平和外交研究所

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2018.07.18

カンボジア情勢と日本の立場

 7月 29 日に投開票されるカンボジア下院議会選挙に向けて、カンボジア国内は選挙運動が活発化している。フン・セン首相が率いるカンボジア人民党(与党)は、首都プノンペンに約 6 万人の支持者を集結させ、気勢を挙げた。
 一方、複数の野党も集会を開いたが勢いがなかった。最大野党だったカンボジア救国党はすでに解党されており、今回の選挙ではまちがいなく人民党の勝利が予想されている。

 前回 2 013 年下院選では、定数 125 のうち、人民党が 68 議席、救国党が 55 議席を獲得し、野党の救国党はもう少しで人民党に追いつく勢いであった。しかし、救国党は昨年 6月にケム・ソカー党首が国家反逆罪容疑で逮捕され、11 月に党ぐるみで国家反逆を企てたとして最高裁判所により解党させられた。救国党の指導者 118 人は今後 5年間政治活動を禁じられている。 最高裁は、フン・セン首相による、救国党が「政府転覆計画に関与した」とする訴えを認めたのであった。

 2013 年総選挙では、複数の罪に問われ国外に逃亡していたサム・レンシー党首(当時)に対し、投票日直前であったが国王が恩赦を出したので同党首が帰国し、救国党が勢いづくきっかけになった。救国党のメンバーは、今回の下院選においても前回と同様、国王の仲介を求めているが、実現の見通しは立っていない。

 この解党劇については、国内外から批判が高まっており、欧米は国家選挙管理委員会への支援を既に引き揚げ、特に人権尊重を重視する EU は、カンボジアを開発途上国優遇の特恵関税の対象から外すことを検討中である。

 しかし、当のフン・セン首相はどこ吹く風で、全く意に介していないようである。フン・セン首相は、中国からの経済支援を後ろ盾に独裁色を強めているため、「何があっても中国人は友人」などと発言している。南シナ海問題でも明確に中国を支持しており、欧米離れを進めている。

 カンボジアと中国の関係は他の東南アジア諸国よりも複雑である。中国は、ポル・ポトが率 いるクメール・ルージュの武装蜂起を支援し、その結果としてクメール・ルージュによる共産政権が誕生した。そのクメール・ルージュは 1970 年代、カンボジアに「階級が消滅した完全な共産主義社会の建設」を目指し、反乱を起こす可能性があるとの理由で知識階級に対して大量殺戮を繰り広げた。その数については様々な説があるが、100 万人は下らないと言われている。

 この記憶は歴史的には消えていないが、現在は中国からの経済援助により目立たなくなっている 。2010 年から中国は日本を抜いてカンボジアに対する最大の援助国となり、また、シアヌ ークビル港をはじめ、各地で民間投資を含めて大型プロジェクトを実施している。カンボジア全対外債務残高のうち中国の割合は半分を占めるに近づいており、カンボジア政府にとって中国からの経済支援は、アジア屈指の GDP成長率 7%を維持するため、必要不可欠となっているのだ。

 一方で、カンボジアと日本や欧米諸国の関係も依然として密接である。20 年に亘る内戦を経た後の 1990 年代以降、復興を支えてきたのは日本や欧米からの支援であった。同国経済は事実上、『ドル化』しており、約 9割の流通通貨は米ドルである。また、全輸出の 8 割を占める縫製品と履物の主な輸出先は欧米と日本である。

 日本は、中国に追い越されたとはいえ、カンボジアヘの大口援助国であることに変わりない。政治面ではフン・セン寄りで、健全な民主主義を実現するのに協力的ではないと欧米諸国からみられているが、必ずしも同じ立場で臨むのが良いとは限らない。

 中国寄り一辺倒の弊害が顕在化した際には、カンボジア人があらためて中国との関係を考えなおすこともありうる。現に中国企業はカンボジア政府との間で関税逃れ等の癒着が多く、他国の企業は対等な貿易取引ができないという問題が起きている。

 そのような中にあって、日本は独自の方法でカンボジアの発展に貢献する道を求めていかなければならない。そうすることは可能だと思う。

2018.07.06

トルコ・エルドアン政権の対外関係

伝統的な西側寄りの姿勢

 トルコは東西の接点、イスラム世界と西欧世界の接点に位置しながら、NATOのかなめであり、西側寄りの姿勢を取ることが多かった。1949年、どの中東諸国よりも早くイスラエルを承認したのもその表れであり、近隣のアラブ諸国との関係は良くなかった。

 トルコは、また、イラク、イランおよびシリアとクルド人問題を抱えていた。とくに、シリアとイランは90年代まで、クルド人の独立国家建設を目指す武装組織PKK(クルディスタン労働者党。Partiya Karkerên Kurdistan)を支援していたのでトルコとの関係は険悪であった。 

 しかし、2000年代にはいるとシリア、イラン、イラクなどもテロ対策のためクルド人を封じ込めることでトルコと利害が一致するようになり、関係は改善された。

 トルコは冷戦後も西側寄りの姿勢を維持した。かねてから希望していたEUへの加盟については、東西の対立が緩和されるにともない、1987年に加盟を申請していた。

 1991年の湾岸戦争、2001年のアフガン戦争までトルコは米国を支持して戦争に協力した。しかし、その結果国内経済は打撃を受け、世論は政府の外交姿勢に強く批判的になった。また、中東諸国からは厳しく糾弾された。

トルコのイスラム化とアラブ諸国との関係改善

 トルコでは、エルドアンやギュルらが2001年、イスラム主義の公正発展党(AKP)を結党し、翌年には政権を獲得した。

 これら内外の要因により、トルコの外交姿勢にも変化が表れ始め、2003年のイラク戦争では米国から協力を要請されたが断った。

 トルコとシリアの関係は改善された。シリアのバッシャール大統領は2004年、シリアの独立(1946年)以来初めてトルコを訪問した。エルドアンはバッシャールと個人的にも緊密になったという。

 トルコは核開発を進めるイランに対する制裁にも反対した。2010年5月にはトルコ、イラン、ブラジルの三国間でテヘラン宣言が調印された。この宣言は、核問題を巡るイランと西側の協議の行き詰まりを打開しようとする努力であり、濃縮度3.5%の低濃縮ウラン1200キロをトルコに移送し、代わりにイランが20%の高濃縮ウラン120キロを受け取るというものだった。トルコはイランの核武装を支援していると疑われ、ギュル大統領が強く否定する一幕もあった。

 一方、イスラエルとの関係は、アラブ諸国との関係改善とは対照的に悪化した。2009年のダボス世界経済フォーラムにおいて、エルドアンがイスラエルのペレス大統領の演説に抗議して途中退席すると、パレスチナを支持するアラブ諸国は大喝采をした。

シリア内戦からロシアとの関係改善

 しかし、シリアの内戦を契機に、トルコの対外関係は再度転換しはじめた。2011年アラブの春がシリアへも及んで内戦が始まると、シリア政府軍に迫害された多数の難民がトルコへ流入したからである。国外へ逃れたシリア難民の数は500万人以上、トルコは約350万人を受け入れたという。トルコはシリアに、反体制派の迫害を中止するよう求めたが、シリアは応じなかった。そしてトルコは反体制派を支援し始めた。

 ロシアは冷戦時代からシリアとの関係が深く、内戦においてもシリア政府を支持している。トルコとは対立関係にあったが、2015年11月、トルコ軍のミサイルがロシア軍機を撃墜する事件が起こると、両国関係は断交寸前まで悪化した。
しかし、エルドアン大統領が翌16年8月、サンクトペテルブルクでプーチン大統領に謝罪して以降、関係修復は急速に進んだ。
 17年12月、プーチンはアンカラを訪れ、エルドアンと会談した。おりしもトランプ大統領がイスラエルの首都をエルサレムと認定した直後であり、エルドアンは「無責任な決定が緊張を生み出している」、プーチンは「地域の問題を不安定化させている」などと対米批判を行った。

 両大統領は、シリアの内戦について随時意見交換を行っているという。

 トルコとロシアの関係改善は他の分野でも顕著であり、ロシア産ガスをトルコに送る天然ガスパイプラインの建設、ロシア国営原子力企業ロスアトムによるアククユ原子力発電所の建設、さらには、ロシアによるトルコ産トマト輸入禁止の解除などに合意している。
 なかでも、トルコがロシアから地対空ミサイルシステム「S400」を購入する契約を結んだことはNATOの一員としてあるまじき行為であり、注目を浴びた。

 トルコの関心は中国にも向いており、トルコはNATO防空システムと互換性のない中国の地対空ミサイルシステムHQ-9の導入を進めたが、さすがにこれは撤回した。
 
 また、トルコは上海協力機構に正式加盟を要請している(2012年に対話パートナーとなった)。トルコは中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に参加し、2017年5月、エルドアンは中国が重視している「一帯一路」サミットに出席した。

進まないEU加盟

 EUとの関係では、2005年に加盟交渉の開始が決定されたところまでは順調であったが、エルドアンに率いられてイスラム化が進むとトルコのEU加盟のプロセスは停滞気味になった。

 シリアの内戦はトルコとEUの間でも新たな問題を惹起した。シリア難民の多くをトルコが受け入れていることは前述したが、トルコ経由で欧州諸国へ向かう難民も多かった。EUはかねてからアフリカからの難民流入に悩まされていたが、それにシリア難民が加わったのである。

 負担の増大に耐えられなくなったEUはトルコと2016年3月、EUへの難民流入を抑制することについて合意した。これにより難民の渡欧は難しくなり、また、欧州で難民認定が受けられない難民は再度トルコが受け入れることになった。EUはトルコに戻される難民について一定の経費を負担するが、それにしてもトルコにとって難民対策の負担は非常に重くなっている。

 エルドアンは強力な政府を作ろうとして憲法改正に取り掛かったのだが、EUは、「トルコは欧州の価値観から大きく逸脱している。エルドアン大統領下でトルコは独裁的な国への道を進んでいる」などと批判した。EUは死刑が復活することも問題視した。

一方、トルコでは、このようなEU側の姿勢にエルドアンを支持する勢力が不満を募らせた。国民投票に先立ってトルコ政府はEU諸国に滞在している自国民を集めて集会を開こうとしたが、これら諸国はトルコ政府に協力せず、集会を認めなかった国もあった。トルコではそのときから不満が出ていたが、投票結果についてのEUのコメントには一層激しく反発した。エルドアン大統領の経済顧問は、難民流入の抑制に関するEUとの合意撤回も辞さないと発言した。

 トルコとしては、難民問題についてみずからの負担を増やしてまでしてEUを助けているのに、EUは自分たちの苦衷を理解せず、ただEUの基準を一方的に押し付けてくるという気持ちなのだろう。

 EU内部は難民問題をめぐって激しく揺れている。6月28日に開催されたEU首脳会議は翌日の午前4時半(現地時間)までかかり、国境管理の強化や亡命希望者に対応する収容センターの設立についてようやく合意に達したが、その実行は各国にゆだねられており、どこまで実効性がある解決策となるか疑問視されている。

2018.07.03

トルコの大統領選挙-新体制は安定するか

 トルコの大統領選挙は6月24日に行われ、エルドアン大統領が再選された。トルコでは、昨年の国民投票で憲法改正が僅差で承認されており、今回の大統領選挙と総選挙を経て新体制へ移行することになった。現行の議院内閣制は廃止され、新大統領は閣僚の任命や非常事態令の発令のほか、司法にも影響力を持つなど強い権限を与えられている。
 
 エルドアンは2003年に首相になって以来常に権力の座にあり、2014年、初めての直接選挙で大統領になったが、従来型の形式だけの大統領でなく実権を保持してきた。今回の大統領選で再選されたエルドアンは今後2期、10年間大統領職を続けられる。選挙時期を早めれば、さらに5年間延長することも可能だそうだ。そうすると、エルドアンは前後30年間最高権力を保持することになる。共和制トルコの「建国の父」としてあがめられているケマル・アタチュルクよりはるかに長い期間トルコの指導者となる道が開けたわけだ。

 エルドアンが国民の支持を受けた大きな理由は、建国以来の強い世俗主義をあらため、イスラムの復権を進めた点にあった。エルドアンは敬虔なイスラム教徒であり、かつて原理主義を扇動したとして実刑判決を受け服役したこともある。2001年にはイスラム主義の公正発展党(AKP)を立ち上げた。それ以来AKPは一貫してエルドアンを支持してきた。

 しかし、エルドアンは「世俗主義」をどこまで変えられたか。実は、選挙結果で見ると、AKPのかつての勢いは衰えを見せており、2015年の総選挙での支持率は半数を割り込んだ。
 2016年7月には、エルドアンのイスラム化方針に危機感を抱いた軍の一部勢力が都市部の知識階級やリベラル派の世俗主義者をバックにクーデタを起こした。クーデタ後、関与を疑われて拘束された者は10万人以上に上り、多数の軍人や公務員が職を追われた。メディアも100社以上が閉鎖を命じられ、200人以上の記者が逮捕された。締め付けは社会全体を萎縮させたと言われている。この事件は、エルドアンの力を見せつける一方、軍と司法機関にとっては大きなダメージであったが、世俗主義が後退したとみる人は少ない。
 そして今回の大統領選挙と総選挙でも、AKPは過半数の支持を獲得できず、極右政党との連立を余儀なくされた。

 一方、トルコは「世俗主義か、イスラム主義か」とは関係ないところで困難な問題を抱えている。

 第1は、シリア内戦と難民への対応である。シリアでは政府軍が支配地を拡大しつつあるが、トルコは反政府軍を支援してきたのでシリア政府との関係は困難になっている。また、シリア政府軍が勢力を拡大すればするほど難民が多くなるという、トルコにとってはまことにつらい状況がある。

 第2に、経済不振である。2017年は、トルコ・リラが20%ダウンしたことにもよるが、ドルベースではマイナス成長に陥った。対外債務も増加傾向にある。とくに、エルドアンの強権的かつ反西欧的姿勢を嫌って外国からの投資は2016年、17年と2年連続で減少した。これにはエルドアンとしても対応策を迫られるといわれている。

 第3に、山岳民族クルド人の動向もエルドアン体制を揺るがす危険がある。長い傾向で見れば、クルド人の自治権を拡大する方向で進んできが、最近はシリア内戦との関係でクルド人問題がふたたび険悪化してきた。
シリア内戦と過激派組織ISとの戦いにおいて、クルド人武装組織の「人民防衛隊(YPG)」は大きな役割を果たしたが、最近、トルコ政府はYPGをテロ組織とみなすようになり、多数のクルド人政治家を投獄した。これに対しクルド人は強く反発し、トルコ政府とクルド人は一種の悪循環に陥っている。
この問題はトルコと米国との関係にも影響を及ぼしている。米国はIS掃討作戦においてYPGの力を利用しており、トルコ政府を支持できないのである。

 トルコの内外の状況はかように厳しいので、新体制はこのままでは維持できなくなり、2,3年後には再選挙を余儀なくされるとの声もある。

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