平和外交研究所

8月, 2014 - 平和外交研究所 - Page 6

2014.08.13

南北朝鮮・中国関係

韓国は8月11日、北朝鮮に対して南北高官級会談を板門店で行なうことを提案した。朴槿恵政権はこれまで北朝鮮との関係改善にあまり積極的な姿勢を見せず、中国との関係増進に熱心であった。一方、北朝鮮は2014年2月の南北高官級会談を提案するなど、むしろ韓国より積極的であった。
今回の提案はそのような状況のなかで韓国側から行なわれたものである。中国との関係は一段落したので、これからは北朝鮮との関係だ、というわけでもないと思うが、出来事を表面的になぞっていくとそのように見える面もある。
しかし、朴槿恵大統領はもっと以前から北朝鮮との関係を検討していたらしい。同大統領は2014年年頭の記者会見で「統一大チャンス論」を述べ、3月のドイツ訪問の際には、南北住民間の同質性回復、対北朝鮮民生インフラ構築協力、人道的問題の解決などを骨子とする「ドレスデン構想」を打ち上げた。北朝鮮との関係改善どころか、統一の実現に意欲的な姿勢を見せていたのである。
その後、4月16日に起こったセウォル号沈没事件は大きな打撃となり朴槿恵大統領にブレーキがかかったが、最近はそれも落ち着いてきた。8月初めの統一準備委員会の会議で、朴槿恵大統領は「韓国政府の目標は北の孤立ではない」と強調しており、今回の南北高官級会談開催の提案はその4日後に行なわれた。韓国大統領府(青瓦台)の関係者は今回の会談の提案を、ドレスデン構想を具体化するため の最初の一歩と言っている(『中央日報』8月12日)。
しかし、南北高官級会談はこれまで何回も開かれては中断することを繰り返しており、今回の提案から南北関係が進展すると見るにはまだ材料が少なすぎる。朴槿恵大統領は国内でさまざまな困難を抱えており、そのためにも北朝鮮との関係改善が必要というきわめて政治的な事情もある。

一方、北朝鮮は韓国に対し積極的に臨む姿勢を変えておらず、仁川のアジア大会に参加する予定である。しかし、習近平主席の韓国訪問は不愉快であっただろう。また、これはいつものことであるが米韓の軍事演習を批判している。北朝鮮は6月から7月にかけてミサイルを相次いで発射し、強いのだという姿勢を見せつけようとした。これに対し国連では北朝鮮を非難する声が上がった。当然であるが、北朝鮮は強く不満であり、金正恩第1書記は激怒したと言われている(中国の各紙)。7月24日付の『労働新聞』は、「国際の正義に責任を持つ一部の国は自国の利益のため、米国の強権政治に対して沈黙している」と、名指しではないが、明らかに中国と分かる形で激しく批判した。
同月11日は中朝同盟条約締結53周年記念日であったが、北朝鮮も中国も記念活動を行なわなかった。27日は朝鮮戦争休戦61周年記念日であったが、記念式典で金正恩は中国にまったく触れなかった。8月1日は中国人民解放軍建軍記念日であり、韓国を含め各国の大使館付武官は出席したが、在中国北朝鮮大使館付武官は誰も参加しなかった(『大公報』8月4日)。
朝鮮戦争で北朝鮮は中国軍(形式的には「義勇軍」)が参戦したので助かった。中国軍の死者は40万人とも言われている。100万人と言う説もある。中朝の関係は「血で固めた友誼」と言われていた。この歴史的事実を振り返るまでもなく、現在起こっている中朝、なかでも北朝鮮の突っ張りはありえないことである。
夏に集中している中朝の軍事関係諸行事はほぼ終了したので、表面的には平静に戻るであろうが、中朝の関係が今後どのように展開していくか、目が離せない。

2014.08.12

対人地雷禁止条約への米国の参加意図表明

対人地雷禁止条約(オタワ条約)に米国が参加するか、1997年に同条約が成立して以来の懸案であった。2009年、オバマ政権の下で米国は、同条約の会議にオブザーバーとして初めて出席し、参加の是非を検討すると表明したので、米国の加盟への期待が盛り上がった。しかし、米国の検討作業はなかなか進展せず、同条約の会議の内外で繰り返し結論を急ぐよう、各国やNGOから迫られていた。
今年6月、第3回の再検討会議がマプト(モザンビークの首都)で開催された。数年に1回の重要な検討会議であったが、会議が始まる前は、米国はやはり結論を出せないだろうと見る人が多かったらしい。
しかし、米国の代表は同月27日、米国はオタワ条約に参加する予定であること、また、米国は対人地雷を生産しないことを発表し、大歓迎を受けた。米国はすでに大量の対人地雷を生産・保有しているが、条約加盟が発効するとすべてのストックを廃棄する義務が生じ、その履行のために計画が作られ、同条約の会議で監視を受けることになる。

2014.08.10

鄧小平生誕110周年と左右の争い

凌志军の著書『变化1990——2002年中国实录』を『多維新聞』(8月8日付)がその歴史欄で取り上げ、冒頭次のように書いている。今年の8月22日は鄧小平の生誕110周年に当たるので特に書いたのであろうが、現在の習近平政権をめぐる状況を知るのに役立つ。なお、この書物は2003年に出版されたものであり、多維新聞の記事はその価値を示す結果にもなっている。

「改革開放から今日に至るまで、中国での左右の争いは水と火のように繰り返されてきた。1992年、鄧小平は南巡講話で左派に猛烈な一撃を加え、改革に公然と反対する左派はつぶれガタガタになった。しかし、左翼的思想は中共内部で牢固な勢力を維持し、右の改革派は今でも党内の主流になれていない。凌志军のこの著書は鄧小平が逝去する前後、左派が巻き返し、改革に反対し、2千万の人を反体制者に仕立て上げようとしたことを指摘している。江沢民は中央党校での「五二九」講話(1997年)で左派に反撃し、改革の道の上にある障害を取り払うべきだと指摘した。」

「五二九」講話は全部で約2万字であったが、新華社が発表したのはその4分の1程度であり、報道されたものよりもっと明確に左派批判を行なっていた(紅潮網2012年8月27日)そうである。全文が発表されなかったのは左派の抵抗があったからであることが示唆されているように思われる。さらに、江沢民の処遇についても隠された意味があるのか気になるところである。

なお、拙文「習近平政権の基本方針」『習近平政権の言論統制』(蒼蒼社2014年)は、改革開放の開始から南巡講話までの左右の争いの中で鄧小平が果たした役割を論じており、凌志军の記述につながる形になっている。手前味噌であるがご参考まで。

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