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2014.04.13

PKOと武力行使③

武器の使用に制限があることは国際的なルールとなっている。すなわち、第一次および第二次の世界大戦を経て、国際的な紛争は武力でなく平和的な方法で解決しなければならないという規範が確立され、国連憲章は武力による威嚇または武力の行使を原則禁止した(第2条4項)。また、日本国憲法第9条は、国際紛争を解決する手段としては、武力による威嚇または武力の行使を禁止した(第2項)。
この原則に対し一定の場合は武力の行使が認められている。すなわち、国連憲章では、国連が軍事行動をとる場合(第42条)と、国連加盟国が個別的または集団的に自衛権を行使する場合(第51条)に武力行使を認めている。しかし、武力行使の禁止原則と例外として認められる場合についてはさまざまな問題がある。
第一に、国連が憲章第42条にしたがって国連軍を行動させることについては、国家間の対立があるため現実には成立したことがないし、また、今後も成立する可能性は極めて低いと見られている。
第二に、国連加盟国が自衛権を行使する場合については、日本国は国連の加盟国として個別的自衛権も集団的自衛権も保持しているが、日本国憲法の定める厳格な平和主義にかんがみ、集団的自衛権は行使できないという解釈を政府(法制局)は取っている。
第三に、日本国憲法が禁止しているのは「国際紛争を解決する手段としては武力による威嚇または武力の行使」であり、それにあたらなければ武器の使用が可能なように読めるが、日本国憲法は厳格な平和主義の立場から、自衛権の発動である場合以外武力行使は認められないと解釈されている。「隊員の生命などを防護する場合(いわゆるA型)」は認められるが、「任務の遂行を実力で妨害する企てに対する抵抗の場合(B型)」は認められていない。
第四が、PKOという国連憲章が想定していなかった事態である。PKO部隊は第42条の国連軍でないことは確立されており、国連憲章第6章と第7章の中間的な場合なので、「6章半」の措置と呼ばれることもある。この活動は現在の国際情勢においてきわめて重要なことと考えられ、この円滑な運営なくしては世界の秩序は現在とまったく異なり、大混乱に陥る恐れがある。各国はこれに協力することを求められている。
第五に、いわゆる多国籍軍がある。これとPKO部隊との相違は、PKOは紛争が解決し和平の合意が成立したことを前提に派遣され、PKO部隊は最終的には国連事務総長の指揮下にあるが、多国籍軍の場合は和平が成立していないことが多い。また、その指揮権は、各国の軍制が異なるため複雑な面があるが、実質的には、たとえばイラク戦争では、米軍が指揮した。いずれにしても、多国籍軍は国連事務総長の指揮下にない。

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2014.04.11

ヘーゲル長官の訪中

ヘーゲル米国防長官の訪中に関し、4月10日付の『多維新聞』は次のように論評している。

かつて米中間では友好的な話し合いができたが、今は率直な歯話し合いをしている。9日に習近平がヘーゲルと会った際機微な問題は話さなかったが、中央軍事委員会の范長龍副主席が前日あった際には、ヘーゲル長官に対し面と向かって、米側は中国側の神経を逆なでし、「中国の人民は不満である」と批判した。世論は、中国軍が初めて東シナ海および南シナ海の争いの矛先を米国に向けたと驚いた。
しかし、だれもが知っているように、東シナ海と南シナ海の問題解決のカギを握っているのは米国であり、中国は、米国があれこれと介入してくることに不満であり、中米両国は東シナ海および南シナ海の問題について争ってきた。キャンベル国務次官補は昨年6月、カリフォルニアでのオバマ・習近平会談において習近平が日本を批判するのをオバマが差し止めたことを明らかにしたことがあった。したがって、今回の范長龍によるヘーゲル批判については、内容でなく、中国側がヘーゲルにかみついたこと(狼話)を大々的に公表したことが新しい点であった。
習近平は「中国の夢」を実現しようとしており、世界の大国となることが目標であるが、まずは地域の大国となることを目指している。しかるに、米国はアジア太平洋地域においてあれこれと介入し、中国の利益をかなり損なっている。
習近平は政権成立以来、大胆に脱米国化を進め、米国でなく周辺諸国との関係調整を外交の中心に据えてきた。国際政治においては、米国に対し、ノーと言い、中国流で行動している(展現中国方案)。経済においては、人民元の国際化を進め、IMFと世界銀行の投票権拡大に努めている。現在軍事面で強硬な姿勢を取っているのは、中国軍が脱米国化の大方針と自己の役割定義を緻密に求めることを調和させる(配合)ためである。

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2014.04.10

PKOと武力行使②

しかし、PKO協力法を改正し、武器を使用できる場合をある程度拡大しても、現地でのニーズにこたえるにはまだ不十分であることが指摘されている。4月9日付『朝日新聞』には次のような例が紹介されている。
○94年11月、アフリカ・ザイール(現コンゴ民主共和国)。神本光伸氏は、PKO協力法に基づいてルワンダの難民支援のために派遣された陸上自衛隊員約260人を率いる隊長だった。
 「日本の医療NGOが難民キャンプで物資を強奪され、動けなくなっているそうです」。部下の報告を聞いた神本氏は「ただちに救出を。小銃、鉄帽を忘れるな」と指示。宿営地から約30キロ離れた難民キャンプに隊員約20人を派遣し、NGOのメンバーを保護した。
 ところが、神本氏の指示は波紋を呼んだ。報道陣から「邦人の救出は(派遣部隊に認められた)業務の実施計画に入っていないのでは」と指摘された。部隊の活動は同法によって事前に定められている。武器持参での邦人救出とみなされれば、神本氏の判断は違法と判断される恐れもあった。
「やり過ぎたのかもしれない。俺の自衛官生活もこれで終わりか」。意気消沈していた時、東京から「官房長官が実施計画の中にある輸送業務だったと発表した」との連絡が届いた。政府の判断でとがめられることはなかったが、神本氏には今も釈然としない思いが残る。「自衛官がいるのに、日本人を助けないという選択肢はなかった」。
○2004年2月、イラク南部サマワ。イラク特別措置法に基づき、派遣された陸自の先遣隊長を務めた佐藤正久参院議員も「駆けつけ警護」の問題で悩んだ。
 サマワの中心部にも迫撃砲が撃ち込まれるなど、治安悪化が懸念されていた。日本の外務省職員や報道陣も現地にいたが、隊員と一緒にいる場合を除き、彼らが危険にさらされても武器で救援はできない。佐藤氏らは「情報収集」の名目でホテルを巡回し、日本人の安全確保に気を配った。
 佐藤氏はこの経験を踏まえて語る。「日本人だけでなく、自衛隊の近くにいる国際機関職員ら非武装の人を助けなくてもいいのか。他国の軍隊の警護より文民の安全確保がまずポイントになる。憲法論の中で、自衛隊の活動にどこで線を引けるかという議論を、冷静にしていくべきだ」。

この2つの例は、日本の制度が国際社会のニーズに適合していないことを示している。各国から見れば、装備も訓練も優れた日本の部隊が日本の法制上の理由で、部隊の近く、あるいは部隊の中にいる日本人は助けるが、そうでない限りは助けないというのは到底理解されない。日本のPKO部隊にこのような限界があると主張することは、具体的には次のような意味がある。
○日本人は助けるが、国際機関職員やNGOで多国籍人は助けない。
○にもかかわらず、何らかの理由で日本の部隊が日本人を助けられない場合、他の国の部隊に救援を要請する。

このようなことは国際的にあまりにも身勝手である。日本が日本人を助けるが外国人を助けないのは、一つ間違えば、日本の武器使用が日本の狭い目的達成のため乱用されるのを一切排除するためだと言っても、それは日本が自らを抑制すればよいことであると映るであろう。そもそも、PKOは国連の決議できめられた厳格な条件、制限の下で各国が協力している場であり、その場で各国がそれぞれの制度や方針を持ち出してそれに触れることはしないということになるとPKOの円滑な業務に支障が生じる。もし、各国においてその制度や方針がPKO決議に応えるのに適していないのであれば、それをあらためるべきであるというのが国際的な常識である。

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