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2013.08.04

高崗の記念碑

高崗記念碑の竣工式が6月23日行われたという。8月2日の鳳凰網(香港のフェニックス・テレビ)が写真付きで報道している。死亡したのは1954年であり、毛沢東、劉少奇、周恩来、鄧小平らと対立し、批判されたのが原因であるというのは歴史事実である。
部分的であるにせよ、この人物を誰が名誉回復しているのか。中共中央が認めていないはずはない。背景は何か。

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2013.08.04

鄧小平の三女鄧榕の出国

鄧小平の三女鄧榕(「鄧蓉」とも書く)が、7月28日の早朝、家族とともにオーストラリアへ出国した、これに先立つ6月下旬、鄧樸方(兄。文革中の迫害が原因で障碍者となった)が1千億ドルを持ち出して出国し行方不明となっており、北京はその行方を追っている、と7月28日の多維新聞(海外に活動拠点がある中国語サイト)が伝えている。ただし、これらはネットで流れている情報であり、事実は必ずしも確認されていないとも付言している。
鄧榕は鄧小平の私設秘書を務めた。『わが父鄧小平』の著書があり、子女のなかでも鄧小平について対外的にもっともよく説明した人物である。「補聴器兼拡声器」とも綽名されていた。
中共中央の権力闘争と関係があるか、全く個人的な問題か不明。

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2013.08.01

麻生副総理の憲法改正発言

7月29日の麻生副総理の憲法改正に関する発言のうち、ナチスへの言及については多くの人、国から指摘、批判されているので繰り返さない。
発言全体を通じて理解できないのは、「憲法の改正は狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない」と繰り返し述べていることである。その後の同副総理の説明でもそれが言いたかったことであることをあらためて確認している。
しかしながら、憲法の改正という一大事について激しい議論が起こるのは当然であり、憲法改正が静かに、粛々と進むというのは想定できないどころか、むしろあってはならないことである。
麻生副総理は「狂騒、狂乱」という言葉を使っているが、具体的にどのような事態を想定しているのか。また、実際にそのような言葉が適切な事態が起こっているのか。

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