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朝鮮半島

2016.05.17

(短評)日米韓ミサイル防衛合同演習

 日米韓3国は今年の夏ハワイ沖で弾道ミサイルの合同演習を行うことになったと報道されている。これは初めての試みだ。
 かつて、日韓両国の防衛協力や交流は2国間関係にあまり左右されずに維持されてきた。影響されそうになっても、報道に制限をかけること、いわば「静かに進める」ことにより問題化しないよう工夫がなされてきた。
 それでも朴槿恵政権になって両国関係がさらに落ち込むと、防衛協力にも顕著な影響が出てくるようになり、救助訓練や防衛担当者間の交流なども相次いで取り消された。
 そのような状況に比べると、今回日米韓で弾道ミサイルの合同演習を行うことになったのは大きな変化だ。昨年末以来の日韓関係の改善を反映しているのはもちろんだが、今回の合同演習は両国間の関係改善を固める意義がある。つまり、防衛当局者間の協力の再開は両国間関係の改善の結果だけでなく、そのさらなる改善に貢献すると思われる。

 一方、中国にとっては面白くないことだろう。北朝鮮の第4回目の核実験とそれに次ぐミサイルの発射実験に対抗して、さる3月、米韓両国が在韓米軍への高高度防衛ミサイル(THAAD)配備に関する実務協議が始めたことに強く反発していたが、今回明らかになった日米韓3国の合同演習は中国にとってそれに重なる不愉快な出来事であり、前回以上に強く反発することが予想される。
 
 韓国としてはそのような中国の反発を当然予想していただろうし、報道では日米による合同演習参加への求めにかなりためらったようだ。それも当然だが、そのような懸念を克服して参加を決定しただけに、韓国の日米との協力関係は本物になりつつある。韓国の外交姿勢が中国寄りから日米寄りに転換しつつあると印象さえあるが、あまり物事を単純化するのは危険だ。韓国の外交姿勢が日米韓というより大きな枠組みの中で幅が広がったという程度に見ておくべきかと思っている。
2016.05.10

朝鮮労働党大会

 朝鮮労働党第7回大会が5月6~9日、開催された。36年ぶりの党大会であり、様々な角度から観察されるのは当然だが、今回の党大会の最大の眼目は金正恩第1書記が北朝鮮の唯一・絶対の指導者であることを確立することにあり、その目的は達成したのだと思う。
 新設のポストである「党委員長」についたのは、祖父の金日成主席、父の金正日総書記と並ぶ指導者としてふさわしい肩書があったほうがよいという考えからだろう。もっとも、金正恩が「第1書記」から「党委員長」になっても直ちに実態が変わるのではない。
 一部ではすでに「党委員長」を肩書として使用し始めているようだが、本稿では従来通り「第1書記」と表示する。
 
 指導者としての地位の承認だけでない。金正恩第1書記は大会で過去4年半行ってきたことを報告し、承認された。具体的なことはいちいち示されないが、金正日総書記の逝去後、金正恩第1書記が新しい指導体制作りの過程で、義理の叔父にあたる張成沢を処刑するなどきわめて衝撃的なことを行ったことなども当然承認されたことになるのだろう。
 
 政策面では、金正恩政権の看板である経済改革と核開発の両方を進める「並進路線」が承認された。
 核実験は過激になりすぎて国際社会と鋭く対立し、ほとんど孤立状態に陥っているが、これも承認されたことに含まれている。
 経済改革を重視する路線が承認されたのはもちろんだ。
 要するに金正恩第1書記の指導下で今後も「並進路線」が継続されることになったのだ。

 今回の党大会では、金正恩第1書記の「軍ではなく党」を重視する考えが目立っていた。
 そもそも36年ぶりに党大会を開催したこと自体が象徴的だ。また、金正日時代の重要政策であった「先軍」が強調されなかったのも党重視のためである。

 金正恩第1書記は政権について以来軍の指導層について極端な人事を行ってきた。金正日総書記の葬列で霊柩車に付き添った5人の老軍人は、死亡した者を除き、すべて追放した。処刑した者もいると言われている。
軍のナンバー・ツー(ナンバー・ワンは金正恩)である総参謀長は、金正日時代に任命されていた李英浩を玄永哲に,次いで金格植に、さらに李永吉に代え、さらに今年に入ると李永吉も代えた(処刑した?)ので、金正恩は4年あまりの間に4回総参謀長を変えたことになる。
 人民武力相(防衛相に相当する)については総参謀長よりさらに頻繁に代えた。
 このようなことは、他の国ではありえないことであり、これを実行した金正恩第1書記のパワーは並々ならぬものだと思う。
 ただし、金正恩第1書記は軍を過度に重視することはしないにしても、軍の役割を縮小しようとしているとみなすのは早計にすぎる。これまでの変革はいずれも軍の指導層において起こったことであり、また、「軍よりも党」も指導層の問題だろうからである。そもそも核開発の継続にこだわるのは北朝鮮の軍事的環境を厳しく見ているからである。

 今回の党大会で決定された新しい指導部も注目された。金正恩第1書記以下、最高人民会議常任委員長の金永南、朝鮮人民軍総政治局長の黄炳誓、首相の朴奉珠、党書記の崔竜海の5人が政治局常務委員になったことだ。
 崔竜海は建国初期の人民武力相の子であり、金正日の葬儀時の序列は第18位であったが、その後金正恩の下でナンバー2にまで引き上げられた。しかし、その後下されては、また引き上げられた。それも1回でなく、同人の地位はエレベーターのように浮沈を繰り返した。『多維新聞』(米国に本拠地がある中国語新聞)などは同人がかつて3回地方での労働に追いやられたことがあると解説している。
 これだけの変遷を経ながらも崔竜海が今回北朝鮮のトップ5に入れたのは金正恩に対し絶対的に忠実だからだ。
 一方、黄炳誓は、崔竜海に代わって軍総政治局長に昇進した人物であり。党の組織部(人事を担当する)出身だ。当然金正恩の信頼が厚いのだろう。
 黄炳誓も崔竜海も軍服を着用していることが多いが、職業軍人でなく党官僚らしい。政治局常務委員に軍人はだれも入れなかったのにこれら2人を入れたのも党重視の表れと言える。

 以上、今回の党大会の意義に絞って記述してきたが、その成功、つまり、大会の目標を達成したことと、北朝鮮という国家がどう発展できるかは別問題だ。今回経済計画が発表されたようだが(報告の全文は未発表)、その実行も含め北朝鮮の行動次第である。
2016.04.29

(短評)北朝鮮の党大会開催の目的

 北朝鮮は4月27日、朝鮮労働党第7回大会を5月6日に開催すると発表した。1980年の第6回大会以来開かれていなかったので、36年ぶりといつも言われている。それは間違いでないが、今回の大会はむしろ46年前の、1970年の第5回大会に類似している。
 党規約では、党大会は原則として5年に1回開催されることになっている。労働党は1946年に「北朝鮮労働党」として発足し、後に「朝鮮労働党」となったのだが、第1回から1970年の第5回大会まではほぼ規約通り開催されていた。
 もっとも、発足から間もないころはより短い間隔で開かれていたとか、1966年は党大会でなく臨時に召集される「党代表者会」であったことは注記しておく必要がある。

 1970年の党大会は、金日成にチャレンジするライバルは党内にいなくなった状況下で開催され、金日成の絶対的指導体制を確立した。
 その後、党大会は規約通りには開かれなくなり、10年後の1980年に第6回大会が開催され、それ以降は全く開かれなかった。
 その理由は、金日成および金正日の指導体制がゆるぎなかったので党大会を開催する必要性がなかったのだと思う。
 金正恩第1書記は後継者となってすでに4年を超え、その間にさまざまなことが起こった。今回の党大会は、金正恩が北朝鮮の最高・唯一の指導者であることと(これまでは暫定的だった)、その下で行われた諸施策を正式に承認することが目的だ。大胆な核開発方針も承認されるのだろう。

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