中国
2013.06.08
「アジアの安全保障に関する対話」というタイトルであるが、実際には、中国と国際社会との安全保障対話である。中国を直接的、間接的に意識した議論が半分どころか3分の2くらいを占めており、質問も中国に対するものが圧倒的に多かった。
しかし、中国の軍事戦略や行動を称賛するものは例外的であり、ほとんどは中国に批判的であった。今回の対話で中国に対する批判的姿勢をもっとも鮮明にしていたのが、ベトナムのグエン・タン・ドゥン首相の基調講演であり、中国を米国と並べてmajor powersと呼びつつ、この地域の安全維持に責任を果たすべきmajor powerは、国際法を順守する必要があることなどを強調した。ベトナムがこのように発言しても米国は刺激されず、中国は反応する。中国からの参加者の一人である人民解放軍軍人(女性)はすかさずフロアから、「具体的にmajor powersがどのような国際法違反を犯しているか説明してほしい」と反撃していた。
中国からの参加者は対話に臨むにあたってよく準備していた。Qi副総参謀長が、「最近この地域の安全が脅かされる事態が生じている。中国は対話と平和的方法で問題を解決する方針である」と政治的意図に満ちた発言をすると、「中国軍の実際の行動は、平和的に解決するという説明と矛盾しているのではないか」という質問が出た。これに対しては、「歴史を見れば答えは明らかである。過去30年来中国は軍事力を行使したことはない。しかし、ほかの国は違う。軍事力を行使している国がある」とやり返した。また、「中核的利益はあくまで防衛する」と断言することも怠らなかった。「中国はなぜ仲裁を利用しないのか」に対しては、「中国はバイラテラルで解決することを一貫した方針としている。主権を持つ国同士が話し合って初めて解決できる」などとすまし顔で答えた。「核兵器については世界の生存がかかっており、理性を働かしてよく管理しなければならない。先に使わないのが中国の一貫し立場であり、今般の白書でも明記している」と応答していた。
これらの説明は中国がかねてから種々の機会に繰り返し表明してきたことであるが、今次対話において提出される質問に対して百パーセント無視するのではなく、一応は対応しているという印象は与えるものであり、中国としては一定の効果があると判断しているのであろう。
このような中国の説明ぶりに同国以外の参加者が積極的評価を下したとは思われないが、中国が公開の場で各国の防衛担当者や個人参加者と直接的に対話する機会であることは間違いないし、そのような機会は他にないだけにこの対話は各国政府や民間の研究者にとってなお重要である。
一方中国にとっては、東南アジアを重要視している姿勢を示しながら、中国軍に対する批判のガス抜きをするというメリットがあるので、ハイレベルでの参加を続け、一時中断していた国防相の参加を再検討すると述べたのであろう。
Qi副総参謀長が、中国に向けられた質問の数を自分で数え、「こんなに多くの質問をいただいて大変ありがたい」などと余裕のあるところを見せながら、決まり文句を平然と繰り返していたことはこのような中国側の姿勢を代表するものであった。
シャングリラ対話
「アジアの安全保障に関する対話」(略称はシャングリラ・ダイアログ)(5月31日から6月2日、シンガポールで開催)に参加した。「アジアの安全保障に関する対話」というタイトルであるが、実際には、中国と国際社会との安全保障対話である。中国を直接的、間接的に意識した議論が半分どころか3分の2くらいを占めており、質問も中国に対するものが圧倒的に多かった。
しかし、中国の軍事戦略や行動を称賛するものは例外的であり、ほとんどは中国に批判的であった。今回の対話で中国に対する批判的姿勢をもっとも鮮明にしていたのが、ベトナムのグエン・タン・ドゥン首相の基調講演であり、中国を米国と並べてmajor powersと呼びつつ、この地域の安全維持に責任を果たすべきmajor powerは、国際法を順守する必要があることなどを強調した。ベトナムがこのように発言しても米国は刺激されず、中国は反応する。中国からの参加者の一人である人民解放軍軍人(女性)はすかさずフロアから、「具体的にmajor powersがどのような国際法違反を犯しているか説明してほしい」と反撃していた。
中国からの参加者は対話に臨むにあたってよく準備していた。Qi副総参謀長が、「最近この地域の安全が脅かされる事態が生じている。中国は対話と平和的方法で問題を解決する方針である」と政治的意図に満ちた発言をすると、「中国軍の実際の行動は、平和的に解決するという説明と矛盾しているのではないか」という質問が出た。これに対しては、「歴史を見れば答えは明らかである。過去30年来中国は軍事力を行使したことはない。しかし、ほかの国は違う。軍事力を行使している国がある」とやり返した。また、「中核的利益はあくまで防衛する」と断言することも怠らなかった。「中国はなぜ仲裁を利用しないのか」に対しては、「中国はバイラテラルで解決することを一貫した方針としている。主権を持つ国同士が話し合って初めて解決できる」などとすまし顔で答えた。「核兵器については世界の生存がかかっており、理性を働かしてよく管理しなければならない。先に使わないのが中国の一貫し立場であり、今般の白書でも明記している」と応答していた。
これらの説明は中国がかねてから種々の機会に繰り返し表明してきたことであるが、今次対話において提出される質問に対して百パーセント無視するのではなく、一応は対応しているという印象は与えるものであり、中国としては一定の効果があると判断しているのであろう。
このような中国の説明ぶりに同国以外の参加者が積極的評価を下したとは思われないが、中国が公開の場で各国の防衛担当者や個人参加者と直接的に対話する機会であることは間違いないし、そのような機会は他にないだけにこの対話は各国政府や民間の研究者にとってなお重要である。
一方中国にとっては、東南アジアを重要視している姿勢を示しながら、中国軍に対する批判のガス抜きをするというメリットがあるので、ハイレベルでの参加を続け、一時中断していた国防相の参加を再検討すると述べたのであろう。
Qi副総参謀長が、中国に向けられた質問の数を自分で数え、「こんなに多くの質問をいただいて大変ありがたい」などと余裕のあるところを見せながら、決まり文句を平然と繰り返していたことはこのような中国側の姿勢を代表するものであった。
2013.05.01
「歴史的な責任」については、1972年の沖縄返還に際し、米国が、尖閣の領有権については関与しないとしつつも、尖閣に対する日本の施政権を認めていることなどを批判したと報道されている。
しかし、尖閣諸島が日本領であることを決定づけたのは、サンフランシスコ平和条約体制の下で、米国が沖縄を統治し(同条約第3条)、尖閣諸島を沖縄の一部であると米国が確認したことであった。これにより、尖閣諸島が台湾の一部でなく、沖縄の一部であることが確認された。台湾の一部であるならば、米国による尖閣諸島の統治は違法であったことになる。返還の問題はその結果であった。
尖閣諸島を日本領と決定したこと
中国の駐米大使に起用されることが決まっている崔天凱外務次官は、尖閣諸島について「米国には歴史的な責任がある」「米国は中日が釣魚島問題で直接衝突することは望んでいないが、中日が仲良くすることも望んでいない。米国は正確な選択をすべきだ」などと述べ、また、小野寺防衛相がヘーゲル米防衛長官と会談し、「いかなる力による一方的な行為に反対する」と声明した(4月29日)ことについて、「一方的で脅迫的行動を取ったのは日本側だ」と反発した。「歴史的な責任」については、1972年の沖縄返還に際し、米国が、尖閣の領有権については関与しないとしつつも、尖閣に対する日本の施政権を認めていることなどを批判したと報道されている。
しかし、尖閣諸島が日本領であることを決定づけたのは、サンフランシスコ平和条約体制の下で、米国が沖縄を統治し(同条約第3条)、尖閣諸島を沖縄の一部であると米国が確認したことであった。これにより、尖閣諸島が台湾の一部でなく、沖縄の一部であることが確認された。台湾の一部であるならば、米国による尖閣諸島の統治は違法であったことになる。返還の問題はその結果であった。
2013.04.25
石井望長崎純心大学准教授の論考のなかで指摘されていることに注目しました。
○明清時代の文献にはその領土の東端が海岸線か、あるいはそれより数十キロだけ沖に出ていたことを示す文献が多数存在する。『大明一統志』(1461年勅命により刊行)は福建省と浙江省の東端を「海岸線まで」と記していた。
○中国が好んで引用する明代の『籌海図篇』は海における防衛範囲を図解したものであり、そのなかでは領土、沿岸の島の駐屯地・巡邏地(防衛範囲)およびたんなる島すなわち海賊の勢力範囲(防衛外)を区別する必要があり、尖閣諸島は最後のカテゴリーに入っているので領土外と認識されていたことは明白である。
○『皇明実録』(明朝の公式日誌)は明国の人質を送還するため長崎から福建に派遣された使節(明石道友)と福建の役人(韓仲雍)の会話を記録しており、福建の役人は「東湧島(現在の馬祖列島東端 大陸から約40キロ)」までを海防範囲と示しつつ、それより東側の海域は「華夷の共にする所」、すなわち公海であると説明した。福建史の重要史料『湘西紀行』は、この日本側使節が、上司よりかたく命じられているとして「大明の境界に入らず」、すなわち明国の領内には入らないと述べたことを記している。
尖閣諸島に関する重要文献
領土問題については事実関係の解明が肝要と考えています。石井望長崎純心大学准教授の論考のなかで指摘されていることに注目しました。
○明清時代の文献にはその領土の東端が海岸線か、あるいはそれより数十キロだけ沖に出ていたことを示す文献が多数存在する。『大明一統志』(1461年勅命により刊行)は福建省と浙江省の東端を「海岸線まで」と記していた。
○中国が好んで引用する明代の『籌海図篇』は海における防衛範囲を図解したものであり、そのなかでは領土、沿岸の島の駐屯地・巡邏地(防衛範囲)およびたんなる島すなわち海賊の勢力範囲(防衛外)を区別する必要があり、尖閣諸島は最後のカテゴリーに入っているので領土外と認識されていたことは明白である。
○『皇明実録』(明朝の公式日誌)は明国の人質を送還するため長崎から福建に派遣された使節(明石道友)と福建の役人(韓仲雍)の会話を記録しており、福建の役人は「東湧島(現在の馬祖列島東端 大陸から約40キロ)」までを海防範囲と示しつつ、それより東側の海域は「華夷の共にする所」、すなわち公海であると説明した。福建史の重要史料『湘西紀行』は、この日本側使節が、上司よりかたく命じられているとして「大明の境界に入らず」、すなわち明国の領内には入らないと述べたことを記している。
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