平和外交研究所

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2025.11.12

高市首相の存立危機事態発言

1. 高市首相は中国による台湾への武力侵攻問題に関し、「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだと私は考える」と国会で答弁した。この発言についての解説はいろいろだが、特に問題になるのは、この発言が日本政府の立場から逸脱していることである。

2. 「存立危機事態」とは「日本が直接攻撃を受けていなくても、密接な関係にある他国が攻撃された際に、日本の存立が脅かされ、国民の生命などに明白な危険がある事態」を指す。集団的自衛権の行使を認めることに国内では反対の意見が強かったが、政府も国会もこの定義であれば憲法違反にならないとして、かろうじて認めた経緯がある。

3. 存立危機事態を認定するには、さらに、「他に適当な手段がないこと」および「必要最小限の実力行使であること」を満たす必要があるとされた。これらが「武力行使の新3要件」である。また集団的自衛権行使には原則として国会の事前承認を経ることとされたが、緊急時には例外的に事後承認が認められた。これらの要件が満たされてはじめて憲法に違反しないと認定されたのである。従来の政府答弁がこの要件を厳格に守ってきたのは当然であった。

4. しかるに、高市首相による「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだと私は考える」との答弁は、日本政府が従来守ってきた立場から明らかに逸脱している。
 
イ.高市氏の発言では「日本の存立が脅かされ、国民の生命などに明白な危険がない場合」でも、自衛隊は攻撃を受けている外国へ行って行動できることになる。

ロ.また高市氏は、新3要件のうち「他に適当な手段がない」こと、「必要最小限の実力行使であること」についての考えを示していない。そのため、高市発言によれば、これら2要件を満たさなくても、つまり、「他に適当な手段」があり、また「必要最小限の実力行使」でなくても憲法に違反しないことになりうる。

ハ.なお、高市氏の「戦艦」発言にも問題がある。「戦艦」だけが日本の存立危機事態を引き起こすのではない。「航空機」によっても同じ問題が発生するからである。

5.当然近隣諸国、就中中国は反発した。日本側は、日本政府の立場を説明したと木原稔官房長官が説明しているが、詳細は公にされていない。中国側は日本側の説明を受け入れたとは思えない。

 高市氏の発言が問題なのは、中国などが反発するからではない。困難な議論を経てようやく認めることとした安保法制とは異なる説明を高市氏が恣意的に行っているからである。高市氏は国会で、発言を撤回するよう求められたが拒否した(11月10日の衆院予算委員会)。危険な一歩である。為政者による強弁は戦争に突き進んだ戦前の苦痛に満ちた経験を想起させる。高市氏の発言は歯切れがよく、多数の人の耳目を集めるかもしれないが、自己主張を通すために事実をゆがめている。今回の高市首相の発言が、将来同氏によって、あるいはその後継者によってさらに新たな危険に発展させられることは断じて許されない。


2025.10.22

中国の政情‐4中全会

 中国共産党中央委員会の第4回全体会議である「4中全会」が2025年10月20日から北京で始まった。
 注目点は軍事と経済だといわれている。中国国防省は17日、軍高官9人の共産党党籍剝奪(はくだつ)処分を発表した。全員階級は上将である。
何衛東‐中央軍事委員会(以下「軍委」)副主席
苗華‐中央軍委政治工作部元主任
何宏軍‐同委政治工作部常務副主任
王秀斌‐同委統合作戦指揮センター常務副主任
林向陽‐東部戦区司令官
秦樹桐‐陸軍政治委員
袁華智‐海軍政治委員
王春寧‐武装警察部隊司令官
王厚斌‐ロケット軍司令官

 この処分については大きく見て2つの問題がある。第1に、9人の高官を一挙に失うのは軍にとって衝撃は大きい。しかも、どの人物も習近平氏と関係が深かった。そうであれば、習近平氏は承認したくなかったはずであるが、9人の処分を止めなかった。失脚は腐敗が原因であり、反腐敗キャンペーンを推し進めてきた習近平として処分を承認せざるをえなかったともいわれているが、それは表面的なことである。習近平氏はなぜ今回の人事を止めなかったのだろうか。

 第2に、9人の人事は2022年10月の第20回共産党大会において決定されたが、短期間に覆されたわけである。軍ではこれら9人のほか、李尚福国防相(当時)が巨額の贈収賄に関与した疑いで2023年3月失脚し、翌年に党籍を剝奪された。9人の処分と言い、国防相の失脚と言い、共産党および習近平主席の権威に傷をつけることにならないか。中国軍に何が起きているのか。

 習近平主席は第20回党大会で異例の3期目に入った(それまでの慣例では2期が限度であった)ことから、習近平氏の独裁体制が一段と強められたと盛んに言われた。しかし、どうもそうではなかった、体制内部に異なる考えの勢力があったかもしれないと懐疑的に見る必要がありそうである。
2025.09.29

中国の対日戦勝80年記念と金正恩総書記の参列

 2025年9月3日、中国が開催した対日戦勝80周年記念行事には多数の国の首脳が顔をそろえた。天安門広場のパレードでは中国軍の誇る最新兵器が次々に登場し、習近平中国主席が式典を主催するのを見守った。

 日本との戦争で連合国であった国が対日戦争勝利を祝うことにきまった方式はなく、各国とも自国の流儀で祝賀行事を行っている。特別の行事を行わない国も少なくない。米国では自国の戦争記念館で行事を行っている。2005年7月10日に他の旧連合国とともに行った第二次世界大戦終結60周年の記念行事は比較的大規模であった。

 2025年の北京での行事に北朝鮮の金正恩総書記(「委員長」とすることもあるが、本稿では「総書記」とする)が参列したことは特に注目された。金正恩総書記が複数の首脳らの集まる「多国間外交」に姿を表すのは今回が初めてであったが、それだけでなく、金総書記の参列については北朝鮮と中国、ロシアさらには米国との関係でも見逃せない背景があった。以下時系列的に主要な状況を見ていこう。

〇金総書記の体制固め
 金正恩は2011年12月、父の金正日総書記の死去に伴いその継承者となったが、各国との外交を展開するにはあまりにも立場が不安定であった。当時の年齢は25~6歳であり(1984年1月生まれ。かつて留学していたスイス当局の記録では1985年10月となっていたという)、各国にはほとんど知られていなかった。韓国でさえ「金正恩」という漢字表記は直ちにはわからなかったという。各国は金正恩氏のリーダーシップに不安を抱いた。

 東アジアでは各国の指導者があいついで交替した。日本では2012年12月に安倍晋三氏が内閣総理大臣に再任され、2020年9月まで続く長期政権が発足した。次いで韓国では朴槿恵氏が2013年2月、韓国の新大統領に就任した。中国では2012年11月に習近平氏が中国共産党の新総書記に、13年3月に新国家主席に就任した。つまり東アジアにおいては、2011年末から約1年半の間に北朝鮮、日本、韓国、中国において新政権が相次いで誕生したのであった。

 年若い金正恩総書記としては体制固めが喫緊の課題であった。詳しい事情は知る由もないが、2013年12月の張成澤の処刑もその一環だった可能性がある。張成澤は金正恩総書記の義理の叔父で、事実上のナンバー2であったが、党内で派閥を形成しようとしたとか、金正恩総書記の命令に従わなかったとかの理由で全ての職務から解任され、処刑されてしまった。その結果、金正恩に意見を言える人物はいなくなった。

並進路線
 北朝鮮は金正日の時代から核とミサイルの実験を始めていたが、金正恩が後継者となってからはその関連の活動が目立って多くなった。各国は反発し、国連安保理は緊急会合を開いて、北朝鮮を非難した。その中には中国も含まれていた。
 しかし、金正恩は委細構わず、核・ミサイルの実験を継続し、2013年3月、朝鮮労働党中央委員会全体会議(総会)で、党の新たな戦略的路線として、経済建設と核武力建設を並進させるという「並進路線」を正式に決定した。
 中国はかねてから北朝鮮の核開発を嫌悪しており、北朝鮮は核開発する必要はない。必要となれば、中国に頼ればよい、という考えであった。しかし、それでは北朝鮮として中国依存から抜け出せない、核は自前で開発する必要があると北朝鮮は考えていた。
 そんな事情が重なったこともあり、北朝鮮と中国の関係は金正恩の登場以来むしろ悪化した。

〇中韓の接近
 韓国の新大統領となった朴槿恵氏は就任3か月後の5月に訪米し、オバマ大統領と会談した。北朝鮮が「並進路線」を決定した2か月後のことである。そして朴槿恵大統領は引き続いて6月中国を訪問した。朴槿恵氏はかねてから中国に強い関心を抱いており、中国もまた、韓国の大統領選挙中から朴槿恵氏へ関心を寄せていた。
 中国の新聞も、朴氏の訪中後であったが、「朴槿恵大統領は中国の歴史、古典に並々ならぬ関心と知識を有し、中国語も得意であった。朴槿恵大統領は、習近平主席との会談、清華大学での講演などを通じて、中韓両国の友好関係増進に朴槿恵大統領ならではの役割を果たした」などと、きわめて好意的に報道していた。
 朴槿恵氏はもともとフランス語の教師になることを目指していたが、中国語の学習にも熱を入れ、「英語、フランス語、スペイン語の勉強に熱中した経験は、中国語の独学に大いに役立った」と語っていた。初めて胡錦涛主席に会見した際も中国語であいさつしたので、胡錦涛主席は「目を丸くしながら満面の笑みを浮かべた」そうである。

 習近平氏は朴槿恵氏の招待を受けて、翌14年7月、韓国を公式訪問した。第三者がこのことに言及する場合は「こともあろうに」と付言するのが常である。中国は朝鮮戦争以来北朝鮮とはいわゆる「血肉を分けた関係」であり、常識的には、中国の新主席として北朝鮮を訪問するより前に韓国を訪問することなどあり得ない、あってはならないことだったからである。

 2015年は中国にとって対日戦勝70年記念であり、9月、大規模な記念式典を行った。習近平氏が中国共産党中央委員会総書記に就任して以来最初の大規模なイベントであり、日本を除く全てのG7メンバー国の代表者が出席した。
 習近平主席の右隣にはロシア連邦ウラジーミル・プーチン大統領が、さらにその隣には大韓民国の朴槿恵大統領が並んだ(朴氏は着席)。反対側の左隣には、習近平氏の前任の党総書記である江沢民と胡錦濤ら中国共産党の元老や幹部が並んだ。

 北朝鮮は朝鮮労働党書記の崔竜海を派遣したが、席は端に近い位置であった。北朝鮮は中韓の接近を苦々しく見ていたに違いない。この頃は中国と北朝鮮との関係が最も悪化していた時であった。
 
〇米朝首脳会談 2018~19年
 米朝首脳会談は北朝鮮と中国の関係が改善される機会となった。金総書記はトランプ大統領との首脳会談と非核化交渉をひかえ、中国との関係をよくし、対米交渉に経験の深い習主席からアドバイスを受けようとして訪中した。最初は、米朝首脳会談の開催が煮詰まりつつあった2018年3月であり、次に5月、そして初の米朝首脳会談後の6月と立て続けに訪中した。さらに、翌年にも第2回目の米朝首脳会談を見越して1月に再度訪中した。金正恩氏は、習近平主席が北朝鮮の敵である韓国に好意を示していたにもかかわらず、何度も訪中したのであった。米国との関係改善はそれだけ重いことだったのである。

 中国としても北朝鮮に対してあまりにすげない態度を取り続けるのはよくない、北朝鮮は米国との会談を行うに際して中国の顔を立ててきたので北朝鮮に友好的な態度で臨むべきだという考えが強くなってきたものと思われる。

 習近平氏はハノイでの米朝首脳会談の4か月後の2019年6月、ついに北朝鮮を訪問した。その後は世界的なコロナ禍の影響もあったのだろう、中国の「国慶節(10月1日)」 北朝鮮の建国記念(9月9日)などに祝電の交換などは行っていたようであるが、あまり目立った動きはなかった。

〇北朝鮮は中国およびロシアと肩を並べたか
 中国の対日戦勝80年記念式典には、10年前と異なり、金正恩総書記が参列した。しかも金正恩総書記は北京でロシアのプーチン大統領とほぼ同等の待遇を受けた。その間に北朝鮮と中国の関係が大幅に改善されていたのである。米朝首脳会談が契機となったことは前述したが、最大の原因はロシアによるウクライナ侵攻であった。
 ウクライナ侵攻で難渋したロシアは中国に協力を要請したが、中国は経済面での協力以外は首を縦に振らなかった。そこでロシアは北朝鮮に協力を求めた。詳しい事情は分からないが、ロシアは北朝鮮に兵員、武器の提供を懇願し、それは実現した。
 ロシアのクルスク州でウクライナ軍とロシア軍は激しく戦っている。北朝鮮はロシアから要請を受け、兵士約1万5000人とミサイル、長距離兵器をロシアに送ったといわれている。また、外貨獲得のためロシア極東に派遣されていた北朝鮮労働者がロシア軍と契約を結び、入隊したとも報道された。

 ウクライナ侵攻を契機に北朝鮮とロシアの関係は著しく改善された。金正恩総書記は2023年9月ロシアを訪問し、13日にロシア極東アムール州のボストーチヌイ宇宙基地でプーチン大統領と会談した。金氏は4年前にもロシアを訪問したことがあったが、その時はあまり大事にされなかったらしい。予定を切り上げ帰国してしまった。
 ロシアは今回、その時とは比較にならないほど盛大に金正恩総書記を歓待した。プーチン大統領は外国の要人と会談するとき遅刻の常習癖(意図的だといわれている)があるが、今回は逆に会談開始より数十分早く会談場に来ていたという。
 金正恩氏は極超音速ミサイルや巡航ミサイル、戦闘機など最新兵器を視察した。見て回っただけでなく、手で触れてみたり、操縦席に乗ったりした。また、ウラジオストックではロシアの太平洋艦隊を訪問した。金正恩氏の視察にはショイグ国防相が、一部はプーチン氏が同行した。金正恩氏のロシア訪問は異例ずくめであった。

 そして翌2024年6月には、プーチン大統領が訪朝した。
 
 金総書記のロシア訪問も、プーチン大統領の北朝鮮訪問も北朝鮮にとって満足できる結果だったのだろう。これまで尊大であったロシアが下手に出て金正恩氏の機嫌を取ろうとするようになった。そんなことが起こったのはロシアが北朝鮮の兵力と武器を懇願し、提供されたからであった。軍事力増強は国連などでは非難されているが、北朝鮮の地位を押し上げた。金正恩総書記はこのように考えたのではないか。

 北朝鮮の地位が押し上げられたのはロシアとの関係だけでない。ロシアに負けず北朝鮮に尊大な態度を取る中国との関係でも変化が起こっている。特に、対日戦勝80年記念式典で習近平主席は金正恩総書記を厚遇し、少なくとも表向きはプーチン氏とほぼおなじ特別扱いにした。このことは中朝間で事前に決められていたはずである。そうでなければ、金正恩氏が北京に行くはずがない。

 要するに、ウクライナ侵攻をめぐってロシアはどうしても北朝鮮の協力を必要とするようになり、その結果北朝鮮の地位は顕著に上昇した。中国としてもロシアほど露骨でなかったかもしれないが、北朝鮮の地位と役割を認め、歓心を買うのが得策と判断したのだと思われる。そして、金正恩氏は軍事力増強路線が間違っていなかった、その路線を追求してきたために、ロ朝両国は今や対等の立場、あるいは対等に近い立場に立つに至ったと実感したのではないか。

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