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2023.02.01

ロシアによるウクライナ侵攻

 ウクライナ侵攻の状況は刻々と変化しており、細かくフォローするのは困難だが、侵攻開始から1年を迎える前に、大雑把なまとめを作成した。

〇戦闘状況
 ロシア軍は2022年2月24日にウクライナに対し「特別軍事作戦」を開始。当初、ロシアは数日でウクライナを制圧できると考えていたが、ウクライナの反撃は強く、ロシア軍は劣勢に立つことが多くなっている。
 4月にはロシア黒海艦隊の旗艦「モスクワ」が撃沈された。
ウクライナ軍はハルキウ市とヘルソン市をそれぞれ5月、11月に奪還。
 
 5月9日、G7首脳テレビ会議共同声明。「ゼレンスキー大統領は、自国の主権と領土一体性を守るというウクライナの強い決意を強調した。同大統領は、ウクライナの究極の目的は、ロシア軍及び装備のウクライナ全土からの完全な撤退を確実なものとし、また将来的に自国を守る能力を確保することであると述べ、G7メンバーからの支援に謝意を表明した。」
 
 5月31日付米紙ニューヨーク・タイムズに公表された「ウクライナで米国がすること、しないこと」と題されたバイデン氏の寄稿
・米国の目標は、ウクライナがさらなる侵略を抑止・自衛する手段を持つこと。
・この戦争は外交を通じてのみ終結する。交渉の席でウクライナが有利になるよう大量の兵器を提供してきた。
・米国はプーチン氏をモスクワから追放しようとはしない。
・ロシアに苦痛を与えるためだけに戦争を長引かせることはしない。
・ウクライナ政府に、領土の譲歩を迫ることはしない。
・いかなる核兵器の使用も容認できず、深刻な結果をもたらす。

 6月頃から米国が供与した高機動ロケット砲システム(HIMARS(ハイマース))が配備開始。ロシア軍に大打撃を与えている。

 ウォレス英国防相は8月、ロシア軍は(ウクライナ全土の)占領は困難で侵攻は南部と東部に絞られてきたと指摘し、攻勢は頓挫して「負け始めている」と強調。同様の報道はその後も時折行われた。しかし。そこまで言えるか、明確でなかった。
しかしプーチン大統領は9月、軍事侵攻で占領したウクライナ東部、南部の支配地を一方的にロシアに併合することを宣言。

 9月、自発的に降伏したロシア軍兵士に刑罰を科す法案がロシア議会で可決された。軍事活動に参加を拒否したものには、最長で禁錮10年、部隊から脱走したものは禁錮15年。

 9月21日、ロシアは戦況を盛り返すため予備役30万人の動員を決定。
 
 ゼレンスキー大統領は9月30日、北大西洋条約機構(NATO)への加盟を正式に申請すると表明。これに対し、NATOのストルテンベルグ事務総長は記者会見で、「ウクライナが自らの安全保障体制を選ぶ権利を支持する」と語った。ただ、今後の手続きについては「加盟に関する決定は、加盟30カ国すべての合意がなければならない」と述べるにとどめ、見通しは示さなかった。

〇ロシア内で問題が起こっている
 ロシア国内でプーチンへの批判がじわりと表面化しつつある

 CNN0510 ロシア政府系のニュースサイト「Lenta.ru」に9日、所属するジャーナリスト2人の名前で、プーチン大統領のウクライナ侵攻や反対派への締め付けを批判する記事が少なくとも30本掲載され、直後に削除された。
 ウクライナ国防省のブダノフ准将は5月14日放映の英スカイニュースのインタビューで、ロシアのプーチン大統領に対する「クーデター計画」が進行しているとの見方を示した。

 チェチェン共和国の独裁者カディロフ首長は5月18日、ロシア軍のウクライナでの軍事作戦に関し「初めに間違いがあった」と述べ、想定通りには進まなかったことを認めた。

 2023年1月後半の状況。プリゴジンは傭兵部隊ワグネルは損傷が甚大になったこともあり、正規軍が発言力を回復している。侵攻開始以来司令官を次々に代えている。2023年1月末、スロヴィキンに代わりゲラシモフ参謀総長が総司令官に就任。

 ロシア軍の冬の装備、食料はみじめな状況か。 

 2023年3月、翌年のロシア大統領選挙戦の開始予定。

〇ウクライナ内部でも
 ウクライナのゼレンスキー大統領は5月、領土防衛の任務を果たさなかったとして、情報収集や治安維持を担うウクライナ保安局(SBU)のハルキウ州(同国北東部)トップを解任。
2022.12.03

日本とクロアチアのサッカー試合

 サッカーワールドカップ・カタール大会の決勝トーナメントに進んだ日本はクロアチアと戦うことになった。クロアチアは前回のロシア大会で準優勝となり世界中から注目され、エースのモドリッチはロシア大会の最優秀選手に選ばれるなどした強豪である。

 しかし、今回、クロアチアは1勝(カナダ)2引き分け(モロッコとベルギー)であり、モロッコに次いで一次リーグを2位通過した。ロシア大会の時より戦力は落ちているともいわれている。スペインとドイツという両優勝候補を破った日本の方が勢いがよさそうであり、日本がクロアチアにも勝つ公算は十分にあると思う。

 クロアチアは日本人にあまり知られていない。1990年代の末まで、バルカン半島の西半分は「ユーゴスラビア」であった。歴史的にはこの国の正式名称は何回も変わったので「ユーゴスラビア」というのは通称にすぎないが、細かいことには立ち入らないでおこう。1991年から「ユーゴスラビア」を構成していた諸国が独立し始め、10数年を経てセルビア、クロアチア、ボスニア(第一次世界大戦はボスニアの首都サラエボから起こった)、スロベニア(ウィンタースポーツで有名)、北マケドニア(ギリシャとのあいだで国名に関して紛争があった)、コソボ(アルバニア系が多数になっている)などに分かれた。

 民族的には、西バルカンの諸民族はすべてスラブ民族である。その使用言語は方言程度の違いはあるが、基本的には同じである。各国とも独自の言語を使用しているように言っており、たとえばクロアチアでは「クロアチア語」を話すと説明しているが、それはナショナリズムのせいであり、実際にはセルビア語とクロアチア語は日本の関東弁と関西弁ほどの違いもない。

 最近では、電気自動車とイーロン・マスクで有名になったテスラ社の名はクロアチア生まれのニコラ・テスラからとったものである。テスラは世界で初めて交流電流を実用化した人物であった。エジソンと同時代であり、エジソンはマルチ発明王として有名だが、テスラは知られていない。しかし、電流の実用化の面ではエジソンは直流であり、後の工業化に貢献した度合いではテスラのほうがはるかに上であった。

 バルカンの人たちはスポーツに達者である。サッカーではモドリッチのほか、ストイコビッチ(セルビア)、オシム(ボスニア)、ハリルホジッチ(ボスニア)が有名である。テニスでは、ジョコビッチ(セルビア)が男子テニス界で君臨しているが、以前にも世界的なトップクラスの選手が何人もいた。オシムはかつてのユーゴスラビアチームの最後の監督であり、日本代表の監督にもなったが、去る5月に他界した。

 残念なことに、西バルカンの諸国は歴史的、宗教的、民族的理由から対立することが多い。その影は今回のカタール大会にも落ちている。

 セルビアは今回一次リーグ突破をできなかった。グループでの最後の試合はスイスが相手であったが、皮肉なことに、セルビアとスイスはロシア大会でも一次リーグでぶつかり、激しく対立した。スイスにはアルバニア系の移住者がおり、決勝点を挙げたスイスのMFシャキリはその一人であるが、アルバニア国旗に描かれる双頭のワシを両手で模すパフォーマンスをしたため、セルビアのサポーターは激しく反発し、差別的な行動を行い、スイスとセルビアはともにFIFAから罰金を科された。

 今回もシャキリはスイス・チームで活躍し、得点も上げた。セルビアのサポーターは収まらず、怒号を飛ばし、ラフプレーが増えたという。セルビアとスイスはどちらも勝てば16強に入る可能性があったが、結局スイスだけが二次戦へ進んだ。両国間のわだかまりは解けないままになったのは残念なことである。政治と民族問題が絡んでいるので簡単でないが、次回の大会までに関係が改善することを望みたい。

2022.11.30

中国共産党大会

 中国共産党第20回大会が2022年10月16日~22日開催された。今次党大会の最大の特徴は、過去10年間中国を率いてきた習近平総書記の独裁体制がこれまでより一段と強化されたことである。

 中国ではいわゆる「改革開放」を進め中国の経済大発展の基礎を築いた鄧小平の後、江沢民、胡錦涛、習近平が相次いで最高指導者となったが、この過程が進むのと並行して「七上八下」という了解が作られた。「党大会時の年齢が67歳以下であれば引き続き現役として活動する(留任する)が、68歳以上であれば退任する」という意味である。この了解は党規約に記載されていないが、党の新陳代謝のために必要であると考えられ、受け入れられてきた。

 江沢民と胡錦涛がこの了解に従ったのはもちろん、習近平も今次党大会開催の時点ですでに69歳になっており、後継者にバトンを渡すものと思われてきた。しかし、習氏は総書記の地位にとどまることとなった。また習以外の人物についても「七上八下」に制約されることなく、自分の思いにあった人事を断行したのでこの了解は大きく崩れた。

 政治局員25名のうち、党内序列3位の栗戦書全国人民代表大会常務委員長、7位の韓正副首相、劉鶴副首相、外交部門トップの楊潔篪中央外事工作委員会弁公室主任は引退することとなった。いずれも68歳以上である。

 2位の李克強(リーコーチアン)首相と4位の汪洋全国政治協商会議主席は67歳であるが引退することになった。習近平氏の最有力候補とみられたこともある胡春華副首相は59歳と若いが、政治局から外れた。政治局員の数は1名減って24名となった。
 
 李克強は北京大学卒のエリートである。経済に明るい実務家で、過剰な景気刺激策に頼らない経済政策を提言し、「リーコノミクス」ともてはやされたこともあった。
 しかし、習近平とは肌合いが合わないと噂されることもあった。李氏が力を入れた産業政策「中国製造2025」も次第に空文化した。李氏が災害被災地へ駆けつても報道は抑えられるようになった。
 新型コロナが広がった際、政権批判を懸念した習氏は「感動的なストーリーを積極的に報じよ」と命じたのに対し、李氏は「正確な数字、真実を報告せよ」と指示したという。2022年に入ってからも、「ゼロコロナ」の徹底を指示する習氏に対し、李氏は失業率低下への対応を全国オンライン会議で呼びかけた。
  
 そして、習氏が今次党大会で最高指導者の地位を固め、国家主席として3期目続投を確実にする一方で、李氏は引退することとなった。李克強、汪洋、胡春華はいずれも共青団出身である。習近平は共青団に強く批判的だというのがもっぱらの噂である、。

 李克強や胡春華の冷遇にもまして注目されたのは今次党大会の閉幕式で、共青団の大御所的存在であった胡錦濤前総書記が党規約改正案が採決される直前に突然会場から退席したことであった。胡氏は習氏の隣に着席しており、シンガポールメディアの映像では、目の前に置かれた書類を見せないように習近平国家主席に近い幹部が書類を押さえたように見えた。そして会場のスタッフが胡錦涛を扶ける(?)形で連れ出した。この間の出来事は中国の主要な国営メディアは報じなかったが、各国メディアの映像で世界に伝えられた。胡氏は強制的に退席させられたのであり、その理由は習氏への権力集中に対し不満を表明する恐れがあったからだとも言われた。

 一方、今次党大会で重用されたのは習氏とかつて部下として仕えるなど人的つながりがある者か、過去10年間に習氏への忠誠を示した者がほとんどであった。政治局常務委員(トップセブン)に選ばれたのは習近平総書記(69)、李強・上海市党委書記(63)、趙楽際・中央規律検査委員会書記(65)、王滬寧・中央書記局書記(67)、蔡奇・北京市党委書記(66)、丁薛祥・中央弁公庁主任(60)、李希・広東省党委書記(66)の7人で、王滬寧以外はかつて習氏に仕え、信頼を得た人物である。
 王毅外相は69歳であるが留任した。同人は元来穏健・合理的な人物であるが、最近は外相として各国外相などと渡り合い、カナダでの記者会見では遠慮のない質問をした記者を面罵するなど、習近平総書記の忠実なしもべを演じていた。

 人事を見る限り習近平の独裁体制が確立されたことは明らかであったが、他方であまりに行き過ぎないよう抑制した面もあった。今次大会では習近平の「党中央・全党の核心」としての地位と思想の指導的地位を確立する「二つの確立」が党規約に盛り込まれるとの見方があったが、結局それは見送られ、「中国式現代化によって、中華民族の偉大な復興を全面的に推進する」といった文言が新たに盛り込まれた。「党主席」の復活や習氏に対する「領袖(りょうしゅう)」の肩書も明記されなかった。

 大会開催前の13日、北京市内の高架橋に「独裁の国賊、習近平(国家主席)を罷免せよ」と書かれた巨大な横断幕が掲げられるという異例の事態が起こった。それには「封鎖は要らない、自由が欲しい」「領袖(りょうしゅう)は要らない、投票が欲しい」などとも書かれていた。封鎖はゼロコロナのことである。この横断幕はすぐ撤去されたが、SNSで拡大した。

 大会開催中の18日に予定されていた、7~9月期国内総生産(GDP)など経済統計の発表が前日の夕方突如延期されたことも注目された。中国経済の数字は日本などと比べればずっと良い状態のようだが、コロナの影響もあり、年間目標の5.5%前後の達成は困難になっており、今後の見通しは明るくない。
 
 習近平の独裁体制は台湾進攻につながると見るのは早計であろう。同氏は政治活動報告において、台湾問題について平和的統一に最大限努力すると述べる一方、「武力行使の放棄は決して約束しない」と強調した。多くのメディアは、これは強気の発言であり、武力行使に近づいたとの趣旨をコメントしたが、はたしてそう取るべきか。「武力行使の放棄を約束しない」には不自然さも感じられる。強気の姿勢を求める中国軍と武力行使を認めないとする米国の間を取ったのではないか。習近平は、前回の党大会(2017年)では「一つの中国」に関する「92年合意」に4回言及したが、今回はわずか1回だけであり、しかも、この部分を読み飛ばした。習近平政権にとって台湾の統一は今後も最重要課題だが、具体的な政策をどう展開するつもりか、まだ見えてこない。

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