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2016.08.17
「首相や大統領に一番近い人が日本語を話せる国はどこか。米国ではない。中国でもない。韓国も多分そうではない。ロシアがそうである。8月12日(金曜日)大統領府のトップの任命があった。アントン・ヴァイノである。
ソ連邦時代にエストニアで生まれ、モスクワ国際関係大学を卒業。エストニアはフィンランドと隣接し、言葉はフィンランド語ないしそれに近い。父親がエストニア共産党第一書記だったが、1989年の政変後ロシア連邦に移る。1989年以前、父親の勤め先のひとつがロシア大使館(狸穴)だった。アントン少年は幼少時過ごした六本木はなじみの土地であり、六本木の中学校を卒業している。当然、日本語はちゃんとできる。フィンランド語はそもそもウラル・アルタイ語系で日本語とも親近性がある。しかもバルト系の人には普通のことだが、英語、ドイツ語などいくつかが使える。
なぜこの時期にこのような人事が行われたか。わからない。前任者は大統領に最も信頼されていたとされるセルゲイ・イヴァノフである。交代儀式の折りにも大統領からの説明はない。ありうる説明としては大統領の訪日に関連したものがある。この秋である。
すでに鳩山一郎の秘書の子息であった故若宮啓文氏の手になる『北方領土問題の内幕』2016年に舞台裏がよく書かれている。河野一郎農水大臣はブルガーニン首相と日本語側の通訳なしで会談している。河野一郎が外務省嫌いだったことが関係しているのかもしれない。それに日本人はロシア語がなかなか上手になれる方が人口比でみて少ないような気がする。私も20歳前後数年かなり頑張ったのだが、その後全然使用しなかったためか、ロシア語の論文20ページ読もうとすると、決意を固めて集中して始めても予定時間の2時間で読めるどころか、2年間になるのではないかと恐怖が襲う。大体分かるのだが、日本語とロシア語は相性が悪いのではないか。アントン・ヴァイノは日本語が上手なはずである。けれども通訳は別にいるだろう。日本側が誰になるか。上手な方になってもらったらと思う。
アントン・ヴァイノの少し前に、国防大臣にセルゲイ・ショイグーが任命されている。ショイグーはトゥヴァの出身、シベリアのど真ん中で、モンゴルの西隣の自治共和国出身である。言語はいろいろできるようで日本語やトルコ語も入っている。趣味には刀収集、とりわけ日本刀の収集とある。国防大臣までもが、日本語ができる国がほかにあるでしょうか。米国はそうでない。中国もそうでない。韓国も多分そうでない。トゥヴァは最近ロシアの世論調査で驚かした。ロシア連邦はとても広いし、経済が最近不景気なせいか、しあわせと応える割合がすくないはずである。トゥヴァではなんと87%がとてもしあわせ、ないし、しあわせと答えているのだ。
最近人事二件だけをみてどうということもない。しかし、なにかがある気がする。秋の深まる頃、プーティンの訪日の際、この二人に注目したい。」
ロシア大統領府長官の交代-新任は日本通
猪口孝新潟県立大学学長の書かれた次の一文は参考になるので、同学長の許可を得て掲載します。「首相や大統領に一番近い人が日本語を話せる国はどこか。米国ではない。中国でもない。韓国も多分そうではない。ロシアがそうである。8月12日(金曜日)大統領府のトップの任命があった。アントン・ヴァイノである。
ソ連邦時代にエストニアで生まれ、モスクワ国際関係大学を卒業。エストニアはフィンランドと隣接し、言葉はフィンランド語ないしそれに近い。父親がエストニア共産党第一書記だったが、1989年の政変後ロシア連邦に移る。1989年以前、父親の勤め先のひとつがロシア大使館(狸穴)だった。アントン少年は幼少時過ごした六本木はなじみの土地であり、六本木の中学校を卒業している。当然、日本語はちゃんとできる。フィンランド語はそもそもウラル・アルタイ語系で日本語とも親近性がある。しかもバルト系の人には普通のことだが、英語、ドイツ語などいくつかが使える。
なぜこの時期にこのような人事が行われたか。わからない。前任者は大統領に最も信頼されていたとされるセルゲイ・イヴァノフである。交代儀式の折りにも大統領からの説明はない。ありうる説明としては大統領の訪日に関連したものがある。この秋である。
すでに鳩山一郎の秘書の子息であった故若宮啓文氏の手になる『北方領土問題の内幕』2016年に舞台裏がよく書かれている。河野一郎農水大臣はブルガーニン首相と日本語側の通訳なしで会談している。河野一郎が外務省嫌いだったことが関係しているのかもしれない。それに日本人はロシア語がなかなか上手になれる方が人口比でみて少ないような気がする。私も20歳前後数年かなり頑張ったのだが、その後全然使用しなかったためか、ロシア語の論文20ページ読もうとすると、決意を固めて集中して始めても予定時間の2時間で読めるどころか、2年間になるのではないかと恐怖が襲う。大体分かるのだが、日本語とロシア語は相性が悪いのではないか。アントン・ヴァイノは日本語が上手なはずである。けれども通訳は別にいるだろう。日本側が誰になるか。上手な方になってもらったらと思う。
アントン・ヴァイノの少し前に、国防大臣にセルゲイ・ショイグーが任命されている。ショイグーはトゥヴァの出身、シベリアのど真ん中で、モンゴルの西隣の自治共和国出身である。言語はいろいろできるようで日本語やトルコ語も入っている。趣味には刀収集、とりわけ日本刀の収集とある。国防大臣までもが、日本語ができる国がほかにあるでしょうか。米国はそうでない。中国もそうでない。韓国も多分そうでない。トゥヴァは最近ロシアの世論調査で驚かした。ロシア連邦はとても広いし、経済が最近不景気なせいか、しあわせと応える割合がすくないはずである。トゥヴァではなんと87%がとてもしあわせ、ないし、しあわせと答えているのだ。
最近人事二件だけをみてどうということもない。しかし、なにかがある気がする。秋の深まる頃、プーティンの訪日の際、この二人に注目したい。」
2016.08.16
しかし、噂の類は別として、正確な情報を得るのは困難であり、数年たって初めて実情が分かってくることもある。たとえば、1987年早々に失脚した胡耀邦総書記の場合、突然問題が起こったのでなく、そこへ至るまでにさまざまな経緯があり、なかでも前年、北戴河で話し合われたことは大きな節目であった。しかし、当時、そのような事情はよく分からなかった。
今年はどうなるか。中国の指導者が北戴河で何を話し合うかなど外から推測できるわけはないが、話題になりそうなテーマとしては次のようなことが考えられる。」
これは昨年の今頃にアップした北戴河会議に関する一文の出だしであるが、今でもここに書いたことは変わっていないのでまず再掲しておく。
来年(2017年)は中国共産党第19回大会が開催される。5年に1回の大会であり、前回の2012年には習近平政権が誕生した。来年の会議ではトップ指導者の異動が最大関心事となる。
現在の政治局常務委員、つまりトップ7のうち、習近平と李克強の2名だけは来年64歳と62歳なので次期の5年も務められるが、この両名以外は定年の70歳以上となるので退任する。王岐山は来年69歳だが、68歳以上は再任されないことになっている。
政治局常務委員が7人になったのは2012年の第18回大会以来であり、そのうち5人が交代するのは大きな出来事だ。習近平が次期も安定的に政権を運営していけるか、新人事にかかっている。
政治局常務委員にはある程度担当の職務が決まっている。なかでも王岐山が規律検査委員会の長として反腐敗運動を担当しているのは有名だ。
2012年までは政治局常務委員は9人であったが、習近平は公安担当を廃止し、自ら公安関係の元締めとなっている。前期、公安関係を担当していた周永康は汚職の罪で摘発され、有罪が確定している。
習近平が腐敗取り締まりと言論統制を2本の鞭として中国を統治してきたことは本研究所のHPで何回か指摘してきた。反腐敗運動はすでに山を越したという見方もあるが、腐敗の摘発と政治改革は関連があり、この運動は今後も中央および地方で継続されるだろう。
王岐山は腐敗取り締まりの最高実務責任者として腕を振るってきたので、同人が引退するとなると次期政権ではその代わりに誰がつくのか大きな注目点となるが、具体的な候補は不明だ。
言論統制は、今後、従来以上に厳しく行われるだろう。言論の自由化ないし緩和を求める声は常に存在するし、何らかのきっかけで大問題になる危険性がある。習近平政権としては統制を緩めることは困難だ。
習近平は党の宣伝部の在り方に不満であり、その上に新しい機構を作って自ら責任者となった。現在の厳しい言論統制はこの新体制の下で進められているが、宣伝部関係者が一つの派閥となってかく乱要因、あるいは阻害要因になっているという指摘もある。
最近浮上してきた問題として、共産主義青年団(共青団)と毛沢東記念堂の地方移転がある。
「共青団改革計画」は8月2日、党中央弁公庁から発表された。共青団幹部の人数を減らすなど厳しい内容だ。共青団は共産党を支え、将来の幹部を養成する機関であるが、最近は官僚主義化し、本来の趣旨から離れて派閥を構成しているとみられていた。習近平は共青団の活動に不満であったらしい。
「共青団派」は「太子党」や「上海閥」とならぶ派閥であり、「太子党」は中央を牛耳り、「共青団派」は地方を支配した、などと言われることもあった。習近平は派閥を嫌い、このいずれも破壊しようとしていると言われている。
共青団の改革は計画通りに進むか。共青団は地方のみならず中央にも根を張っており、共青団から胡錦濤前主席、李克強総理、李源朝国家副主席、周強成最高検察院院長、汪洋副総理などが出ている。
毛沢東については様々な死後評価があるが、なかでも、毛沢東の「70%は正しく、30%は過ち」という鄧小平の評価は、当初厳しいものと受け止められたが、改革開放後の中国において一種有権的解釈のような重みがあり、今日に至るもその評価は基本的に維持されている。
しかるに、最近決定された毛沢東記念堂の地方移転は鄧小平による評価よりも厳しい意味合いがある。単純化して言えば、地方移転により、毛沢東思想は今後中国の指針でなくなり歴史的意味のみが残る、また、首都北京に同思想を想起させる記念堂を置く価値がないという位置づけになるからだ。
もちろん記念堂の移転だけで毛沢東の評価が決定されるのではない。共産党の歴史資料でどのように評価されるかも見る必要があるが、記念堂の移転決定は現在の中国を象徴しているように思われる。
習近平自身は地方を重視しており、権力を保持し、富を蓄えるのに余念がない「権貴階級」には批判的である。大衆を重視するあまり「左派」だと言われることさえある。しかし、毛沢東思想をあまり高く掲げると、権力闘争が起こる恐れがあり、これは危険だ。習近平としては政治のバランスを維持しなければならない。そのような微妙な情勢の中で今回の記念堂移転に踏み切ったのは、習近平としても経済成長の回復を重視せざるを得ない、その限りにおいては大衆の利益などにかまっておれない、だからまた毛沢東思想をあまり高く掲げることはできないという判断になったのかと思われる。
(短評)中国の指導者が思案していること‐北戴河などで
「北戴河は北京の東280キロにある海岸で避暑地として知られているが、ここで夏を過ごす中国の指導者は懸案について協議し、事実上の決定を下すこともある。正式でないのはもちろんであるが、非常に重要な話し合いも行われる。だから、中国に駐在の各国大使館、報道機関などは北戴河でどのような動きがあるか、懸命に情報収集を試みる。しかし、噂の類は別として、正確な情報を得るのは困難であり、数年たって初めて実情が分かってくることもある。たとえば、1987年早々に失脚した胡耀邦総書記の場合、突然問題が起こったのでなく、そこへ至るまでにさまざまな経緯があり、なかでも前年、北戴河で話し合われたことは大きな節目であった。しかし、当時、そのような事情はよく分からなかった。
今年はどうなるか。中国の指導者が北戴河で何を話し合うかなど外から推測できるわけはないが、話題になりそうなテーマとしては次のようなことが考えられる。」
これは昨年の今頃にアップした北戴河会議に関する一文の出だしであるが、今でもここに書いたことは変わっていないのでまず再掲しておく。
来年(2017年)は中国共産党第19回大会が開催される。5年に1回の大会であり、前回の2012年には習近平政権が誕生した。来年の会議ではトップ指導者の異動が最大関心事となる。
現在の政治局常務委員、つまりトップ7のうち、習近平と李克強の2名だけは来年64歳と62歳なので次期の5年も務められるが、この両名以外は定年の70歳以上となるので退任する。王岐山は来年69歳だが、68歳以上は再任されないことになっている。
政治局常務委員が7人になったのは2012年の第18回大会以来であり、そのうち5人が交代するのは大きな出来事だ。習近平が次期も安定的に政権を運営していけるか、新人事にかかっている。
政治局常務委員にはある程度担当の職務が決まっている。なかでも王岐山が規律検査委員会の長として反腐敗運動を担当しているのは有名だ。
2012年までは政治局常務委員は9人であったが、習近平は公安担当を廃止し、自ら公安関係の元締めとなっている。前期、公安関係を担当していた周永康は汚職の罪で摘発され、有罪が確定している。
習近平が腐敗取り締まりと言論統制を2本の鞭として中国を統治してきたことは本研究所のHPで何回か指摘してきた。反腐敗運動はすでに山を越したという見方もあるが、腐敗の摘発と政治改革は関連があり、この運動は今後も中央および地方で継続されるだろう。
王岐山は腐敗取り締まりの最高実務責任者として腕を振るってきたので、同人が引退するとなると次期政権ではその代わりに誰がつくのか大きな注目点となるが、具体的な候補は不明だ。
言論統制は、今後、従来以上に厳しく行われるだろう。言論の自由化ないし緩和を求める声は常に存在するし、何らかのきっかけで大問題になる危険性がある。習近平政権としては統制を緩めることは困難だ。
習近平は党の宣伝部の在り方に不満であり、その上に新しい機構を作って自ら責任者となった。現在の厳しい言論統制はこの新体制の下で進められているが、宣伝部関係者が一つの派閥となってかく乱要因、あるいは阻害要因になっているという指摘もある。
最近浮上してきた問題として、共産主義青年団(共青団)と毛沢東記念堂の地方移転がある。
「共青団改革計画」は8月2日、党中央弁公庁から発表された。共青団幹部の人数を減らすなど厳しい内容だ。共青団は共産党を支え、将来の幹部を養成する機関であるが、最近は官僚主義化し、本来の趣旨から離れて派閥を構成しているとみられていた。習近平は共青団の活動に不満であったらしい。
「共青団派」は「太子党」や「上海閥」とならぶ派閥であり、「太子党」は中央を牛耳り、「共青団派」は地方を支配した、などと言われることもあった。習近平は派閥を嫌い、このいずれも破壊しようとしていると言われている。
共青団の改革は計画通りに進むか。共青団は地方のみならず中央にも根を張っており、共青団から胡錦濤前主席、李克強総理、李源朝国家副主席、周強成最高検察院院長、汪洋副総理などが出ている。
毛沢東については様々な死後評価があるが、なかでも、毛沢東の「70%は正しく、30%は過ち」という鄧小平の評価は、当初厳しいものと受け止められたが、改革開放後の中国において一種有権的解釈のような重みがあり、今日に至るもその評価は基本的に維持されている。
しかるに、最近決定された毛沢東記念堂の地方移転は鄧小平による評価よりも厳しい意味合いがある。単純化して言えば、地方移転により、毛沢東思想は今後中国の指針でなくなり歴史的意味のみが残る、また、首都北京に同思想を想起させる記念堂を置く価値がないという位置づけになるからだ。
もちろん記念堂の移転だけで毛沢東の評価が決定されるのではない。共産党の歴史資料でどのように評価されるかも見る必要があるが、記念堂の移転決定は現在の中国を象徴しているように思われる。
習近平自身は地方を重視しており、権力を保持し、富を蓄えるのに余念がない「権貴階級」には批判的である。大衆を重視するあまり「左派」だと言われることさえある。しかし、毛沢東思想をあまり高く掲げると、権力闘争が起こる恐れがあり、これは危険だ。習近平としては政治のバランスを維持しなければならない。そのような微妙な情勢の中で今回の記念堂移転に踏み切ったのは、習近平としても経済成長の回復を重視せざるを得ない、その限りにおいては大衆の利益などにかまっておれない、だからまた毛沢東思想をあまり高く掲げることはできないという判断になったのかと思われる。
2016.08.11
この戦争を指導したのは米英などであり、日本もこれら諸国からの要請を受けて自衛隊をイラクに派遣した。
米英などでは、この戦争に関しすでに部分的あるいは全面的に反省が行われているが、日本ではイラクの大量破壊兵器に関する外務省の情報が十分でなかったことへの反省だけが行われており、戦争自体の是非、自衛隊のかかわりの是非については何も行われていない。
しかし、イラク戦争のような事態は今後も起こりうる。その場合にイラク戦争についてできるだけ客観的な立場からの反省や見直しが行われていたか否かは決定的に重要な問題となろう。このような観点から、次の一文をTHE PAGEに寄稿した。
「2003年のイラク戦争への参加に関する英国の独立調査委員会(チルコット委員会)の報告書が7月6日に公表されました。非常に興味深い内容です。
日本もイラク戦争の際自衛隊を派遣しました。そのことについて賛否両論がありましたが、その検証はまだ行われていません。英国の調査報告が発表されたのを機会に、我が国における検証の在り方について振り返って考えてみたいと思います。
イラク戦争について反省の言葉が最初に出てきたのは、戦争遂行の中心であった米国からでした。ブッシュ大統領は2005年12月、ワシントン市内で演説し、「イラクの大量破壊兵器に関する情報機関の分析は、多くが誤りであることが判明した。大統領として、イラク攻撃を決断した責任がある」と述べました(時事通信12月14日)。
米議会上院の情報特別委員会はブッシュ大統領の発言より先の2004年7月、イラクの大量破壊兵器について、「米中央情報局(CIA)が多くの過ちを犯し、誇張して伝えた。米大統領や議会が開戦にあたって判断材料とした情報には欠陥があった」と厳しく指摘していました。
英国でも米国と並行して、英国が参戦したのは誤りだったのではないかという議論が起こっていました。かなり時間が経過してからのことですが、ブレア元英国首相は2015年10月、米国のCNNとのインタビューで、「我々が入手した情報が間違っていたという事実については謝罪する」と述べました。
今回発表された独立調査委員会の報告は、「イラクに対しては査察も外交的努力もまだ継続されていた。英国は安保理の承認なしに戦争に踏み切った。最後の手段として戦争に訴えざるを得ない状況には立ち至っていなかった」との趣旨を述べ、情報に欠陥があったことだけでなく、戦争をしたことをも明確に批判しました。
日本では2012年12月に、「対イラク武力行使に関する我が国の対応(検証結果)」が発表されました。しかし、この中で反省しているのは、イラクの大量破壊兵器に関する外務省の情報についてであり、趣旨を要約すると、外務省は「情報が十分でなかったことは我が国としても厳粛に受け止める必要があり、今後情報収集能力を強化する必要がある」と指摘しました(読みやすい表現にしました)。
米英の反省と比較すると、正しい情報がなかったという点でブッシュ大統領やブレア首相の反省と似ている印象がありますが、米国において正しい情報が伝えられなかったことは戦争の開始に直接影響しうる問題でした。しかし、日本の情報が十分でなかったことは、幸か不幸か、米英による戦争の開始を決定づけることでありませんでした。したがって、日本外務省の情報検証は戦争開始の是非を検証したものではありません。
しかも、外務省の検証は、「日本政府が米英等の武力行使を支持したことの是非自体について検証するものではなく」と前置きしています。つまり、イラク戦争の際、日本の自衛隊が「非戦闘地域」において後方支援や復興支援などに従事したことの是非は検証しないと言っているのです。
実は、日本は単にイラク戦争の検証をしていないのではありません。日本はイラク特措法を恒久法にして「国際平和支援法」を制定しましたが、これにも問題がありました。それより先にイラク戦争への関与が適切であったか検討すべきだったのです。その理由は、英国の調査報告のようにイラク戦争の開始についてはそれを承認する国連の決議が十分でなかったこと、また、査察についてまだ継続中であったことなどの重大な問題がありえたからです。問題のある可能性がある案件であれば、その実現のために立法をするべきではありません。しかし、「国際平和支援法」はその問題は素通りして、あたかも何事もなかったかのように制定されました。「国際平和支援法」を制定した人たちは、日本のイラク戦争への関与は間違いでなかったという前提に立っていたのではないでしょうか。
イラク戦争は我が国にとってはもちろん、国際社会にとっても賛否が大きく分かれる重大な問題であり、それをどのように受け止め、また日本としてどのような行動をとるべきかの検討は日本が自衛隊を派遣する決定の前に必要でした。政治にはその時々の状況があり、いつでも正しい決定ができるとは限りません。
大事なことは、後日、様々な理由ですでに下した決定が疑問になれば、勇気をもって再検討することです。それができることは健全な国家として絶対的に必要なことですし、それができなければ将来同じ過ちを繰り返す危険があります。そのことを示す例は歴史にいくらもあります。先の大戦の処理においてもそのことが問われました。
米英はイラク戦争を始めるに際して日本の支持を強く求めてきました。その米英は今やイラク戦争に疑問を覚え始めています。日本の国民感情としては複雑なものがありますが、日本としては一刻も早く日本としてのあるべき姿を虚心坦懐に再検討することが必要です。
イラク戦争の総括
2003年に起こったイラク戦争は、紛争が絶えず不安定な政治状況にあるためテロの温床ともなるなど病的症状を抱える国や地域に対し、国際社会としての姿勢を問われ、また責任を果たすことを求められる重要問題であったが、国連での決議の有無が不明確な場合に行動するという危険を伴うことであった。この戦争を指導したのは米英などであり、日本もこれら諸国からの要請を受けて自衛隊をイラクに派遣した。
米英などでは、この戦争に関しすでに部分的あるいは全面的に反省が行われているが、日本ではイラクの大量破壊兵器に関する外務省の情報が十分でなかったことへの反省だけが行われており、戦争自体の是非、自衛隊のかかわりの是非については何も行われていない。
しかし、イラク戦争のような事態は今後も起こりうる。その場合にイラク戦争についてできるだけ客観的な立場からの反省や見直しが行われていたか否かは決定的に重要な問題となろう。このような観点から、次の一文をTHE PAGEに寄稿した。
「2003年のイラク戦争への参加に関する英国の独立調査委員会(チルコット委員会)の報告書が7月6日に公表されました。非常に興味深い内容です。
日本もイラク戦争の際自衛隊を派遣しました。そのことについて賛否両論がありましたが、その検証はまだ行われていません。英国の調査報告が発表されたのを機会に、我が国における検証の在り方について振り返って考えてみたいと思います。
イラク戦争について反省の言葉が最初に出てきたのは、戦争遂行の中心であった米国からでした。ブッシュ大統領は2005年12月、ワシントン市内で演説し、「イラクの大量破壊兵器に関する情報機関の分析は、多くが誤りであることが判明した。大統領として、イラク攻撃を決断した責任がある」と述べました(時事通信12月14日)。
米議会上院の情報特別委員会はブッシュ大統領の発言より先の2004年7月、イラクの大量破壊兵器について、「米中央情報局(CIA)が多くの過ちを犯し、誇張して伝えた。米大統領や議会が開戦にあたって判断材料とした情報には欠陥があった」と厳しく指摘していました。
英国でも米国と並行して、英国が参戦したのは誤りだったのではないかという議論が起こっていました。かなり時間が経過してからのことですが、ブレア元英国首相は2015年10月、米国のCNNとのインタビューで、「我々が入手した情報が間違っていたという事実については謝罪する」と述べました。
今回発表された独立調査委員会の報告は、「イラクに対しては査察も外交的努力もまだ継続されていた。英国は安保理の承認なしに戦争に踏み切った。最後の手段として戦争に訴えざるを得ない状況には立ち至っていなかった」との趣旨を述べ、情報に欠陥があったことだけでなく、戦争をしたことをも明確に批判しました。
日本では2012年12月に、「対イラク武力行使に関する我が国の対応(検証結果)」が発表されました。しかし、この中で反省しているのは、イラクの大量破壊兵器に関する外務省の情報についてであり、趣旨を要約すると、外務省は「情報が十分でなかったことは我が国としても厳粛に受け止める必要があり、今後情報収集能力を強化する必要がある」と指摘しました(読みやすい表現にしました)。
米英の反省と比較すると、正しい情報がなかったという点でブッシュ大統領やブレア首相の反省と似ている印象がありますが、米国において正しい情報が伝えられなかったことは戦争の開始に直接影響しうる問題でした。しかし、日本の情報が十分でなかったことは、幸か不幸か、米英による戦争の開始を決定づけることでありませんでした。したがって、日本外務省の情報検証は戦争開始の是非を検証したものではありません。
しかも、外務省の検証は、「日本政府が米英等の武力行使を支持したことの是非自体について検証するものではなく」と前置きしています。つまり、イラク戦争の際、日本の自衛隊が「非戦闘地域」において後方支援や復興支援などに従事したことの是非は検証しないと言っているのです。
実は、日本は単にイラク戦争の検証をしていないのではありません。日本はイラク特措法を恒久法にして「国際平和支援法」を制定しましたが、これにも問題がありました。それより先にイラク戦争への関与が適切であったか検討すべきだったのです。その理由は、英国の調査報告のようにイラク戦争の開始についてはそれを承認する国連の決議が十分でなかったこと、また、査察についてまだ継続中であったことなどの重大な問題がありえたからです。問題のある可能性がある案件であれば、その実現のために立法をするべきではありません。しかし、「国際平和支援法」はその問題は素通りして、あたかも何事もなかったかのように制定されました。「国際平和支援法」を制定した人たちは、日本のイラク戦争への関与は間違いでなかったという前提に立っていたのではないでしょうか。
イラク戦争は我が国にとってはもちろん、国際社会にとっても賛否が大きく分かれる重大な問題であり、それをどのように受け止め、また日本としてどのような行動をとるべきかの検討は日本が自衛隊を派遣する決定の前に必要でした。政治にはその時々の状況があり、いつでも正しい決定ができるとは限りません。
大事なことは、後日、様々な理由ですでに下した決定が疑問になれば、勇気をもって再検討することです。それができることは健全な国家として絶対的に必要なことですし、それができなければ将来同じ過ちを繰り返す危険があります。そのことを示す例は歴史にいくらもあります。先の大戦の処理においてもそのことが問われました。
米英はイラク戦争を始めるに際して日本の支持を強く求めてきました。その米英は今やイラク戦争に疑問を覚え始めています。日本の国民感情としては複雑なものがありますが、日本としては一刻も早く日本としてのあるべき姿を虚心坦懐に再検討することが必要です。
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