平和外交研究所

ブログ

ブログ記事一覧

2022.11.28

台湾の地方選と中台関係

 台湾で統一地方選が11月26日、投開票された。蔡英文総統の与党・民進党は台北市長選などで敗れたほか、首長ポストの獲得が全土の4分の1以下にとどまった。惨敗であったとみられている。蔡英文氏は民進党主席を辞任した。

 今回の地方選挙は2024年に行われる次期総統選の前哨戦であり、総統選でも民進党が敗北し、最大野党の国民党が政権を奪取する公算が高くなったとみるのは単純すぎる。

 台湾の政治は、変化が速い面と岩盤のように変わらない面がある。変化が速いのは民進党か国民党かという問題である。2018年に今回とよく似た状況があった。蔡英文は2016年に総統になり、18年の地方選で大敗して主席を辞任したが、20年に再任された。その原因の一つは、19年の香港の抗議デモを中国が厳しく弾圧したことであったが、それにしてもその時の変化は大きく、かつ早かった。

 岩盤は台湾人がますます台湾化していることである。台湾人の圧倒的多数は現状維持を望んでおり、中国との統一を支持するのは10数パーセントにすぎない。この傾向は民進党であろうと、国民党であろうと無視できなくなっている。国民党はもともと同党の下での、つまり共産党の下でない「統一」を標榜していたが、今や「現状維持」を支持する姿勢を強めている。

 今回の地方選でもこの潮流は変わらなかった。大勝した国民党の朱立倫(チューリールン)主席は「国民党ではなく、台湾の民主主義の勝利だ」と述べていた。この言葉は意味深長である。民主主義は中国にはないという認識が強い台湾人に対して、「国民党は中国寄りでない。台湾人の味方だ」という印象を与えようとしているのである。

 一方、蔡英文総統は、「中国共産党大会のあとに行われる初めての選挙に全世界が注目している」と、対中関係を争点化しようとしたが、有権者には受け入れられなかったという。蔡氏は「国民党政権では対中接近が復活する。そうなれば、台湾の自由と民主主義は失われる」と示唆しようとしたのであろう。だが、台湾人はそれには乗らなかった。

 民進党は台湾独立を志向する傾向が強く、国民党は中国に近いという構図は崩れつつある。
 台湾人が望んでいるのは、長引くコロナ禍や物価高など身近な問題への対応であり、また新鮮な政治である。7年目に入った蔡政権への若年層の後押しは弱かったという。
 彼らは、民進党と国民党の両立には満足しなくなっている。「台湾民意基金会」の10月の世論調査によると、蔡政権の支持率は51・2%。政党支持率は民進党が33・5%、国民党が18・6%、第三勢力の民衆党が15・8%、支持政党無しが25・1%に上っていた。
 「民衆党」とは2019年8月、台北市の柯文哲市長より結成された政党である。民進党にも国民党にも満足できない第三の勢力であり、中道政治を目指している。本稿で民衆党の将来性を論じる気持ちはないが、民衆党の支持率は国民党に追いつく構えを見せている。政党としての組織力などはまだ国民党に遠く及ばないが、台湾の政治バランスとしては無視できなくなっている。
 今回の選挙で台北市長に当選した蒋万安は蒋介石のひ孫として紹介されているが、その看板だけでなく、3つの政党と若者の政治志向の中から生まれた面も見過ごせない。

 台湾の政治情勢が複雑化の傾向を強めていることは中国にとっても大問題である。中国はこれまで「民進党は台湾独立だ」として警戒・攻撃する傍ら、国民党との関係を強化して台湾の統一を実現するという方針であった。しかし、馬英九政権時代の失敗経験にかんがみ台湾の今回の地方選をどのように受け止めるか、非常に微妙な問題になっているはずである。

 中国国営の新華社通信は26日夜、中国政府で台湾政策を担当する国務院台湾事務弁公室の朱鳳蓮報道官のコメントを伝えた。この中で朱報道官は「結果は『平和と安定を求め、よい生活を送りたい』という主流の民意を反映したものだ」と評価し、そのうえで「われわれは引き続き多くの台湾の同胞と団結し、両岸関係の平和で融合した発展をともに推し進め『台湾独立』の分裂勢力と外部勢力の干渉に断固として反対する」と強調した。これだけで中国の台湾に対する今後の政策を見通すことは困難であるが、中国の反応は控えめである。
 
 先般の中国共産党全国大会の際、一部には、習近平独裁体制の確立とともに中国は台湾に対し強く出てくることを懸念する声が上がったが、これも単純すぎる見方である。中国の対台湾政策は、内外の情勢を考慮して実行されている。中国内には軍などに強硬派がいるが、中国が危険を冒した結果、元も子もなくしてしまってはならないとする慎重な考えも強いとみるべきであろう。

 中国にとって米国との関係は、口には出さないが壁となっている。米国は台湾の現状維持を望んでいることを闡明している。台湾と中国が話し合いで統一問題に結論を出すのは何ら問題ないが、武力行使には絶対反対するという姿勢をバイデン大統領は明言している。中国をそれに反発しているが、下手に手を出すと、これまで築き上げてきたことを危険にさらす恐れがある。ウクライナ侵攻問題で米国と西側の諸国が団結して当たっていることは中国にとっても大きな問題であろう。

それに、中国は今後経済を立て直すのに注力する必要があり、そのためにも米国や西側諸国との関係をこれまで以上悪化させないよう努めなければならない。そのような諸事情を考慮すると台湾に対して強硬な姿勢は取りにくいと思われる。
2022.10.17

核の呪縛から抜け出せるか

 ウクライナへ侵攻しているロシア軍はますます劣勢になっている。プーチン大統領は困難な状況に陥り、欧米の報道には八方ふさがりになっているとするものもある。クリミア半島とロシア領を結ぶクリミア大橋での爆破事件と、それに報復してロシアが行ったウクライナ全土へのミサイル攻撃は、その中には首都キーウも含まれるが、素人が考えてもロシアの劣勢を挽回するとは見えず、ロシアの非人道性のみを目立たせる結果になっている。だが、このままロシアが負け続ければプーチン氏は窮余の一策として核兵器使用に踏み切るのではないかという懸念が高まっている。

 そんな中、NATOのある高官は10月12日、ロシアによる核兵器の使用は「前例のない結果をもたらす。ほぼ確実に、多くの同盟国から、そして潜在的にはNATO自体から物理的な対応を引き出すだろう」と語ったと報道された。この高官は明言していないが、「もしロシアが核を使用すれば、NATOは一丸となって通常兵力でロシアに反撃し、せん滅する」という意味だと解されている。

 核の抑止力の根本は「相互確証破壊」、つまり、一方が核を使えば他方も核を使うのでお互いに確実に破壊しあうという考えであり、実際にそうなれば世界は破滅するので核は使えない。だから核には相手の攻撃を抑止する力があると思われてきた。

 しかしプーチンは、ロシアは必要であれば核の使用をいとわないと言い出した。ロシアの安全保障戦略にも盛り込んだ。ロシアにとっても世界の破滅は怖いはずだが、そんなことを言い出したのは、ロシアの軍事力は西側に対抗できないが、核だけは別で、核の使用につながることはさせないという考えからであったと推測される。

 プーチンは、西側は核の使用が世界の破滅に発展することが怖いので、ロシアが核を使っても、とくに小型の核、いわゆる戦術核ならば、西側は核を使えないと見たのである。

 たしかに西側は世界の破滅が怖いのでやはり核は使えない。核でなければロシアの核攻撃を防げないが、それでも核は使えないという考えが強かった。プーチンの見立て通りだったのである。

 ウクライナでロシアが劣勢になるにともない、プーチンは核の使用をほのめかすどころかほぼ公言するようになり、西側は頭を痛めた。プーチンが発言するのは止められないが、NATOとしては口が裂けても言えないことだからである。

 しかし、NATOの高官は、ロシアの核使用があっても、西側は核で対抗することしかできないのでなく、通常兵器で反撃し、ロシアをせん滅できるといいだしたのであり、これは画期的な考えである。アルマゲドン(世界を破滅させる戦争)は回避できる。ロシアは戦術核を、NATOは通常兵器を使うだけでも甚大な被害が生じるが、アルマゲドンにはならず、人類は生き残れる。

 今回のNATO高官の発言の背景には、「NATOと同盟国が力を合わせれば、ロシアをせん滅できる」という自信ができているようだ。もちろんこの新戦略は簡単でなく、まだ正式にNATOの戦略になっているわけではない。だが、ロシアが核を使えばそれに対抗する手段は世界の破滅を賭するしかないという思考の行き詰まりから抜け出す道筋を示している。

 また、NATO内では、核戦争であればどうしても反対する国が出てくるだろう。通常兵力でも困難だが、核戦争とは大違いで、合意ははるかに得られやすい、という事情もありそうだ。

 NATOがアルマゲドンの呪縛から解放されれば核の脅しはきかなくなる。ロシアにとっても核を使いやすくなるという面もあろうが、NATOから壊滅的な反撃を受けるのであれば、核はやはり使えない。核は(半分)なくても相互確証破壊になるわけである。

 このようなシナリオ通りに事が運ぶか楽観的になるのは禁物だが、ウクライナ戦争の中で新しい可能性が生まれ、NATOは「核には核で対抗するしかない」という究極の制約から抜け出しつつあるように見える。
2022.09.25

日中国交正常化50周年

 9月29日、日中両国が国交を正常化して50周年となる。北京市内では24日、記念イベントが開かれ、垂秀夫駐中国大使や中国外務省の劉勁松アジア局長があいさつした。程永華・元駐日大使も出席した。このイベントはとてもよい企画だと思う。いくつか重要な側面があるようだが、日中双方の料理を組み合わせた創作料理の紹介や、両国のピアノ奏者による中継での遠隔連弾などが披露される。日本と特別なつながりがなくても日本に関心を持っている人は多数おり、この機会に日中友好の雰囲気を味わってもらい、同時に美味しい食事と音楽を満喫してもらいたい。

 50年前、私は駆け出しの外務省員として田中首相の一行に加えてもらった。プレスの担当として田中首相一行の北京空港到着を迎えたことから始まり、国交正常化の両国共同声明の発表を経て上海で歓迎宴が催され、翌日上海虹橋国際空港から帰国の途に就くまで見届けることができた。

 その時と比べると北京も上海も大化けした。50年前、北京空港へ向かう道は馬車も通っていた。上海では時間を見つけて上海大厦にのぼり、屋上から蘇州河対岸の浦東地区を観望したが、一面農地であった。今は、農地などどこにも見えず、高層ビルが林立している。

 市民の食生活も格段に豊かになり、高級飲食店も多数できている。上海の料理店ではロボットが食事を運んでくるという。
 地方への旅行も高速鉄道のおかげで容易になり、非常に遠くまで行ける。上海から安徽省の黄山(世界遺産)へも約2時間で行けるそうだ。外国人が旅行可能な場所の制限はほとんどなくなっている。わたくしが大使館に勤務していた1980年代中葉、外国人が行けるところは中国全国で約10カ所に過ぎなかったのとは大違いである。

 日本人と中国人の往来は今後も間違いなく増加するだろう。そうなるとお互いの印象もさらに良くなるだろう。印象だけでない。経済にも環境にも大きな変化が出て来そうである。日本では50年前と言っても特別の感慨にふけるようなことはあまりないが、中国の発展はきわめて印象的であり、日本もそれに協力した。また、中国の発展によって日本も刺激や恩恵を受けている。

 日本と中国の政治体制は異なる。将来においても、日本の自由で民主的な体制は不変であるだろうし、中国の共産主義体制も変わらないだろう。最近は台湾問題ばかりがかしましいが、50周年は日中友好を強化する絶好の機会であり、両国の官も民も、体制の違いが両国関係を悪化させないよう努めていかなければならない。民間には大きな可能性がある。垂大使は「国と国との関係も、突き詰めれば人と人との関係だ。両国民の相互理解と信頼の醸成が日中関係打開の王道だ」と強調したそうだが、まったく同感である。

 50年前、中国は実は、大変な状況にあった。中国を未曽有の混乱に陥れた「文化大革命(文革)」は終わっていなかった。文革はもともと毛沢東による権力奪還の闘争であったが、労働者、学生(若い学生は「紅衛兵」と呼ばれた)が参加し、既存秩序を破壊する一大革命となっていた。中国共産党も破壊の対象になっていた。死者は数百万とも2千万以上とも、被害者は1億人程度ともいわれた。日中国交正常化の際、武装闘争はほぼ終息していたが、文革の中心であったいわゆる四人組はなお健在であり、革命運動を継続していた。しかし、中国政府はそんなことを日本側に全く感じさせず、日中国交正常化交渉は平穏無事に行われた。

 田中首相一行は共同声明を発表した後、同日中に周恩来首相とともに上海へ向かったことは前述した。田中首相は疲労困憊気味で上海へは寄りたくなかったそうだが、説得を受け入れ上海に降り立った。同市のナンバーワンは張春橋上海市革命委員会主任であり、四人組の一人であったが、田中首相一行を盛大に出迎えた。上海市南京西路1333号の宴会場で行われた歓迎宴では、田中首相を始め全員が酔っ払い気味になったが、大事業を成功させた喜びがあふれていたことを思い出す。

アーカイブ

検索

このページのトップへ

Copyright©平和外交研究所 All Rights Reserved.