1月, 2020 - 平和外交研究所 - Page 2
2020.01.17
金英哲は平昌オリンピックの閉会式に出席したほか、金委員長の外交活動に常に同行し、金委員長の特使としてトランプ大統領に2回会って首脳会談のおぜん立てをした実力者であり、また、非核化交渉においては北朝鮮側の責任者であった。当時の肩書は「朝鮮労働党副委員長兼統一戦線部長」。党の副委員長は以前の中央委員会書記であり、枢要なポストである。
しかし、ハノイ会談が決裂した責任を問われてその任を解かれたらしく、活動が伝えられなくなった。6月の初めには金委員長の芸術公演鑑賞に随伴したことが報道されたが、「統一戦線部長」ではなくなっていた。同人が持っていたもう一つの肩書であった「朝鮮アジア太平洋平和委員会委員長」だけは変わらなかったが、同月30日の板門店会談には姿を見せず、降格になっていたことが明らかになった。板門店会談において金英哲に代わって金委員長に同行したのは、金成男(キム・ソンナム)労働党国際部第1副部長であった。
金委員長の妹である金与正「党中央委員会の第1副部長」も米朝首脳会談後動静は確認されなくなり、4月の金委員長のロシア訪問にも同行しなかった。5月末には韓国紙によって、出過ぎた行動を理由に謹慎処分が下ったとも報じられたことがあったが、間もなく北朝鮮の報道で活動が伝えられるようになった。謹慎処分があったか、確認は困難だが、かりにあったとしてもそれは一時的なことだったと思われる。6月30日の板門店での米朝首脳会談には金委員長に同行し、いつもの特別な人物ぶりが目撃された。
金英哲アジア太平洋平和委員会委員長は降格となった後、対米強硬発言を命じられたとみられる。11月には、米韓両政府が合同軍事演習の延期を決めたことに関して「米国に求めているのは演習の完全中止だ」とし、また、非核化交渉について「米国の敵視政策が完全かつ後戻りできないよう撤回されるまで」は応じる考えがないと強調する談話を行った。さらに12月には、トランプ大統領のツイッター発言を批判しつつ、金委員長はトランプ大統領に対し、いかなる刺激的な表現も使っていないなどと発言した。
金英哲の降格後、李容浩外相と崔善姫外務次官が米国との交渉(が行われれば)の窓口となると言われたこともあり、両人とも金委員長に随行して板門店会談に姿を見せた。しかし、李外相は昨年末開かれた労働党中央委員会総会で解任されたのではないかと言われている。総会には出席していたが、総会後の、金委員長を囲む記念集合写真には写っていなかったからである。
李洙墉(イ・スヨン)党副委員長兼国際部長も北朝鮮外交の主要人物のひとりであり、李外相より序列は上である。アントニオ猪木元参議院議員が訪朝した際にはいつも面会していたことでも知られている。昨年末の党中央委員会総会では李外相と同様、会議には出席していたが、解任されたとみられている。李国際部長の場合は、後任者がすでに金衡俊(キム・ヒョンジュン)元ロシア大使と確定しており、李洙墉の解任は決定的である。
李容浩外相の場合は後任者が確定しているわけではなく、一時的な措置ともいわれている。李容浩は駐英国大使を務めたことがあり、自己主張をするような人物でないとみられている。「平壌のメッセンジャー」にすぎないともいわれているが、北朝鮮から韓国に亡命した太永浩(テヨンホ)元駐英公使は著書で、李氏について「部下に声を荒らげたことがない。実力と品格を兼ね備えた人物」と紹介している。
要するに、ハノイの首脳会談に際し、金委員長は「段階的非核化」で米国と合意できると聞かされていたが、それが不可能だということをトランプ大統領との会談で悟り、対米戦略を立て直した。2019年末に労働党中央委員会の総会を開催したことも、金英哲や李容浩に交渉決裂の責任を取らせたのもその一環であったとみられる。
米朝非核化交渉と北朝鮮の主要関係者人事
2019年2月のハノイにおける第2回米朝首脳会談後、金正恩委員長は非核化交渉にかかわる人事配置について手直しを行ったようである。金英哲は平昌オリンピックの閉会式に出席したほか、金委員長の外交活動に常に同行し、金委員長の特使としてトランプ大統領に2回会って首脳会談のおぜん立てをした実力者であり、また、非核化交渉においては北朝鮮側の責任者であった。当時の肩書は「朝鮮労働党副委員長兼統一戦線部長」。党の副委員長は以前の中央委員会書記であり、枢要なポストである。
しかし、ハノイ会談が決裂した責任を問われてその任を解かれたらしく、活動が伝えられなくなった。6月の初めには金委員長の芸術公演鑑賞に随伴したことが報道されたが、「統一戦線部長」ではなくなっていた。同人が持っていたもう一つの肩書であった「朝鮮アジア太平洋平和委員会委員長」だけは変わらなかったが、同月30日の板門店会談には姿を見せず、降格になっていたことが明らかになった。板門店会談において金英哲に代わって金委員長に同行したのは、金成男(キム・ソンナム)労働党国際部第1副部長であった。
金委員長の妹である金与正「党中央委員会の第1副部長」も米朝首脳会談後動静は確認されなくなり、4月の金委員長のロシア訪問にも同行しなかった。5月末には韓国紙によって、出過ぎた行動を理由に謹慎処分が下ったとも報じられたことがあったが、間もなく北朝鮮の報道で活動が伝えられるようになった。謹慎処分があったか、確認は困難だが、かりにあったとしてもそれは一時的なことだったと思われる。6月30日の板門店での米朝首脳会談には金委員長に同行し、いつもの特別な人物ぶりが目撃された。
金英哲アジア太平洋平和委員会委員長は降格となった後、対米強硬発言を命じられたとみられる。11月には、米韓両政府が合同軍事演習の延期を決めたことに関して「米国に求めているのは演習の完全中止だ」とし、また、非核化交渉について「米国の敵視政策が完全かつ後戻りできないよう撤回されるまで」は応じる考えがないと強調する談話を行った。さらに12月には、トランプ大統領のツイッター発言を批判しつつ、金委員長はトランプ大統領に対し、いかなる刺激的な表現も使っていないなどと発言した。
金英哲の降格後、李容浩外相と崔善姫外務次官が米国との交渉(が行われれば)の窓口となると言われたこともあり、両人とも金委員長に随行して板門店会談に姿を見せた。しかし、李外相は昨年末開かれた労働党中央委員会総会で解任されたのではないかと言われている。総会には出席していたが、総会後の、金委員長を囲む記念集合写真には写っていなかったからである。
李洙墉(イ・スヨン)党副委員長兼国際部長も北朝鮮外交の主要人物のひとりであり、李外相より序列は上である。アントニオ猪木元参議院議員が訪朝した際にはいつも面会していたことでも知られている。昨年末の党中央委員会総会では李外相と同様、会議には出席していたが、解任されたとみられている。李国際部長の場合は、後任者がすでに金衡俊(キム・ヒョンジュン)元ロシア大使と確定しており、李洙墉の解任は決定的である。
李容浩外相の場合は後任者が確定しているわけではなく、一時的な措置ともいわれている。李容浩は駐英国大使を務めたことがあり、自己主張をするような人物でないとみられている。「平壌のメッセンジャー」にすぎないともいわれているが、北朝鮮から韓国に亡命した太永浩(テヨンホ)元駐英公使は著書で、李氏について「部下に声を荒らげたことがない。実力と品格を兼ね備えた人物」と紹介している。
要するに、ハノイの首脳会談に際し、金委員長は「段階的非核化」で米国と合意できると聞かされていたが、それが不可能だということをトランプ大統領との会談で悟り、対米戦略を立て直した。2019年末に労働党中央委員会の総会を開催したことも、金英哲や李容浩に交渉決裂の責任を取らせたのもその一環であったとみられる。
2020.01.15
文大統領が日本側に向けて述べたことに新味はない。あまりにも政治的ジェスチャーであり、このままでは徴用工問題は未解決のまま推移する恐れが大きい。日本政府は、公表された限りでは「国際法違反の状態の是正を求める」としか表明していないようだが、文大統領の姿勢には次のような問題がある。
第1に、文大統領は、徴用工問題の解決に韓国政府が責任を負っていることを認めていない。記者会見での発言を聞くと、韓国政府を原告代理人の弁護士や政財界の関係者などと同列に置いている印象である。しかし、日韓両国が1965年に関係を正常化した後、韓国政府は大企業を育成する方針を取り、請求権問題を解決しなかったので今日の問題があるのである。当時は、韓国政府としてそうすることが必要だったことは理解できるが、韓国はすでに先進国となっており、そのような方針を維持すべきでない。文大統領はそのような経緯を無視しているのではないか。
第2に、文氏は、韓国の世論が承認する解決策でなければならないと述べている。韓国政府が元徴用工の主張通りに対応するのは韓国側の問題であるが、日本政府は韓国政府と協議して決定したことに従うのは当然である。韓国政府は、日本政府に対して、韓国政府以上に韓国民の要求に従うよう求めても日本政府としては応じられない。
第3に、日韓両政府が合意した請求権問題の解決方法を無視するならば、今後すべての請求権に基づく要求が蒸し返される危険がある。そうなっては日韓関係は破壊されるだろう。両国政府はそのような事態を惹起させてはならない。
なお、韓国に対する輸出規制の強化についてはすでに両国間の協議が始められており、徴用工問題とは関係させずに適正な解決を図るべきである。
文在寅大統領の徴用工問題についての姿勢
韓国の文在寅大統領は1月14日、内外メディアとの記者会見で徴用工問題について語った。先般、原告弁護団などが創設を発表した日韓合同の協議体に「韓国政府は参加する意向がある」と表明しつつ、「韓国政府はすでに何度も解決方法を提示している。日本側も努力しなければならない」とし、「(日韓が)ひざをつき合わせ、知恵を合わせれば十分に解決の余地がある」とも述べた。文大統領が日本側に向けて述べたことに新味はない。あまりにも政治的ジェスチャーであり、このままでは徴用工問題は未解決のまま推移する恐れが大きい。日本政府は、公表された限りでは「国際法違反の状態の是正を求める」としか表明していないようだが、文大統領の姿勢には次のような問題がある。
第1に、文大統領は、徴用工問題の解決に韓国政府が責任を負っていることを認めていない。記者会見での発言を聞くと、韓国政府を原告代理人の弁護士や政財界の関係者などと同列に置いている印象である。しかし、日韓両国が1965年に関係を正常化した後、韓国政府は大企業を育成する方針を取り、請求権問題を解決しなかったので今日の問題があるのである。当時は、韓国政府としてそうすることが必要だったことは理解できるが、韓国はすでに先進国となっており、そのような方針を維持すべきでない。文大統領はそのような経緯を無視しているのではないか。
第2に、文氏は、韓国の世論が承認する解決策でなければならないと述べている。韓国政府が元徴用工の主張通りに対応するのは韓国側の問題であるが、日本政府は韓国政府と協議して決定したことに従うのは当然である。韓国政府は、日本政府に対して、韓国政府以上に韓国民の要求に従うよう求めても日本政府としては応じられない。
第3に、日韓両政府が合意した請求権問題の解決方法を無視するならば、今後すべての請求権に基づく要求が蒸し返される危険がある。そうなっては日韓関係は破壊されるだろう。両国政府はそのような事態を惹起させてはならない。
なお、韓国に対する輸出規制の強化についてはすでに両国間の協議が始められており、徴用工問題とは関係させずに適正な解決を図るべきである。
2020.01.13
蔡英文総統は、2018年11月の統一地方選で民進党が国民党に大敗した際、責任をとって党主席を辞任し、総統再選は困難な状況になったが、香港で激しい抗議デモが続いたことが追い風となって支持率が急回復し今回の勝利につながったというのが大方の見方であろう。このような見方は誤りではないが、事の半分でしか見ていない。
蔡英文総統は統一地方選後、台湾人の支持を取り戻すための手を打っていた。地方選で大敗を喫する原因となったのは、公務員の年金改革や脱原発への批判に加え、公約した同性婚法制定の取り組みが遅れたことなどであった。また蔡氏自身の政治姿勢にも問題があり、学者出身で、「目立たず、壁ぎわを歩くのが好きだった」と自伝に記すほど慎重な性格である。さらに、蔡氏は、民進党が初めて政権をとった陳水扁総統時代(2000~08年)に慣れない政権運営や汚職で批判を浴びた失敗の轍を踏まないよう努めていたとも言われていた。蔡氏は、困難な問題が起きると前に出ることを避け、その結果混乱や不信を招いたこともあった。統一地方選後に党員にあてた手紙では「沈黙することでバランスを取るつもりが、逆に賛否双方から批判されてしまった」と述べていた。
そして、蔡氏は自身の政治姿勢を改め、現場視察を増やし、住民と対話し、地元メディアの取材に積極的に応じるようになった。原稿の棒読みだった演説や記者会見で、最近は原稿なしで話すようになった。アジア初の同性婚法も実現した。
2019年1月には、中台統一を呼びかけた習近平主席の演説に対し、蔡氏は即座に記者会見で反論した。台湾人はそのよに果断に行動する蔡英文総統を見直し、支持率は回復し始めた。民進党幹部はバージョンアップした「蔡英文2・0」と呼ぶようになった。
蔡氏は総統再任後、何ができるか。バージョンアップした総統として積極的に政治に取り組めるか。
台湾の政治情勢は短期間に大幅に変化する。台湾の政治状況が未成熟でまだ安定するに至っていないことが一因であろう。それは台湾の歴史を振り返ってみれば無理からぬことであり、与党民進党は合法化されてからまだ30年しかたっていない。台湾で高支持を安定的に維持するのは容易でない。
問題は何と言っても中国との関係である。蔡英文総統は台湾独立色を抑えつつ、「現状維持」の方針に徹してきた。これに対し、習近平政権は蔡英文総統を嫌い、武力以外であればどんな手段でも行使して台湾の統一を実現しようとしてきた。
蔡英文政権が発足して以降、2019年9月のキリバスまで7カ国を台湾との断交に踏み切らせ、台湾と外交関係を維持するのはわずか15カ国にしてしまった。WHO(世界保健機構)では台湾をオブザーバーとしても認めなくなった。
これら中国の施策はある程度効果を上げ、国民党の候補が総統選で勝利するという見方も現れるようになった。しかし、今回の総統選は中国が行ってきたことに大きな疑問を投げかける結果となった。ただし、これは中国が香港問題などで強権的な政策で臨んだからであり、オウンゴール的な面もあった。今回の総統選で敗北したのは中国共産党だという見方もあるくらいである。
蔡英文総統は総統選の勝利を背景に、これまでの対中方針を維持しつつ、中国と平等の立場での対話を呼びかけている。しかし、習近平政権が柔軟な姿勢に転じるとは考えにくい。中国は、今後も、台湾と外交関係を維持している国を引き離すなど強引な方法で台湾を孤立化させ、台湾統一への圧力をかけ続けるものと思われる。
中国を嫌う台湾人の感情と実利のために中国との融和を求める打算のどちらが強いか。中国の台湾政策はそのバランスに影響を与える一つの大きな要因だが、台湾の経済状況と中国への依存度はより大きな現実問題であり、これは国際環境にもよるが台湾人自身が努力して変えられることである。
蔡英文は2012年の総統選挙で国民党の馬英九に敗れてから4年後の総統選で勝利するまで、いかにして自らを立て直し、力をつけてきたかを自叙伝に書いた。今回の総統選では国民党の韓国瑜に敗れそうになったが、逆転勝利した。それを可能にした理由について、民進党幹部は、同氏がバージョンアップしたからだといっている。
蔡氏は自叙伝で自らは経済問題に強い関心があることを語っていた。しかし、蔡英文総統が経済面で成功を収めた形跡は、こちらの不勉強のためかもしれないが、ない。それは同氏が、大企業というより地方の、土着の経済活動に関心を持ったからだと思われる。そのような傾向は、統一地方選後の活動にも表れていた。しかし、それだけでは足りない。今後は大企業中心の経済においても力を発揮できるかが焦点となる。
台湾の総統選挙
台湾の総統選挙は1月11日に投開票され、与党民進党の現職、蔡英文総統が対中融和路線の野党国民党の韓国瑜候補らに圧勝し再選を果たした。蔡英文の得票は史上最多であった。蔡英文総統は、2018年11月の統一地方選で民進党が国民党に大敗した際、責任をとって党主席を辞任し、総統再選は困難な状況になったが、香港で激しい抗議デモが続いたことが追い風となって支持率が急回復し今回の勝利につながったというのが大方の見方であろう。このような見方は誤りではないが、事の半分でしか見ていない。
蔡英文総統は統一地方選後、台湾人の支持を取り戻すための手を打っていた。地方選で大敗を喫する原因となったのは、公務員の年金改革や脱原発への批判に加え、公約した同性婚法制定の取り組みが遅れたことなどであった。また蔡氏自身の政治姿勢にも問題があり、学者出身で、「目立たず、壁ぎわを歩くのが好きだった」と自伝に記すほど慎重な性格である。さらに、蔡氏は、民進党が初めて政権をとった陳水扁総統時代(2000~08年)に慣れない政権運営や汚職で批判を浴びた失敗の轍を踏まないよう努めていたとも言われていた。蔡氏は、困難な問題が起きると前に出ることを避け、その結果混乱や不信を招いたこともあった。統一地方選後に党員にあてた手紙では「沈黙することでバランスを取るつもりが、逆に賛否双方から批判されてしまった」と述べていた。
そして、蔡氏は自身の政治姿勢を改め、現場視察を増やし、住民と対話し、地元メディアの取材に積極的に応じるようになった。原稿の棒読みだった演説や記者会見で、最近は原稿なしで話すようになった。アジア初の同性婚法も実現した。
2019年1月には、中台統一を呼びかけた習近平主席の演説に対し、蔡氏は即座に記者会見で反論した。台湾人はそのよに果断に行動する蔡英文総統を見直し、支持率は回復し始めた。民進党幹部はバージョンアップした「蔡英文2・0」と呼ぶようになった。
蔡氏は総統再任後、何ができるか。バージョンアップした総統として積極的に政治に取り組めるか。
台湾の政治情勢は短期間に大幅に変化する。台湾の政治状況が未成熟でまだ安定するに至っていないことが一因であろう。それは台湾の歴史を振り返ってみれば無理からぬことであり、与党民進党は合法化されてからまだ30年しかたっていない。台湾で高支持を安定的に維持するのは容易でない。
問題は何と言っても中国との関係である。蔡英文総統は台湾独立色を抑えつつ、「現状維持」の方針に徹してきた。これに対し、習近平政権は蔡英文総統を嫌い、武力以外であればどんな手段でも行使して台湾の統一を実現しようとしてきた。
蔡英文政権が発足して以降、2019年9月のキリバスまで7カ国を台湾との断交に踏み切らせ、台湾と外交関係を維持するのはわずか15カ国にしてしまった。WHO(世界保健機構)では台湾をオブザーバーとしても認めなくなった。
これら中国の施策はある程度効果を上げ、国民党の候補が総統選で勝利するという見方も現れるようになった。しかし、今回の総統選は中国が行ってきたことに大きな疑問を投げかける結果となった。ただし、これは中国が香港問題などで強権的な政策で臨んだからであり、オウンゴール的な面もあった。今回の総統選で敗北したのは中国共産党だという見方もあるくらいである。
蔡英文総統は総統選の勝利を背景に、これまでの対中方針を維持しつつ、中国と平等の立場での対話を呼びかけている。しかし、習近平政権が柔軟な姿勢に転じるとは考えにくい。中国は、今後も、台湾と外交関係を維持している国を引き離すなど強引な方法で台湾を孤立化させ、台湾統一への圧力をかけ続けるものと思われる。
中国を嫌う台湾人の感情と実利のために中国との融和を求める打算のどちらが強いか。中国の台湾政策はそのバランスに影響を与える一つの大きな要因だが、台湾の経済状況と中国への依存度はより大きな現実問題であり、これは国際環境にもよるが台湾人自身が努力して変えられることである。
蔡英文は2012年の総統選挙で国民党の馬英九に敗れてから4年後の総統選で勝利するまで、いかにして自らを立て直し、力をつけてきたかを自叙伝に書いた。今回の総統選では国民党の韓国瑜に敗れそうになったが、逆転勝利した。それを可能にした理由について、民進党幹部は、同氏がバージョンアップしたからだといっている。
蔡氏は自叙伝で自らは経済問題に強い関心があることを語っていた。しかし、蔡英文総統が経済面で成功を収めた形跡は、こちらの不勉強のためかもしれないが、ない。それは同氏が、大企業というより地方の、土着の経済活動に関心を持ったからだと思われる。そのような傾向は、統一地方選後の活動にも表れていた。しかし、それだけでは足りない。今後は大企業中心の経済においても力を発揮できるかが焦点となる。
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