オピニオン
2020.11.13
菅首相外交の滑り出し
バイデン次期大統領と各国首脳との外交事始めは異例の事態と-
なった。トランプ大統領がバイデン氏の勝利を選挙後も認めないからであり、各国首脳にとっては、いつバイデン氏を次期大統領と扱うか、微妙な問題となった。早すぎるとトランプ大統領に外国からダメ出しすることになるが、遅すぎると米新政権との関係に悪影響が生じるからである。
各国首脳は、CNNテレビが米東部時間7日午前11時24分(日本時間8日午前1時24分)、米メディアで最初に当選確実を報じたのを待って、ツイッターで祝意の表明を開始した。最も早かったのはカナダのトルドー首相で、当確報道から38分後であり、次いでジョンソン英首相、マクロン仏大統領、コンテ伊首相、メルケル独首相と続き、菅首相はG7で最後になった。当確から5時間を過ぎていた。
祝意の表明は新政権との外交の第1ラウンドであったが、その順番は各国が決めることであり、それが1番になろうと、6番(G7で最後)になろうと大した問題でない。しかし、欧米では違った見方があった。イスラエルのネタニヤフ首相は8日に祝意を表明したのだが、ロイター電は「各国よりも遅れた」とコメントしたのである。
つぎに、バイデン氏は各国首脳と電話会談を行った。これは私人同士の電話とちがって、双方合意で行う、外交の第2ラウンドであった。このときもトルドー氏は最も早く、9日であった。バイデン氏がジョンソン、マクロン、メルケル各氏と会談したのは10日だった。
菅氏とバイデン氏の会談は12日であり、時差を考慮すれば米国では11日であったが、それでも他のG7諸国とは1日遅れであった。電話会談は祝意の表明よりも外交的意味が大きいが、その順番は目くじら立てるほどのことではないとも考えられる。かといってそんなことは重要な問題でないと割り切れるものでもない。時と場合によっては二国間関係に影響しうる。
カナダのトルドー氏は祝意の表明も、電話会談もだれよりも早かった。電話会談については政権移行チームがある程度調整するだろうことを考えれば、トルドー氏の迅速な祝意表明がとくに評価された可能性もありうる。
ともかく重要なことは菅氏とバイデン氏が何を話し合ったかであり、バイデン氏から尖閣諸島に日米安保条約第5条が適用されることを確約すると表明したことが大きく伝えられた。バイデン氏が日本をめぐる状況と日本政府が重視していることをよく理解していると解することは可能だろう。しかし、全体で約15分間の会談であり、両者は政治、経済、安全保障など重要課題について、上手に時間を使って話し合われなければならなかった。しかるに、報道されている限り、尖閣諸島問題がバランスを失して大きな話題となったのではないか。もっと大きな問題は、今後、日米両国が中国との関係をどのように考えていくかということであり、尖閣諸島問題はその一部に過ぎない。
バイデン氏側の発表文には「尖閣」の文字はなかったことにも、かれらの基本的考えが表れているのではないか。
ともかく、今回はわずか15分間の第2ラウンドであった。第3ラウンドは菅首相が訪米し、バイデン大統領(予定)と対面して行う会談であり、これは前2回のラウンドとは比較にならないくらい重要である。菅首相には、日本の新しい指導者であることを力強くアピールしてもらいたい。初めての外交舞台となると慎重に振舞おうとしがちであるが、官僚の書いた原稿を読み上げるようなことはやめてもらいたい。少々の誤りがあっても何ら差し支えない。菅氏は、自分自身の性格をあらわにして自分の考えを話すのが最良の方法であると考える。
2020.10.21
この判断を受け、事業主の日本原燃は、2022年度上期に新工場の稼働を開始する準備を進めている。本格的に稼働すればプルトニウムが最大で年間約8トン抽出される。プルトニウムを減少させる方策は八方ふさがりの状況に陥っているにもかかわらず、プルトニウムの保有は今後増大していくのである。
日本の原子力政策に米国は協力しつつも懸念を抱いている。原子力発電により核爆弾の原料となるプルトニウムが作り出されるからである。日本は2019年末現在、約45.5トンのプルトニウムを国内外に保有している(2020年8月21日内閣府原子力政策担当室「我が国のプルトニウム管理状況」)。これは原爆6千発を製造するのに足りる量である。
日本政府は、このプルトニウムは兵器目的でなく、原発の燃料として使用する計画(いわゆる「核燃料サイクル」)であり、国際社会に対し「利用目的のないプルトニウムは持たない」と説明している。
日本は、この計画のため、「高速増殖炉」(「もんじゅ」)を建設し、1994年から稼働し始めたが、すぐに事故続きとなり運転できなくなってしまった。「高速増殖炉」は、現在原発に使われている「軽水炉」と違って、冷却が極めて困難なことなど技術的なハードルがあまりに高いためである。稼働できなくなった「もんじゅ」はそれでも二十数年間維持されたが、維持費は1日に5500万円もかかった。結局、手に負えなくなった政府は2016年に廃炉を決定した。
しかし、廃炉を完了するのは一大作業である。「もんじゅ」から、使用済みの燃料、ナトリウム、建物、機械類など合わせて、約2万6700トンの廃棄物が出ると見込まれており、これを処理しなければならないが、いつ、どこで、どのように処理するか全くめどはたっていない。地元の福井県は県外に搬出するように求めているが、現在までのところどこにも搬出できない状態が続いている。搬出先は廃炉から5年以内に決めることになっているが、見通しは立っていない。
「もんじゅ」は廃炉となったが、「核燃料サイクル」が廃止されたのではない。現在、政府は「高速増殖炉」に代わるプルトニウム使用の原子炉(単に「高速炉」と呼ばれている)の建設を検討中である。
しかし、それは一体可能か、重大な疑義がある。「核燃料サイクル」はもともと1970年代の初頭に実用化すると予定されていたが、実際には「もんじゅ」に象徴されるように問題が続発し、予定は次々に延長され、2005年には2050年ごろに実用化するとの新たな予定が立てられた。この経緯だけを見ても「核燃料サイクル」がいかに非現実的であるか明らかであろう。
国際的に見れば日本の特異な状況がいっそう浮かび上がる。米国など原子力先進国といわれる国々では1940年代から、発電用の燃料確保のために「高速増殖炉」の開発を始めていた。しかし、事故が続出し、実用化に見合うだけの経済性は見込めないと判断し、80~90年代に次々に「高速増殖炉」の開発を放棄してしまった。フランスは遅れたが、それでも1998年に「高速増殖炉SPX-1(スーパーフェニックス-1)」の廃炉を決定した。
そしてフランスはSPX-1に続く原子炉としてSPX-2の建設を検討し始め、研究開発費の削減や開発リスクの低減を考えて英国やドイツと協力してヨーロッパ統一の原子炉(欧州統合実証炉)の建設設計を始めたが、結局これも「SPX-1のトラブルの影響と、世界的な「高速増殖炉」の低調な建設意欲の中で計画は打ち切られた」(日本原子力研究開発機構の資料「フランスの高速増殖炉研究開発 (03-01-05-05)」)。
つまり、フランスの有名な「高速炉スーパーフェニックス」は、いったん完成された第1号機はすでに廃炉が進められており、未完成の新型第2号機の開発も事実上とん挫しているのである。
各国が開発を継続できないと判断している中で、日本だけが「核燃料サイクル」を維持して「高速炉」を開発しようとしているのだが、それは可能なこととは思えない。日本は、主要原発国の一つであるが、原子力利用の点では決して最先進国でない。原発後進国と言われたこともあった。それが現実である。
また、日本は使用済み燃料を再処理して軽水炉でもプルトニウムを消費できるようにしようとしているが、この方法でも放射性廃棄物の処分が事実上できないという壁をクリアできない。このように見るのが正しければ、日本が内外で保有する約45.5トンのプルトニウムを減少させることはできないと判断すべきである。
しかるに現在、日本は「核燃料サイクル」の実現に向け新たな一歩をふみだそうとしている。日本の原子力規制委員会は10月7日、使用済みの核燃料から取り出したプルトニウムを加工して新しい燃料を作る国内初の「六ヶ所再処理工場」について、新しい規制基準に適合しているとの判断を下した。事実上の合格だという。
この判断を受け、事業主の日本原燃は、2022年度上期に新工場の稼働を開始する準備を進めている。本格的に稼働すればプルトニウムが最大で年間約8トン抽出される。プルトニウムを減少させる方策は八方ふさがりの状況に陥っているにもかかわらず、プルトニウムの保有は今後増大していくのである。
経費的にも大問題であり、今まで「10兆円の巨費を投じても実現のめどが立っていない」とも言われている。「もんじゅ」の建設費が5900億円、稼働していないが年間に200億円弱の経費が掛かっており、「六ヶ所再処理工場」は建設が完了した付随の施設だけで2兆1千億円かかっており、維持費として年間1100億円費やされていることにかんがみれば、この数字は決して誇張とは思われない。ちなみに、この費用は基本的には電気料金などの形で国民が負担している。
これはこれまでかかった費用であり、今後「核燃料サイクル」をあくまで進めていこうとすれば、この数倍の費用が必要となるだろう。
プルトニウムの大量保有と「核燃料サイクル」の問題は日本の中だけにとどまらない。、結局は日本と日本人の信頼性に関わってくる。「核燃料サイクル」は、「六ケ所再処理工場」の稼働に向け動き出す前に抜本的な見直しが必要である。
原子力政策とプルトニウム問題
日本の原子力規制委員会は2020年10月7日、使用済みの核燃料から取り出したプルトニウムを加工して新しい燃料を作る国内初の「六ヶ所再処理工場」について、新しい規制基準に適合しているとの判断を下した。事実上の合格だという。この判断を受け、事業主の日本原燃は、2022年度上期に新工場の稼働を開始する準備を進めている。本格的に稼働すればプルトニウムが最大で年間約8トン抽出される。プルトニウムを減少させる方策は八方ふさがりの状況に陥っているにもかかわらず、プルトニウムの保有は今後増大していくのである。
日本の原子力政策に米国は協力しつつも懸念を抱いている。原子力発電により核爆弾の原料となるプルトニウムが作り出されるからである。日本は2019年末現在、約45.5トンのプルトニウムを国内外に保有している(2020年8月21日内閣府原子力政策担当室「我が国のプルトニウム管理状況」)。これは原爆6千発を製造するのに足りる量である。
日本政府は、このプルトニウムは兵器目的でなく、原発の燃料として使用する計画(いわゆる「核燃料サイクル」)であり、国際社会に対し「利用目的のないプルトニウムは持たない」と説明している。
日本は、この計画のため、「高速増殖炉」(「もんじゅ」)を建設し、1994年から稼働し始めたが、すぐに事故続きとなり運転できなくなってしまった。「高速増殖炉」は、現在原発に使われている「軽水炉」と違って、冷却が極めて困難なことなど技術的なハードルがあまりに高いためである。稼働できなくなった「もんじゅ」はそれでも二十数年間維持されたが、維持費は1日に5500万円もかかった。結局、手に負えなくなった政府は2016年に廃炉を決定した。
しかし、廃炉を完了するのは一大作業である。「もんじゅ」から、使用済みの燃料、ナトリウム、建物、機械類など合わせて、約2万6700トンの廃棄物が出ると見込まれており、これを処理しなければならないが、いつ、どこで、どのように処理するか全くめどはたっていない。地元の福井県は県外に搬出するように求めているが、現在までのところどこにも搬出できない状態が続いている。搬出先は廃炉から5年以内に決めることになっているが、見通しは立っていない。
「もんじゅ」は廃炉となったが、「核燃料サイクル」が廃止されたのではない。現在、政府は「高速増殖炉」に代わるプルトニウム使用の原子炉(単に「高速炉」と呼ばれている)の建設を検討中である。
しかし、それは一体可能か、重大な疑義がある。「核燃料サイクル」はもともと1970年代の初頭に実用化すると予定されていたが、実際には「もんじゅ」に象徴されるように問題が続発し、予定は次々に延長され、2005年には2050年ごろに実用化するとの新たな予定が立てられた。この経緯だけを見ても「核燃料サイクル」がいかに非現実的であるか明らかであろう。
国際的に見れば日本の特異な状況がいっそう浮かび上がる。米国など原子力先進国といわれる国々では1940年代から、発電用の燃料確保のために「高速増殖炉」の開発を始めていた。しかし、事故が続出し、実用化に見合うだけの経済性は見込めないと判断し、80~90年代に次々に「高速増殖炉」の開発を放棄してしまった。フランスは遅れたが、それでも1998年に「高速増殖炉SPX-1(スーパーフェニックス-1)」の廃炉を決定した。
そしてフランスはSPX-1に続く原子炉としてSPX-2の建設を検討し始め、研究開発費の削減や開発リスクの低減を考えて英国やドイツと協力してヨーロッパ統一の原子炉(欧州統合実証炉)の建設設計を始めたが、結局これも「SPX-1のトラブルの影響と、世界的な「高速増殖炉」の低調な建設意欲の中で計画は打ち切られた」(日本原子力研究開発機構の資料「フランスの高速増殖炉研究開発 (03-01-05-05)」)。
つまり、フランスの有名な「高速炉スーパーフェニックス」は、いったん完成された第1号機はすでに廃炉が進められており、未完成の新型第2号機の開発も事実上とん挫しているのである。
各国が開発を継続できないと判断している中で、日本だけが「核燃料サイクル」を維持して「高速炉」を開発しようとしているのだが、それは可能なこととは思えない。日本は、主要原発国の一つであるが、原子力利用の点では決して最先進国でない。原発後進国と言われたこともあった。それが現実である。
また、日本は使用済み燃料を再処理して軽水炉でもプルトニウムを消費できるようにしようとしているが、この方法でも放射性廃棄物の処分が事実上できないという壁をクリアできない。このように見るのが正しければ、日本が内外で保有する約45.5トンのプルトニウムを減少させることはできないと判断すべきである。
しかるに現在、日本は「核燃料サイクル」の実現に向け新たな一歩をふみだそうとしている。日本の原子力規制委員会は10月7日、使用済みの核燃料から取り出したプルトニウムを加工して新しい燃料を作る国内初の「六ヶ所再処理工場」について、新しい規制基準に適合しているとの判断を下した。事実上の合格だという。
この判断を受け、事業主の日本原燃は、2022年度上期に新工場の稼働を開始する準備を進めている。本格的に稼働すればプルトニウムが最大で年間約8トン抽出される。プルトニウムを減少させる方策は八方ふさがりの状況に陥っているにもかかわらず、プルトニウムの保有は今後増大していくのである。
経費的にも大問題であり、今まで「10兆円の巨費を投じても実現のめどが立っていない」とも言われている。「もんじゅ」の建設費が5900億円、稼働していないが年間に200億円弱の経費が掛かっており、「六ヶ所再処理工場」は建設が完了した付随の施設だけで2兆1千億円かかっており、維持費として年間1100億円費やされていることにかんがみれば、この数字は決して誇張とは思われない。ちなみに、この費用は基本的には電気料金などの形で国民が負担している。
これはこれまでかかった費用であり、今後「核燃料サイクル」をあくまで進めていこうとすれば、この数倍の費用が必要となるだろう。
プルトニウムの大量保有と「核燃料サイクル」の問題は日本の中だけにとどまらない。、結局は日本と日本人の信頼性に関わってくる。「核燃料サイクル」は、「六ケ所再処理工場」の稼働に向け動き出す前に抜本的な見直しが必要である。
2020.10.02
新会長に選ばれたノーベル賞受賞者の梶田隆章・東京大宇宙線研究所長も、「極めて重要な問題で、しっかり対処していく必要がある。6人を任命しなかった理由について菅首相に説明を求めることを検討する」と述べている(引用の形式は一部修正した)。
学術会議から推薦された人物について任命を拒否した政府の姿勢については以下の問題があると考える。
まず学術会議の性格であるが、「行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24年(1949年)1月、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立された」。具体的な役割は、次の4つである。
〇政府に対する政策提言
〇国際的な活動
〇科学者間ネットワークの構築
〇科学の役割についての世論啓発
新会員の推薦が学術会議の趣旨にかなうか、慎重な検討の上行われたことは明らかであるが、政府が推薦に反対することは可能である。学術会議が推薦したからと言って推薦された人物について絶対的な保証があるわけはない。新会員の候補者による研究結果が100%正しいとは限らない。
しかし、政府としては政府の方針に反対の意見をシャットアウトすべきでない。問答無用と突っぱねるべきでない。任命しないとの結論だけを押し付けるべきでない。少数であっても貴重な意見に耳を傾けるべきである。
学術会議が政府の方針に賛成する学者だけで構成されるようになれば、翼賛会的な機関になる危険が増大する。そうなることは、政府にとって一時的に都合がよいかもしれないが、日本のためにならない。政府に都合の悪い意見を反政府的だなどと決めつけたり、排除したりすることがいかに危険なことであるか、日本国民はかつて嫌というほど経験した。今回、政府が行った、反論の機会も与えず、ただ排除したことはその轍を踏むことに他ならない。
政治の信頼を取り戻すことも重要である。政府は権力を持つが国民全体のことを考えていることを実際に示してほしい。問題だと考える実質的な理由については何も説明せず、ただ、「今までも新会員の任命に問題はないか検討してきた。今回対応が変わったわけではない」と繰り返すだけでは、政治不信はますます深まるだろう。
日本学術会議の新会員に関する政府の拒否
日本学術会議が8月末、新会員として政府に推薦した105人のうち6人が、菅義偉首相によって任命されなかった。会長(当時)の山極寿一・京都大前総長がそのことを知らされたのは9月28日の夜だったという。政府から任命拒否についての理由説明は一切なく、山極会長は「6人の方が新会員に任命されなかったのは初めてのことで、大変驚いた。菅首相あてに文書で説明を求めたが、回答はなかった」と説明した。新会長に選ばれたノーベル賞受賞者の梶田隆章・東京大宇宙線研究所長も、「極めて重要な問題で、しっかり対処していく必要がある。6人を任命しなかった理由について菅首相に説明を求めることを検討する」と述べている(引用の形式は一部修正した)。
学術会議から推薦された人物について任命を拒否した政府の姿勢については以下の問題があると考える。
まず学術会議の性格であるが、「行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24年(1949年)1月、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立された」。具体的な役割は、次の4つである。
〇政府に対する政策提言
〇国際的な活動
〇科学者間ネットワークの構築
〇科学の役割についての世論啓発
新会員の推薦が学術会議の趣旨にかなうか、慎重な検討の上行われたことは明らかであるが、政府が推薦に反対することは可能である。学術会議が推薦したからと言って推薦された人物について絶対的な保証があるわけはない。新会員の候補者による研究結果が100%正しいとは限らない。
しかし、政府としては政府の方針に反対の意見をシャットアウトすべきでない。問答無用と突っぱねるべきでない。任命しないとの結論だけを押し付けるべきでない。少数であっても貴重な意見に耳を傾けるべきである。
学術会議が政府の方針に賛成する学者だけで構成されるようになれば、翼賛会的な機関になる危険が増大する。そうなることは、政府にとって一時的に都合がよいかもしれないが、日本のためにならない。政府に都合の悪い意見を反政府的だなどと決めつけたり、排除したりすることがいかに危険なことであるか、日本国民はかつて嫌というほど経験した。今回、政府が行った、反論の機会も与えず、ただ排除したことはその轍を踏むことに他ならない。
政治の信頼を取り戻すことも重要である。政府は権力を持つが国民全体のことを考えていることを実際に示してほしい。問題だと考える実質的な理由については何も説明せず、ただ、「今までも新会員の任命に問題はないか検討してきた。今回対応が変わったわけではない」と繰り返すだけでは、政治不信はますます深まるだろう。
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