平和外交研究所

2019年2月

2019.02.11

自衛隊の多国籍軍への派遣

 日本政府は今春にも、シナイ半島でエジプト軍とイスラエル軍の活動を監視している多国籍監視軍(MFO)に参加する方針を固めたと伝えられている。現地で連絡調整を担う司令部要員として自衛官2人が派遣される予定だという。2015年に成立した安全保障関連法によって付与された、新たな海外活動の初適用である。

 この法律は成立の時から憲法違反の疑いが濃厚であった。

 まず、憲法は日本が国際紛争に巻き込まれたり、参加したりすることを厳禁している。戦後、日本は自衛隊を持つこと、また、自衛の行動は許されるかについて議論があったが、「自衛」であれば許されるとの解釈が確立した。この解釈は国民の多数によって受け入れられている。
 しかし、国際紛争は自衛でなく、第三国間の紛争であり、それに日本が参加したり、巻き込まれたりしてはならない。これは憲法の大原則である。

 憲法の条文に即して言えば、第9条であり、とくにその中の、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」であり、「武力の行使」は自衛の場合にのみ認められているのである。

 国際紛争に参加しないことは国連と矛盾しない。国連では、世界各地で発生する紛争を鎮め、平和を回復するのに努めているが、紛争が終了した後とまだ終了していない場合を区別し、前者の場合は「平和維持活動(PKO)」として、そのために国連の指揮下にある部隊を派遣している。いわゆるPKO部隊であり、日本も参加してきた。

 後者の、紛争がまだ終了していない場合も国連は関与するが、国連として部隊を派遣することはない。国連憲章においては、平和の実現のために国連が軍事力を用いること、つまり「国連軍」を派遣することが想定されているが、実際にはこの規定は実現不可能になっている。国連には「国連軍」はないのである。

 しかし、紛争が終了していなくても、国連は関係国に平和を回復するよう呼びかけることなどは可能であり、実際にそのための決議を採択している。

 つまり、国連はあらゆる国際紛争に関わり、平和を回復するため決議などは採択するが、国連が部隊を派遣して行動するのはPKOの場合だけなのである。国際紛争への参加を禁じている日本国憲法はそのような国連のあり方とも平仄があっている。

 一方、紛争が継続中である場合、限定された数の国だけが参加する「多国籍軍」と呼ばれる部隊が構成され行動することがある。2003年のイラク戦争はその典型であった。このような場合でも国連は決議を採択して各国に努力を求めるが、国連としては行動しない。

 また、「多国籍軍」の場合は、国連内の意見が分かれるので国連として決議したかどうかさえ不明確であり、そのこと自体があらたな紛争の原因になることもある。イラク戦争の場合には実際そのような問題が発生した。国連内の意見が分かれたのは、西側諸国とロシアや中国という保守的な国との間に限らず、西側のなかでも米英などと独仏などの意見は鋭く分かれた。

 日本は憲法の定めにより本来参加できないはずであるが、アフガニスタン戦争およびイラク戦争の際には協力するということを政治的に決断し、特別法を作り、実際の戦闘が行われている場所から離れているところで、物資を運送したり、道路の補修など後方支援であれば可能とみなして参加した。

 そして2015年には、「国際平和支援法」を制定して、アフガニスタン戦争やイラク戦争と同様の場合には、特別法に寄らずともいつでもできるようにした。

 しかし、同法が憲法に違反している疑いは今も濃厚である。後方支援であっても、日本は敵味方両方に同じ支援行動を行うのではなく、国際紛争に陥っている一方に加担することになる。後方支援は目立たないだけであり、どちらに味方しているかは明らかである。要するに、今回想定されているような連絡調整であれ、その他の後方支援であれ、国際紛争に参加するいう本質は変わらないのだ。

 国連が国際の平和のために活動を強化することは原則的に望ましいが、実際には、「多国籍軍」についてはコンセンサスが成立しにくい。にもかかわらず「多国籍軍」に参加している国は、できるだけ多くの国が参加することを強く求める。米国もしかりである。だからこそ、日本が巻き込まれる危険は大きい。

 では、日本はそもそも憲法を改正して国際紛争にも参加できるようにすべきか。一般論として、憲法は一切改正すべきでないなどと硬直した姿勢は取らない。しかし、日本が過去に行った戦争の性格、戦争責任の所在、軍人の行動規制、組織間のたこつぼ現象(海軍と陸軍の確執など)、各国との協力のあり方について生半可な反省しか行われていない現実にかんがみれば、憲法を改正して国際紛争にも参加できるようにすることなどそらおそろしい迷走である。

 現状は、憲法との関係にはできるだけ口をつぐんで、その原則をなし崩し的に変えようとしているのではないか。

2019.02.06

米朝首脳会談(第2回)の展望

第2回目の米朝首脳会談が2月27・28日、ベトナムで開催されることとなった。

シンガポールでの初の米朝首脳会談で合意された実務者協議は半年以上進まなかった。しかもその間、北朝鮮は相変わらずウランの濃縮を続けているとか、新しい実験場を作っているとか、北朝鮮の意思を疑わせる出来事が伝えられた。また、米国のコーツ国家情報長官は、北朝鮮が核兵器を放棄する可能性は低いとの見方を示して注目を浴びた。

北朝鮮との「非核化」交渉について悲観的な見方が多くなってきた中での第2回目の首脳会談であるが、トランプ大統領が終始前向きに取り組んできたので実現したと言って過言でないだろう。

トランプ氏は、国境の壁建設問題での蹉跌やロシア疑惑の深まりなど国内の状況が芳しくない中で、北朝鮮との外交で成果を上げている。北朝鮮が核とミサイルの実験を止めたこと、北朝鮮に捕らえられていた米人を帰国させたこと、朝鮮戦争以来北朝鮮に残っていた米人兵士の遺骨の返還を実現したことなどを何回も誇らしげに語っている。これには、トランプ氏の政治に批判的な人たちも異論を唱えられない。トランプ大統領としては、今後も北朝鮮との非核化交渉を進めることができれば、大きな得点になる。

もちろん、両首脳ただ会うだけであってはならない。第2回目の首脳会談ではあくまで「非核化」を前に進めなければならない。具体的には、「すべての核と核関連施設」を両国間交渉の俎上に載せ、「非核化の実行と検証」のプロセスに進むことが必要である。
このプロセスは検証チームに対して北朝鮮政府が「申告」することから始められる。「申告」だけではわかりにくいので「検証のための申告」と呼ぶこととする。その中には、核兵器が何発、どこに保存されているか、その廃棄をどのように実行されるかがまず示される。

そんなことが一体可能か、多くの人が疑問に思っている。前述のコーツ国家情報長官や多くの研究者の悲観的な見解にもそのような認識が表れている。

 平壌においても、「非核化の実行と検証」のプロセスに進むことは、米国が北朝鮮を攻撃するのを助けるようなもので危険だという心配があるだろう。

 北朝鮮の「完全な非核化」は実現困難だというのは、常識的な見解であるが正しいのかもしれない。客観的に見れば、「非核化」が実現する保証はない。

 しかし、トランプ大統領と金委員長は違っていて、今でも「非核化」を目指していると思う。そう考える最大の理由の一つは、両首脳が会談することにある。第2回目の米朝首脳会談では非核化の「検証のための申告」について前進が必要であり、これがなければ、会談は成功したとは言われない。米国にはさまざまな考えがあるが、「検証のための申告」について進展があったかを実証的に問題にする人が少なくないはずであり、この点をあいまいにしたまま会談を成功させることはできない。トランプ大統領としては、「非核化」を前進させることについてかなりの見通しと自信があったので再度金委員長と会談することにしたのだと思われる。

 もう一つの理由は、トランプ大統領と金委員長との個人的関係が変わっていないことである。
金委員長はトランプ大統領に対し、考えが変わっていないことを私的な書簡の形で複数回伝えている。書簡の具体的な内容は一部しか公表されておらず、あとは推測するほかないが、トランプ大統領が金委員長の姿勢をつねに積極的に評価してきたことは公然たる事実である。さる新年に際しても金委員長は書簡を送り、トランプ大統領は「素晴らしい手紙だった」と評価した。トランプ氏のレトリック、いわばトランプ節ではあるが、喜ばしい内容であったことは間違いない。
 また、トランプ氏は金氏が喜びそうな内容のメッセージを発している。2月3日のCBS Face the Nationインタビューで、「私は、金委員長がすきだ。同氏とはウマがあう。同氏と大変な通信を行っており、その内容を見た人たちが信じられないほどであった(I like him. I get along with him great. We have a fantastic chemistry. We have had tremendous correspondence that some people have seen and can’t even believe it.)」と熱く語っているのだ。
 このような発言は、第1回の会談を実現させた、トランプ氏の一連のメッセージをほうふつとさせるものである。

 今回、トランプ氏はもう一つ興味深いことを述べている。CBSインタビューで「金委員長が「非核化」を進めるために努力していることをトランプ氏としても分かっていると言わんばかりに、”He(KIM) is also tired of going through what he’s going through.”と述べたことである。口語的な言い回しで正確に訳すことは困難であるが、「金委員長はうんざりしている」と言いたかったのではないか。一部には「疲れているようだ」と訳されて伝えられたようだが、かなりニュアンスは違うと思う。
 何にうんざりしているというのか。北朝鮮の独裁的体制からして、金氏の決定はだれも異を唱えられず、金氏がうんざりすることなどありえない、うんざりするならやめさせればよいというのが常識的な見方であろうが、「非核化」は北朝鮮の命運を左右する大問題であり、実際には側近のなかでも、直接的に反対することはないとしても、さまざまな形で疑問を呈したり、金委員長が期待する通りに動かないことはありうる。
 シンガポールでも金委員長はトランプ大統領に対し、国内調整が簡単でないことを示唆する発言を行っていたことが想起される。「検証のための申告」を米側から求められている今はその時以上に国内調整に腐心しているのではないか。
 われわれからすれば、推測を重ねることになるが、金氏から多くの書簡をもらっているトランプ氏としては、我々には見えないことでも見えている可能性がある。

 一方、金委員長はトランプ大統領から「検証のための申告」を求められる代償として、米側に何を求めるか。

 北朝鮮が制裁措置の緩和を強く求めていることは確かである。しかし、米国は、「非核化」が実際に進展するまでそれは応じないことも確かである。第2回目の米朝会談においてもこの問題は金委員長から提起される可能性があるが、トランプ大統領が応じることはないと思う。

 朝鮮戦争終結宣言については、米国はこれも一貫して拒否の姿勢をとってきた。韓国から文在寅大統領をはじめ高官が繰り返し米国に妥協を求めたが。取り付く島がなかったという。
 しかし、戦争終結宣言は制裁の緩和とはやや異なる面がある。トランプ大統領は会談を成功させるために他に取引材料がなければ、この問題で何らかの妥協に応じる可能性は排除できない。米CNNの報道は妥協の可能性を示唆しているという見方もある。最近、北朝鮮政策特別代表に任命されたスティーブン・ビーガン氏は1月31日、スタンフォード大学で、「トランプ大統領は、この戦争を終わらせる準備ができている。それは終わった。終結した」と言及したという。
 戦争終結宣言自体には法的効果がなく、非核化交渉を進めるためにいずれかの段階で取り上げられる可能性があることは第1回の首脳会談以前から指摘されていた(当研究所HP 2018年9月4日「米朝協議はいったいどうなっているのか」)。

 なお、今回の首脳会談においては、「相応の措置」が問題となると指摘する向きもある。北朝鮮ではこのことを重視する傾向があり、韓国も後押ししている。
 しかし、米国が「相応の措置」に合意したことはなく、北朝鮮側の期待に過ぎない。シンガポールの共同声明では「信頼醸成措置が非核化の実現に役立つ」と記載されたが、それだけのことであり、「相応の措置」を互いにとることが合意されたのではなかった。「信頼醸成措置」の範囲は広く、ポンペオ長官が4回訪朝したこともその一つになりうる。共同声明における「信頼醸成措置」への言及を根拠に「相応の措置」を求めるのは困難であろう。

2019.02.01

日本とイランの選手の行動形態に見る文化の違い

 第17回アジアカップ準決勝で日本はイランに3-0で勝利した。この試合の中で、イランの選手が日本選手に暴行ともとれる過激な振る舞いを行ったことについて。イラン国内でも批判的な声が上がった。イラン議会のアリ・モタハリ副議長は、自身のインスタグラムで選手への処分を求めたという。同議長の発言は冷静な判断結果であった。

 この試合においては、その件とは別に、もう一つ印象的なことがあった。日本の南野選手がイランの選手に倒されながらも素早く立ち上がり、ボールがゴールラインを割る直前に追いつき、一転してゴール前にセンタリングを送り、大迫選手が頭でねじ込んだことである。これが先制点となり、その後日本はさらに2点を加えて快勝した。
 
 このプレーについては、「イランの選手がプレーを中断してしまったのに、日本はプレーを続けた」とか、「ペナルティーエリア付近での主審への集団抗議は幼稚だ」などと評されているが、それだけでは表面的な感想に過ぎない。なぜ、南野選手はプレーを続けたのに、イランの選手はそれを追いかけなかったのか。なぜ日本の選手とイランの選手の行動に違いが出たのかが大事なポイントである。

 イランの選手がボールに向かって走っている南野選手を追いかけなかったのは、南野選手と接触して倒したが、それはイラン側のファウルではないことを審判にアピールするためであった。その気持ちは分からないでもない。ファウルと認定されれば、ゴールに近い距離からフレーキックを与えることになるので、非常に危険である。なんとかしてそうなるのを防ぎたかったのだろう。

 一方、南野選手は、審判がプレーを止めていないかったので、当然プレーを続行し、ボールに追いつき、反転して決定的なセンタリングを送ることができた。つまり、権利主張よりもルールに従ってプレーすることに専念し、その結果、絶好のチャンスをつかみ、素晴らしいプレーをしたのである。

 南野選手と違ってプレーを止めたのは一人のイラン選手でなく、付近にいた数人の選手もみなそうであった。つまり、数名のイラン選手は、だれもがボールを追いかけることより、自分たちがファウルをしたと判断されることを恐れたのである。瞬時ではあったが、両国選手の行動形態には重要な違いがあった。イランでは権利を主張したり擁護することを重視し、日本ではルールに従ってプレーすることを重視するという文化の違いが表れていたと思う。

 日本の森保監督は常々、審判がプレーを止めるまで手を抜くな、と教えているそうだ。そのことも大きな要因だったとは思うが、かりに同監督がイラン・チームを率いていたとしたら、イランの選手ははたして違った行動を取ったか疑問である。やはり権利主張(擁護)を優先させたのではないかと思われてならない。

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