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2014.02.18

金生恩の権力確立

北朝鮮の平壌で「2月中旬」に労働党の「第8回思想労働者大会」が開催される。このことに関連して、2月10日付の多維新聞は、これは重要な会議であるとしつつ、北朝鮮の政治情勢を分析しており、参考になる。

○この会議は「党の思想建設上重要な意義があり、政治思想をもって千万の(注 「多数の」という意味であろう)軍民を闘争に参加させ、先軍(注 金正日が確立した軍事優先主義)の朝鮮が繁栄する時代を開く」と朝鮮中央通信は報道している。この会議が前回開かれたのは2004年2月であった。
○金正恩は2012年4月15日、著作を発表し、朝鮮労働党の指導思想を「金日成―金正日主義」とし、全社会を「金日成―金正日化」することを最高の綱領とすることを提起した。今回の思想労働者大会は全国人民に指導思想が変わったことを教え、また新しい指導者が金正恩であることを確認する。
○1974年2月、労働党代表者会議は金正日を金日成の後継者として承認するとともに、同人の弟の金英柱に対する批判を行なった。金正日はそれ以来金日成主義の権威を高める手を打ちながら、種々の口実を設けて多数の反対者を粛清した。金英柱は副総理に降格、外国へ放逐し、1993年になってやっと帰国を許した。
○金正日の異母弟、金平日を支持していた南日(かつて副総理)は1976年2月、化学プラントを視察中であったが、平壌に車で平壌に急行(注 きっかけは不詳)する途中に、軍用車に衝突された。事情通によると、当時金日成の後継者をめぐる競争は激烈であり、金正日は信頼する「護衛二局」に殺害させたそうである。
○1977年、金正日に反対していた、労働党中央書記兼国家副主席の金東奎とその支持者は、「党唯一の思想体系である十大綱領を害した」とされて党籍をはく奪され、政治犯収容所に収監された。生死は不明である。
○金正恩は当時の金正日より年若く、実力もまだついていない。これまでに粛清したハイレベル高官は軍の李英浩と党の張成沢だけである。金正日のひつぎに寄り添った者はすべて片づけたが、これでは完全に権力を掌握するには程遠い。今回の思想労働者大会は金正恩による粛清の開幕を告げるものであり(標識着)、今後金正恩は金日成-金正日主義を持ち上げつつ、金ファミリーに不満を持つ者を追い落としていく可能性がある。
○2013年9月、北朝鮮は憲法よりも、また労働党規約よりも高位の「党の唯一の思想体系を樹立する十大原則(十大原則と略称)」を39年ぶりに改訂し、「白頭山血統、すなわち金正恩一家の政権世襲制を明文化した。改訂後の「十大原則」は、北朝鮮で今後粛清が継続することを示している。


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