平和外交研究所

11月, 2013 - 平和外交研究所

2013.11.30

ケリー長官の不可侵協定発言

少し時間がたってしまったが、10月3日、ケリー国務長官は日本側との2+2協議の後の記者会見で、北朝鮮との関係に関する米国の方針について重要な発言を行なっていた。「我々は北朝鮮の体制変革を目指していないし(not engaged in regime change)、もし北朝鮮が非核化を決心し、そのため正しく交渉する(engage in legitimate negotiations)ならば、不可侵協定を結ぶ(sign a non-aggression agreement)用意がある」というものである。
北朝鮮はかねてから現体制の維持を最重要課題とし、それを脅かす恐れがあるのは米国であるとの認識の下に、米国に対して北朝鮮を攻撃しない保証を求めてきた。それは今日に至るも実現しておらず、したがって、北朝鮮としては防衛のため、つまり体制維持のために核兵器もミサイルも必要であるというのが北朝鮮の主張してきた論理であった。
米国が北朝鮮の求めにある程度歩み寄った表明をしたことが2回あった。第1回目は1994年の「枠組み合意」であり、そのなかで米国は「北朝鮮に対して、核兵器で攻撃または脅威を与えないという正式の確約を与える(will provide formal assurance to the DPRK, against the threat or use of nuclear weapons by the United States)」と言明した。
第2回目は、2005年9月の6者協議共同声明における、北朝鮮に「核兵器または通常兵器による攻撃または侵略を行う意図を有しない(has no intention to attack or invade the DPRK with nuclear or conventional weapons)」との声明である。
ケリー長官の発言はこれら過去2回の声明に比べ、かなり踏み込んだ内容である。最大の違いはケリー長官が「協定を結ぶ用意がある」と明言した点であり、1994年の枠組み合意の「正式の確約」は条約かどうか明確でなかった。北朝鮮はかねてから条約による保証を求めていたので、これは大きな、決定的ともいえる違いであった。2005年の声明は、現在攻撃する意図はないという現状の説明に過ぎず、これは1994年にも及ばない内容であった。
しかしながら北朝鮮は10月12日、ケリー長官の発言に対して国防委員会のスポークスマンが北朝鮮に対する制裁を撤廃し、軍事演習などの挑発をやめるべきだ、と声明を発表したにとどまった。ケリー長官の発言に乗ってこなかったと見られている(たとえば、10月12日AP電)。
しかし、この発言は、直接的には10日から2日間日米韓が海難救助合同訓練を行なったことに向けられていた。この訓練は韓国内でも日本と協力するという点で反対意見が強かったものであり、北朝鮮はこれを軍事演習とみなし、軍事的に対抗する用意があると反発する姿勢を見せていた。軍事的な駆け引きの性格が強いが、いずれにしても北朝鮮がこの合同訓練を不快視していたことは明らかである。
また、ケリー長官の発言は、日米の外務・防衛大臣の協議(いわゆる2+2)後の記者会見で質問に答えて行なわれたものであり、北朝鮮に直接述べられたことではなかった。このようなことにかんがみると、北朝鮮は、ケリー長官の発言が、米政府がこれまでどうしても踏み切れなかったことを変更する新しい方針であるか確かめようとしている可能性がある。北朝鮮に対する安全の保証問題についてはさらに米朝双方の動向を見極める必要があろう。ちなみに、米国の北朝鮮問題担当のデイビス大使はケリー長官のようなことはその後何も言っておらず、従来からの米政府の姿勢を説明するにとどまっている(たとえば11月25日の記者会見での発言)。

2013.11.29

琉球諸島をいらないと言った蒋介石

11月28日付の『多維新聞』(海外に本拠地がある中国語新聞。中国に詳しいが台湾でも引用される)が、今から8年以上も前の2005年7月22日に『環球時報』(人民日報の傘下にあるがより激しい論調で知られている)が掲載した「第二次大戦中のカイロ会議で蒋介石が琉球諸島を2回断ったことが尖閣諸島に関する紛争の種であった」と題する記事を紹介する記事を掲載した。なぜ多維新聞はそのようなことをしたのか。。
カイロ会議は1943年、ローズベルト米大統領、チャーチル英首相および中国からは蒋介石総統が出席し、第二次大戦終結後、日本から台湾や朝鮮半島などを取り上げることを話しあった会議であり、ポツダム宣言を経て、サンフランシスコ平和条約で法的に決着する領土問題解決の第1歩であった。
多維新聞の記事はカイロ会議をおおむね客観的に説明しており、そのなかには次のような言及がある。
「不可解なのは、蒋介石が同会議において2回にわたりローズベルト米大統領の、日本により武力で奪われた琉球諸島を回復してあげるという好意を断ったことである。この結果、日本は大助かりとなり、米国は大きな利益を獲得し、中国は尖閣諸島に関する紛争において不利な立場に置かれた(処于下風的局面)」
「蒋介石はローズベルトと4回会談した。11月23日夜、(中略)ローズベルトは、「日本は不正な手段で琉球諸島を奪ったのであり、これを日本からはく奪すべきである。琉球は地理的に貴国(注 台湾のこと)に近接しており、歴史的にも貴国と緊密な関係がある。貴国が琉球諸島を望むなら貴国の管理に委ねても与えてもよい(可以交給貴国管理)」と述べた。これは突然の話であり、蒋介石は全く予想しておらず、何と答えてよいか分からなかった。長い間黙っていたが、最後に「これらの諸島は中米両国が占領し、その後国際的信託により中米両国が管理するのがよいと思う」と述べたので、ローズベルトはそれ以上何もいわなかった」。
多維新聞は、25日にも、ローズベルトが同じ話をしたことを紹介しており、「ローズベルトは蒋介石が沈黙してしまった(注 この時も23日と同様沈黙したらしい)ので、よく聞こえなかったのかと思い、「貴国は琉球を欲しいか(要不要)。もし欲しいのであれば、戦争終了後貴国にあげる(就将琉球群岛交给贵国)」と言ったが、蒋介石は何回もためらいながら、最後に「琉球問題は複雑であり、私はやはり中米の共同管理がよいと思う」と述べ、ローズベルトは蒋介石がほんとうに琉球諸島を欲していないことが分かった」と解説している。
さらに多維新聞は、蒋介石が琉球諸島を要らないと言ったのは、東北地方(注 満州)、台湾および澎湖諸島を取り戻すことを最重要目標としていたからであること、また、中国が琉球を獲得すると将来日本との間で問題が残ることを恐れたためであること、しかし、後になって蒋介石は、カイロで琉球を獲得しなかったことを後悔するようになったことなども紹介している。
このような多維新聞および環球時報の記事が6カイロ会議を正確に伝えているか保証の限りでないが、琉球諸島を中国の代表が要らないという立場を取ったこと、およびそのために尖閣諸島に関する中国の立場が弱くなったと中国(の一部?)が自認していることが示されている。

2013.11.28

習近平の歌舞団取り締まり

中国共産党三中全会での経済改革に関する決定ほど広く注目されてはいないが、習近平政権は軍についても改革を行なおうとしている。
中国には7つの軍区(瀋陽、北京、済南、南京、広州、蘭州、成都)が置かれており、地勢的な理由によると同時に、抗日戦争以来の歴史的経緯があり、軍区内では各種の軍を統一的に指揮する体制になっているが、7つの軍区間では、台湾における有事の際に備えた軍区をまたがる支援・協力態勢は例外として、協力体制が弱かった。
今回の三中全会決定では、連合作戦指揮を強化する方針が打ち出された。まだ正式の決定ではないが、7つの軍区を将来5つの「戦略区」に編成し直すことも考えられているそうである。
その背景には、従来陸軍が人民解放軍の中心であったが、環境が変化し、海空軍および第二砲兵部隊(ミサイル部隊)の重要性が高まっているという事情があり、今後の軍制改革ではこれまでの陸軍中心の体制、たとえば、人民解放軍の中枢である総参謀部、総政治部(党の関係)、総後勤部(後方)および総装備部は陸軍に置かれていたのを、他の軍種の地位向上に見合った形にあらためられる。
以上のような軍制改革は外から見ていても比較的理解しやすいことであるが、軍制改革の一環として非戦闘員の削減方針が謳われており、そのために「文工団」の整理が課題であると言われている。
「文工団」とは歌舞団であり、人民解放軍の内部に置かれている。かなり以前から人民解放軍兵士を慰問するために活動してきたが、それは表の姿で、裏では高級軍人の愛人になったり、特別の地位を利用して商売したりしてきたらしい。毛沢東にも文工団員の愛人がいたと侍医が暴露したのは有名な話である。このようなことから、心ある人は眉をひそめて見ていたが、長年続いてきた悪習はなかなか治らず、最近も、海軍のナンバー2が複数の文工団員を愛人にしていたのが暴露されるスキャンダルが起こった。今や、「文工団」には「悪名高い」という形容詞がつくようになっている。
「文工団」への厳しい取り組みは、習近平政権がハエ(小物)だけでなく虎(大物)も摘発するなど腐敗退治に熱心であることが背景にあるのはもちろんであろう。

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