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2014.12.08

周永康の処分

前政治局常務委員の周永康に対する処分が12月5日の政治局会議で決定され、周永康は党籍を剥奪された。その子分格である国務院国有資産監督管理委員会の蒋潔敏主任(閣僚級)と前中央軍事委員会副主席の徐才厚がやはり党籍剥奪の処分を受けたのは今年の6月30日であったが、その時周永康の処分は発表されず、また10月の四中全会(共産党中央委員会第4回全体会議)でも発表がなかったので、その処分に政治的な圧力がかかっているのではないかと噂されていた経緯がある。
中国政府は今次決定の前日である12月4日を憲法の日と定めていた。これにタイミングを合わせて処分を決定、発表したのは、現政権が「法治」を重視していることをアピールするのに利用したためであるという見方がある。ただし、「法治」はさる10月の四中全会の中心議題であったので、それをアピールするためであればその時に発表したほうがよかったとも思われるが、その時点では発表の用意ができていなかったのかもしれない。タイミングの点についてはどうも状況がはっきりしない。
それより深刻な問題は、周永康らが厳しく処分されたのは、彼らが問題を起こしたこともさることながら権力闘争の結果であることだ。よく指摘されているのは、周永康が、第18回党大会の開催が間近な時点で失脚した前重慶市長の薄熙来と関係が深かったことであるが、さらに周永康は江沢民の庇護下にあり、同人に対する摘発、処分に江沢民がブレーキをかけていたとも言われていた。そうかもしれない。現時点で客観的に言えることは限られているが、いずれ関連の事実が公になるものと思われる。
周永康に対する処分決定により、反腐敗運動に力を入れてきた習近平政権としてさらに大きな成果を上げたことになる。しかし、「法治」については、中共は四中全会の目玉であるかの如く扱ったが、本当にそれが貫徹されると思うチャイナ・ウォッチャーはまずいないだろう。習近平政権が「憲法の日」を制定して憲法を重視していることをアピールしようとしたとしてもその面で成果があったとは思えない。中国は、司法も含め今後も中国共産党の指導下にある。昨年の春、「七不講」として政府が公式に指示したタブーの一つが、司法の独立について論じることであった。司法についても共産党の指導が優位であることは何も変わっていないのである。


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