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2014.02.05

江沢民派と胡錦涛・習近平の争い

2月4日の多維新聞は、習近平が力を入れている反腐敗運動の背景に中共政権内部、とくに胡錦涛と曾慶紅など江沢民派の間の権力闘争があることを、以前に報道されたことなどをまとめて紹介している。一部の内容については事実か否か疑問の余地もあるが、この種の問題については即断することなく時間をかけてフォローしていくべきものと思われる。

○前政治局常務委員の周永康はすでに死に体である。規律検査の第1号はその背後の大物、曾慶紅とその家族である(注 このことは昨日の「中国雑記」にも紹介した)。
○2007年、第17回党大会に際して、曾慶紅とその「政治仲間(政治朋友。注 江沢民であろう)」は、第1期の任期を終える胡錦涛は留任せず、曾慶紅に譲るべきだと主張したため、争いが生じた。
○曾慶紅は2002年の第16回党大会後、政治局常務委員と中央書記処書記の地位を利用し、胡錦涛に立てつき、指示を出すのを妨害した。胡錦涛はこれを問題視して曾慶紅を攻撃することにした。胡錦涛は曾慶紅の家族による汚職の事実を調べ上げ、党内で味方を増やして曾慶紅にその要求を諦めさせた。
○曾慶紅が要求を諦める代わりに出した条件は、賀国強と周永康を政治局常務委員に入れることであり、9人の常務委員のうち江沢民派は呉邦国、賈慶林、李長春、賀国強、周永康の5人となり多数を占めた。
○この結果胡錦涛・温家宝コンビは重要問題について政令が出せなくなり、国内では「胡温政令不出中南海」と揶揄された。
○胡錦涛が軍権をほんとうに掌握したのは第18回党大会近くになってからである。
○17回党大会では、江沢民派は薄熙来を常務委員にしたかったが、党内で支持が弱く実現しなかった。その代わりの妥協として習近平を認めた。江沢民や曾慶紅には、いずれ時が来れば習近平に迫って権力の明け渡しを要求する、場合によっては武力を行使してでもそれを実現しようという考えがあった。
○習近平は腐敗問題で曾慶紅や周永康をきびしく追及しており、三中全会で最高権力機関である「国家安全委員会」を設立したのも江沢民派の牙城であった「政法委員会」を徹底的に破壊するためである(注 胡錦涛もこの委員会を解体しようとしたと言われていた)。


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