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2019.01.30

習近平の独裁的権力はほんものか その2

 習近平主席は国政の全般にわたって権力を一身に集め、また、憲法を改正して終身主席になる道を拓くなど、独裁的地位を固めたと言われる。
 しかし、実際には、習近平の地位はまだ完全には固まっていないと思われる。その証左に、つぎのような出来事が起こっている。

〇陝西省では、石炭採掘と大規模違法建築に関し、中央の指示を無視したり、従わなかったりする事件が発生した。

 前者は「千億鉱山開発案件」と呼ばれる。石炭の採掘をめぐって陝西省と鉱山開発業者との間で争いが起こり、訴訟となった事件である。発生したのは2006年なので習近平の前任の胡錦濤主席の時代であったが、政権が代わってからも問題は解決しなかった。裁判はすでに中国の最高裁判所まであがり、業者側が勝訴したが、執行はされていないという。
 長年問題が解決しなかっただけではない。本件については陝西省の前書記(ナンバーワン)であった趙正永が関与していた。具体的な問題は一部しか明らかになっていないが、最高裁で事件を担当した王林清裁判官が判決を書く直前の2016年11月、関係のファイルが20日間あまり逸失したことがあった。
 王裁判官は当時から身の危険を覚えていたらしく、公式の記録とは別に個人的な記録を作っており、これはのちに公になった。しかし、王氏自身は現在行方不明となっている(ラジオ・フランス・アンテルナショナル1月24日)。最高裁の暗部を暴露したからだと言われている。

 後者は「秦岭別荘違法建築案件」と呼ばれ、テレビ局の取材がきっかけとなって発覚し、同省のガバナンスが問われる問題に発展した事件である。違法建築は4桁に上るほどの数であり、しかもテレビ局の放映で一般の関心が高かったので、中央は陝西省に対し事件の糾明と善処を求めた。しかし、陝西省ではまじめに対処せず、中央からの指示を関係部署に回すだけでほとんど何もしなかった。習主席としても手を焼いたらしく、前後6回にわたって指示を出した。また、中央は陝西省に対して人事上の措置も行い、数十名を入れ替えた。さらに反腐敗運動で恐れられる中央規律検査委員会から調査チームを派遣してようやく陝西省を従わせることができたという。陝西省が違法建築の除去を始めたのは2018年8月であった。
 中央の機能不全は胡錦濤時代の代名詞のように見られているが、習近平政権下でも起こっているのである。

 この2つの事件は、習近平主席の権威は実際には絶対的でなく、指示通りには動こうとしない地方の指導者がいることを示唆している。中国の省・自治区のナンバーワンは中央の大臣クラスであり、人事異動で中央政治局入りすることがよくある。

 中国は、問題があるとみなした人物を強権的な方法で拘束し、取り調べる。その例は、国際刑事機構の孟宏偉総裁をはじめ脱税容疑の有名女優、人権派弁護士、日本に滞在中の研究員、香港の書店主など多数に上る。王林清裁判官の場合は現在のところ状況が不明であるが、実際には、拘束されていると思われる。

〇長老による習近平批判
 中国の著名な改革派経済学者である茅于軾(ぼううしょく 天則経済研究所名誉理事長)は2018年末、Voice of Americaのインタビューで、「習近平は今日に至るまで国家を指導する理念を作っておらず、国をどの方向に導いていくか、どのような道筋で、何を目標に、どのような人を用いて治めていくか明確にしていない。アドバイザーに助けられて指導者らしくしているのか。あるいは表面は立派だとほめられながら実際には批判されているのか。それとも本人が馬鹿なのか。終身的に地位を確保するには憲法を改正する必要などない」と痛烈に批判している(当研究所HP「中国人研究者による習近平主席批判」2018年12月19日)。
 このように激しい習近平批判は、常識的には不可能である。もちろん、茅于軾は当局からにらまれ、手荒に扱われているだろうが、他の人と違って拘束はされず、何とか活動を続けている。
中国には例外的に大胆な政府批判を行える人物がいるのも事実である。民主化を求める人たち、弁護士、長老などであり、共産党の権威を重視する習近平主席の下でこれらの勢力は大幅にそがれているが、長老の一部には今なお強い発言をする人物が残っており、茅于軾はその一人である。

 中国共産党の歴代総書記の中でもっともリベラルな人物の一人であり、「ブルジョワ自由化」を進めたと批判され失脚した胡耀邦の長男、胡德平もそのような長老になりつつある。
 1月16日、リベラルな研究者の会合で、胡徳平は、「ソ連の失敗は高度に中央集権的な政治体制と硬直した経済制度が原因であった。両方とも社会主義国として当然のことではない。資本主義国家は技術の進歩により効率を高めた。大量の資本投下により成長を図るのは間違いだ」と発言し、注目された。最後の論点は明らかな政府批判である。

〇陳小雅の政府批判
 陳小雅は1955年生まれ。かつて『紅旗』誌の副編集長を務めるなど体制派の研究者であったが、天安門事件を題材にした『八九民運史(八九は天安門事件のこと。民運とは民間運動の意味である)』を発表したため当局からにらまれ社会科学院から追放された。しかし、その後も、中国における民主化運動について著作活動を続けている。
 1月27日、陳小雅は、出国しようとしたが空港で止められた。陳は、習近平、王滬寧および郭声琨(公安部長)の3名に対し、公開状を送り付け、「あなたたちは何を根拠にわたくしの出国は国家の安全に危害をもたらすなどと言うのか。その証拠を見せてほしい」とかみついた。しかも、同書簡の末尾には「病人が国を治めている。これこそ国家に対する最大の危険である」と大胆な言葉を書き添えた。

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