平和外交研究所

9月, 2020 - 平和外交研究所 - Page 2

2020.09.07

セルビア・コソボ経済正常化

 9月4日、トランプ米大統領はセルビアとコソボが経済関係の正常化に合意したと発表した。「経済関係の正常化」とは決まった内容があるわけではないが、米側では、セルビアとコソボは道路や鉄道網の整備、国境検問所の開放、米国からの投資促進などが期待されると説明している。

 セルビアもコソボも我が国からははるかに遠い西バルカンの国である。日本から直行便があればウィーンと大差ない時間で行けるはずだが、現実には乗り換えが必要であり、アフリカに行くのに近い距離感である。日本で話題になることは両国ともほとんどない。スポーツ選手にはテニスのジョコビッチやサッカーのストイコビッチなど世界のトプクラスがおり、そちらの方が日本では知られている。

 かつては西バルカン全体が「ユーゴスラビア」であったが、1990年代から瓦解の過程が始まり、最後に残ったのがセルビアとコソボである。コソボはユーゴ時代セルビアの一自治区であったが、2008年に「コソボ共和国」として独立を宣言した。

 コソボは、現在では9割以上がイスラム教徒のアルバニア系であり、だから独立を求めるのであるが、セルビアはコソボの独立を認めない。セルビアはクロアチアやスロベニアなど旧ユーゴを構成していた共和国が相次いで独立を宣言した際、もちろん何もなかったわけではないが、比較的容易に独立を認めた。しかし、コソボの独立だけは頑として首を縦に振らない。コソボがセルビア正教の聖地であり、今でも重要な教会がコソボに多数存在しているからであり、またコソボ内にセルビア人の居留地があるからだ。もし独立を認めれば、セルビア正教の教会セルビア人はイスラムから攻撃されるという気持ちもある。

 今回の合意に際しても、この特殊事情がなお問題になっていることがうかがわれた。コソボのホティ首相は「完全な関係正常化に向けて大きく前に進んだ」と語り、これが独立の承認に繋がる期待感をにじませたが、セルビアのブチッチ大統領は「両国にはまだ多くの違いがあるが大きな前進だ」と慎重であり、また「この合意は相互承認を含んでいない」とくぎを刺すことも忘れなかった。セルビアとしては、セルビア正教会やセルビア人居留地の完全保護が実現しない限り、今回の合意から前進できないのであろう。

 トランプ大統領が11月の大統領選を見越して仲介の労を取ったのは明らかである。今回の合意達成に際して、イスラエルとコソボの国交樹立をも実現させた。ユダヤ人とイスラムを歩み寄らせたのであるが、セルビアの正教徒にも歩み寄りは可能であることを示したかったのであろう。

 また、トランプ大統領はセルビアに対して経済面でのかなりの優遇策を取る姿勢をみせたのだと推測される。トランプ大統領らしい、実弾を重んじた大胆な手法である。独立承認までは見通せないが、経済関係だけでも進展すれば両国にとって大きな利益となる。

2020.09.04

中国における「法治」の実態

 中国の司法に問題が多々あることは周知のことであるが、以下に紹介する中国紙『澎湃新闻』9月3日付の記事は、なかでも極端なケースを伝えている。この報道によれば、中国ではひどい腐敗が今でも横行し、「法治」とは言えない状況が続いている。また、共産党員になる審査の中には極めてずさんに行われているものがある。共産党員は現在も増え続け、9千万人を超えているが、かなり水増しされていることがうかがわれる。

 「事件は1992年5月、内蒙古自治区フルンベア市で発生した。18歳のバトムンフが19歳の白永春を刺殺したのだ。翌年9月、裁判の判決が下り、バトムンフは15年の懲役刑と2年間の政治権利はく奪を受け、控訴しなかったので判決は確定した。
 バトムンフは拘置所から監獄へ移送されるはずだったが、同人は全身のむくみと血尿のため、病院へ送られ、同人の母親と伯父が病院治療を続けることの許可を得た。ところが、その病院治療許可の条件はまったく無視されたまま普通の生活に戻った。つまり、一回も監獄の門をくぐらないまま、事実上自由の身となったのであった。
 15年後の2007年5月、バトムンフと母親が元の拘置所を訪れ、「刑期満了釈放証明書」の交付を求めた。その時提出したのは元の判決書だけであったが、拘置所は証明書を捺印してあたえた。かくして、バトムンフは1日も服役しないまま、書面上は完全に服役したことになった。
 その以来、バトムンフは一転して活動的になり、まず出身村の村長になった。2009年には共産党に入党した。入党申請書は不完全であったが問題にされなかった。さらにバトムンフは地元の全人代代表にも選ばれた。
 しかし、殺害された白永春の母親の粘り強い訴えに当局も黙視していることはできなくなり、バトムンフに対する調査が開始された。すると、村長時代に「草原生態補助金」を着服していたことなどが発覚し、2018年、殺人罪、汚職、など数件の犯罪があらためて認定され、15年の懲役刑、罰金20万元、政治権利はく奪2年を言い渡された。また、この間党籍をはく奪された。
 なぜ病院治療だけで終わらせたのか、刑期満了釈放証明書を発行したのはだれの責任か、などはまだ解明されていない。74歳の白永春の母親は調査が進み、消えてしまった証拠書類が発見される日を待ち望んでいる。」

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