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中国

2015.01.07

反腐敗運動の進展と大規模人事異動

年末から年始にかけ中国では反腐敗運動と党軍の大規模な人事異動が大きな話題になった。
従来より当研究所では、反腐敗運動について次官級以上のレベルの動きを観察することとしているが、検挙あるいは調査される件数は膨大であり、カバーしきれない重要ケースが多々あると思われる。
汚職は単純な刑事事件でなく、権力闘争と関係があることが多い。すべてのケースが政治と絡んでいるわけではないだろうが、関係があるのではないかという問題意識で見ていくことは欠かせない視点であると思われる。
関連の諸報道をまとめた。

習近平政権は反腐敗運動で大きな成果を上げている。象徴的なのが周永康元政治局常務委員、徐才厚前軍事委員会副主席および令計画元中央弁公庁主任の処分(ホームページに12月9日および26日にアップした)である。
この他、江蘇省委書記の羅志軍 南京市委書記楊衛沢などが失脚した模様であり、去就不明である。
腐敗に関連して、「秘書閥」「石油閥」「山西閥」があるとも言われている。秘書は派閥を構成することはないが、大物の秘書になると権力に近くなり利権にも影響力を行使できるので令計画や蒋潔敏国有資産監督管理委員会主任(周永康の子分格)などをまとめて「秘書閥」と呼んでいる。令計画は「秘書閥」と「山西閥」の頭であり、蒋潔敏は「秘書閥」兼「石油閥」となる。
なお、派閥としては共産主義青年団の「団派」が最大である。令計画はこの派にも属する。

ハイレベルの摘発とも関連して大幅な人事異動が行われた。最も注目されたのは前天津市委員会書記の孫春蘭が令計画の後任として中央弁公庁の主任となったことである。宣伝部系統では、副部長の雒树刚が文化部長に、同じく副部長の蔡名照は新華社社長に就任した。

一方、シンガポールの『联合早报』は12月31日、習近平は家族会議を開き姉の習安安とその夫呉龍が経営する会社「新邮通讯」を解散させたと報道した。この会社のことは過去に何回か噂に上っていたと言われている。この記事「習近平、親族企業を反腐敗で粛清」を書いた陳傑は「中央人民广播电台评论员(つまり中央ラジオ局評論員)」兼中国法政大学法制新聞研究中心の研究員であり、『联合早报』は中国政府寄りの新聞である。この記事は中国が承認している可能性が高い、承認していなければこんな記事はかけないと「加国三人網」は1月5日に報道している。

習近平の反腐敗運動は大きな成果を上げているというのは一般的な見方であるが、当局が調査をすることについては、当然であるが種々の問題があるらしい。ハルピン市西駅(西客站)の駅前地区城市管理行政执法局(「城管」は市内の取り締まりをする部局で、しばしば暴力的な行動に出るので公安より怖いと恐れられている)は同市に来る予定の13人の検査官を写真付きで紹介し、彼らが来るとすぐに通報せよという通知を関係部局に発したことが発覚した。このような事前通報はハルピンに限らずいたるところで行われており、抜き打ち検査は非常に困難になっている。中国では検査チームを迎えることを「迎検」、抜き打ち検査を「暗訪」と言うが、本当の「暗訪」は難しいということである。習近平政権は反腐敗運動で顕著な実績を上げているにしても、現場ではこのようなことが起こっている。摘発を行なう中央規律検査委員会はどのように対処しているのか気になる問題である。(報道内容は1月6日付『新京報』によった) 

腐敗の摘発は外交部まで及んでおり、部長助理(日本の外務審議官にあたる)の張昆生が年明け早々に罷免された。外交部で初めてのことである。外交部には利権と結びつきやすい下部機関がなく、汚職は少ないと見られていた。張昆生は現在57歳。外交部一筋であり、江沢民の訪米に同行したり、在米大使館に勤務したりした米国通である。出身地は山西省なので令計画らの「西山会所(山西省出身者のグループ)」と関係があったとも言われているが、山西は籍だけで、実際に育ったのは雲南省なので山西グループとは関係なさそうである。 

中国民主建国会広東市委員会の勝桑副主席に対する調査が始められた。この党はいわゆる民主諸党派の一つであり、勝桑は共産党員でないが、共産党の機関である中央規律検査委員会の調査を受けているのである。

習近平は軍においても大規模な人事異動を断行している。
徐才厚中央軍事委員会副主席と郭伯雄元同委副主席についてはすでに処分を決定していた。その影響で徐才厚の下にあった東北軍と郭伯雄の西北軍の関係者は冷や飯を食わされている。これと対照的に調子がよいのは東南軍であり、南京軍区の元副司令員宋普选は北京軍区の張仕波に代わって司令官となった。張仕波は北京軍区の歴史で最も短い任期となった。他にも南京軍区系統の軍人が出世している。駐閩部隊(福建省の対面に駐屯)の三十一集團軍関係ではかつて三十一軍の長であった王寧が副総参謀長から武装警察の司令官に栄転した。前司令官の王建平は副総参謀長になった。 
なお、指揮系統の強化のため、総参謀部は海、空、第二砲兵(ミサイル部隊)などから優秀な人材を集めている。また逆に、総参謀部から副総参謀長が大軍区の司令官になる例も少なくない(大公網1月6日)。

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