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2021.06.17

東京五輪・パラリンピックは中止または延期すべきである

 東京五輪・パラリンピック開催中の新型コロナウイルス対策として、選手に課される毎日の検査をはじめ非常に細かいルールをまとめた「プレーブック」が作られている。同大会の準備のためたいへんな努力が行われていることはよく分かる。

 しかし、この大会が安全に開催されるとはとても思えない。プレーブックを例にとっても、細かいルールが決まっておれば安心とは言えない。プレーブック第3版では、ルール違反者に罰金、参加資格はく奪、さらには強制退去などの強い措置が課されることになっているが、ルールの実行を確実にするには、違反の有無の決定、違反者への聴取、違反に対する措置の決定などが必要となる。また、かりに措置が決定されても、それを強制できるかは大問題である。また、GPS機能を付けたスマホの携行を義務付けるというが、誰が監視するか。監視しても違反がはっきりしない場合もあろう。ともかく、プレーブックの実行は、規模の小さい競技大会であればともかく、オリンピックのように大規模の場合には膨大な手間がかかる。その手当てができているとは到底思えない。実効性の疑問はルールが細かいほど大きくなる。

 実行性が担保されていないプレーブックは絵に描いた餅に過ぎない。日本国民に大会は安全だと思わせるには役立つかもしれないが、できないことをあたかもできるかのように印象付けているのであれば問題である。

 日本では6月17日現在、この他観客数をゼロにするか、上限を5千人とするか、1万人とするか、緊急事態宣言の解除はどうするかなどさまざまなことが論じられているが、肝心の問題は置き去りになっている。

 オリンピックをこの夏に開催するのは危険が大きすぎる。開催すれば失敗するとは限らない。成功するかもしれない。が、「人流」は間違いなく増大するので感染が拡大するのは必至であり、日本国民に危害が及ぶ。そうなった場合、だれが責任を取るかも明確でない。そう考えれば、今夏のオリンピック開催はあまりにも危険な賭けだと言わざるを得ない。IOCの高官は緊急事態宣言の下でも開催するのだなどと無責任なことを口にしているようだが、実に遺憾である。IOCは菅首相よりも開催に積極的であるが、責任など取らない仕組み(契約)になっているのではないか。

 われわれ日本人自身の姿勢も問題である。これまで、コロナ禍の危険を冒してこの夏にオリンピックを開催しなければならない理由の説明は行われたことがないが、政府および東京都はオリンピックを開催する方向で進んでいる。国民はそのことに強い不満を抱きながら、その気持ちを表明し行動することはできない無力さを感じているのではないか。

メディアはオリンピックについて積極的役割を果たしているが、限界もあるようだ。メディアはつねに新しいニュースを追いかけ、国民に提供していかなければならないために、根本的な問題だからと言っていつまでもこだわっているわけにいかないのだろう。

 結果として、日本人は大事なことが未解決のままになっていると感じつつ、次の話題あるいは問題にとりかからざるを得なくなっている。積極的に賛同してはいないので付和雷同ではないが、自分の考えを十分整理できないまま、政府に賛成することになっている点では戦前の苦い経験と共通するのではないか。

 今夏のオリンピック開催は中止するか、延期すべきである。日本政府は細かいルール作りよりあくまでその根本問題について国民的合意の形成を目指すべきである

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