オピニオン
2019.10.28
しかし、その発表内容は大変問題があります。ザページへ寄稿した一文をご覧ください。
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自衛隊の中東派遣に関する発表
さる18日、菅官房長官は、日本政府が自衛隊を中東地域へ派遣することを検討することになったと発表しました。しかし、その発表内容は大変問題があります。ザページへ寄稿した一文をご覧ください。
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2019.10.23
ハントケは日本ではあまり知られていない作家であり、ノーベル文学賞の受賞については、文学評論家など専門的な立場の人からは注目されたようだが、一般にはあまり関心を持たれなかった。
科学の分野では国別を問わない普遍性があるので、外国人の受賞についてもある程度関心を持ちやすい。しかし、文学の場合、作品を読んだことがないと考えようがない。厳格な選考基準で判断されたことなのでそれなりに価値のある受賞だろうとは思うが、具体的なイメージはわいてこない。
日本でのコメントは、ノーベル文学賞の受賞が欧州に偏っているなど比較的専門的な内容であったが、一部週刊誌は、ハントケが政治的に問題があり、ユーゴ国際刑事法廷で裁かれたミロシェビッチ元ユーゴ大統領を擁護する言動などがあったために欧米で激しく批判されていることを報道した。
実際欧米ではどのように受け止められているかというと、たしかに、批判されているが、受賞を擁護するコメントもある。BBCもニューヨークタイムズも、ハントケの政治的言動に問題があったことは認めつつ、肯定的に論評している。それをうのみにするのではないが、そのコメント内容には興味深い点がある。
第1は、今回の受賞でハントケ自身はメディアの激しい取材に悩まされたことであり、ハントケは「だれも私の作品を読みもしないで人から聞いた話を基に取材してくる。もうメディアの人には会わない」との趣旨を発言していることである。
第2は、以前ノーベル文学賞を受賞した人たちの中に、ハントケほどではないかもしれないが政治的に問題があった作家は何人もいたことであり、ハロルド・ピンター(2005年受賞)、ギュンター・グラス(1999年)、ホセ・サラマゴ(1998年)、ガブリエル・マルケス(1982年)、ジャン・ポール・サルトル(1964年)などの実例が挙げられている。
第3は、そのように優れた作家が政治的に問題のある言動を行ったことを肯定するのではないが、大事なことは作品であるという姿勢でコメントしていることである。日本でも作家が政治に興味を持つことはないではないが、欧米とは比較にならない。欧米のような状況をどう見るか、見方は分かれるかもしれないが、作品第一主義を貫きつつ、政治にも関心を持つことを間接的に認めることは欧米のパワーの一つではないかと思われる。
2019年度ノーベル文学賞
スウェーデン・アカデミーは10月10日、2019年のノーベル文学賞をオーストリアの作家ペーター・ハントケに授与すると発表した。昨年は、アカデミー関係者のスキャンダルで受賞者を発表できなかったので、18年度の賞を得たポーランドの作家オルガ・トカルチュクと同時発表となった。ハントケは日本ではあまり知られていない作家であり、ノーベル文学賞の受賞については、文学評論家など専門的な立場の人からは注目されたようだが、一般にはあまり関心を持たれなかった。
科学の分野では国別を問わない普遍性があるので、外国人の受賞についてもある程度関心を持ちやすい。しかし、文学の場合、作品を読んだことがないと考えようがない。厳格な選考基準で判断されたことなのでそれなりに価値のある受賞だろうとは思うが、具体的なイメージはわいてこない。
日本でのコメントは、ノーベル文学賞の受賞が欧州に偏っているなど比較的専門的な内容であったが、一部週刊誌は、ハントケが政治的に問題があり、ユーゴ国際刑事法廷で裁かれたミロシェビッチ元ユーゴ大統領を擁護する言動などがあったために欧米で激しく批判されていることを報道した。
実際欧米ではどのように受け止められているかというと、たしかに、批判されているが、受賞を擁護するコメントもある。BBCもニューヨークタイムズも、ハントケの政治的言動に問題があったことは認めつつ、肯定的に論評している。それをうのみにするのではないが、そのコメント内容には興味深い点がある。
第1は、今回の受賞でハントケ自身はメディアの激しい取材に悩まされたことであり、ハントケは「だれも私の作品を読みもしないで人から聞いた話を基に取材してくる。もうメディアの人には会わない」との趣旨を発言していることである。
第2は、以前ノーベル文学賞を受賞した人たちの中に、ハントケほどではないかもしれないが政治的に問題があった作家は何人もいたことであり、ハロルド・ピンター(2005年受賞)、ギュンター・グラス(1999年)、ホセ・サラマゴ(1998年)、ガブリエル・マルケス(1982年)、ジャン・ポール・サルトル(1964年)などの実例が挙げられている。
第3は、そのように優れた作家が政治的に問題のある言動を行ったことを肯定するのではないが、大事なことは作品であるという姿勢でコメントしていることである。日本でも作家が政治に興味を持つことはないではないが、欧米とは比較にならない。欧米のような状況をどう見るか、見方は分かれるかもしれないが、作品第一主義を貫きつつ、政治にも関心を持つことを間接的に認めることは欧米のパワーの一つではないかと思われる。
2019.09.25
この発言をもってイランが米国と対話する考えになったとはただちには言えない。「制裁が解除されれば」という条件が付いているし、「小さな修正や追加について議論する用意がある」というのもどれほどのことか明確でない。したがって、ローハニ大統領のこの発言は表面的には従来からの姿勢と変わらないと言えるかもしれない。
しかし、この発言はやはり注目される。
第1に、この発言全体が穏やかな口調で語られており、トランプ米大統領に、米国が希望するなら条件次第で対話に応じる用意があるとのサインを送っていると解釈できるからである。
ローハニ大統領は、欧米諸国からも積極的に評価される人物であることは差し引いてみなければならないが、それにしてもこの発言は穏やかである。
第2に、9月14日、サウジアラビア東部のアブカイク及びクライスにある石油生産・出荷基地に対して行われた無人機(ドローン)攻撃に関し、イランに厳しい姿勢を取る米国は、当初、イランを責めていたが、その後慎重姿勢に転じた。一方、23日には英独仏の首脳がサウジへの攻撃には「イランに責任がある」との共同声明を行った。従来、欧州諸国はイランに理解を示し、米国の一方的離脱には批判的であったのと比べると逆の形になったのである。
英独仏が言っている「イランに責任がある」とは、イランが攻撃したという意味でない。慎重に言えば、イランが「関与した」ということであり、具体的には攻撃をしたイェーメンの反政府勢力フーシ派を、「止めなかった」、あるいは「何らかの便宜を与えた」ことなどがありうる。
そして注目すべきは、この厳しい声明に対するイランの反応が穏やかなことである。しかも、その声明の後でローハニ大統領は米国との対話に関して穏やかな、積極的とも見られる発言を行ったのである。つまり、きついことを言われたのにローハニ氏は穏やかな発言を行ったのである。この時系列も見逃せない。
さらに、ローハニ大統領の、英仏独の煮え切らない態度に業を煮やして「制限破り」の第3弾を行うとの9月4日の発言とも著しくトーンが違っている。このように見ていくと、ローハニ大統領は「イランに責任がある」ことを、明言はできないが、事実上認めているのではないかと思われる。
では、一体、イランの誰が攻撃に関与したのかという疑問が残る。ここから先はさらに大胆な仮説になるのだが、イランの内部には必ずしも大統領の了承なしに国際的に問題となる行動をする者がいるのではないかという仮説である。仮説は安易に拡大すべきでないが、ホルムズ海峡で起こっていることはこのような仮説が正しいことを裏付けているとも解釈できる。
ともかく、今回の石油施設攻撃は断じて許されない蛮行であったが、これを奇貨として、イランと米英仏独が穏やかな解決に向けて前進してもらいたいものである。
イランの核合意見直しに関するローハニ大統領の発言
国連総会に出席中のイランのローハニ大統領は9月24日、記者団に対し、「制裁が解除されれば、米国が一方的に離脱した核合意に関し、小さな修正や追加について議論する用意がある」と述べたと伝えられた。この発言をもってイランが米国と対話する考えになったとはただちには言えない。「制裁が解除されれば」という条件が付いているし、「小さな修正や追加について議論する用意がある」というのもどれほどのことか明確でない。したがって、ローハニ大統領のこの発言は表面的には従来からの姿勢と変わらないと言えるかもしれない。
しかし、この発言はやはり注目される。
第1に、この発言全体が穏やかな口調で語られており、トランプ米大統領に、米国が希望するなら条件次第で対話に応じる用意があるとのサインを送っていると解釈できるからである。
ローハニ大統領は、欧米諸国からも積極的に評価される人物であることは差し引いてみなければならないが、それにしてもこの発言は穏やかである。
第2に、9月14日、サウジアラビア東部のアブカイク及びクライスにある石油生産・出荷基地に対して行われた無人機(ドローン)攻撃に関し、イランに厳しい姿勢を取る米国は、当初、イランを責めていたが、その後慎重姿勢に転じた。一方、23日には英独仏の首脳がサウジへの攻撃には「イランに責任がある」との共同声明を行った。従来、欧州諸国はイランに理解を示し、米国の一方的離脱には批判的であったのと比べると逆の形になったのである。
英独仏が言っている「イランに責任がある」とは、イランが攻撃したという意味でない。慎重に言えば、イランが「関与した」ということであり、具体的には攻撃をしたイェーメンの反政府勢力フーシ派を、「止めなかった」、あるいは「何らかの便宜を与えた」ことなどがありうる。
そして注目すべきは、この厳しい声明に対するイランの反応が穏やかなことである。しかも、その声明の後でローハニ大統領は米国との対話に関して穏やかな、積極的とも見られる発言を行ったのである。つまり、きついことを言われたのにローハニ氏は穏やかな発言を行ったのである。この時系列も見逃せない。
さらに、ローハニ大統領の、英仏独の煮え切らない態度に業を煮やして「制限破り」の第3弾を行うとの9月4日の発言とも著しくトーンが違っている。このように見ていくと、ローハニ大統領は「イランに責任がある」ことを、明言はできないが、事実上認めているのではないかと思われる。
では、一体、イランの誰が攻撃に関与したのかという疑問が残る。ここから先はさらに大胆な仮説になるのだが、イランの内部には必ずしも大統領の了承なしに国際的に問題となる行動をする者がいるのではないかという仮説である。仮説は安易に拡大すべきでないが、ホルムズ海峡で起こっていることはこのような仮説が正しいことを裏付けているとも解釈できる。
ともかく、今回の石油施設攻撃は断じて許されない蛮行であったが、これを奇貨として、イランと米英仏独が穏やかな解決に向けて前進してもらいたいものである。
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