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2023.06.23

沖縄慰霊の日

 我が国における安全保障体制の強化にともない、先島諸島で避難体制の検討が進められている。陸上自衛隊の駐屯地が与那国島(2016年)、宮古島(19年)、奄美大島(19年)、石垣島(23年3月)に相次いで開設されたからであり、住民の中には不安を覚える人が少なくないという。

 これら新駐屯地開設の目的は増大する中国の軍事力に対応するためである。尖閣諸島は先島諸島の一部といってよいほどの地理的関係にあり、その防衛のためにはこれら駐屯地が有効であるという見方はありうる。

 しかし、中国が尖閣諸島に対して侵攻してくる場合、尖閣諸島だけを標的にすることはありえず、日本全体に対して敵対行為をとるのではないか。そう考えれば、尖閣諸島を防衛するだけでは済まなくなるのではないか。

 「台湾有事」の場合も日本へ危険が及んでくるのであれば、これら駐屯地で対応できる問題でないことは明らかである。

 このように考えれば、与那国、宮古、奄美、石垣への駐屯地開設は適切か疑問であるといわざるを得ない。住民が不安がるのはもっともであり、それを押し切って駐屯地で対応することを断行するのは、かつて沖縄を日本防衛の拠点にしようとした場合と共通する問題があるのではないか。

 本日(6月23日)は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日であり、本研究所では毎年以下の一文(1995年6月23日、読売新聞に寄稿したもの)をHPに掲載している。

「沖縄で戦った人たちを評価すべきだ
 1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで、。

 「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。

 個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。

 歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
 では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
 個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。

 これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。

 他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
 さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。

 したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。

 もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
 顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。

 戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。

 もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。

 個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。

 個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
2023.05.23

G7広島サミットでの核軍縮の成果

 G7広島サミット(5月19~21日)では広範な分野にわたって首脳による議論が行われ、全体として成果があったといえるが、核軍縮については批判的な見方が少なくない。本稿では積極的に評価できることを含め、二、三指摘したい。

 「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」については、クリミア併合でG8からG7になってから初めての独立の核軍縮文書であるというが、それだけでは大したことにならない。

 核の抑止力については、「我々の安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、並びに戦争及び威圧を防止すべきとの理解に基づいている。」と、核がいつまでも残ることを示唆する文言がよかったか疑問が残る。これは多くの人が指摘していることである。

 今回のG7では、「核兵器のない世界」を実現する決意や道筋が示されなかったというのもその通りである。首脳コミュニケでも、また広島ビジョンでもうたわれた「(核兵器のない世界は)全ての者にとっての安全が損なわれない形で、現実的で、実践的な、責任あるアプローチを通じて達成される、核兵器のない世界という究極の目標に向けた我々のコミットメントを再確認する。」はNPT6条と同じ趣旨である。

 今回のG7の最大の、というか、もっとも印象的なことはG7首脳による平和記念資料館訪問にあった。

 広島と長崎への原爆投下は今でも日米間のみならず、世界にとっても深い傷跡となって残っている。このことについては様々な見方があるが、政治的観点からの観察・分析も必要である。

 米国大統領の資料館訪問については米国内に賛否両論があり、訪問すべきでないとする声は強い。オバマ元大統領は2016年5月、米国大統領として初めて広島を訪問し、資料館も訪れた。オバマ氏は強い反対意見を乗り越えて訪問を実現させたのであり、画期的、歴史的出来事であった。

 また、国際的にも原爆投下を利用しようとする動きがある。米国に批判的な国にとっては、広島・長崎は米国が非人道的な行為を行ったことの象徴としてとらえ、また機会を見つけてはそのことを宣伝に使った。オバマ氏が資料館を訪問したのは約10分間に限られていたのはこのような状況を反映していた。

 今次G7では、首脳は約40分を資料館訪問にあてた。これを短いとする意見もないではないが、これを国際政治の中で見れば長かった。

 時間ですべてを図ることはできないが、バイデン大統領は今次資料館訪問により、政治的困難を一歩乗り越えた。もちろん、核兵器のない世界の実現にはまだ程遠い。しかし、核廃絶について甲論乙駁が飛び交い、また核の抑止力を維持する必要性がうたわれる中で、現実の行動として一歩前進したことの意義は非常に大きい。

 平和記念資料館においてG7首脳が記帳した内容も注目される。岸田首相とバイデン大統領だけが「核兵器の廃絶」を最終目標としてではあったが、明言した。他の首脳は犠牲者に対する慰霊が主たるメッセージであった。

 岸田首相は「歴史に残るG7サミットの機会に議長として各国首脳と共に「核兵器のない世界」をめざすためにここに集う」と記帳した。

 バイデン氏は「この資料館で語られる物語が、平和な未来を築くことへの私たち全員の義務を思い出させてくれますように。世界から核兵器を最終的に、そして、永久になくせる日に向けて、共に進んでいきましょう。信念を貫きましょう!」と、世界は核の廃絶へ進まなければならないという信念をはっきりと記した。文言は抽象的であり、いわゆる道筋ではなく、バイデン氏の記帳を過大評価できないが、注目すべきことであった。

 今回のG7広島サミットでは、韓国の尹錫悦大統領が韓国人原爆犠牲者を慰霊したことも注目された。尹氏はこれまで日韓関係の改善のためにおおきな努力を払っており、尹氏の平和記念公園訪問はさらなる前進となろう。
2023.02.04

ミャンマーとロシアは日本外交を困難にする

 ミャンマーで実権を握る国軍は2月1日、憲法で定められている2年の期限が到来した非常事態宣言を半年間延長すると発表した。軍事政権がそれだけ継続するのだが、延長が半年で終わるか情勢は不透明である。

 軍政府は2年前のクーデタの際にも総選挙は2023年8月まで延期することを示唆していたので、今回の発表は必ずしも約束違反ではないが、国軍の弾圧は甚大な被害を生んでおり、2年間に2940人の市民が犠牲になったという(人権団体による)。内外のメディアも厳しく弾圧され、日本人では映像ジャーナリストの久保田徹氏が2022年7月から4か月間拘束された。

 各国は軍政府による非常事態宣言の延長を批判し、米政府は1月31日、国軍と関係のある6個人と3団体に制裁を科すと発表し、英国、カナダ、オーストラリアなども制裁を強化した。

 日本とミャンマーの関係は深い。日本から進出している企業はクーデタ前430社以上に上っていた。日本はミャンマーに対する最大の援助供与国である。日本としては、ミャンマーが国際的に孤立すれば、中国への接近を招くとの懸念もある。日本は独自の制裁には慎重な姿勢で臨んだ。だが、クーデタ後もミャンマー政府への経済支援を行えば、軍事政権を認めることになるのでODAの新規案件は進めないことにしたが、既存の援助案件は完了までに数年かかるものが多く、クーデタ後も軍政権(国軍系企業MECなど)に日本からの資金が流れた。そのためヒューマンライツウオッチ(HRW)など国際的に活動している団体からは厳しい目を向けられた。ミャンマーに関する国連特別報告者のトーマス・アンドリュース氏は今回の非常事態延長に伴い、日本に対し、国軍関係者らに対する経済制裁網への参加を提言。ODAなどの経済支援の見直しや、防衛省が国軍から受け入れている留学生の送還などを促した。

 非常事態の延長は日本の立場をいっそう困難にするだろう。これまで日本が欧米諸国とは異なり、対話を通して国軍に暴力行為をやめるよう働きかけてきたのは、説得によってミャンマーの民主化の実現を扶けるのが最善だという考えだったからである。しかし、今回の非常事態延長はそのような外交重視方針に冷水を浴びせかけた。

 非常事態を終わらせる総選挙が半年延期されたことは、冒頭で述べたように全くの驚きではないにしても、軍事政権が政権を明け渡す可能性が遠のき、下手をすると軍事政権が半年どころでなく長期にわたって続くことになる危険が増大したからである。

 今後の展開を左右する一つのカギは民主派勢力が樹立した「統一政府(NUG)」と国軍との関係がどうなるかである。国軍は相変わらず強権的だが、かなり手を焼いているのも事実であり、民間人への被害が及ぶのにもかまわず空爆を行ったり、一部地域では村を焼き払ったりするなどかなり強引に民主派勢力を鎮圧しようとしている。

 一方、民主派側も自分たちの力で政権を取るには程遠く、彼らが統治していると主張する地域は一部の農村部だけである。都市部は、基本的に軍が支配している。

 また、国民の3分の1近くを占める少数民族は必ずしも政府に従っておらず、武装闘争も継続している。そのため政府としても軍に依存することとなる。つまり、民主派勢力、国軍、少数民族のあいだの微妙なバランスは依然として続いている。

 国軍を支える外部勢力は中国とロシアである。中国はミャンマーと隣接している関係で以前から少数民族地域への影響力は大きい。そのために従来から国軍や政府とも一定の友好関係があり、クーデタ後もミャンマーの安定を望み、軍事政権とは距離を置き、国家の安定性について懸念を表明していた。王毅外相がクーデタ後初めてミャンマーを訪問したのは翌2022年の7月であった。

 ロシアは違っており、東南アジアにおいて中国のように広範囲に及ぶプレゼンスはなく、国軍が発言権を持つミャンマーとの関係だけが突出している。特に武器輸出は中国の次である。NLD(国民民主連盟、アウンサンスーチーが党首)政権下の18年にはスホイ30戦闘機の供給契約を結んだ。クーデタ直前の2021年1月にはショイグ国防相がミャンマーを訪問し、地対空防衛システムや偵察用無人機などの契約を結んだ。そしてクーデタ以降、ロシアは中立的立場をとった中国と異なり、ミャンマーとの軍事関係を一層強化した。3月、ミャンマーであった「国軍記念日」の行事に日本や欧米諸国が出席を見送るなかロシアから国防次官が出席した。6月にはミンアウンフライン最高司令官がモスクワで開かれた「国際安全保障モスクワ会議」に出席し、パトルシェフ国家安全保障会議書記、ショイグ国防相と会談した。ロシア側の厚遇が目立ったという。
 翌22年7月、ロシア軍によるウクライナ侵攻の5か月後であったが、ミンアウンフライン司令官が再度ロシアを訪問した。モスクワで会った人物にはロシア国営宇宙開発企業ロスコスモスのロゴジン社長が含まれていた。両者は何を話し合ったのか。ミャンマーは宇宙分野にも関心があるのだろうか。ロシア国防省は12日声明において「戦略的なパートナーシップの精神に基づき、軍事面や技術協力を深めていくことを再確認した」と発表した。
 
 ロシアは武器取引を通じてミャンマーとの関係を緊密化し、軍事政権の数少ない支持国になった。これはミャンマーにとって大きな意味があり、ロシアの友好国であることをアピールしてロシアに報いた。世界の嫌われ者同士が手を結んだというのは言い過ぎかもしれないが、ミャンマーの軍事政権はロシアが支えてくれるかぎり支配を継続できると考えている可能性がある。

 日本が対話を通して民主化の実現に寄与するという方針は、軍事政権としてもいつまでも強権的、暴力的に民主派勢力を抑圧することはできないだろうという見通しの上に立っている。しかし、ロシアのウクライナ侵攻がどのように展開するかにもよるが、この前提は崩れるかもしれない。そうなると対話を通して効果を生み出すことは困難になる。日本政府の意図でないが、軍事政権を甘やかしているという風当たりが国際的に強くなる危険もある。日本外交にとって容易ならざる事態となることが懸念される。

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