5月, 2016 - 平和外交研究所 - Page 5
2016.05.12
以下は前者の「オバマ大統領の「広島」訪問 最大の意義とは?」です。
5月10日、オバマ米大統領はG7伊勢志摩サミット後の同月27日に広島を訪問することが発表されました。米国の大統領として初めての訪問であり、第二次大戦後の歴史において画期的なことになるでしょう。
今回、オバマ大統領は長崎へは行かれません。厳しい日程の関係でしょうが、長崎も広島と等しく重要です。米国大統領の訪問が実現することを望みます。
オバマ大統領は2009年4月のプラハ(チェコ)演説で、「核のない世界」の実現を目指すと表明しました。その後核軍縮がどの程度進展したかについてはさまざまな見方があり、期待外れだという意見もあります。
しかし、オバマ大統領は現在も核軍縮には強い関心を持ち続けています。このたび広島を訪問することを決断したのはその表れでしょう。
これまで米国の大統領による被爆地訪問が実現しなかった理由の一つは、米国内で、原爆の投下は必要だったという考えが今なお強いからです。米国の退役軍人は、最近オバマ大統領の広島訪問に反対する意見を再度提出しています。
反対や消極意見は元軍人に限りません。オバマ大統領が日本を訪問して天皇陛下と会見した際に頭を下げてお辞儀をしたことについても批判の声が上がりました。米国は偉大だと尊大に構える人は少なくありません。
また、米国の大統領が被爆地を訪問すれば謝罪を求められると懸念して反対する声もあります。
オバマ大統領としては米国内のこのような反対意見と、広島訪問の持つ積極的意義の双方を勘案して決定を下さなければなりませんでした。
オバマ大統領による広島訪問の意義は何でしょうか。
オバマ大統領の広島訪問を機に核軍縮を大いに進めたいという強い期待感があります。先のG7外相による広島会合についても同様でした。
また、「核兵器の非人道性」を確立しようとする一種の国際的運動が現在展開されており、外相会合はこの点に関しどのようなメッセージを出せるか注目されました。結局、外相会合の広島宣言では「原子爆弾投下によるきわめて甚大な壊滅と非人間的な苦難という結末を経験」と記述されたにとどまりました。これは一部の国が「核兵器は非人道的だ」と断言することに応じなかったので、やむを得ない妥協だったと思います。
オバマ大統領の広島訪問においても同じ問題が出てくる可能性があります。
しかし、わたくしは、オバマ大統領の広島訪問の成果を「核軍縮」や「核兵器の非人道性」などの物差しで測るべきでないと思います。
また、米国内には大統領が「謝罪」すべきでないという意見があることは前述しましたが、広島も長崎も要求していません。「謝罪」をするかどうかが問題にならないことはすでにはっきりしています。
オバマ大統領による広島訪問の意義は、被爆の実相に触れ、体感することだと思います。もちろん被爆を直接体感することはできませんが、被爆地で見、聞き、感じ取ることは他では経験できません。
実は、世界の多くの人は、日本人も例外でないでしょうが、被爆の実相を必ずしも深く理解していません。頭では核兵器の恐ろしさを知っていても、それは知識にすぎません。その証拠に、ケリー国務長官は被爆地訪問の後、非常に強い衝撃を受けたこととともに、「驚いた」ということも述べていました。
つまり、頭で知っている核兵器の恐ろしさと核爆発の実相とはかけ離れており、どんな人でも被爆地へ行ってみないと本当のことは分からないということです。核爆発の実相は、あらゆる核問題の出発点です。これをオバマ大統領に体験してもらうことが最大の意義だと思います。
オバマ大統領の広島訪問の意義
5月11日と12日の両日、THE PAGEに、オバマ大統領の「広島」訪問に関する記事が掲載されました。以下は前者の「オバマ大統領の「広島」訪問 最大の意義とは?」です。
5月10日、オバマ米大統領はG7伊勢志摩サミット後の同月27日に広島を訪問することが発表されました。米国の大統領として初めての訪問であり、第二次大戦後の歴史において画期的なことになるでしょう。
今回、オバマ大統領は長崎へは行かれません。厳しい日程の関係でしょうが、長崎も広島と等しく重要です。米国大統領の訪問が実現することを望みます。
オバマ大統領は2009年4月のプラハ(チェコ)演説で、「核のない世界」の実現を目指すと表明しました。その後核軍縮がどの程度進展したかについてはさまざまな見方があり、期待外れだという意見もあります。
しかし、オバマ大統領は現在も核軍縮には強い関心を持ち続けています。このたび広島を訪問することを決断したのはその表れでしょう。
これまで米国の大統領による被爆地訪問が実現しなかった理由の一つは、米国内で、原爆の投下は必要だったという考えが今なお強いからです。米国の退役軍人は、最近オバマ大統領の広島訪問に反対する意見を再度提出しています。
反対や消極意見は元軍人に限りません。オバマ大統領が日本を訪問して天皇陛下と会見した際に頭を下げてお辞儀をしたことについても批判の声が上がりました。米国は偉大だと尊大に構える人は少なくありません。
また、米国の大統領が被爆地を訪問すれば謝罪を求められると懸念して反対する声もあります。
オバマ大統領としては米国内のこのような反対意見と、広島訪問の持つ積極的意義の双方を勘案して決定を下さなければなりませんでした。
オバマ大統領による広島訪問の意義は何でしょうか。
オバマ大統領の広島訪問を機に核軍縮を大いに進めたいという強い期待感があります。先のG7外相による広島会合についても同様でした。
また、「核兵器の非人道性」を確立しようとする一種の国際的運動が現在展開されており、外相会合はこの点に関しどのようなメッセージを出せるか注目されました。結局、外相会合の広島宣言では「原子爆弾投下によるきわめて甚大な壊滅と非人間的な苦難という結末を経験」と記述されたにとどまりました。これは一部の国が「核兵器は非人道的だ」と断言することに応じなかったので、やむを得ない妥協だったと思います。
オバマ大統領の広島訪問においても同じ問題が出てくる可能性があります。
しかし、わたくしは、オバマ大統領の広島訪問の成果を「核軍縮」や「核兵器の非人道性」などの物差しで測るべきでないと思います。
また、米国内には大統領が「謝罪」すべきでないという意見があることは前述しましたが、広島も長崎も要求していません。「謝罪」をするかどうかが問題にならないことはすでにはっきりしています。
オバマ大統領による広島訪問の意義は、被爆の実相に触れ、体感することだと思います。もちろん被爆を直接体感することはできませんが、被爆地で見、聞き、感じ取ることは他では経験できません。
実は、世界の多くの人は、日本人も例外でないでしょうが、被爆の実相を必ずしも深く理解していません。頭では核兵器の恐ろしさを知っていても、それは知識にすぎません。その証拠に、ケリー国務長官は被爆地訪問の後、非常に強い衝撃を受けたこととともに、「驚いた」ということも述べていました。
つまり、頭で知っている核兵器の恐ろしさと核爆発の実相とはかけ離れており、どんな人でも被爆地へ行ってみないと本当のことは分からないということです。核爆発の実相は、あらゆる核問題の出発点です。これをオバマ大統領に体験してもらうことが最大の意義だと思います。
2016.05.10
素晴らしい発表だ。米国の大統領が原爆の実相を被爆地で実感することの重要性は言葉で言い尽くせない。オバマ大統領の決断を心から称賛する。
オバマ大統領の広島訪問
日本政府は5月10日夜、「5月27日、バラク・オバマ米大統領(The Honorable Barack H. Obama, President of the United States of America)は、G7伊勢志摩サミット終了後、広島を訪問することとなりました。安倍晋三内閣総理大臣は、オバマ大統領と共に、広島を訪問する予定です。」と発表した。素晴らしい発表だ。米国の大統領が原爆の実相を被爆地で実感することの重要性は言葉で言い尽くせない。オバマ大統領の決断を心から称賛する。
2016.05.10
新設のポストである「党委員長」についたのは、祖父の金日成主席、父の金正日総書記と並ぶ指導者としてふさわしい肩書があったほうがよいという考えからだろう。もっとも、金正恩が「第1書記」から「党委員長」になっても直ちに実態が変わるのではない。
一部ではすでに「党委員長」を肩書として使用し始めているようだが、本稿では従来通り「第1書記」と表示する。
指導者としての地位の承認だけでない。金正恩第1書記は大会で過去4年半行ってきたことを報告し、承認された。具体的なことはいちいち示されないが、金正日総書記の逝去後、金正恩第1書記が新しい指導体制作りの過程で、義理の叔父にあたる張成沢を処刑するなどきわめて衝撃的なことを行ったことなども当然承認されたことになるのだろう。
政策面では、金正恩政権の看板である経済改革と核開発の両方を進める「並進路線」が承認された。
核実験は過激になりすぎて国際社会と鋭く対立し、ほとんど孤立状態に陥っているが、これも承認されたことに含まれている。
経済改革を重視する路線が承認されたのはもちろんだ。
要するに金正恩第1書記の指導下で今後も「並進路線」が継続されることになったのだ。
今回の党大会では、金正恩第1書記の「軍ではなく党」を重視する考えが目立っていた。
そもそも36年ぶりに党大会を開催したこと自体が象徴的だ。また、金正日時代の重要政策であった「先軍」が強調されなかったのも党重視のためである。
金正恩第1書記は政権について以来軍の指導層について極端な人事を行ってきた。金正日総書記の葬列で霊柩車に付き添った5人の老軍人は、死亡した者を除き、すべて追放した。処刑した者もいると言われている。
軍のナンバー・ツー(ナンバー・ワンは金正恩)である総参謀長は、金正日時代に任命されていた李英浩を玄永哲に,次いで金格植に、さらに李永吉に代え、さらに今年に入ると李永吉も代えた(処刑した?)ので、金正恩は4年あまりの間に4回総参謀長を変えたことになる。
人民武力相(防衛相に相当する)については総参謀長よりさらに頻繁に代えた。
このようなことは、他の国ではありえないことであり、これを実行した金正恩第1書記のパワーは並々ならぬものだと思う。
ただし、金正恩第1書記は軍を過度に重視することはしないにしても、軍の役割を縮小しようとしているとみなすのは早計にすぎる。これまでの変革はいずれも軍の指導層において起こったことであり、また、「軍よりも党」も指導層の問題だろうからである。そもそも核開発の継続にこだわるのは北朝鮮の軍事的環境を厳しく見ているからである。
今回の党大会で決定された新しい指導部も注目された。金正恩第1書記以下、最高人民会議常任委員長の金永南、朝鮮人民軍総政治局長の黄炳誓、首相の朴奉珠、党書記の崔竜海の5人が政治局常務委員になったことだ。
崔竜海は建国初期の人民武力相の子であり、金正日の葬儀時の序列は第18位であったが、その後金正恩の下でナンバー2にまで引き上げられた。しかし、その後下されては、また引き上げられた。それも1回でなく、同人の地位はエレベーターのように浮沈を繰り返した。『多維新聞』(米国に本拠地がある中国語新聞)などは同人がかつて3回地方での労働に追いやられたことがあると解説している。
これだけの変遷を経ながらも崔竜海が今回北朝鮮のトップ5に入れたのは金正恩に対し絶対的に忠実だからだ。
一方、黄炳誓は、崔竜海に代わって軍総政治局長に昇進した人物であり。党の組織部(人事を担当する)出身だ。当然金正恩の信頼が厚いのだろう。
黄炳誓も崔竜海も軍服を着用していることが多いが、職業軍人でなく党官僚らしい。政治局常務委員に軍人はだれも入れなかったのにこれら2人を入れたのも党重視の表れと言える。
以上、今回の党大会の意義に絞って記述してきたが、その成功、つまり、大会の目標を達成したことと、北朝鮮という国家がどう発展できるかは別問題だ。今回経済計画が発表されたようだが(報告の全文は未発表)、その実行も含め北朝鮮の行動次第である。
朝鮮労働党大会
朝鮮労働党第7回大会が5月6~9日、開催された。36年ぶりの党大会であり、様々な角度から観察されるのは当然だが、今回の党大会の最大の眼目は金正恩第1書記が北朝鮮の唯一・絶対の指導者であることを確立することにあり、その目的は達成したのだと思う。新設のポストである「党委員長」についたのは、祖父の金日成主席、父の金正日総書記と並ぶ指導者としてふさわしい肩書があったほうがよいという考えからだろう。もっとも、金正恩が「第1書記」から「党委員長」になっても直ちに実態が変わるのではない。
一部ではすでに「党委員長」を肩書として使用し始めているようだが、本稿では従来通り「第1書記」と表示する。
指導者としての地位の承認だけでない。金正恩第1書記は大会で過去4年半行ってきたことを報告し、承認された。具体的なことはいちいち示されないが、金正日総書記の逝去後、金正恩第1書記が新しい指導体制作りの過程で、義理の叔父にあたる張成沢を処刑するなどきわめて衝撃的なことを行ったことなども当然承認されたことになるのだろう。
政策面では、金正恩政権の看板である経済改革と核開発の両方を進める「並進路線」が承認された。
核実験は過激になりすぎて国際社会と鋭く対立し、ほとんど孤立状態に陥っているが、これも承認されたことに含まれている。
経済改革を重視する路線が承認されたのはもちろんだ。
要するに金正恩第1書記の指導下で今後も「並進路線」が継続されることになったのだ。
今回の党大会では、金正恩第1書記の「軍ではなく党」を重視する考えが目立っていた。
そもそも36年ぶりに党大会を開催したこと自体が象徴的だ。また、金正日時代の重要政策であった「先軍」が強調されなかったのも党重視のためである。
金正恩第1書記は政権について以来軍の指導層について極端な人事を行ってきた。金正日総書記の葬列で霊柩車に付き添った5人の老軍人は、死亡した者を除き、すべて追放した。処刑した者もいると言われている。
軍のナンバー・ツー(ナンバー・ワンは金正恩)である総参謀長は、金正日時代に任命されていた李英浩を玄永哲に,次いで金格植に、さらに李永吉に代え、さらに今年に入ると李永吉も代えた(処刑した?)ので、金正恩は4年あまりの間に4回総参謀長を変えたことになる。
人民武力相(防衛相に相当する)については総参謀長よりさらに頻繁に代えた。
このようなことは、他の国ではありえないことであり、これを実行した金正恩第1書記のパワーは並々ならぬものだと思う。
ただし、金正恩第1書記は軍を過度に重視することはしないにしても、軍の役割を縮小しようとしているとみなすのは早計にすぎる。これまでの変革はいずれも軍の指導層において起こったことであり、また、「軍よりも党」も指導層の問題だろうからである。そもそも核開発の継続にこだわるのは北朝鮮の軍事的環境を厳しく見ているからである。
今回の党大会で決定された新しい指導部も注目された。金正恩第1書記以下、最高人民会議常任委員長の金永南、朝鮮人民軍総政治局長の黄炳誓、首相の朴奉珠、党書記の崔竜海の5人が政治局常務委員になったことだ。
崔竜海は建国初期の人民武力相の子であり、金正日の葬儀時の序列は第18位であったが、その後金正恩の下でナンバー2にまで引き上げられた。しかし、その後下されては、また引き上げられた。それも1回でなく、同人の地位はエレベーターのように浮沈を繰り返した。『多維新聞』(米国に本拠地がある中国語新聞)などは同人がかつて3回地方での労働に追いやられたことがあると解説している。
これだけの変遷を経ながらも崔竜海が今回北朝鮮のトップ5に入れたのは金正恩に対し絶対的に忠実だからだ。
一方、黄炳誓は、崔竜海に代わって軍総政治局長に昇進した人物であり。党の組織部(人事を担当する)出身だ。当然金正恩の信頼が厚いのだろう。
黄炳誓も崔竜海も軍服を着用していることが多いが、職業軍人でなく党官僚らしい。政治局常務委員に軍人はだれも入れなかったのにこれら2人を入れたのも党重視の表れと言える。
以上、今回の党大会の意義に絞って記述してきたが、その成功、つまり、大会の目標を達成したことと、北朝鮮という国家がどう発展できるかは別問題だ。今回経済計画が発表されたようだが(報告の全文は未発表)、その実行も含め北朝鮮の行動次第である。
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