平和外交研究所

2013年12月

2013.12.15

張成沢の粛清

朝鮮中央通信が12月13日、金正恩第一書記の後見人であり、事実上北朝鮮のナンバー2であった張成沢前国防委員会副委員長が処刑されたことを伝えた。朝鮮労働党政治局拡大会議が党行政部長など同人のすべての職務を解任したのが5日前の8日、特別軍事裁判で「国家転覆陰謀行為」の罪で死刑判決を下したのが12日、その翌日に処刑したということである。今日でもこのようことが起こるのかと世界中が強い衝撃を受けたであろう。

なぜこのような事態となったのか。多くを推測に頼らざるをえないが、父親である金正日総書記が急死し、20代の若さで後継者となった金正恩が形式上のみならず北朝鮮の真の指導者としての地位を確立しようと努めてきたのに対し、経験豊かで、しかも金正恩の義理の叔父として後見役であった張成沢が金正恩のふるまいに危うさ、あるいは未熟さを感じて介入するようになり、そこから両人の間で意見の違いが生じ、深刻化していったのではないかと思われる。

金日成の直系といえども自動的に北朝鮮の指導者になれるのではない。金正恩の父金正日の場合も、金日成が死亡した後真の指導者として認められるまでにはかなりの時間がかかった。その間、北朝鮮は「苦難の行軍」と呼ばれる経済危機に見舞われており、金正日はそれを克服することで力量を示し、また、極端な軍事優先主義を取ることにより軍を手なずけ、指導者としての地位を確立した。
金正恩の場合は、年若く、後継者としての準備期間が短かったので指導者として認められるのに父親の場合よりさらに大きな困難があったはずである。金正恩自身誰よりもそのことを感じていただろうし、そのために父金正日の死亡後一時は張成沢の経験を重視し、労働党政治局員に引き上げた。
これに対し、張成沢は金正日の義弟でありながら、一時期退けられた後にカムバックするなど経験豊か、したたかであり、金正恩との関係では、形式上は補佐とは言え、どうしても自ら国政に関与し、采配を振るうことが多くなったのはむしろ自然なことであったと思われる。
張成沢は、北朝鮮が必要としている経済改革の関係で中国に頼ろうとし、中国もそのような張成沢を歓迎して受け入れた。中国はそもそも権力の世襲に否定的であり、金正恩が北朝鮮の第三代目の世襲後継者となったことに高い評価を与えていなかったという背景もある。
昨年8月、張成沢が「第3次黄金坪・羅先(羅津+先鋒)市共同開発のための朝中開発合作連合指導委員会会議」に出席するという名目で一大代表団を率いて訪中したのは、張成沢が前面に立って中国との関係を進める象徴的な出来事であり、中国もその訪中を重視し、胡錦涛主席が会談に応じるなど張成沢を支持する姿勢を明確に示した。
一方金正恩は真の指導者であることを確立するのに懸命であった。北朝鮮が国際社会の反対を物とせず、「人工衛星」と称するミサイルを打ち上げ、第3回目の核実験を敢行したこと、またその後国際社会から非難を浴びたが、米国を恐れない、戦争状態に立ちいたっても怖くない、と中国が辟易するくらい大胆に振る舞ったことなどは金正恩の地位確立のプロセスと切り離してみることはできない。それは新しい指導者としての肝試しの意味を持っていたのではないか。そして、金正恩はそれにパスし、軍としても頼れる指導者であることをアピールしたのではないか。
金正恩はさらに、軍自体をも自分に忠実な味方にしていったと思われる。軍のトップクラスをほぼ総入れ替えしたことがそのことを物語っている。軍の実質的ナンバーワンである総参謀長を2年の間に3回挿げ替えたことはその極め付けであった。これらは一歩誤れば自分の首を絞めることになりかねない危険な行為であっただろうが、この面でも金正恩は驚くべき大胆さを発揮し、やり遂げた。軍に対してこれだけの介入ができる指導者は世界広しといえどもまずいないのではないか。

張成沢がこのような金正恩をどのように見ていたか、よく分からないが、同人の行動を見る限り金正恩を警戒していた形跡はなかった。それどころか、前述の訪中では張成沢が指導者代行として振る舞った。しかし、そこには後に金正恩との対立が決定的になる前触れが潜んでいたように思われる。張成沢が率いたのは複数の党政の高官を含む50人にものぼる大代表団であり、そのようなことは金日成、金正日以外にありえないことであった。したがって、張成沢のこの訪中は、第三者的に見れば年若い金正恩を補佐することと映るであろうが、金正恩からすれば、張成沢は脇役としての則を越えて北朝鮮の政治を牛耳ろうとしている、看過できないと判断したのではないか。北朝鮮の発表によれば、張成沢は他にも罪を犯したそうであるが、両人それぞれの立場と認識のずれに比べればそれらは付随的な問題である。

張成沢が粛清されるに至る間、同人の妻であり金正恩の叔母である金敬姫が金正恩の行動に対してブレーキ役となった形跡はない。同人は、かねてから体調に問題があり、言われているようにアルコール中毒のせいかどうか確かめるすべはないが、2012年秋外交団と会見した際は立っていられないくらいの状態であったそうである。北朝鮮側の公式発表では張成沢には女性問題もあったそうであるが、少なくともそのことを問題視される状況があっても不思議でない。金正恩が行動を起こす前から離婚していたという見方もある。そうかもしれない。

金正恩は軍内の大幅な人事異動を進め、また張成沢を粛清するのに、党務の経験はあるが軍人ではない崔竜海(チェ・リョンヘ)を重用した。同人の父は以前人民武力部長(国防相)を務めたことがあるが、本人は軍人ではない。そのような人物が、金正恩の指示で動いたとは言え、軍内の改革に手を付けることは危険な試みであっただろうが、成功したようである。金正恩とその忠実な僕である崔竜海は軍をさらに頼もしい支持母体にしようと若返りを断行しているようである。

金正恩が行なったことを国際社会の基準でどう評価するかは別として、並々ならぬ力量の持ち主であることは証明された。金正日はそのような特質を見抜いていたからこそ、三男であるにもかかわらず正恩を後継者に選んだのであろう。皮肉なことに、金正恩は自分を選んだ父金正日の敷いた布陣を、自分が後継者に選ばれたこと以外はガタガタに壊して新指導者としての地位を確立したのであるが。
しかし、金正恩体制にはやはり不安定性がぬぐえない。金正恩に対して煙たいことでも言える人物、その権威を脅かす人物はいなくなってしまったが、国家を不安定化させる危険も潜んでいると見るべきであろう。物事が順調に回転している限り、金正恩の鶴の一声の下で北朝鮮は最短コースで目的に進んでいくであろうし、そのような傾向が経済建設面で現れることは北朝鮮の内外で歓迎される。しかし、北朝鮮の国民全員が金正恩に私淑したと見るのは早すぎる。彼らは恐怖でおののいているのであり、将来、金正恩としても国民の不満を吸い上げることがこれまで以上に必要になるであろう。今回の粛清は混乱の始まりという見方もある。

2013.12.14

ロシアの日本研究者協会年次会議

ロシアの日本研究者協会第6回年次会議が12月12~13日、モスクワで開催された。同研究会の会長はDmitry Streltsov氏、モスクワ国際関係大学(MGIMO)のHead of Afro-Asian Departmentでもある。
形式的には、この会議と別に、日本国際問題研究所とMGIMOが毎年学術交流を行っており、今回の日本研究者協会の会議はそれに合わせて開催された。モスクワではいつもそうしているらしい。
ロシア側の出席者の中には、Alexander Panov元駐日大使、Konstantin Sarkisov日本研究者協会名誉会長なども含まれていた。
日本側の出席者は渡邊啓貴東京外国語大学教授、川西重忠桜美林大学教授、石原直紀立命館大学教授、関山健明治大学准教授、それに国際問題研究所から飯島俊郎副所長、小澤治子新潟国際情報大学教授などであった。

安倍政権に対する注目度は高かった。ロシア側からの発言は概して同政権に好意的であり、「日本はこれまで短期間で首相が交代してきたが、今後は安定した政権になる可能性がある」と期待を込めた発言もあった。
中国の台頭が一つの中心的関心事であったのは当然であり、「尖閣諸島問題、また最近の防空識別圏の設定、経済大国化など、日本が中国を脅威と感じることが多くなっている。また、北朝鮮の行動も日本にとって問題である」「日本の安倍政権は民族主義的傾向が強く、憲法改正、自衛隊の軍隊化などを進めようとしている。安倍首相の発言は口先だけでなく、実行を伴っており、十数年ぶりに防衛予算を増額し、尖閣諸島の防衛体制を強化している」「日本は米国との防衛協力を強化し、また、東南アジア諸国とも連携して対中ブロックを形成しようとしている。米国は日本を防衛する義務を負っているが、最近の防空識別圏に関して、中国との関係をあまり悪化させないよう苦慮している。日米間には微妙な立場の相違がある」「今後いかに衝突を回避していくか、またそのために信頼醸成をどのように進めるかが課題である。このような状況はロシアにとっても懸念されることであり、情勢の悪化を防ぐための多国間メカニズムの構築を進めるべきである」などがロシア側の発言の主要点であった。

政治、安全保障に関する議論のなかで、日本のソフトパワー外交にも関心が集まり、クール・ジャパンなど日本は文化的、日本的なことを世界に積極的にアピールしていることを評価する発言が続いた。
また中国の経済成長の影響がある一方、日本経済は力を失っていると見るべきではないという意見も強く、日本は製造業などで依然として世界のトップであること、さらに環境、人権、知る権利などの分野でも積極的に取り組んでいること、製品も多様化し、いわゆるソリューションなどノウハウの輸出も注目されることなどの指摘がロシアの研究者から行われた。ロシアの日本研究のレベルは高い。

今回、日ロ関係の改善についてはほとんど議論する機会はなかったが、会議場の外では率直に意見交換した。今後日本研究者との間で両国関係を改善する方策を議論していくことは有益であろう。

2013.12.10

ノーベル平和賞受賞と秋山一郎氏

今年のノーベル平和賞は化学兵器禁止機関(OPCW)に与えられる。本10日、ノルウェーの首都オスロで行なわれる授賞式に。同機関の元査察局長であった秋山一郎氏(元自衛官)が代表の一人として招かれ出席する。秋山氏にとってはもちろん、すべての日本人にとっても大変名誉なことである。
OPCWに平和賞が与えられたのは、激しい内戦が続き多数の人が化学兵器の犠牲になったシリアにおいて、それを除去するという困難極まる任務を成功裏に遂行したことが直接の理由であるが、そこへ至るまで同機関が積み上げてきた実績があり、それが平和賞授賞の背景となっている。
OPCWは数ある軍縮スキームのなかで効果的な検証メカニズムを備えていることで知られている。検証は軍縮に関する国際合意が真に実行されることを担保する重要なメカニズムであり、これが不十分であるといくら合意されてもただの紙の上での約束になってしまう。
OPCWのなかで検証をつかさどる局の長に、しかも初代の局長に秋山氏が就任し、10年間査察業務を率いてきた。査察は、対象国に乗り込み、その国の政府が申告していることが本当かどうか確かめるので、嫌われることが少なくない。そんなことはあってはならないのであるが、現実は違っている。また、化学兵器の査察は一つ間違えば、自ら被害を受ける恐れのある危険なことである。査察局長としてはそのような困難を跳ね返して査察を実行しなければならない。
国際機関の内部でも苦労は絶えない。激しい競争があるのは当然であるが、フェアプレーばかりでなく、誹謗中傷にさらされることも珍しくない。OPCWのなかでも最も重要な局の長を10年も勤めることは異例であり、その人物に傑出した能力と適性がなければとてもできないことである。
秋山氏は4年前に退職していたが、今回のノーベル平和賞受賞にあたって秋山氏の貢献を忘れなかったOPCWの見識を讃えたい。

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