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2016.09.21

(短評)中国情勢-習近平主席の思惑

 習近平主席が激しい人事異動を行っていることは昨日書いたが、その他の面でも大胆な措置を講じており、同主席は現在の状況に強い不満を抱いていることがうかがわれる。
 習近平政権の2本の鞭である反腐敗運動と言論統制の強化のうち、前者は激しい人事異動を実現する手段になっている。
 言論統制が厳しいのは相変わらずだ。毛沢東のかつての秘書や趙紫陽の部下だった者など長老たちの意見を発表する場になっており、またそのため共産党からにらまれていた雑誌『炎黄春秋』は、さる7月に社長・編集者が罷免され、党の指導に従順な新しい体制に変更させられた。8月以降も雑誌は引き続き発行されているが、今後は党に対して注文を付けることはなくなるだろう。習近平は長老たちをも封じ込んでしまったのだ。
 一方、習近平は党の宣伝部についても不満を抱いているようだ。『炎黄春秋』の扱いも生ぬるいと見ていた可能性がある。党大会へ向け宣伝部についても手を加えていくのではないか。
 インターネットについても統制を厳しくしていこうとする姿勢が顕著だ。2014年5月に習近平はインターネット安全情報化指導小組を立ち上げ、自らその主任となって采配を振るっている。

 共産主義青年団(共青団)の改革も目立っている。反腐敗運動を担当する規律検査委員会が調査をした結果、「機関化、行政化、貴族化、娯楽化」などの弊があると指摘した。ようするに、幹部の養成機関として実績を上げてきた共青団だが、堕落しているということだ。今後は予算も大幅に減らすらしい。
 このような共青団に対する措置を見ても習近平主席は現在の中国の根幹を形成する諸機関に制度疲労が生じ、本来の機能を果たしていない、共産党体制を維持していくには大胆な外科手術が必要だと考えているのではないか。
 共青団については、李克強首相や胡錦濤前主席など共青団出身者との権力闘争だという見方もあるが、習近平はこれらと争うために共青団を改革しようとしているのでなく、改革の結果彼らの立場が弱くなっても構わないという考えではないか。

2016.09.20

最近の中国情勢-大規模な人事異動

 7月から8月にかけ、中国の指導者は河北省の避暑地、北戴河で過ごす。当研究所のHP8月16日付で説明したことだが、「北戴河は北京の東280キロにある海岸で避暑地として知られているが、ここで夏を過ごす中国の指導者は懸案について協議し、事実上の決定を下すこともある。正式でないのはもちろんであるが、非常に重要な話し合いも行われる。だから、中国に駐在の各国大使館、報道機関などは北戴河でどのような動きがあるか、懸命に情報収集を試みる」ということだ。
 避暑のシーズンが終わって約1か月が経過する間に、いくつかの出来事が現れた。来年は中国共産党第19回全国代表大会(十九全大会)が5年ぶりに開催され、おそらく習近平政権は第2期目に入ることになるのだろう。今起こっている出来事はそのための準備である。

 政治局常務委員、つまり中国のトップ7のうち習近平主席と李克強首相を除いて、5人は定年となるので引退する。そのあとにだれが選ばれるか、可能性については様々な見方があるが、はっきりしたことはまだ見えてこない。
 しかし、各省のトップクラス(中国共産党では政治局員(全25名)ないし中央委員にほぼ相当する)ではいくつか顕著な動きが出てきており、前回の党大会以降10人の中央委員が失脚した。その中には胡錦濤時代の令計画中央弁公庁主任や蒋潔敏国有資産監督管理委員会主任(中国石油天然気集団(CNPC)の前会長)などが含まれている。
 10番目となったのは天津市のナンバーワンである黄興国であり、さる9月10日に失脚した。同市は北京、上海などとならぶ4つの直轄市の1であり、黄興国がそのナンバーワンになったのは2014年12月であった。しかし、天津市党委員会の「書記」でなく「代理書記」という中途半端な処遇であり、その後今日に至るまで約620日間、その肩書は変わらなかった。これほど長期に臨時の地位が続くのは異例である。なぜそうなったのか。推測にすぎないが、同人は何らかの事情で完全な信頼を得るには至らなかったと考えるのが自然だろう。
 一方、黄興国はかつて習近平の下で働いたことがあり、習近平とは関係が深いとみられていた。2015年8月、天津で大爆発が起こったが、その事件の責任をとくに追及されることがなかったのは習近平との関係があったからだと言われている。
 そのような事情はあったが、黄興国は今回、汚職容疑であっさりと摘発されてしまった。時間はかかったが、習近平としても同人を切ることに同意したのだろう。習近平の同意なく直轄市のナンバーワンを失脚させることはありえない。

地方の人事で目立ったもう一つの出来事は、遼寧省での大規模な不正摘発である。同省には102人の全国人民代表会議代表がいた。人民代表会議(いわゆる全人代)とは議会のことである。そのうち45人はカネで票を買ったとして、資格をはく奪された。102人のうち8人は中央が指名した者なので、それを差し引いて計算すると48%が不正に代表になったわけである。この選出は遼寧省の人民代表大会代表619名によって行われたが、そのうち523人が不正を働いたので、不正者の比率は84%という途方もない数字になる(『多維新聞』9月14日付)。これらの者はすでに辞職したか解雇されているそうだ。
このような大規模不正は遼寧省だけのこととはとても思えない。他のところでも多かれ少なかれ起こっているのではないか。遼寧省の事件の背景には経済状況がよくないことがあるとも指摘されているが、不正とどんな関係があるのかよくわからない。経済状況が悪いのは他の東北三省、つまり黒竜江と吉林も大同小異だ。
ともかく、この摘発が習近平の同意のもとに行われたことは確実であり、習近平としては、黄興国のような地方の悪徳指導者を交代させるのと同時に、議会の関係者まで追及して体制を一新し、次期に備えようとしているのだろう。
重要な人事の決定は、これまでの例に鑑み、北戴河休暇のちょっとした伝統であり、今年もそうなったようだが、習近平政権は成立してから約4年、強い姿勢で国家の浄化に努めてきたが、道はまだ半ばなのかと思われる。

2016.09.19

(短評)ミャンマー新政権の滑り出しは順調か

  アウン・サン・スー・チー国家顧問が訪米し、9月14日、オバマ大統領と会談した。オバマ大統領はミャンマーに対する制裁を解除することとしたと伝え、スー・チー国家顧問が率いる民主的政権を支持する姿勢を鮮明にした。同氏の訪米は実り多いものとなったと見てよいだろう。
 米国には、他国と比べミャンマーへの企業進出が遅れているという認識があるようだが、今後は米国資本が自由に進出できるようになる。ミャンマーの経済発展に貢献するだろう。
 スー・チー最高顧問は訪米の途中英国にも立ち寄り、メイ首相から1億ドル以上の援助約束を得たと報道されている。

 スー・チー国家顧問は訪米の前に(8月)中国を訪問した。最初の外国訪問が中国となったので一部の報道で注目されたが、米国はとくに意に介さなかったようだ。大人の態度であった。
 ミャンマーにとって中国との関係は重要だ。とくに一部の少数民族との関係が深いからだ。ミャンマー政府は関係がよくない部族を抑えるのに中国の力を必要としている。

 8月31日にミャンマーで「21世紀のパンロン会議」が開催された。スー・チー氏が重視する諸民族の大同団結会議だ。ミャンマーでは諸民族の和解が進まないと軍の特権を維持せざるをえない状況にあり、そうすると民主化も進まなくなる(当研究所HP8月22日付「ミャンマー・中国関係‐アウン・サン・スー・チー国家顧問の訪中」)。
 期待が高まる中で開催されたパンロン会議であったが、ワ州連合軍(UWSA)の代表が中途退場するなど、一部の部族はパンロン会議に協力することをためらっており、きびしい門出となった。もちろんこれで諸民族の和解が失敗したと見るべきでない。70年間解決しなかった問題でありそう簡単にはいかないとしても不思議でない。パンロン会議は今後も半年に1回の頻度で開催されることになっており、その推移を見守る必要がある。
 スー・チー最高顧問が率いる新政権は民主化の推進に熱心であるが、少数民族問題が解決しない限り民主化推進派、軍、少数民族の三つどもえ的な関係は変わらない。米国の制裁撤廃については、民主派の軍に対するテコをなくすることになるとして反対する声もあるが、ミャンマーのこのような現状を見ればそうも言えないのではないか。
 また、少数民族の中には、バングラデシュと国境を接するラカイン州のロヒンギャの問題もある。2015年春に数千人のロヒンギャ難民がどの国からも拒否され海上をさまよった事件で有名になった。オバマ大統領はスー・チー氏に対し少数民族問題の解決を望んでいると表明するとともに、この問題をミャンマー政府が善処することを促した。
 一方、ミャンマー政府はロヒンギャをミャンマー国内の少数民族と認めておらず、バングラデシュからの難民と位置付けており、国籍も付与せず、「(不法移民の)ベンガル人」という呼称を用い続けているので、スー・チー最高顧問は「ラカイン州の問題の解決を政府として重視している」と応じるにとどまった。この問題解決の道のりはまだ遠そうだ。

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