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2017.02.10

PKOへの参加体制は見直すべきだ

 2016年7月、南スーダンの首都ジュバで起きた大規模な衝突が「戦闘」であったことを示す/示唆する自衛隊の日記をめぐって国会が紛糾している。

 当時、南スーダンに派遣されていた国連PKOを維持できるか、国際的にも、日本でも問題となっており、日本の国会では、首都ジュバでの政府軍と反政府勢力との間の大規模な衝突は「戦闘」であり、日本の部隊は撤収すべきではないかということが審議されていた。日本政府はその紛争の存在を認めつつも、PKOの派遣・維持の前提である停戦は維持されていたという認識であり、強い反対論があったがその立場を貫いた。自衛隊の部隊は今も南スーダンに派遣されている。
 しかるに、2016年9月、ジャーナリストの布施祐仁氏が当時の日記の開示を防衛省に請求したのに対して、防衛省は12月2日、その日記はすでに廃棄していると回答することにし、稲田防衛相にもその旨を報告した。
 しかし、そのような処理は問題だと考える者がいたのだろう。元文書管理担当相の河野太郎議員に情報提供があった。その内容の詳細は不明だが、同議員は日記の電子データさえ残っていないのは不可解だとして防衛省に調査を求めた。その結果、数日後に電子データが残っていることが判明した。
 河野議員は2月6日に防衛省から開示を受け、ただちにツイッターやフェイスブックでそのことを公表した。
 一方、防衛省内部では、稲田防衛相への報告は調査結果の判明後迅速に行われず、河野議員への開示のわずか10日前、つまり1月末になってようやく行われた。事務方は防衛相に数週間報告しないでいたらしい。
(以上は諸報道を要約したもので、未確認だが、本件の背景として記しておく)

 1月末に開会した国会では、昨年7月当時の政府説明には問題があった、衝突の状況を記した日記がないというのは事実でなかったなどの指摘、批判が行われ、稲田防衛相が矢面に立たされた。
 とくに焦点となったのは、当時の衝突が「戦闘」であったか否かであり、日記は「戦闘」であると描写していた。そうであれば、自衛隊はやはり撤収すべきであったということになり、ひいては当時の政府答弁には瑕疵があったことになる恐れがある。そうなることは何としてでも避けなければならないと考えたのであろう。稲田氏は「戦闘」という言葉は今でも使わず、「戦闘とは国際的に言われる「戦闘行為」ではない」という意味不明のことを繰り返すだけである。
 このような答弁が日本国民に受け入れられるか疑問だ。今後、国会でどのような結論になるか関心を持って見守りたい。個人的には、防衛省内部でも十分に補佐されず、大事なことを、一時的とはいえ、隠され、また国会では官僚の作った無理な答弁を繰り返している稲田防衛相に同情を禁じ得ないが、稲田防衛相には大きな責任がある。憲法論でよく言われる文民統制の責任は首相、次いで防衛相にある。今国会で起こっているような状況では、有効な文民統制が働くとは到底思えない。

 稲田防衛相を含め、今回の一連の不祥事に心を痛めている人には、PKOへの日本の参加のあるべき姿、体制についてよく考えてもらいたい。

 PKOは、国連も日本国憲法も全く想定していなかったことであるが、戦後の国際政治において新しく生まれてきたものであり、それがいかに必要か、その歴史と予算額の大きさ(国連の通常予算よりはるかに多い)を見れば明らかである。
 PKOは、停戦・和平の成立を前提としており、したがって、日本がそれに参加することは日本国憲法の「国際紛争に巻き込まれてはならない」という重要原則に反しない。日本はそのことを明確にしたうえで具体的な参加の態様を決めるべきであった。たとえば、警察を拡充してPKO部隊を派遣できるようにするのも一つの方法だった。警察というと、すでに文民警察が派遣されているが、それができる行動の範囲はPKO活動の小さな一部分にすぎない。
 しかし、日本はPKO部隊として自衛隊を派遣することとした。政治的な理由でそうせざるを得なかったのだが、自衛隊は本来日本の防衛のための組織であり、PKOという国際活動には向いていない。日本の自衛隊は憲法の認めるごくわずかな例外的行為しか行えず、それではPKOとして十分な活動を行うのが困難だからだ。そのような制約を無視してPKO活動を拡大し、またそのため自衛隊の海外活動が拡大すると憲法違反の問題が出てくる。
 したがって、「駆けつけ警護」に代表されるように日本のPKO活動を拡大するという決断を下すにあたっては、憲法との関係、自衛隊の性格などを改めて整理しなおすべきであった。

 私は今でも「PKOは日本国憲法上認められる」という大きな判断をすべきであり、その上でPKOへの参加のあり方についての理論構成をし直すべきだと思っている。そして、自衛隊を今後もPKOに派遣するのであれば、「自衛」とともに「国際協力」をその主要業務として位置付けるべきである。この二つの異なることを自衛隊の業務とすると自衛隊の性格が不明確になるのであれば、「国際協力」のための別の組織を新設すべきである。そのような検討は日本の憲法体制にとっても自衛隊にとっても必要なことである。
 しかるに、現在国会で起こっていることは、政府答弁の一貫性、整合性のための議論だ。それらを揺るがせば、政府の姿勢が問われ政治問題になるのでそうせざるを得ないのだろうが、しょせんそれは技術的な問題だ。
 今回の問題について防衛省の対応の拙劣さを指摘するのは容易だが、その背景には自衛隊のあり方が、憲法との関係を含め、明確になっていないという現実がある。それは日本全体の問題であり、早急に是正すべきである。

(平和外交研究所HP 2014年4月26日「PKOと武器使用」、東洋経済オンライン2016年10月22日「稲田防衛相も視察した南スーダンPKOの苦渋 自衛隊員の「武器使用」をどう解釈すべきか」も参照願いたい。)

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