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2016.02.12

金正恩第1書記の激しい人事

 今回の「人工衛星」打ち上げに関する30数分間の映像が北朝鮮当局から提供されている。いろんな角度から取ったものであり、発射後のロケットからの映像も含まれている。北朝鮮のロケットと撮影の技術向上がうかがわれるが、金正恩第1書記の指導力を称賛する場面も印象的だ。
 
 「人工衛星」打ち上げとほぼ並行して、李永吉総参謀長が処刑されたと伝えられた。金正恩第1書記は就任以来、軍も含め指導層の人事を激しく動かしてきた。金正日総書記時代の指導者で追放されたものも少なくない。金正日の葬列で霊柩車に付き添った5人の軍人は、死亡した者を除き、すべて追放された。処刑された者もいる。
 軍のナンバー・ツー(Noワンは金正恩)である総参謀長は、金正日時代に任命されていた李英浩を玄永哲に,次いで金格植に、さらに李永吉に代え、今回はさらに李永吉も代えた(処刑した?)ので、金正恩は4年あまりの間に4回総参謀長を変えたことになる。極めて異常な人事であり、その理由は、詳細な事情は知る由もないが、金正恩の指示について疑問を呈したり、反対意見を言ったりしたためではないかと推測されている。北朝鮮の発表にはそれを示唆するところがある。
 人民武力相(防衛相)については総参謀長よりさらに頻繁に代えている。
 金正恩としては新指導者として、経験豊かな軍人でも指示に従ってもらわなければならないという気持ちが強いのだろう。最近北朝鮮では、党の指導性を強調する言説が増えている。

 金正恩の猛烈な人事異動を示す象徴的な例が崔竜海だ。同人は建国初期の人民武力相(防衛相)の子だが、党歴が長かった。金正日の葬儀時の序列は第18位であったが、その後金正恩の下で急上昇し、国防委員会副委員長兼人民軍総政治局局長となり、側近ナンバー2にまで上り詰めた。政治局常務委員にもなった。
 しかし、2014年ころから雲行きが怪しくなり、5月には序列が下がり、次帥から大将に格下げになった。崔竜海に代わって総政治局長・次帥になったのは黄炳瑞だ。
 崔竜海は政治局常務委員でもなくなり、党では「書記」として、また、「国家体育指導委員会委員長」として報道された。体育振興は北朝鮮で重要なことだが、権力の中枢からは離れる。
 しかし、同年10月、崔竜海は黄炳瑞、金養建とともに北朝鮮のビッグスリーとして訪韓し、韓国側と会談した。再び重用されるようになった証であった。同月、金正恩がサッカー試合を観戦した際、付き従った者として崔龍海、黄炳瑞、崔泰福、玄永哲、朴道春、姜錫柱等の名が報道された。崔竜海はいったん追い抜かれた黄炳瑞の上位にカムバックしたのだ。
 ところが、2015年2月末の報道では、崔龍海はまた黄炳瑞の下位に下がってしまった。同年3月の「国際女性の日」記念イベントでは、平の「政治局員兼党中央委員会書記」に下がっていることが判明した。
 9月には、北京で開催された抗日戦争勝利記念に出席したが、中朝関係が悪化している中で金正恩に代わっての出席であり、あまり晴れがましいことでなかったはずだ。中国は朴槿恵韓国大統領を優遇しただけであり、崔竜海はその他大勢の一人に過ぎなかった。
 11月、軍の元老の李乙雪が死去した。崔竜海の名前は葬儀委員会に含まれていなかったので、ついに失脚したかと噂されたり、地方で労働教育を受けているとも言われたりした。
 しかし、12月、金養建の葬儀委員名簿では、崔竜海は、金正恩、金永南、黄炳瑞、朴奉珠(首相)、金己男(金永南の弟、宣伝担当か、金正日の葬儀で霊柩車を囲んで歩いた5人の軍人の1人)に続く第6位という序列になっていた。ライバルの黄炳瑞よりは下位だが、中枢の一員である。
 
 以上のように激しく浮沈を繰り返す例は他にない。共産主義体制下では失脚が始まると止まらないのが常識であり、カムバックすること自体珍しいが、崔竜海の場合は上がったり、下がったりを繰り返すという特異なケースだ。
 あえて仮説としてその特色を上げれば、金正恩の人事は激しい(これは仮説というより事実だ)。中には処刑という極端な処分もあるが、上げたり下げたりすることもある。上述の金己男も、2015年4月には主席壇でなく一般席にいたが、後にしかるべき地位に戻された。
 若年であるにもかかわらず、これほどまでに人事を動かせる金正恩は強い指導者としての権威を急速に確立しつつあると見られるが、あまりに激しいところがあるだけに強い反発を受ける危険がないとは言えないような気もする。

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