オピニオン
2023.11.23
アンワル・マレイシア首相とは海上保安機関間の共同訓練の実施、日本によるOSAの実施に向けた調整を加速化させることを確認しあった。
11月15日には米サンフランシスコでAPEC首脳会議の傍ら、タイの新任のセター首相と会談し、「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を維持・強化するため協力していきたい」と話し合った。間接的ではあるが、安全保障面での協力も含まれている。
12月には東京で日本とASEANの特別首脳会議が開かれる。それに先立って11月15日、日本とASEANの防衛相会合がインドネシアで開かれた。
東南アジア以外の諸国とも安全保障協力が進んでいる。韓国では尹錫悦大統領が2022年5月に就任し、日本との関係を改善する意欲を示し、尹大統領は2023年3月来日し、岸田首相と会談した。日韓両国の関係は戦後最悪の状態になったといわれていたが、正常な軌道に戻り始めた。
日韓の関係は安全保障面でも顕著に改善した。文在寅前大統領時代は日本の自衛隊と韓国軍の関係も悪化し、日本の護衛艦が自衛艦旗の「旭日旗」を掲げて韓国の港に入港することが妨げられ、また、両国間の防衛協力にとって欠かせない軍事情報保全協定(GSOMIA)が運用されない状態に置かれていたが、いずれも正常化された。
航空面でも協力が進んでいる。さる10月、日韓は米国とともに日韓両国の防空識別圏(ADIZ)が重なる空域で初の合同空中訓練を行った。
安全保障面で日韓の関係が改善したことには米国が強く促した結果であった。日韓両国はともに米国と同盟関係にあるが、日韓の関係が疎遠な状態では米国の東アジアにおける安全保障戦略が円滑に機能しなかった。
豪州は日米印の3か国とともに4か国戦略対話(Quadクアッド)を形成する重要な一角を占めている。クアッドはワクチン、インフラ、気候変動、重要・新興技術などの幅広い分野の協力であり、直接安全保障にかかわる仕組みでないが、日本は豪州を米国に次ぐ「準同盟国」と位置づけている。日本の防衛省は航空自衛隊の戦闘機をオーストラリア空軍基地に一定期間派遣する「ローテーション展開」の検討に入っており、早ければ来年度にも段階的に始める方針だ。ただし法的根拠が乏しく、事実上の海外配備との指摘もある。
豪州は南シナ海に面してはいないが、近接しており、その安全を確保するうえで米国および東南アジア諸国とともに重要な役割を担える立場にある。
インドや欧州諸国はロシアや中国とも関係が深いが、日本との協力関係は着実に進んでいる。英国、ドイツ、フランス、イタリアは艦船や航空機を日本に派遣し、自衛隊との共同訓練を行っている。
以上のようにアジア太平洋の安全保障はさまざまな形で進展し、すでに複雑な状況になっている。わが外務省は「我が国は、日米同盟の強化に加え、二国間及び多国間の安全保障協力を重層的に組み合わせることで、地域における安全保障環境を日本にとって望ましいものとしていく取組を進めている」と説明している。
本稿では細かいところまで立ち入った議論はできないが、このようにアジア太平洋の安全保障協力が進展してきたのはこの地域で問題が多くなっているからである。中国が歴史的根拠なく、また国際仲裁裁判の判決を無視して南シナ海のほぼ全域を自国領とし、その主張に基づく地図を作製・配布し、他国の行動に制約を加えようとしているのは最たる例である。
一方、日本として考えておくべきことがある。日本は2015年に一連の安保法制を行い、集団的自衛権の行使を認めるという憲法上極めて疑わしいことまで敢行した。その問題は解消されていない。各国と協力してアジア太平洋の安全保障体制を強化するのは当然であるが、協力が拡大すれば集団的自衛権の行使が広がる危険がある。
日本は安保法制により、「他国に対する武力攻撃」であっても「我が国と密接な関係にある国」であり、この攻撃により「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるものを排除するため」であれば自衛隊は武力を行使できると定めた(武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律)。こうして憲法解釈を拡大し、集団的自衛権を行使できる場合を定めたのである。
アジア太平洋の安全が脅かされる事態が増大している今日、各国と協力することは必要であるが、自衛隊の海外における武力行使についてこの要件で認める、あるいは縛りをかけることは適切かという問題である。
最後に念のために付言しておくが、憲法の改正をよくないことと頭から否定すべきでないと思う。憲法は必要に応じて改正すべきである。日本の現状に照らせば、極端に聞こえるかもしれないが、集団的自衛権行使の可否も、改めて、真正面から検討すべきである。国会では憲法改正の理由として自衛隊を国防軍と正式に認めるべきだからと議論されることがあるが、それはしょせん自衛隊の名称の問題でないか。憲法で定めるべきはもっと根本的な、各国との安全保障面での協力のありかたである。
日本と諸外国(米国以外)の安全保障協力
日本は最近各国と安全保障面での協力を強化している。岸田首相はフィリピンおよびマレーシアを歴訪し、マルコス・フィリピン大統領とは、自衛隊とフィリピン軍が共同訓練をする際の入国手続きなどを簡略化する「円滑化協定」の締結に向け、正式交渉入りで合意。日本が「同志国」の軍隊に防衛装備品などを無償で提供するため2023年度に創設した「政府安全保障能力強化支援(OSA)」でも、フィリピンに6億円分を初適用することで合意した。アンワル・マレイシア首相とは海上保安機関間の共同訓練の実施、日本によるOSAの実施に向けた調整を加速化させることを確認しあった。
11月15日には米サンフランシスコでAPEC首脳会議の傍ら、タイの新任のセター首相と会談し、「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を維持・強化するため協力していきたい」と話し合った。間接的ではあるが、安全保障面での協力も含まれている。
12月には東京で日本とASEANの特別首脳会議が開かれる。それに先立って11月15日、日本とASEANの防衛相会合がインドネシアで開かれた。
東南アジア以外の諸国とも安全保障協力が進んでいる。韓国では尹錫悦大統領が2022年5月に就任し、日本との関係を改善する意欲を示し、尹大統領は2023年3月来日し、岸田首相と会談した。日韓両国の関係は戦後最悪の状態になったといわれていたが、正常な軌道に戻り始めた。
日韓の関係は安全保障面でも顕著に改善した。文在寅前大統領時代は日本の自衛隊と韓国軍の関係も悪化し、日本の護衛艦が自衛艦旗の「旭日旗」を掲げて韓国の港に入港することが妨げられ、また、両国間の防衛協力にとって欠かせない軍事情報保全協定(GSOMIA)が運用されない状態に置かれていたが、いずれも正常化された。
航空面でも協力が進んでいる。さる10月、日韓は米国とともに日韓両国の防空識別圏(ADIZ)が重なる空域で初の合同空中訓練を行った。
安全保障面で日韓の関係が改善したことには米国が強く促した結果であった。日韓両国はともに米国と同盟関係にあるが、日韓の関係が疎遠な状態では米国の東アジアにおける安全保障戦略が円滑に機能しなかった。
豪州は日米印の3か国とともに4か国戦略対話(Quadクアッド)を形成する重要な一角を占めている。クアッドはワクチン、インフラ、気候変動、重要・新興技術などの幅広い分野の協力であり、直接安全保障にかかわる仕組みでないが、日本は豪州を米国に次ぐ「準同盟国」と位置づけている。日本の防衛省は航空自衛隊の戦闘機をオーストラリア空軍基地に一定期間派遣する「ローテーション展開」の検討に入っており、早ければ来年度にも段階的に始める方針だ。ただし法的根拠が乏しく、事実上の海外配備との指摘もある。
豪州は南シナ海に面してはいないが、近接しており、その安全を確保するうえで米国および東南アジア諸国とともに重要な役割を担える立場にある。
インドや欧州諸国はロシアや中国とも関係が深いが、日本との協力関係は着実に進んでいる。英国、ドイツ、フランス、イタリアは艦船や航空機を日本に派遣し、自衛隊との共同訓練を行っている。
以上のようにアジア太平洋の安全保障はさまざまな形で進展し、すでに複雑な状況になっている。わが外務省は「我が国は、日米同盟の強化に加え、二国間及び多国間の安全保障協力を重層的に組み合わせることで、地域における安全保障環境を日本にとって望ましいものとしていく取組を進めている」と説明している。
本稿では細かいところまで立ち入った議論はできないが、このようにアジア太平洋の安全保障協力が進展してきたのはこの地域で問題が多くなっているからである。中国が歴史的根拠なく、また国際仲裁裁判の判決を無視して南シナ海のほぼ全域を自国領とし、その主張に基づく地図を作製・配布し、他国の行動に制約を加えようとしているのは最たる例である。
一方、日本として考えておくべきことがある。日本は2015年に一連の安保法制を行い、集団的自衛権の行使を認めるという憲法上極めて疑わしいことまで敢行した。その問題は解消されていない。各国と協力してアジア太平洋の安全保障体制を強化するのは当然であるが、協力が拡大すれば集団的自衛権の行使が広がる危険がある。
日本は安保法制により、「他国に対する武力攻撃」であっても「我が国と密接な関係にある国」であり、この攻撃により「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるものを排除するため」であれば自衛隊は武力を行使できると定めた(武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律)。こうして憲法解釈を拡大し、集団的自衛権を行使できる場合を定めたのである。
アジア太平洋の安全が脅かされる事態が増大している今日、各国と協力することは必要であるが、自衛隊の海外における武力行使についてこの要件で認める、あるいは縛りをかけることは適切かという問題である。
最後に念のために付言しておくが、憲法の改正をよくないことと頭から否定すべきでないと思う。憲法は必要に応じて改正すべきである。日本の現状に照らせば、極端に聞こえるかもしれないが、集団的自衛権行使の可否も、改めて、真正面から検討すべきである。国会では憲法改正の理由として自衛隊を国防軍と正式に認めるべきだからと議論されることがあるが、それはしょせん自衛隊の名称の問題でないか。憲法で定めるべきはもっと根本的な、各国との安全保障面での協力のありかたである。
2023.11.11
橋本龍太郎首相の下で米軍普天間基地を移設する検討が始まったのが1996年。翌97年に名護市辺野古付近に移設する方針が固まったが、沖縄県民の多くは辺野古新基地の建設に一貫して反対している。沖縄県民の是非を問う投票が2019年2月24日に行われ、その結果、「反対」が72・15%と圧倒的多数が反対していることが示された。それ以来数年が経過するが、沖縄県民の反対は変わらない。
普天間基地は在日米軍のなかで重要な役割を担っている。日本としては新基地の建設を急がなければならない。県民が強く反対している沖縄県と国は対立しつつも、法的手続きに従い建設は始められた。
その後、埋め立て予定海域に軟弱地盤があることが判明し、地盤を強化する改良工事が必要になった。工事の方法は元の計画から変更しなければならないが、それには沖縄県知事の許可が必要である。防衛省は2020年4月、変更を県に申請したが、沖縄県は工事の変更を承認しないので国は県に対して裁判を起こした。2023年9月4日、最高裁判所は「県に許可を求める国の指示は適法だ」と判断し、沖縄県の敗訴が確定した。
この判決を受けて軟弱地盤に対応する工事が再開されることになるが、国も県もあらためて検討すべき問題が出てきている。
元来、普天間基地は早ければ2022年度に返還とされており、検討が始まってからすでに20数年が経過している。軟弱地盤に対応するため、防衛局によればさらに12年待たなければならないのだが、あまりに長すぎる。当初の計画と比べれば絶望的だという声も上がっているくらいである。検討が始まったときに生まれた子は今や30歳を優に超えている。住所も変わっているかもしれない。ともかく、住民の安全を確保するため暫定措置が必要である。
米軍がどのように考えるかは重要な問題であるが、暫定措置に反対するとは思えない。米軍にとって周辺の住民の安全が確保されることは願ってもないことだろう。
在沖縄米軍幹部はさる11月7日、辺野古に建設する代替施設の課題を挙げ、「純粋に軍事的な観点からはここ(普天間)にいたほうがいい」と述べた。
普天間の滑走路は約2700メートルだが、辺野古で建設が進む代替施設の2本の滑走路はいずれも約1800メートル。幹部は「より短い滑走路は、この地域で運用する米軍の能力に大きな影響を与える」と述べ、「おそらく嘉手納基地で補完するのではないか」とも語った。要するに、米軍としては辺野古への移転が実現しなくても任務の遂行に支障はないどころか、普天間の方がベターだという考えである。
また、日米両政府の合意では、長い滑走路が必要な場合、民間施設の使用が普天間返還の条件の一つとされたが、民間空港については何も決まっていないという。要するに、辺野古へ移転しても長い滑走路が必要な場合、日本側は民間空港の使用を米軍に認めなければならないが、そちらについては何も決まってないのである。
さらに、普天間は西海岸に近い高台にあるため「レーダーやセンサーを使うのに好都合である」という。一方、東海岸に面する辺野古は「大きな山に覆い隠されて、西や北の方向が見えにくい」と指摘されている。
この幹部はさらに、軟弱地盤の、米軍の運用への影響を問われ、「もし(問題を)軽減できなければ、影響があるかもしれない」と話したという。辺野古には致命的な欠陥が残るかもしれないとみていることを示唆する発言ではないか。
一方、この幹部は、日米間のDPRI(防衛政策見直し協議)の専門家の見解として、辺野古の代替施設の完成時期は2037年以降になるとの見通しを示した。滑走路だけでなく、格納庫などの建物の建設も考慮した見方だという。
このような状況を勘案すると、辺野古の新基地が完成するまで暫定措置を実施することは不可欠である。そのようなことに政府・防衛省・外務省などは同意しがたいかもしれない。それはよくわかる。辺野古移転は日米両国間の合意であり、簡単に変更できるものでない。
また、かりに暫定措置を講じるとすれば追加費用の問題も出てくる。しかし、移設工事費用は、軟弱地盤への対応のため3500億円程度から9300億円に膨れ上がることになるが、それは国として呑み込むのであろう。そのことを思えば、住民の安全確保のための暫定措置に伴う追加費用は安いものではないか。
普天間住民の移転も暫定措置の一つである。普天間飛行場の周辺には約1万2000世帯が居住している(2019年時点)。その移転を無理じいすることはできないが、移転を希望する住民に国として支援することは十分考えられる。ただし、住民移転案は以前にも出たことがあるが、あまり広がっていない。辺野古案と住民移転案の費用比較、沖縄への政府からの補助への影響、運動を推進している政党の考えなどさまざまな事情が絡んでいるのだろうが、細かい損得勘定はともかくとして、飛行場移設より住民移転のほうが負担は少ない。政治的立場の違いを超えて合意を形成できる案だと考える。
以上のような状況を考慮すれば、辺野古への移転を考え直すのが望ましいが、それができない場合でも暫定措置は不可欠だと考える。
辺野古の基地建設まで暫定措置が必要
2019年2月25日、本研究所は普天間飛行場の辺野古移設問題について新飛行場建設のための埋め立てを強行することは考え直すべきだとの論旨を発表した。その理由として挙げた5点は基本的には現在も変わらないが、その後に重要な情勢変化もあったので、あらためて考えをまとめてみた。橋本龍太郎首相の下で米軍普天間基地を移設する検討が始まったのが1996年。翌97年に名護市辺野古付近に移設する方針が固まったが、沖縄県民の多くは辺野古新基地の建設に一貫して反対している。沖縄県民の是非を問う投票が2019年2月24日に行われ、その結果、「反対」が72・15%と圧倒的多数が反対していることが示された。それ以来数年が経過するが、沖縄県民の反対は変わらない。
普天間基地は在日米軍のなかで重要な役割を担っている。日本としては新基地の建設を急がなければならない。県民が強く反対している沖縄県と国は対立しつつも、法的手続きに従い建設は始められた。
その後、埋め立て予定海域に軟弱地盤があることが判明し、地盤を強化する改良工事が必要になった。工事の方法は元の計画から変更しなければならないが、それには沖縄県知事の許可が必要である。防衛省は2020年4月、変更を県に申請したが、沖縄県は工事の変更を承認しないので国は県に対して裁判を起こした。2023年9月4日、最高裁判所は「県に許可を求める国の指示は適法だ」と判断し、沖縄県の敗訴が確定した。
この判決を受けて軟弱地盤に対応する工事が再開されることになるが、国も県もあらためて検討すべき問題が出てきている。
元来、普天間基地は早ければ2022年度に返還とされており、検討が始まってからすでに20数年が経過している。軟弱地盤に対応するため、防衛局によればさらに12年待たなければならないのだが、あまりに長すぎる。当初の計画と比べれば絶望的だという声も上がっているくらいである。検討が始まったときに生まれた子は今や30歳を優に超えている。住所も変わっているかもしれない。ともかく、住民の安全を確保するため暫定措置が必要である。
米軍がどのように考えるかは重要な問題であるが、暫定措置に反対するとは思えない。米軍にとって周辺の住民の安全が確保されることは願ってもないことだろう。
在沖縄米軍幹部はさる11月7日、辺野古に建設する代替施設の課題を挙げ、「純粋に軍事的な観点からはここ(普天間)にいたほうがいい」と述べた。
普天間の滑走路は約2700メートルだが、辺野古で建設が進む代替施設の2本の滑走路はいずれも約1800メートル。幹部は「より短い滑走路は、この地域で運用する米軍の能力に大きな影響を与える」と述べ、「おそらく嘉手納基地で補完するのではないか」とも語った。要するに、米軍としては辺野古への移転が実現しなくても任務の遂行に支障はないどころか、普天間の方がベターだという考えである。
また、日米両政府の合意では、長い滑走路が必要な場合、民間施設の使用が普天間返還の条件の一つとされたが、民間空港については何も決まっていないという。要するに、辺野古へ移転しても長い滑走路が必要な場合、日本側は民間空港の使用を米軍に認めなければならないが、そちらについては何も決まってないのである。
さらに、普天間は西海岸に近い高台にあるため「レーダーやセンサーを使うのに好都合である」という。一方、東海岸に面する辺野古は「大きな山に覆い隠されて、西や北の方向が見えにくい」と指摘されている。
この幹部はさらに、軟弱地盤の、米軍の運用への影響を問われ、「もし(問題を)軽減できなければ、影響があるかもしれない」と話したという。辺野古には致命的な欠陥が残るかもしれないとみていることを示唆する発言ではないか。
一方、この幹部は、日米間のDPRI(防衛政策見直し協議)の専門家の見解として、辺野古の代替施設の完成時期は2037年以降になるとの見通しを示した。滑走路だけでなく、格納庫などの建物の建設も考慮した見方だという。
このような状況を勘案すると、辺野古の新基地が完成するまで暫定措置を実施することは不可欠である。そのようなことに政府・防衛省・外務省などは同意しがたいかもしれない。それはよくわかる。辺野古移転は日米両国間の合意であり、簡単に変更できるものでない。
また、かりに暫定措置を講じるとすれば追加費用の問題も出てくる。しかし、移設工事費用は、軟弱地盤への対応のため3500億円程度から9300億円に膨れ上がることになるが、それは国として呑み込むのであろう。そのことを思えば、住民の安全確保のための暫定措置に伴う追加費用は安いものではないか。
普天間住民の移転も暫定措置の一つである。普天間飛行場の周辺には約1万2000世帯が居住している(2019年時点)。その移転を無理じいすることはできないが、移転を希望する住民に国として支援することは十分考えられる。ただし、住民移転案は以前にも出たことがあるが、あまり広がっていない。辺野古案と住民移転案の費用比較、沖縄への政府からの補助への影響、運動を推進している政党の考えなどさまざまな事情が絡んでいるのだろうが、細かい損得勘定はともかくとして、飛行場移設より住民移転のほうが負担は少ない。政治的立場の違いを超えて合意を形成できる案だと考える。
以上のような状況を考慮すれば、辺野古への移転を考え直すのが望ましいが、それができない場合でも暫定措置は不可欠だと考える。
2023.06.23
これら新駐屯地開設の目的は増大する中国の軍事力に対応するためである。尖閣諸島は先島諸島の一部といってよいほどの地理的関係にあり、その防衛のためにはこれら駐屯地が有効であるという見方はありうる。
しかし、中国が尖閣諸島に対して侵攻してくる場合、尖閣諸島だけを標的にすることはありえず、日本全体に対して敵対行為をとるのではないか。そう考えれば、尖閣諸島を防衛するだけでは済まなくなるのではないか。
「台湾有事」の場合も日本へ危険が及んでくるのであれば、これら駐屯地で対応できる問題でないことは明らかである。
このように考えれば、与那国、宮古、奄美、石垣への駐屯地開設は適切か疑問であるといわざるを得ない。住民が不安がるのはもっともであり、それを押し切って駐屯地で対応することを断行するのは、かつて沖縄を日本防衛の拠点にしようとした場合と共通する問題があるのではないか。
本日(6月23日)は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日であり、本研究所では毎年以下の一文(1995年6月23日、読売新聞に寄稿したもの)をHPに掲載している。
「沖縄で戦った人たちを評価すべきだ
1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで、。
「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
沖縄慰霊の日
我が国における安全保障体制の強化にともない、先島諸島で避難体制の検討が進められている。陸上自衛隊の駐屯地が与那国島(2016年)、宮古島(19年)、奄美大島(19年)、石垣島(23年3月)に相次いで開設されたからであり、住民の中には不安を覚える人が少なくないという。これら新駐屯地開設の目的は増大する中国の軍事力に対応するためである。尖閣諸島は先島諸島の一部といってよいほどの地理的関係にあり、その防衛のためにはこれら駐屯地が有効であるという見方はありうる。
しかし、中国が尖閣諸島に対して侵攻してくる場合、尖閣諸島だけを標的にすることはありえず、日本全体に対して敵対行為をとるのではないか。そう考えれば、尖閣諸島を防衛するだけでは済まなくなるのではないか。
「台湾有事」の場合も日本へ危険が及んでくるのであれば、これら駐屯地で対応できる問題でないことは明らかである。
このように考えれば、与那国、宮古、奄美、石垣への駐屯地開設は適切か疑問であるといわざるを得ない。住民が不安がるのはもっともであり、それを押し切って駐屯地で対応することを断行するのは、かつて沖縄を日本防衛の拠点にしようとした場合と共通する問題があるのではないか。
本日(6月23日)は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日であり、本研究所では毎年以下の一文(1995年6月23日、読売新聞に寄稿したもの)をHPに掲載している。
「沖縄で戦った人たちを評価すべきだ
1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで、。
「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
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