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2017.10.02

汪洋は中国のトップ7入りか

 汪洋は現在国務院副総理だが、来る第19回党大会では政治局常務委員(トップ7)になると見られている。香港の『明報』紙10月2日付の評論などを参照しつつ、同人のプロフィールを描いてみた。

〇汪洋は貧しい家庭に生まれ、しかも幼い時に父を失ったので、高等学校も卒業できず、故郷の安徽省宿県(現宿州市)の食品工場で働き始めた。そこから努力を積み重ね、副総理まで上った立志伝中の人物である。
 中国の指導者は今や高学歴であり、たとえば、現在の政治局常務委員(トップ7)は全員大学卒である。ただし、劉雲山だけは師範学校卒であるが、実質的には大卒と変わりない。劉は教師や新華社の記者を務めたこともある。
 汪洋は後に中国科学技術大学で工学修士号を取得したので、普通の履歴書では「大卒」となるかもしれないが、それにしても異例の経歴を持つ人物である。

〇汪洋は共産主義青年団(共青団)で認められ、共青団安徽省委員会の副書記にまで昇進した。
 1999年、中央に呼ばれ国家発展計画委員会の副主任になった。これは次官クラスである。このときは朱鎔基首相に認められたという。
 2005年、重慶市書記(ナンバー1)に就任。重慶は北京、上海、天津とともに中央の直轄市であり、そのナンバー1は部長級(大臣級)である。
 汪洋は重慶でも認められ、胡錦涛総書記により、2007年の第17回党大会後に広東省書記に配置換えされるとともに、政治局員(トップ25)に抜擢された。「二階級特進」だったと言われている。

〇このような経歴から王洋は共青団派だと見られている。習近平主席は共青団の官僚主義的傾向を批判し、その予算を削るなどしており、共青団派の人物には厳しい見方を示している。しかし、汪洋は改革に熱心な経済の実務家であり、官僚主義的なところがない。率直で分かりやすい発言で知られており、記者のインタビューにも積極的に応じている。
このようなことからか、習近平主席の覚えもよく、外遊にもしばしば同行している。2017年4月、習氏がトランプ大統領と初の首脳会談を行った際も汪洋は同行していた。

〇汪洋の後、重慶市の書記となったのは薄熙来である。薄熙来は、いわゆる「革命第二代」のなかでも大物であり、そこまで順調に昇進し、中央に戻る一歩手前まで行ったのだが、第18回党大会の直前に失脚した。汪洋は毛沢東思想を標榜し、革命的手法を重視する薄熙来とは馬が合わなかったという。

〇広東省書記として汪洋の後任となったのが、習近平の後継者と目されていた胡春華である。同人は、重慶市での人事のごたごたの影響を受けて微妙な立場になっているとも言われており、今次党大会で中央に戻るか注目される。

〇汪洋は日本との経済対話に中国代表として累次出席しており、日本にもよく知られている。中共中央における汪洋の立場は安定しており、今後も日本との関係で重要な役割を果たすだろう。

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