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2015.03.09

日本におけるシビリアンコントロール

防衛省のシビリアンコントロール体制を手直しするため防衛省設置法の改正案が3月6日、国会に提出された。その関連でシビリアンコントロールとは何かがメディアなどで解説されているが、その内容はまちまちであり、かなり混乱した状況もある。本HPでは2月26日にTHEPAGEに投稿した一文を転載したが、さらに踏み込んでみていく必要がありそうだ。具体的な問題点は以下のとおりである。

○防衛省におけるシビリアンコントロールは何が問題か
 防衛省における「シビリアンコントロール」とは、陸海空自衛隊の最高指揮権は総理大臣にあり、その下で防衛大臣が自衛隊を指揮・運用するが、その際、防衛大臣は官房長や局長から補佐を受けることになっている(防衛省設置法12条)ことである。この官房長や局長が置かれているところが「内部部局」、略して「内局」であり、そこで勤務している人たちは制服の自衛隊員(制服組) でなく、ビジネススーツの事務官(背広組) である。したがって、内局が自衛隊の上位に立つ関係になっている。
 実際には重要な問題が発生した場合、防衛大臣は会議を開催し事務方の意見を求める。その際背広組だけでなく、制服の自衛官の意見も求めるのが通例である。特に、自衛隊の行動に関すること(そうでないことはあまり重要でない)については幕僚長(いわゆる参謀長に相当する)など自衛官の意見が求められ、背広組がその自衛官の意見について誤りを指摘したり、異なる趣旨の意見を出したりすることはまずない。このため自衛官からすれば防衛大臣を補佐しているのは自衛官だという認識が強く、防衛省設置法が背広組だけが防衛大臣を補佐すると記載していることは実態に合わず、また自衛官を不当に軽視しているとも指摘されていた。

○シビリアンコントロールと「文民統制」は同じか。
 新憲法が制定された際、英語のcivilian controlに相当する言葉は日本になかったので新たに訳語として「文民統制」という言葉が作られた。その経緯からすれば、当然「文民統制」はcivilian controlと同じ意味であるはずであるが、日本ではその言葉が英語のcivilian controlと多少違った意味で使われるようになった。
 日本国憲法この4文字を使わず、第66条2項で「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定しただけであるが、これから導き出されることは「文民による統制」であり、「文民統制」である。
しかし、civilianという英語は「市民」という名詞として使われる場合と「非軍事」という形容詞として使用されることがあり、一般にはcivilian controlのcivilianは形容詞として使われている。たとえば、ハンチントンは次のように述べている。
The term ‘civilian’ on the other hand, merely refers to what is nonmilitary.” Huntington, Samuel. P. 1957. The Soldier and the State: The Theory and Politics of Civil-Military Relations. Cambridge, MA and London
 なお、「文民統制」は定義された法律用語でなく、説明の中で使われる言葉に過ぎない。
 
○civilian controlの本質的意味は何か
 「軍は政府の判断・決定に従わなければならない subordination of the military to political authority」というのが英米における一般的な説明である。この説明が妥当するのは民主主義の国であり、いわゆる軍政、すなわち軍人が政治を行なう場合軍の暴走を止めることは期待できない。そもそも軍政の国では「軍の暴走」などありえないことであろう。
その意味では「文民による統制」あるいは「市民による統制」とする方が適切であるが、軍政国家においては「文民による統制」であれ、あるいは「市民による統制」であれ、しょせんそれはかなわないことであるので、このような用語のほうがよいと言っても実際には意味がないわけである。要するに、civilian controlは民主主義の国においていかにそれを確保するかが問題なのである。 
 英語のcivilian controlは「civilian(市民)による統制」を含まないのではない。それはcivilian controlのために不可欠であると認識されている。
 一方、「civilian(市民)による統制」があれば問題ないというわけではない。たとえば、その言葉だけであれば、政府の外にいる民間人が統制することさえありうるが、それはあってはならないし、ありえないことである。
 以上を総括して言えば、民主主義国家において必要なことは、「軍は政府の判断・決定に従わなければならない」と規範を確立することであり、そのためには「文民による統制」も必要となるということである。

○「文民統制」と「文官統制」は異なるか
 日本ではこの二つの概念が区別され説明されることが多く、「文官統制」は日本の防衛省の中の制度のことを指すものとして理解されているが、これは日本だけのことであり、英語にはcivilian controlしかない。ただし、最近はdemocratic controlと表現することや、前述のハンチントンのような説明もあるが、いずれもcivilian controlのことである。「文官統制」に相当する言葉は英語にはない。
 「文官統制」も「文民統制」と同様、法律で定義された言葉でない。正確には、「文民統制」は憲法第66条2項で、「文官統制」は防衛省設置法第12条でそれぞれ規定されていると言うべきである。つまり、「文民統制」あるいは「文官統制」という4文字は法律にはなく、また定義のない言葉であり、その違いは本来的に明確になしえないものである。
 一方、「文民」と「文官」は慣用的に使う文脈は異なるが、どちらも「非軍人」(「非自衛隊員」)であり、また、公務員である。したがって、防衛省の背広組だけを「文官」とみなすのでなく、内閣総理大臣も「文官」とみなすのが適当である。このように考えれば、憲法が「文民」という造語を使ったのは適切でないと思われる。ただし、それは憲法改正の検討の中で初めて問題にできることである。

○なぜシビリアンコントロールが必要か
 軍と政府の主張・判断が異なる場合、軍は武力を持っているのでその判断を政府に強制することも可能であるが、それを許しては軍の暴走を止められなくなる、戦争の惨禍をもたらすという歴史的経験に基づき、国民の利益を擁護し、その希望を実現するには民主的な政府の判断・決定を優先させなければならないというのがcivilian controlの理由である。民主的な政治であれば誤りはないということではなく、国民が受け入れた方法で出された決定であれば、それでよしとしようという考えに立っている。
○日本には軍隊はないのでcivilian control の必要性はないか
 日本には建前上軍隊はないのは事実である。しかし、自衛隊は武器を所持しているので政府の決定を無視して実力で通すことがありうるので、やはり自衛隊の暴走を防ぐ制度的歯止めとしてcivilian control は必要である。
○civilian controlを憲法でどのように規定するのがよいか
 日本国憲法の規定はcivilian controlのための一つの仕組みであり、その規定が最適か、ほかの方法がよいか、理論的には再検討する余地がある。それは憲法改正を伴う。 
 個人的には、将来憲法を改正する場合、「自衛隊は政府の判断・決定に従わなければならない」と「内閣総理大臣その他の国務大臣は、非自衛隊員でなければならない」と両方規定するのが理想であると考える。前者はcivilian controlの根本規範、後者はそのための基本的方策である。
○防衛省設置法第12条の改正は適切か
 設置法に問題があることは前述した。防衛大臣を補佐する者は背広組に限らず、自衛官も含めることは検討してよい。この問題は基本的にはcivilian controlのための一方策であり、同法12条は金科玉条ではない。
 しかし、憲法の記載を含めどうするのがよいかを検討した上で結論を出すのが望ましい。防衛省設置法の改正によりcivilian controlが弱くなることはないと確かめておくべきだからである。
 もし今回の防衛省設置法改正が自衛官の待遇についての不満から発しているのであれば、その原因を徹底的に解明しなければならない。とくに自衛官は「自衛隊は政府の判断・決定に従わなければならない」「内閣総理大臣その他の国務大臣は、非自衛隊員でなければならない」ということに反対しているのでないことは明確にしておかなければならない。もし、そのような根本的規範に不満であるならが、それこそcivilian controlの観点から看過できない問題であり、それを採用した改正案などもってのほかである。

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