんでもないことだった。台湾海域を航行するにも中国の許可が必要になりかねないからだ。
2009年2月に就任したオバマ大統領は4月1日、ロンドンで胡錦涛総書記と会談した。中国側は2005年以来の経緯を持ち出してきたが、これは中国の策略だった。就任したばかりで東沙群島のことなど何も知らないオバマ氏に、西太平洋での行動を控えるよう指示させる狙いだったのだ。
中国はそのあとから南シナ海において大胆に行動するようになった。中国側は、米国がこれらの事件を通じて、中国の海洋に対する権利を黙認したと誤って解釈したのだろうが、そうさせた原因は米国政府が臆病だったことにあった。
さる10月、米海軍の科学調査船「Thompson」号が高雄港に寄港したのはよいことであった。台湾は、また、スプラットリー諸島で台湾が支配している太平島を米国の艦船に開放することも検討している。
2018.11.09
英国では、11月11日の英霊記念日にポピーの花を洋服等につける習慣があり、今年もプレミアリーグの選手はユニフォームにポピーの花のマークを着けて試合に臨んだ。しかし、マティッチだけは着用しなかった。試合前に横一列に並んで記念撮影ではポピーをつけないマティッチが目立っていた。
おそらく、インターネットなどでそのことを指摘されたのだろう。マティッチは自身のインスタグラムでポピーの花を着けなかったのは「個人的な選択」としつつ、次のように語った。
「人々がポピーの花を着けている理由はわかってる。私は、全ての人の権利を尊重し、紛争により愛する人を失った方に同情します」。
「1999年、私が12歳のときに住んでいたヴレロは爆撃により荒廃していた。私にとって戦争の思い出はそのことだけです。その反動で、今はポピーの花をユニフォームに着けることが正しいとは思っていない」。
「英国の象徴であるポピーの花を傷つけたり、誰かを怒らせたいわけではない。我々はそれぞれの教育を受けてきた。このような理由に基づいた個人的な選択だ」
「この理由を理解してくれることを願っている。そうすれば、この後に控える試合でチームを助けることに集中できる」
(YAHOOニュース11月7日)。
マティッチの行動には賛否両論があるだろう。きわどい問題なので注目されたのだが、結果的にはマティッチの説明は受け入れられたものと推測している。希望しているというべきかもしれない。
「ヴレロ」はセルビアの西部にある「ウヴ」市近郊の村だ。「ウヴ」市はマティッチの活躍を誇りとして、道路の一つをネマニャ・マティッチ通りにするそうだ。
1999年の爆撃とは、NATO諸国が、セルビア(当時は「旧ユーゴ」すなわち「ユーゴスラビア連邦共和国」)のミロシェビッチ大統領は「民族浄化」を進めているとしてそれを止めさせるためセルビア各地で行った爆撃のことであり、セルビアとコソボは無残に破壊され、多くの犠牲者が出た。
歴史の流れで言えば、「旧ユーゴ」が解体する過程において、コソボではセルビア人と、数では多数を占めるアルバニア人の対立が激化し、「民族浄化」と呼ばれる惨劇が起こって国際問題になったのである。
NATOでは、セルビア各地を爆撃することはやむをえなかったと見なされているが、爆撃を受けた住民はたまったものでなかった。12歳だったネマニャ少年にとってあまりにも悲惨な出来事だったのだろう。
英国は爆撃を行った主要国であり、軍人の栄誉をたたえ記念する「英霊記念日」にマティッチが英国人と同じ気持ちになれず、ポピーを着用できなかったのも無理はない。
戦争の記憶は簡単には消えない。東アジアでは70年以上たっても戦争の傷跡が残っている。セルビアでは爆撃からまだ30年足らずである。セルビアの首都、ベオグラード市内では、クネーザ・ミロシュ通りという幹線道路沿いに共和国政府、外務省、国防省・総参謀本部のコンプレックス、警察が並んでおり、その多くが爆撃され、半分近くが吹き飛んでしまった建物もあった。この光景は異様としか言えないものであり、日本から来た人は誰しも息をのんで凝視する。
数週間前、セルビアから来た人に尋ねると、爆撃の跡はまだ手付かずのままだという。セルビアは今でも厳しい経済状況にあるのだ。
このセルビア人は、「バルカン室内管弦楽団」の一員として来日した。この楽団は、今でも強く残っているバルカンにおける諸民族の対立をやわらげ、和解を促すために日本の指揮者、柳澤寿男氏が献身的な努力で立ち上げ、率いているものである。バルカンと日本の各地で演奏を行っており、その意義は高く評価されている。
その費用はバルカン側では負担困難であり、日本側、実際には柳澤氏が中心になって金策に努めている。ご関心のある読者にも支援をいただければ幸いである。
同楽団には同名のホームページ(http://www.marscompany-balkan.com/balkan/)がある。
マンチェスター・Uに所属するセルビア人MFマティッチ
先般のサッカーワールドカップ・ロシア大会の際に、かつてユーゴで起こった悲劇を思い起させる出来事があったことを紹介したが、今度はイングランドのプレミアリーグの試合で、マンチェスター・Uに所属するセルビア人MFネマニャ・マティッチがとった行動に注目が集まった。英国では、11月11日の英霊記念日にポピーの花を洋服等につける習慣があり、今年もプレミアリーグの選手はユニフォームにポピーの花のマークを着けて試合に臨んだ。しかし、マティッチだけは着用しなかった。試合前に横一列に並んで記念撮影ではポピーをつけないマティッチが目立っていた。
おそらく、インターネットなどでそのことを指摘されたのだろう。マティッチは自身のインスタグラムでポピーの花を着けなかったのは「個人的な選択」としつつ、次のように語った。
「人々がポピーの花を着けている理由はわかってる。私は、全ての人の権利を尊重し、紛争により愛する人を失った方に同情します」。
「1999年、私が12歳のときに住んでいたヴレロは爆撃により荒廃していた。私にとって戦争の思い出はそのことだけです。その反動で、今はポピーの花をユニフォームに着けることが正しいとは思っていない」。
「英国の象徴であるポピーの花を傷つけたり、誰かを怒らせたいわけではない。我々はそれぞれの教育を受けてきた。このような理由に基づいた個人的な選択だ」
「この理由を理解してくれることを願っている。そうすれば、この後に控える試合でチームを助けることに集中できる」
(YAHOOニュース11月7日)。
マティッチの行動には賛否両論があるだろう。きわどい問題なので注目されたのだが、結果的にはマティッチの説明は受け入れられたものと推測している。希望しているというべきかもしれない。
「ヴレロ」はセルビアの西部にある「ウヴ」市近郊の村だ。「ウヴ」市はマティッチの活躍を誇りとして、道路の一つをネマニャ・マティッチ通りにするそうだ。
1999年の爆撃とは、NATO諸国が、セルビア(当時は「旧ユーゴ」すなわち「ユーゴスラビア連邦共和国」)のミロシェビッチ大統領は「民族浄化」を進めているとしてそれを止めさせるためセルビア各地で行った爆撃のことであり、セルビアとコソボは無残に破壊され、多くの犠牲者が出た。
歴史の流れで言えば、「旧ユーゴ」が解体する過程において、コソボではセルビア人と、数では多数を占めるアルバニア人の対立が激化し、「民族浄化」と呼ばれる惨劇が起こって国際問題になったのである。
NATOでは、セルビア各地を爆撃することはやむをえなかったと見なされているが、爆撃を受けた住民はたまったものでなかった。12歳だったネマニャ少年にとってあまりにも悲惨な出来事だったのだろう。
英国は爆撃を行った主要国であり、軍人の栄誉をたたえ記念する「英霊記念日」にマティッチが英国人と同じ気持ちになれず、ポピーを着用できなかったのも無理はない。
戦争の記憶は簡単には消えない。東アジアでは70年以上たっても戦争の傷跡が残っている。セルビアでは爆撃からまだ30年足らずである。セルビアの首都、ベオグラード市内では、クネーザ・ミロシュ通りという幹線道路沿いに共和国政府、外務省、国防省・総参謀本部のコンプレックス、警察が並んでおり、その多くが爆撃され、半分近くが吹き飛んでしまった建物もあった。この光景は異様としか言えないものであり、日本から来た人は誰しも息をのんで凝視する。
数週間前、セルビアから来た人に尋ねると、爆撃の跡はまだ手付かずのままだという。セルビアは今でも厳しい経済状況にあるのだ。
このセルビア人は、「バルカン室内管弦楽団」の一員として来日した。この楽団は、今でも強く残っているバルカンにおける諸民族の対立をやわらげ、和解を促すために日本の指揮者、柳澤寿男氏が献身的な努力で立ち上げ、率いているものである。バルカンと日本の各地で演奏を行っており、その意義は高く評価されている。
その費用はバルカン側では負担困難であり、日本側、実際には柳澤氏が中心になって金策に努めている。ご関心のある読者にも支援をいただければ幸いである。
同楽団には同名のホームページ(http://www.marscompany-balkan.com/balkan/)がある。
2018.11.08
第三国もイランと原油取引をすれば制裁対象となるが、日本、中国、韓国、インド、トルコ、イタリア、ギリシャ、台湾だけは180日間に限って適用除外とされた。この期間が経過すれば例外でなくなり制裁の対象になる。
イラン核合意の当事国(P5+1)で、制裁の発動に反対している英仏独は除外されなかった。
15年前、米国がイラク戦争に踏み切った時と状況が似てきた。その時、英国は米国とともにイラク攻撃に参加したので今回とは違っていたが、独仏は反対した。
今回英も反対したのは、イラン合意の当事国であり、合意を尊重すべきであるという考えだったからだろう。
査察も似ているところがある。イラクに対する攻撃は、「特別査察」が行われている途中で、まだ結論が出ていないのにはじめられた。
イランについても「通常査察」が行われている途中であり、今まで問題はなかったが制裁が再発動された。
どちらの場合においても、米国は国際的な査察にかまわず自国の主張を押し通したのだ。
イランに対する査察をもう少し詳しく説明しておこう。
イラン核合意に基づいて査察を行っているのは国際原子力機関(IAEA)である。その9月の理事会でイランに対する査察状況について報告が行われ、天野事務局長は、”Evaluations regarding the absence of undeclared nuclear material and activities for Iran remain ongoing. The Agency continues to evaluate Iran’s declarations under the Additional Protocol, and has conducted complementary accesses under the Additional Protocol to all the sites and locations in Iran which it needed to visit.”との声明を行った。
この声明は断定的ではなかったが、一般には、イランによる違反行為はないとの趣旨であったと受け止められた。自然な解釈だったと思う。
実際の交渉状況は承知していないが、米国はIAEAがイランの行為に問題がないと断定することに抵抗した可能性がある。かりに米国が反対しても、事務局長が逆の見解を述べることはあり得ないが、米国を完全に無視することもできないので少し奇妙な文章になったのだろう。
肝心の問題は、トランプ大統領がなぜイラン核合意の否定にこだわったかである。
トランプ氏は核合意が期限付きであることを問題視する発言をしたこともあるが、それは主要な問題でなさそうだ。
期限付きがどちらに有利かは視点の違いによるのであって、とくにイランに有利なわけでない。核合意はイランによる低濃度のウラン濃縮を認めており、これは医療用などに使えるが兵器にはできないものである。これはどの国も認められる原子力の平和利用である。イランとしては、そのようなことは期限付きでなくいつでも認められるべきことだと思うだろう。
しかし、米国は、他国と原子力に関する協力協定を結ぶ場合は、医療用であっても、ウラン濃縮や使用済み燃料の再処理を認めないことが多い。日本には例外的に認めている。つまり、各国に認められる原子力の平和利用の権利は否定されることはないが、米国から協力を受けるにはそのような条件に従わなければならないということである。米国に助けてもらうには米国が言うことを聞かないわけにいかないのだ。
イランの場合、両方の立場の中間をとって、15年にわたって、3.67%以下であればウランの濃縮を認めることとした。理想の内容ではなく暫定的なものだ。15年後には、P5+1の側からも、イランの側からも改訂を求めることがありうる。認めるかどうかは別にして、それぞれ理由はありうる。
なお、トランプ氏も期限付きのことに批判を集中させているのでない。
トランプ氏が批判するのはイランがイスラエルを敵視し、また、シリアではアサド政権を支援するなど中東地域で危険な行動をとっていることだ。トランプ氏の立場をわかりやすく言えば、「危険なイランに、低濃度であってもウラン濃縮を認めるべきでない」ということなのだ。
その背景にはイスラエル寄りの姿勢がある。また、米国はイランと対立するサウジにも緊密な関係を築こうとしている。
さらに、トランプ氏がイラン核合意をけなすのはオバマ大統領時代に成立したことだからだ。
また、ボルトン補佐官のような対イラン強硬派の意見が影響しているともいわれている。
以上の二つが、トランプ氏がイラン核合意を認めない主要な理由とみてよいだろう。 米国以外のP5+1はこのように偏った」考えのトランプ氏には同調できないので、米国が核合意から離脱し制裁を再発動するのに反対している。
日本の立場も容易でない。日本は制裁の再発動によって強い影響を受けるが、核合意の当事者でないので、どちらにつくか考えを表明しないのは賢明かもしれない。
しかし、日本は、トランプ氏のイスラエル寄りの姿勢には同調できないはずだ。トランプ氏はアラブ諸国と、さらには欧州諸国と争いになってもイスラエル支持を曲げないだろうが、日本は中立的でなけられならないからだ。
イラク戦争の場合、日本は「戦争には参加しない形で」参加した。今回もイランとの対立が高じ、武力紛争になる危険があり、実際に紛争になった場合に、トランプ大統領から自衛隊の出動を求められる可能性があるが、改正後の日本の安保法制では断れない。
そうなると、トランプ大統領にようなイスラエルに偏した立場はとれない日本は苦しい立場に追い込まれるのではないか。
日本としては、イラク戦争に「参加なき参加」をしたのは妥当であったか、憲法違反の疑いが濃い安保法制改正はすべきでなかったのではないか、複雑な中東情勢の中で日本の方針がトランプ氏によってゆがめれないか、平素から頭の整理をしておく必要がある。
トランプ大統領のイランに対する制裁の再発動
トランプ大統領は11月5日、さる5月にイラン核合意から離脱したのに引き続き、原油取引などを対象にした対イラン制裁を再発動した。第三国もイランと原油取引をすれば制裁対象となるが、日本、中国、韓国、インド、トルコ、イタリア、ギリシャ、台湾だけは180日間に限って適用除外とされた。この期間が経過すれば例外でなくなり制裁の対象になる。
イラン核合意の当事国(P5+1)で、制裁の発動に反対している英仏独は除外されなかった。
15年前、米国がイラク戦争に踏み切った時と状況が似てきた。その時、英国は米国とともにイラク攻撃に参加したので今回とは違っていたが、独仏は反対した。
今回英も反対したのは、イラン合意の当事国であり、合意を尊重すべきであるという考えだったからだろう。
査察も似ているところがある。イラクに対する攻撃は、「特別査察」が行われている途中で、まだ結論が出ていないのにはじめられた。
イランについても「通常査察」が行われている途中であり、今まで問題はなかったが制裁が再発動された。
どちらの場合においても、米国は国際的な査察にかまわず自国の主張を押し通したのだ。
イランに対する査察をもう少し詳しく説明しておこう。
イラン核合意に基づいて査察を行っているのは国際原子力機関(IAEA)である。その9月の理事会でイランに対する査察状況について報告が行われ、天野事務局長は、”Evaluations regarding the absence of undeclared nuclear material and activities for Iran remain ongoing. The Agency continues to evaluate Iran’s declarations under the Additional Protocol, and has conducted complementary accesses under the Additional Protocol to all the sites and locations in Iran which it needed to visit.”との声明を行った。
この声明は断定的ではなかったが、一般には、イランによる違反行為はないとの趣旨であったと受け止められた。自然な解釈だったと思う。
実際の交渉状況は承知していないが、米国はIAEAがイランの行為に問題がないと断定することに抵抗した可能性がある。かりに米国が反対しても、事務局長が逆の見解を述べることはあり得ないが、米国を完全に無視することもできないので少し奇妙な文章になったのだろう。
肝心の問題は、トランプ大統領がなぜイラン核合意の否定にこだわったかである。
トランプ氏は核合意が期限付きであることを問題視する発言をしたこともあるが、それは主要な問題でなさそうだ。
期限付きがどちらに有利かは視点の違いによるのであって、とくにイランに有利なわけでない。核合意はイランによる低濃度のウラン濃縮を認めており、これは医療用などに使えるが兵器にはできないものである。これはどの国も認められる原子力の平和利用である。イランとしては、そのようなことは期限付きでなくいつでも認められるべきことだと思うだろう。
しかし、米国は、他国と原子力に関する協力協定を結ぶ場合は、医療用であっても、ウラン濃縮や使用済み燃料の再処理を認めないことが多い。日本には例外的に認めている。つまり、各国に認められる原子力の平和利用の権利は否定されることはないが、米国から協力を受けるにはそのような条件に従わなければならないということである。米国に助けてもらうには米国が言うことを聞かないわけにいかないのだ。
イランの場合、両方の立場の中間をとって、15年にわたって、3.67%以下であればウランの濃縮を認めることとした。理想の内容ではなく暫定的なものだ。15年後には、P5+1の側からも、イランの側からも改訂を求めることがありうる。認めるかどうかは別にして、それぞれ理由はありうる。
なお、トランプ氏も期限付きのことに批判を集中させているのでない。
トランプ氏が批判するのはイランがイスラエルを敵視し、また、シリアではアサド政権を支援するなど中東地域で危険な行動をとっていることだ。トランプ氏の立場をわかりやすく言えば、「危険なイランに、低濃度であってもウラン濃縮を認めるべきでない」ということなのだ。
その背景にはイスラエル寄りの姿勢がある。また、米国はイランと対立するサウジにも緊密な関係を築こうとしている。
さらに、トランプ氏がイラン核合意をけなすのはオバマ大統領時代に成立したことだからだ。
また、ボルトン補佐官のような対イラン強硬派の意見が影響しているともいわれている。
以上の二つが、トランプ氏がイラン核合意を認めない主要な理由とみてよいだろう。 米国以外のP5+1はこのように偏った」考えのトランプ氏には同調できないので、米国が核合意から離脱し制裁を再発動するのに反対している。
日本の立場も容易でない。日本は制裁の再発動によって強い影響を受けるが、核合意の当事者でないので、どちらにつくか考えを表明しないのは賢明かもしれない。
しかし、日本は、トランプ氏のイスラエル寄りの姿勢には同調できないはずだ。トランプ氏はアラブ諸国と、さらには欧州諸国と争いになってもイスラエル支持を曲げないだろうが、日本は中立的でなけられならないからだ。
イラク戦争の場合、日本は「戦争には参加しない形で」参加した。今回もイランとの対立が高じ、武力紛争になる危険があり、実際に紛争になった場合に、トランプ大統領から自衛隊の出動を求められる可能性があるが、改正後の日本の安保法制では断れない。
そうなると、トランプ大統領にようなイスラエルに偏した立場はとれない日本は苦しい立場に追い込まれるのではないか。
日本としては、イラク戦争に「参加なき参加」をしたのは妥当であったか、憲法違反の疑いが濃い安保法制改正はすべきでなかったのではないか、複雑な中東情勢の中で日本の方針がトランプ氏によってゆがめれないか、平素から頭の整理をしておく必要がある。
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