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2017.08.21
「 日米地位協定とは、日米安全保障条約に基づき我が国に駐留する米軍が使用する施設・区域、すなわち基地と、米軍の我が国における地位に関する日米両国の合意です。これがないと米軍は日本で行動することが実際上困難になります。たとえば、基地をどこに置くか決まっていなければ米軍の居場所はありません。宿舎についても決めなければ米軍人とその家族が住むところがありません。米軍が人を雇うにも、米軍人ではないので日本側との合意が必要になります。基地で使用する電気、水などをどちらが負担するのかも決めなければなりません。地位協定は日米安保条約を機能させるのに必要な取り決めです。
現在の日米地位協定は、1960年に現在の日米安全保障条約が締結された際結ばれました。それ以前には、旧日米安全保障条約に基づく行政協定がありました。行政協定が結ばれた1952年は日本が独立を回復した年であり、日本政府の発言力は限られており、行政協定は不平等性が強かったと見られていました。
地位協定は行政協定の内容をほぼそのまま承継したので問題があり、改正が必要だという意見がありますが、歴史的経緯には留意すべきでしょう。
米軍基地の運営や米軍人の行動についてはさまざまな問題が発生しています。いわゆる「基地問題」であり、全国の米軍専用施設面積の約75%にのぼる米軍基地が集中している沖縄はとくに大きな苦痛を強いられています。沖縄県は、米軍基地の沖縄への集中の是正、住民の安全確保などのため地位協定の見直しを求め、また、日本各地と連携して基地問題を解決するため「全国行動プラン」を実施し、全国知事会で協力を呼びかけています。
現実には、しかし、日米地位協定の改定は1回も実現していません。最近環境保護と米軍の「軍属(米軍に勤務する米国籍民間人など)」の範囲の縮小に関して追加の協定が結ばれましたが、いずれも「地位協定の補足協定」と位置付けられています。これらは実質的には協定の改定と言えるので、地位協定の改定が行われたことがないことにあまり大きな意味を持たせるのは適当でないでしょうが、地位協定の改定をしないことには歴代日本政府の弱い姿勢が象徴的に表れているという見方もあります。
代表的な問題を二つ見ていきましょう。
第1に、米軍基地の提供・返還に関する手続き・要件を地位協定は具体的に規定していないことです。基地として使用する場所の範囲や使用期間、条件などが明記されていないのです。そのため、返還を求める場合もどうすればそれが可能か、どういう条件を満たせば可能かはっきりせず、常に政治的な交渉になってしまいます。
この問題についての日本政府・外務省の考えは公表されていません。地位協定は、行政協定で日本が提供した基地をそのまま継続して使用することとしている(2条1(b))ので、あらためて基地の提供について合意する必要はないという考えなのでしょう。その他の具体的な問題は日米双方の実務者から構成される合同委員会で対応策を協議し、合意していくという方針だと思われます。
第2に、地位協定は米軍・米軍人が日本の法令を順守すべきことを明記しています(第16条)が、実際にはそれが実行されていないことに強い不満があります。いわゆる裁判権の問題です。
公務内と公務外を分ける必要があり、公務内であれば日本の法令は原則として適用されません。
一方、公務外であれば日本の法令が適用されます、たとえば、米軍人が住民に暴行を加えた場合、日本の警察が現行犯逮捕等を行ったときには、それら被疑者の身柄は、米側ではなく、日本側が確保し続けます。
しかし、被疑者は捕まる前に基地内に逃げ込むことがあり、その場合には、公訴が提起されるまで、米側が拘禁を行うこととされています。その間に被疑者が米国へ逃亡することもあります。1995年に沖縄で起こった米軍人による暴行事件の場合も控訴提起まで日本側に引き渡しされませんでした。後に日本で裁判にかけられ有罪が確定しましたが、極めて悪質で卑劣な行為であり、引き渡しが実現しないことは現地で大問題となりました。
そのようなことでは住民の安全は確保できないので地位協定の改定を求める声が強くなります。
しかし、政府・外務省は、前述したように、協定の改定でなく、米軍への直接の要望や合同委員会で解決を図ろうとしています。
日米地位協定はNATO諸国、とくに同じ敗戦国であったドイツ(ボン補足協定)やイタリアの場合と比較して改定を求められることもありますが、米軍人が犯罪を犯した場合の扱いは、日本の場合とドイツやイタリアの場合と基本的には同じです。ただ、NATOの場合は条約上米国と欧州諸国が平等の地位に置かれているのと違い、日米安保条約は実質的には片務的であり、日本は米本土を守る義務を負っていないので、そもそも平等ではありません。
なお、ドイツのボン補足協定と日米地位協定を比べると、前者は原則として重大犯罪についてドイツの裁判権を認めており、その意味ではドイツは同国の主権を米軍にも及ぼしていますが、他方、ドイツはその裁判権をほとんどすべての場合放棄しています(日本外務省の説明)。本当の比較は協定条文だけでなく、実際の運用も含め慎重に行う必要があります。
日米安保体制は日本の安全保障の根幹であり、これを揺るがせることはできません。しかし、日本国民、沖縄の人々の安全を確保することもおろそかにできません。この両方の必要性を同時に満たすのは容易なことでありませんが、日本としては粘り強く交渉して米国の理解を求めていくことが必要です。」
日米地位協定
江崎鉄磨沖縄北方担当相の発言があったので、ザページに以下の一文を寄稿した。日米地位協定の内容にはいくつか改善すべき点がある。沖縄の人々が被っている苦痛が少しでも緩和されるよう努めなければならないのは当然だが、沖縄の担当相が地位協定の改定を提起するからには事前によく勉強しておいてもらいたい、この問題は結局日米安保条約の問題だ。主張するなら、そこまで考えた上で発言してほしいと思いながら書いたものである。「 日米地位協定とは、日米安全保障条約に基づき我が国に駐留する米軍が使用する施設・区域、すなわち基地と、米軍の我が国における地位に関する日米両国の合意です。これがないと米軍は日本で行動することが実際上困難になります。たとえば、基地をどこに置くか決まっていなければ米軍の居場所はありません。宿舎についても決めなければ米軍人とその家族が住むところがありません。米軍が人を雇うにも、米軍人ではないので日本側との合意が必要になります。基地で使用する電気、水などをどちらが負担するのかも決めなければなりません。地位協定は日米安保条約を機能させるのに必要な取り決めです。
現在の日米地位協定は、1960年に現在の日米安全保障条約が締結された際結ばれました。それ以前には、旧日米安全保障条約に基づく行政協定がありました。行政協定が結ばれた1952年は日本が独立を回復した年であり、日本政府の発言力は限られており、行政協定は不平等性が強かったと見られていました。
地位協定は行政協定の内容をほぼそのまま承継したので問題があり、改正が必要だという意見がありますが、歴史的経緯には留意すべきでしょう。
米軍基地の運営や米軍人の行動についてはさまざまな問題が発生しています。いわゆる「基地問題」であり、全国の米軍専用施設面積の約75%にのぼる米軍基地が集中している沖縄はとくに大きな苦痛を強いられています。沖縄県は、米軍基地の沖縄への集中の是正、住民の安全確保などのため地位協定の見直しを求め、また、日本各地と連携して基地問題を解決するため「全国行動プラン」を実施し、全国知事会で協力を呼びかけています。
現実には、しかし、日米地位協定の改定は1回も実現していません。最近環境保護と米軍の「軍属(米軍に勤務する米国籍民間人など)」の範囲の縮小に関して追加の協定が結ばれましたが、いずれも「地位協定の補足協定」と位置付けられています。これらは実質的には協定の改定と言えるので、地位協定の改定が行われたことがないことにあまり大きな意味を持たせるのは適当でないでしょうが、地位協定の改定をしないことには歴代日本政府の弱い姿勢が象徴的に表れているという見方もあります。
代表的な問題を二つ見ていきましょう。
第1に、米軍基地の提供・返還に関する手続き・要件を地位協定は具体的に規定していないことです。基地として使用する場所の範囲や使用期間、条件などが明記されていないのです。そのため、返還を求める場合もどうすればそれが可能か、どういう条件を満たせば可能かはっきりせず、常に政治的な交渉になってしまいます。
この問題についての日本政府・外務省の考えは公表されていません。地位協定は、行政協定で日本が提供した基地をそのまま継続して使用することとしている(2条1(b))ので、あらためて基地の提供について合意する必要はないという考えなのでしょう。その他の具体的な問題は日米双方の実務者から構成される合同委員会で対応策を協議し、合意していくという方針だと思われます。
第2に、地位協定は米軍・米軍人が日本の法令を順守すべきことを明記しています(第16条)が、実際にはそれが実行されていないことに強い不満があります。いわゆる裁判権の問題です。
公務内と公務外を分ける必要があり、公務内であれば日本の法令は原則として適用されません。
一方、公務外であれば日本の法令が適用されます、たとえば、米軍人が住民に暴行を加えた場合、日本の警察が現行犯逮捕等を行ったときには、それら被疑者の身柄は、米側ではなく、日本側が確保し続けます。
しかし、被疑者は捕まる前に基地内に逃げ込むことがあり、その場合には、公訴が提起されるまで、米側が拘禁を行うこととされています。その間に被疑者が米国へ逃亡することもあります。1995年に沖縄で起こった米軍人による暴行事件の場合も控訴提起まで日本側に引き渡しされませんでした。後に日本で裁判にかけられ有罪が確定しましたが、極めて悪質で卑劣な行為であり、引き渡しが実現しないことは現地で大問題となりました。
そのようなことでは住民の安全は確保できないので地位協定の改定を求める声が強くなります。
しかし、政府・外務省は、前述したように、協定の改定でなく、米軍への直接の要望や合同委員会で解決を図ろうとしています。
日米地位協定はNATO諸国、とくに同じ敗戦国であったドイツ(ボン補足協定)やイタリアの場合と比較して改定を求められることもありますが、米軍人が犯罪を犯した場合の扱いは、日本の場合とドイツやイタリアの場合と基本的には同じです。ただ、NATOの場合は条約上米国と欧州諸国が平等の地位に置かれているのと違い、日米安保条約は実質的には片務的であり、日本は米本土を守る義務を負っていないので、そもそも平等ではありません。
なお、ドイツのボン補足協定と日米地位協定を比べると、前者は原則として重大犯罪についてドイツの裁判権を認めており、その意味ではドイツは同国の主権を米軍にも及ぼしていますが、他方、ドイツはその裁判権をほとんどすべての場合放棄しています(日本外務省の説明)。本当の比較は協定条文だけでなく、実際の運用も含め慎重に行う必要があります。
日米安保体制は日本の安全保障の根幹であり、これを揺るがせることはできません。しかし、日本国民、沖縄の人々の安全を確保することもおろそかにできません。この両方の必要性を同時に満たすのは容易なことでありませんが、日本としては粘り強く交渉して米国の理解を求めていくことが必要です。」
2017.08.15
「8月15日で先の大戦が終結してから72年目。平和の尊さを反芻し、より良き将来を構築する決意を新たにしたい思いです。
しかし、現実の状況は容易でありません。とくに、わが国周辺では北朝鮮が核・ミサイルの開発を進め、挑戦的な実験を繰り返しています。最近の報道では北朝鮮は60発の核兵器を保有しているといいます。また、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験はすでに2回実行しました。米国本土を直接攻撃する能力を取得しつつあるのです。
トランプ米大統領は8月8日、「これ以上、米国への威嚇行為を行わないことが北朝鮮にとっての最善策だ。世界が見たことがない炎と怒りを受けることになる」と発言し、また翌日には、「米核戦力はかつてないほど強力だ。使わないことを望む」とツイートしました。その後も強い言葉で警告を発しています。
もっとも、北朝鮮と対話する用意があることも述べています。
一方、北朝鮮の朝鮮人民軍戦略軍は8日付声明で、米軍の重要な軍事拠点であるグアム島を、ミサイル「火星12」で「包囲射撃する作戦を慎重に検討中」と威嚇しました。日本も仮想標的となり、朝鮮中央通信は9日、「日本列島を瞬時に焦土化できる能力を備えた」と豪語しました。
しかし、こんな時こそ冷静に対処することが必要です。日本では、自民党の安全保障調査会が8日、北朝鮮のミサイル発射に備えた国民保護のあり方に関する提言を安倍晋三首相に提出しました。その中には、国外の敵基地を攻撃する能力を日本が保有すべきことが含まれています。この敵基地攻撃能力の議論は「専守防衛」を掲げてきた従来の日本の方針から逸脱するのでは、との議論もあります。日本が有事の場合に備えることはもちろん必要ですが、勢い余って攻撃的にならないよう注意が必要です。
米朝間の激しい非難合戦はたしかに憂慮されますが、「売り言葉に買い言葉」的なところがあり、その分差し引かなければなりません。そのうえで、冷静に状況を分析し、当面の緊張を緩和させ、北朝鮮の安全確保と朝鮮半島の非核化という最終目標に向かって進まなければなりません。
トランプ政権は成立以来、中露両国との協力を重視する姿勢を見せています。ただし、ロシアの関係ではいわゆる「ロシア疑惑」の問題があり、また中国との間では、南シナ海における国際法違反の行動の問題があり、関係改善は一直線に進展していません。
また、トランプ政権は、オバマ政権が軍縮を重視していたのと対照的に、軍事力を重視する姿勢を見せています。
トランプ大統領は、就任前、核兵器の使用を認めることを示唆する発言を行っており、過激派組織ISが米国を攻撃してくれば、「核で反撃する」と発言したこともありました。さらに、日本が核武装するのを容認するかのような発言をしたこともありました。
トランプ政権は現在、「核体制見直し(NPR)」を進めており、年内に結論が出る予定です。オバマ前政権以来、7年ぶりの見直しで、報告が早まる可能性もあるそうです。これは新政権としての基本政策になるものであり、その内容が注目されます。トランプ氏の個人的な考えが強く反映されると軍備拡張競争を惹起する危険もあります。
軍縮を進めるには不利な状況になっています。しかし、軍縮は一時の勢い、あるいは個人的な好みによって左右されてはなりません。米露の二大軍事国家も中長期的には核軍縮を進めなければならない考えであり、1972年のSALTⅠ(第一次戦略兵器制限交渉)以来、戦略兵器の削減交渉を重ねてきており、もっとも最近の合意は2010年の「新START(
新戦略兵器削減条約)でした。また、1987年には中距離の核戦力(INF)を全廃する条約を締結しました。
問題は、核軍縮の進め方、速度であり、それらについては核保有国と非保有国では考えが違っています。非保有国の中にも意見の違いがありますが、オーストリア、ノルウェー、メキシコなどの急進派は数年前から「核の非人道性」を確立する運動をはじめ、これには核保有国も徐々に参加し始めていました。
さらに、核軍縮急進派は核兵器の禁止に転じ、さる7月7日、国連で「核兵器禁止条約」が採択されました。
日本の立場は微妙です。今年の「原爆の日」に長崎市長が「平和宣言」で条約への参加を求めたように、唯一の被爆国として日本は核軍縮の先頭に立つべきだという強い期待感がある一方、米国の核の傘の下にあり、その抑止力を弱めるようなことはできません。日本はそのため、米国の核の傘の下にある他の諸国と同様、この条約交渉にも参加しませんでした(ただし、オランダだけは交渉に参加)が、はたしてそのような姿勢は適切だったか。反省の余地があります。
ともかく、核軍縮問題は禁止条約で終わったわけではありません。河野外相は10日、中満国連事務次長・軍縮担当上級代表に対し、「我が国として,現実的かつ実践的な措置を積み重ねることを通じ,実際の核兵器の削減に向けて核兵器国と非核兵器国との協力関係を再構築すべく取り組んで行く」と述べました。日本は、国際社会でのコンセンサス形成のため最大限努力していくべきです。
「終戦の日」に考える平和と軍縮 北朝鮮の脅威が増す中で
8月15日、次の一文をザページに寄稿しました。「8月15日で先の大戦が終結してから72年目。平和の尊さを反芻し、より良き将来を構築する決意を新たにしたい思いです。
しかし、現実の状況は容易でありません。とくに、わが国周辺では北朝鮮が核・ミサイルの開発を進め、挑戦的な実験を繰り返しています。最近の報道では北朝鮮は60発の核兵器を保有しているといいます。また、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験はすでに2回実行しました。米国本土を直接攻撃する能力を取得しつつあるのです。
トランプ米大統領は8月8日、「これ以上、米国への威嚇行為を行わないことが北朝鮮にとっての最善策だ。世界が見たことがない炎と怒りを受けることになる」と発言し、また翌日には、「米核戦力はかつてないほど強力だ。使わないことを望む」とツイートしました。その後も強い言葉で警告を発しています。
もっとも、北朝鮮と対話する用意があることも述べています。
一方、北朝鮮の朝鮮人民軍戦略軍は8日付声明で、米軍の重要な軍事拠点であるグアム島を、ミサイル「火星12」で「包囲射撃する作戦を慎重に検討中」と威嚇しました。日本も仮想標的となり、朝鮮中央通信は9日、「日本列島を瞬時に焦土化できる能力を備えた」と豪語しました。
しかし、こんな時こそ冷静に対処することが必要です。日本では、自民党の安全保障調査会が8日、北朝鮮のミサイル発射に備えた国民保護のあり方に関する提言を安倍晋三首相に提出しました。その中には、国外の敵基地を攻撃する能力を日本が保有すべきことが含まれています。この敵基地攻撃能力の議論は「専守防衛」を掲げてきた従来の日本の方針から逸脱するのでは、との議論もあります。日本が有事の場合に備えることはもちろん必要ですが、勢い余って攻撃的にならないよう注意が必要です。
米朝間の激しい非難合戦はたしかに憂慮されますが、「売り言葉に買い言葉」的なところがあり、その分差し引かなければなりません。そのうえで、冷静に状況を分析し、当面の緊張を緩和させ、北朝鮮の安全確保と朝鮮半島の非核化という最終目標に向かって進まなければなりません。
トランプ政権は成立以来、中露両国との協力を重視する姿勢を見せています。ただし、ロシアの関係ではいわゆる「ロシア疑惑」の問題があり、また中国との間では、南シナ海における国際法違反の行動の問題があり、関係改善は一直線に進展していません。
また、トランプ政権は、オバマ政権が軍縮を重視していたのと対照的に、軍事力を重視する姿勢を見せています。
トランプ大統領は、就任前、核兵器の使用を認めることを示唆する発言を行っており、過激派組織ISが米国を攻撃してくれば、「核で反撃する」と発言したこともありました。さらに、日本が核武装するのを容認するかのような発言をしたこともありました。
トランプ政権は現在、「核体制見直し(NPR)」を進めており、年内に結論が出る予定です。オバマ前政権以来、7年ぶりの見直しで、報告が早まる可能性もあるそうです。これは新政権としての基本政策になるものであり、その内容が注目されます。トランプ氏の個人的な考えが強く反映されると軍備拡張競争を惹起する危険もあります。
軍縮を進めるには不利な状況になっています。しかし、軍縮は一時の勢い、あるいは個人的な好みによって左右されてはなりません。米露の二大軍事国家も中長期的には核軍縮を進めなければならない考えであり、1972年のSALTⅠ(第一次戦略兵器制限交渉)以来、戦略兵器の削減交渉を重ねてきており、もっとも最近の合意は2010年の「新START(
新戦略兵器削減条約)でした。また、1987年には中距離の核戦力(INF)を全廃する条約を締結しました。
問題は、核軍縮の進め方、速度であり、それらについては核保有国と非保有国では考えが違っています。非保有国の中にも意見の違いがありますが、オーストリア、ノルウェー、メキシコなどの急進派は数年前から「核の非人道性」を確立する運動をはじめ、これには核保有国も徐々に参加し始めていました。
さらに、核軍縮急進派は核兵器の禁止に転じ、さる7月7日、国連で「核兵器禁止条約」が採択されました。
日本の立場は微妙です。今年の「原爆の日」に長崎市長が「平和宣言」で条約への参加を求めたように、唯一の被爆国として日本は核軍縮の先頭に立つべきだという強い期待感がある一方、米国の核の傘の下にあり、その抑止力を弱めるようなことはできません。日本はそのため、米国の核の傘の下にある他の諸国と同様、この条約交渉にも参加しませんでした(ただし、オランダだけは交渉に参加)が、はたしてそのような姿勢は適切だったか。反省の余地があります。
ともかく、核軍縮問題は禁止条約で終わったわけではありません。河野外相は10日、中満国連事務次長・軍縮担当上級代表に対し、「我が国として,現実的かつ実践的な措置を積み重ねることを通じ,実際の核兵器の削減に向けて核兵器国と非核兵器国との協力関係を再構築すべく取り組んで行く」と述べました。日本は、国際社会でのコンセンサス形成のため最大限努力していくべきです。
2017.08.10
問題は、派遣部隊が作成していた日報の開示が求められたのに対し、防衛省は調査の結果として、すでに破棄したと答えたことからはじまった。しかし、さらにある自民党議員によって再調査が求められた結果、日報が統合幕僚監部に残っていることが判明した(12月末)。このことが稲田防衛相に報告されたのは、翌年の1月末であった。
さらにその後、日報は派遣部隊の親元である陸上自衛隊にも残っていたことが判明した。そうなると、防衛省の最初の「破棄した」との説明と矛盾してくる、虚偽の回答をしたと追及される恐れもあった。発見された日報の取り扱いに苦慮した防衛省では、2月15日、稲田防衛相、岡部陸上幕僚長、事務方トップの黒江事務次官らが出席して対応を協議し、「不公表」とすることに決定した。しかし、後日、その経緯も外部に漏出した。
この間、稲田防衛相は国会で答弁の矛盾、事実関係の説明の不明確さ、防衛省内の把握の不十分さを指摘された。これに対し稲田氏は、自身が指示して徹底的に調査し、日報を公表させたとし、「シビリアン・コントロールは効いていた」と強調した(3月17日の記者会見)が、国民の納得を得ることはできなかった。
問題点は、大きく言って二つある。稲田氏の防衛相としての言動が適切であったかという問題と、現憲法が定めるシビリアン・コントロールは適切かという問題である。前者については、今後国会などにおいて解明がすすむことを期待したい。本稿では後者の制度問題を取り上げる。
まず、日本国憲法の下では、そもそも「シビリアン・コントロール」を論じる余地はあるのか、という疑問がある。憲法9条によれば、日本には「軍」はないので、シビリアン・コントロールの必要もないとも考えられるからである。しかし、日本は自衛のために武装した自衛隊を持っているので、やはり、シビリアン・コントロールの必要があるだろう。
具体的には、シビリアン・コントロールは、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定(66条2項)によって確保されていると解されている。しかし、これでシビリアン・コントロールが十分とは言えないと思う。
現憲法では、旧憲法下のように陸軍が強引に内閣を倒すことは不可能になっている。この点では改善しているのだが、次のような問題が残っている。
第1に、防衛相に就任する人はつねに能力があるとは限らない。自衛隊を適切に監督できる人もいれば、できない人もいる。防衛相は、例えば、政治資金規正法違反の理由で刑事罰を受けるかもしれない。また、自衛隊を政治目的に濫用するかもしれない。
自衛隊から見ても心底から仕えたい防衛相もいれば、信頼できないとみなす人もいる。これらは通常、表で語られないことであるが、現実には問題になりうることが今回の事件で露呈された。要するに、文民がトップであってもそれだけでは安心できないのである。内閣の構成員が文民でなければならないのは、シビリアン・コントロールの必要条件であるが、十分条件ではないのだ。
第2に、自衛隊の主張には説得力があり、防衛相がそれを承認しないとするのは困難なことである。たとえば、自衛隊が作戦Aで成功しなかったので作戦Bが必要と主張するケースを考えてみる。政府は諸外国との関係など総合的な考慮から作戦Bを実行すべきでないと判断しても、防衛相ははたして作戦Bを不許可とできるか。理論的にはもちろんできるはずだが、実際には自衛隊は現場をよく知っており、よく考えて防衛相に上げてくるだろうからその主張には説得力がある。
また、かつての帝国軍隊の場合は、作戦を途中で変更すると、それまでの犠牲を「無駄にするのか」という議論が使われた。
一方、政府の判断は多かれ少なかれ妥協が含まれており、したがって説得力は弱い。自衛隊の考えのほうが理屈にかなっているように見えることがありうる。
しかし、それでも自衛隊の主張を退け、政府の判断に従わせなければならないことがある。これがシビリアン・コントロールであるが、単に上に立つ政府が自衛隊を押さえつけるということでなく、長い目で見ると妥協をした政府のほうが正しかったことが分かってくるのである。これは裁判の証明のようなことでないが、歴史の教訓である。
日本の憲法規定は米国に習ったものであるが、実は、日米のシビリアン・コントロールは異なっているところがある。米国ではシビリアン・コントロールはよく効いているように見えるが、実際にはシビリアン・コントロールは簡単でなく、あらゆる手段で確保に努めなければならないと認識されている。
これに比べると、日本のシビリアン・コントロールは、憲法の規定はあるが、自衛隊の海外での武力行使は今までは皆無であり、したがってまた、シビリアン・コントロールが本当に必要になる事態には立ち至ったことがなかった。つまり経験が乏しいので、シビリアン・コントロールの議論は机上の空論に陥るのである。旧憲法下では問題とすべき事例が多数あったが、旧軍のことは現在の自衛隊とはほぼ完全に切り離されており、参照すべき前例とは認識されていない。
今後どうすればよいかだが、憲法を改正して自衛隊を正規の防衛軍にするなら、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則を明記すべきだ。つまり、文民によるコントロールは人の面からの規制であり、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則はルールの問題であり、両方が必要である。そして、この二つの原則の下でシビリアン・コントロールが必要な諸事項、とくに、政治にかかわってくる問題について自衛隊がどこまで研究したり、主張したりできるかを法律で規定すべきである。かつて、自衛隊員が有事の場合の対応に関する法制上の欠陥について研究したことが問題視されたことがあったが、一概に否定されるべきことでなかった。それは一定程度まで、つまり、シビリアン・コントロールに反しない限度内では認められてしかるべきことであった。
さらに、制度面の措置とともに、戦前の軍による暴走とそれをコントロールできなかった政治の欠陥などを含め歴史を徹底的に見つめなおし、その結果を政府と自衛隊の在り方に反映させ、自衛隊が政府に反旗を翻すようなことはあり得ないようにする努力が必要である。
内閣改造②シビリアン・コントロール
南スーダンへの自衛隊PKO部隊の派遣は憲法の文民統制(シビリアン・コントロール)についてあらためて考える機会になった。問題は、派遣部隊が作成していた日報の開示が求められたのに対し、防衛省は調査の結果として、すでに破棄したと答えたことからはじまった。しかし、さらにある自民党議員によって再調査が求められた結果、日報が統合幕僚監部に残っていることが判明した(12月末)。このことが稲田防衛相に報告されたのは、翌年の1月末であった。
さらにその後、日報は派遣部隊の親元である陸上自衛隊にも残っていたことが判明した。そうなると、防衛省の最初の「破棄した」との説明と矛盾してくる、虚偽の回答をしたと追及される恐れもあった。発見された日報の取り扱いに苦慮した防衛省では、2月15日、稲田防衛相、岡部陸上幕僚長、事務方トップの黒江事務次官らが出席して対応を協議し、「不公表」とすることに決定した。しかし、後日、その経緯も外部に漏出した。
この間、稲田防衛相は国会で答弁の矛盾、事実関係の説明の不明確さ、防衛省内の把握の不十分さを指摘された。これに対し稲田氏は、自身が指示して徹底的に調査し、日報を公表させたとし、「シビリアン・コントロールは効いていた」と強調した(3月17日の記者会見)が、国民の納得を得ることはできなかった。
問題点は、大きく言って二つある。稲田氏の防衛相としての言動が適切であったかという問題と、現憲法が定めるシビリアン・コントロールは適切かという問題である。前者については、今後国会などにおいて解明がすすむことを期待したい。本稿では後者の制度問題を取り上げる。
まず、日本国憲法の下では、そもそも「シビリアン・コントロール」を論じる余地はあるのか、という疑問がある。憲法9条によれば、日本には「軍」はないので、シビリアン・コントロールの必要もないとも考えられるからである。しかし、日本は自衛のために武装した自衛隊を持っているので、やはり、シビリアン・コントロールの必要があるだろう。
具体的には、シビリアン・コントロールは、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定(66条2項)によって確保されていると解されている。しかし、これでシビリアン・コントロールが十分とは言えないと思う。
現憲法では、旧憲法下のように陸軍が強引に内閣を倒すことは不可能になっている。この点では改善しているのだが、次のような問題が残っている。
第1に、防衛相に就任する人はつねに能力があるとは限らない。自衛隊を適切に監督できる人もいれば、できない人もいる。防衛相は、例えば、政治資金規正法違反の理由で刑事罰を受けるかもしれない。また、自衛隊を政治目的に濫用するかもしれない。
自衛隊から見ても心底から仕えたい防衛相もいれば、信頼できないとみなす人もいる。これらは通常、表で語られないことであるが、現実には問題になりうることが今回の事件で露呈された。要するに、文民がトップであってもそれだけでは安心できないのである。内閣の構成員が文民でなければならないのは、シビリアン・コントロールの必要条件であるが、十分条件ではないのだ。
第2に、自衛隊の主張には説得力があり、防衛相がそれを承認しないとするのは困難なことである。たとえば、自衛隊が作戦Aで成功しなかったので作戦Bが必要と主張するケースを考えてみる。政府は諸外国との関係など総合的な考慮から作戦Bを実行すべきでないと判断しても、防衛相ははたして作戦Bを不許可とできるか。理論的にはもちろんできるはずだが、実際には自衛隊は現場をよく知っており、よく考えて防衛相に上げてくるだろうからその主張には説得力がある。
また、かつての帝国軍隊の場合は、作戦を途中で変更すると、それまでの犠牲を「無駄にするのか」という議論が使われた。
一方、政府の判断は多かれ少なかれ妥協が含まれており、したがって説得力は弱い。自衛隊の考えのほうが理屈にかなっているように見えることがありうる。
しかし、それでも自衛隊の主張を退け、政府の判断に従わせなければならないことがある。これがシビリアン・コントロールであるが、単に上に立つ政府が自衛隊を押さえつけるということでなく、長い目で見ると妥協をした政府のほうが正しかったことが分かってくるのである。これは裁判の証明のようなことでないが、歴史の教訓である。
日本の憲法規定は米国に習ったものであるが、実は、日米のシビリアン・コントロールは異なっているところがある。米国ではシビリアン・コントロールはよく効いているように見えるが、実際にはシビリアン・コントロールは簡単でなく、あらゆる手段で確保に努めなければならないと認識されている。
これに比べると、日本のシビリアン・コントロールは、憲法の規定はあるが、自衛隊の海外での武力行使は今までは皆無であり、したがってまた、シビリアン・コントロールが本当に必要になる事態には立ち至ったことがなかった。つまり経験が乏しいので、シビリアン・コントロールの議論は机上の空論に陥るのである。旧憲法下では問題とすべき事例が多数あったが、旧軍のことは現在の自衛隊とはほぼ完全に切り離されており、参照すべき前例とは認識されていない。
今後どうすればよいかだが、憲法を改正して自衛隊を正規の防衛軍にするなら、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則を明記すべきだ。つまり、文民によるコントロールは人の面からの規制であり、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則はルールの問題であり、両方が必要である。そして、この二つの原則の下でシビリアン・コントロールが必要な諸事項、とくに、政治にかかわってくる問題について自衛隊がどこまで研究したり、主張したりできるかを法律で規定すべきである。かつて、自衛隊員が有事の場合の対応に関する法制上の欠陥について研究したことが問題視されたことがあったが、一概に否定されるべきことでなかった。それは一定程度まで、つまり、シビリアン・コントロールに反しない限度内では認められてしかるべきことであった。
さらに、制度面の措置とともに、戦前の軍による暴走とそれをコントロールできなかった政治の欠陥などを含め歴史を徹底的に見つめなおし、その結果を政府と自衛隊の在り方に反映させ、自衛隊が政府に反旗を翻すようなことはあり得ないようにする努力が必要である。
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