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2024.08.05
防衛省・自衛隊は、日本の防衛と災害救助などに献身的な努力を行い、国民から感謝されている一方、このような不祥事を組織ぐるみで隠ぺいしていたのである。
問題点は少なくないが、本稿では、武器を保有し、危険な任務に従事する自衛隊が健全に機能するのに絶対的に必要なシビリアン・コントロールが、再度機能しなかったこと、また現在の制度では問題の是正は望みえないことを改めて指摘したい。
シビリアン・コントロールにかかわる問題は戦後何回か発生した。7年前の2017年には、南スーダンへの自衛隊PKO部隊の派遣に関し、防衛大臣に虚偽の報告が行われた(詳しくは平和外交研究所HP2017年8月10日「内閣改造②シビリアン・コントロール」)。
日本国憲法の下では、そもそも「シビリアン・コントロール」を論じる余地はあるのか、という疑問もある。憲法9条によれば、日本に「軍」はないので、シビリアン・コントロールの必要はないとも考えられるからである。しかし、日本は自衛のために武装した自衛隊を持っているので、やはり、シビリアン・コントロールは必要である。
憲法では、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定(66条2項)によって、シビリアン・コントロールが確保されていると解されている。しかし、実際にはシビリアン・コントロールは機能しておらず、この憲法規定は一種のアリバイ、つまりシビリアン・コントロールの体制はちゃんとできているという口実に使われているにすぎない。
戦前、軍は、政府の反対を押し切って主張を通すために内閣を倒すことも辞さないとの態度であり、それは旧憲法下では可能であった。戦後の憲法ではそれは不可能になっているが、以下に述べる理由から、シビリアン・コントロールはいざという時に機能しなくなっており、その意味では戦前と変わらない状況にある。
第1に、防衛大臣に就任する人はつねに能力があるとは限らない。自衛隊を適切に監督できる人もいれば、できない人もいる。さらに、防衛大臣は、例えば、政治資金規正法違反の理由で刑事罰を受けるかもしれない。また、自衛隊を政治目的に濫用するかもしれない。
自衛隊から見ても、心底から仕えたい防衛大臣もいれば、信頼できない人もいる。これらは通常、表で語られないことであるが、現実には問題になりうることが南スーダンへの部隊派遣の際に露呈した。
要するに、文民が自衛隊のトップであっても、それだけでは安心できないのである。防衛大臣など自衛隊を指揮する者が文民でなければならないのは、シビリアン・コントロールの必要条件であるが、十分条件ではないのである。
第2に、一般的に、自衛隊の主張には説得力があり、防衛大臣がそれを承認しないとするのは事実上困難である。たとえば、自衛隊が、作戦Aでは成功しなかったので作戦Bが必要と主張するケースを考えてみよう。政府は諸外国との関係など総合的な考慮から作戦Bを実行すべきでないと判断しても、防衛大臣ははたして作戦Bを不許可とできるか。理論的にはもちろんできるはずだが、実際には、自衛隊は現場をよく知っており、よく考えて防衛大臣に上げてくるだろうからその主張には説得力がある。
また、かつての帝国軍隊の場合は、作戦を途中で変更すると、それまでの犠牲を「無駄にするのか」という議論が使われたが、今の自衛隊においても同じことが起こりうる。
そもそも、政府の判断には多かれ少なかれ妥協が含まれており、したがって説得力は強くない。自衛隊の考えのほうが理屈にかなっているように見えることはよくあることである。
しかし、それでも自衛隊の主張を退け、政府の判断に従わせなければならないことがある。これがシビリアン・コントロールであるが、単に上に立つ政府が自衛隊を押さえつけるということでなく、長い目で見ると妥協をした政府のほうが正しかったことが分かってくるのである。これは裁判の証明のようなことでないが、歴史の教訓である。
日本の憲法規定は米国に習ったものであるが、実は、日米のシビリアン・コントロールは同じでない。米国ではシビリアン・コントロールはよく効いているように見えるが、実際にはシビリアン・コントロールは簡単でなく、あらゆる手段で確保に努めなければならないと認識されている。
これに比べると、日本のシビリアン・コントロールは、憲法の規定はあるが、自衛隊の海外での武力行使は皆無であり、したがってまた、シビリアン・コントロールが本当に必要になる事態には立ち至ったことがなかった。つまり経験が乏しいので、シビリアン・コントロールの議論は机上の空論に陥るのである。旧憲法下では問題とすべき事例が多数あったが、旧軍のことは現在の自衛隊とはほぼ完全に切り離されており、参照すべき前例とは認識されていない。かつての苦い経験として、「旧軍では○○であった」と主張しても防衛省・自衛隊には響かない。
今後どうすればよいかだが、憲法を改正して自衛隊を正規の防衛軍にするなら、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則を明記すべきだ。つまり、文民によるコントロールは人の面からの規制であり、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則はルールの問題であり、両方が必要である。
そして、この二つの原則の下でシビリアン・コントロールが必要な諸事項、とくに、政治にかかわってくる問題について自衛隊がどこまで研究したり、主張したりできるかを法律で規定すべきである。かつて、自衛隊員が有事の場合の対応に関する法制上の欠陥について研究したことが問題視されたことがあったが、一概に否定されるべきことではなかった。それは一定程度まで、つまり、シビリアン・コントロールに反しない限度内では認められてしかるべきことであった。
さらに、制度面の措置とともに、戦前の軍による暴走とそれをコントロールできなかった政治の欠陥などを含め歴史を徹底的に見つめなおし、その結果を政府と自衛隊の在り方に反映させ、自衛隊が政府に反旗を翻すようなことはあり得ないようにする努力が必要である。一般の国民は、そんなことまで行う必要があるのかと疑問視するかもしれないが、シビリアン・コントロールは危険な任務についている自衛隊において、かりに問題が起こってもずるずると坂道を転げ落ちていかないよう食い止めるための防災措置である。
防衛省・自衛隊における不祥事とシビリアン・コントロール
最近、防衛省・自衛隊において、潜水手当の不正受給や、国の安全保障に関わる「特定秘密」違反などで200人以上が処分された。また、手当を不正受給した元隊員が逮捕されたが、8か月間木原防衛大臣に報告されていなかったことが判明した。増田防衛事務次官はこれら不祥事の関係で短期間に2度処分された。この他、民間企業が海上自衛隊員らに裏金で接待していた疑惑、海自隊員が自衛隊施設の食堂で金を払わずに食事をとる「不正喫食」問題、防衛省幹部のパワーハラスメントなどもあった。防衛省・自衛隊は、日本の防衛と災害救助などに献身的な努力を行い、国民から感謝されている一方、このような不祥事を組織ぐるみで隠ぺいしていたのである。
問題点は少なくないが、本稿では、武器を保有し、危険な任務に従事する自衛隊が健全に機能するのに絶対的に必要なシビリアン・コントロールが、再度機能しなかったこと、また現在の制度では問題の是正は望みえないことを改めて指摘したい。
シビリアン・コントロールにかかわる問題は戦後何回か発生した。7年前の2017年には、南スーダンへの自衛隊PKO部隊の派遣に関し、防衛大臣に虚偽の報告が行われた(詳しくは平和外交研究所HP2017年8月10日「内閣改造②シビリアン・コントロール」)。
日本国憲法の下では、そもそも「シビリアン・コントロール」を論じる余地はあるのか、という疑問もある。憲法9条によれば、日本に「軍」はないので、シビリアン・コントロールの必要はないとも考えられるからである。しかし、日本は自衛のために武装した自衛隊を持っているので、やはり、シビリアン・コントロールは必要である。
憲法では、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定(66条2項)によって、シビリアン・コントロールが確保されていると解されている。しかし、実際にはシビリアン・コントロールは機能しておらず、この憲法規定は一種のアリバイ、つまりシビリアン・コントロールの体制はちゃんとできているという口実に使われているにすぎない。
戦前、軍は、政府の反対を押し切って主張を通すために内閣を倒すことも辞さないとの態度であり、それは旧憲法下では可能であった。戦後の憲法ではそれは不可能になっているが、以下に述べる理由から、シビリアン・コントロールはいざという時に機能しなくなっており、その意味では戦前と変わらない状況にある。
第1に、防衛大臣に就任する人はつねに能力があるとは限らない。自衛隊を適切に監督できる人もいれば、できない人もいる。さらに、防衛大臣は、例えば、政治資金規正法違反の理由で刑事罰を受けるかもしれない。また、自衛隊を政治目的に濫用するかもしれない。
自衛隊から見ても、心底から仕えたい防衛大臣もいれば、信頼できない人もいる。これらは通常、表で語られないことであるが、現実には問題になりうることが南スーダンへの部隊派遣の際に露呈した。
要するに、文民が自衛隊のトップであっても、それだけでは安心できないのである。防衛大臣など自衛隊を指揮する者が文民でなければならないのは、シビリアン・コントロールの必要条件であるが、十分条件ではないのである。
第2に、一般的に、自衛隊の主張には説得力があり、防衛大臣がそれを承認しないとするのは事実上困難である。たとえば、自衛隊が、作戦Aでは成功しなかったので作戦Bが必要と主張するケースを考えてみよう。政府は諸外国との関係など総合的な考慮から作戦Bを実行すべきでないと判断しても、防衛大臣ははたして作戦Bを不許可とできるか。理論的にはもちろんできるはずだが、実際には、自衛隊は現場をよく知っており、よく考えて防衛大臣に上げてくるだろうからその主張には説得力がある。
また、かつての帝国軍隊の場合は、作戦を途中で変更すると、それまでの犠牲を「無駄にするのか」という議論が使われたが、今の自衛隊においても同じことが起こりうる。
そもそも、政府の判断には多かれ少なかれ妥協が含まれており、したがって説得力は強くない。自衛隊の考えのほうが理屈にかなっているように見えることはよくあることである。
しかし、それでも自衛隊の主張を退け、政府の判断に従わせなければならないことがある。これがシビリアン・コントロールであるが、単に上に立つ政府が自衛隊を押さえつけるということでなく、長い目で見ると妥協をした政府のほうが正しかったことが分かってくるのである。これは裁判の証明のようなことでないが、歴史の教訓である。
日本の憲法規定は米国に習ったものであるが、実は、日米のシビリアン・コントロールは同じでない。米国ではシビリアン・コントロールはよく効いているように見えるが、実際にはシビリアン・コントロールは簡単でなく、あらゆる手段で確保に努めなければならないと認識されている。
これに比べると、日本のシビリアン・コントロールは、憲法の規定はあるが、自衛隊の海外での武力行使は皆無であり、したがってまた、シビリアン・コントロールが本当に必要になる事態には立ち至ったことがなかった。つまり経験が乏しいので、シビリアン・コントロールの議論は机上の空論に陥るのである。旧憲法下では問題とすべき事例が多数あったが、旧軍のことは現在の自衛隊とはほぼ完全に切り離されており、参照すべき前例とは認識されていない。かつての苦い経験として、「旧軍では○○であった」と主張しても防衛省・自衛隊には響かない。
今後どうすればよいかだが、憲法を改正して自衛隊を正規の防衛軍にするなら、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則を明記すべきだ。つまり、文民によるコントロールは人の面からの規制であり、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則はルールの問題であり、両方が必要である。
そして、この二つの原則の下でシビリアン・コントロールが必要な諸事項、とくに、政治にかかわってくる問題について自衛隊がどこまで研究したり、主張したりできるかを法律で規定すべきである。かつて、自衛隊員が有事の場合の対応に関する法制上の欠陥について研究したことが問題視されたことがあったが、一概に否定されるべきことではなかった。それは一定程度まで、つまり、シビリアン・コントロールに反しない限度内では認められてしかるべきことであった。
さらに、制度面の措置とともに、戦前の軍による暴走とそれをコントロールできなかった政治の欠陥などを含め歴史を徹底的に見つめなおし、その結果を政府と自衛隊の在り方に反映させ、自衛隊が政府に反旗を翻すようなことはあり得ないようにする努力が必要である。一般の国民は、そんなことまで行う必要があるのかと疑問視するかもしれないが、シビリアン・コントロールは危険な任務についている自衛隊において、かりに問題が起こってもずるずると坂道を転げ落ちていかないよう食い止めるための防災措置である。
2024.07.30
中国共産党第20期中央委員会第3回総会(3中全会)は7月18日に閉幕した。コミュニケは21日に発表された。
これまでの例によると、共産党代表大会が開催されると、ほぼ1年後に3中全会が開かれていた。代表大会後の政策や基本方針は早く発表したほうがよいが、その準備にどうしても1年くらいかかるからであった。だが2022年10月に開催された代表大会(第20期)においては今年の7月になって漸く開かれた。いつもより1年近く遅れたわけである。
中国政府は今後に向けての方針策定に苦慮したらしい。あるエコノミストは次のように述べている(Milton Ezrati, Forbes JAPAN 2024年7月11日。一部表現をわかりやすくした)。
「経済に影響を及ぼしている不動産問題について、中国政府は当初から対応を誤ってきた。不動産開発大手の中国恒大集団(エバーグランデ)が2021年に債務不履行(デフォルト)に陥って不動産危機が発生したとき、政府はまるで大した問題ではないかのように扱った。
当局は恒大集団や同社の顧客を支援したり、金融市場が余波を受けないようにしたりするなどの措置を一切取らなかった。こうした無為無策から、問題は中国の経済と金融全体に広がった。その間、他の不動産開発企業も経営難に陥り、問題はさらに悪化した。2023年、政府はようやく事態が深刻だと認識し、小さな一歩を踏み出した。しかし、政府が打ち出した対応策では不十分だろう。
中国政府は1兆元(約22兆円)の超長期特別国債を発行するとしている。このうちの約5000億元(約11兆円)で売れ残っている住宅を購入して手頃な価格の住宅として活用するというのだ。
(中略)
これはかなりの額に見えるものの、対策として打ち出した買戻し計画としてはあまりに少なすぎる。1兆元という額は、恒大集団の約3000億ドル(約48兆円)もの負債の前では微々たるものだ。加えて、碧桂園(カントリーガーデン)など、恒大集団に続いて経営難に陥った不動産開発企業の負債もある。効果を上げるには何兆元もの公的資金が必要である。」
何兆元もの公的資金が必要か、議論の余地はあるだろう。リーマンショックの際に中国政府が4兆元をつぎ込んだことは高く評価された一方で、巨額の債務が残り、財政の健全性に懸念が生じた。そのような経験をしたが、今回、習政権は年度の途中で大幅な予算の修正に踏み込まざるをえなかった。習政権が景気の現状に強い危機感を抱いている表れだろうと指摘されている。
中国の不動産市場においては、住宅の平均価格が高騰しており、バブル状態になっている。その一方で、プロジェクトが建設途中で放棄されることが多発している。道路が作られてもあまり車が通らないため、農地の代わりに使われているところもあるという。
これまで不動産と土地の取引で潤っていた地方政府は相次いで資金不足に陥っており、銀行からの融資や債権の発行によって資金を集め、インフラ開発を推し進めることは困難になっている。各地の地方政府は「地方融資平台(英語ではLocal government financing vehicleと訳されている)」という特殊な投資会社を設立して中央政府の金融規制をかいくぐろうとしているが、そこでも新たな債務が膨れ上がっている。地方融資平台は不動産バブルを煽っているともいわれている。
不動産業が激しい不況に陥っているのも、資金の調達に問題が生じているのも、地方政府が財政破綻の危機に陥ったのも、市場が十分機能していないことに根本的な原因があるのではないか。
中国政府は1980年代以来「改革開放」を進め、その一環として計画経済から市場経済への移行を目指し、国有企業の民営化と民営企業の成長を促してきた。1990年代の後半、朱鎔基総理は国有企業を改革する荒療治をした。それは効果があったとみられている。
2001年に中国は世界貿易機関(WTO)に加盟を果たしたが、交渉の過程で中国がほんとうに市場経済に移行できるか各国から厳しく問われ、これに対し中国の代表は中国経済が市場化の方向にあり、WTOに加盟する資格があることを懸命に力説して各国を説得した。
しかし、実際には、国有企業は政府の支援を引き続き受けながら、多くの分野において独占的地位を享受する一方、民営企業は種々の制約のもとにおかれてきた。
2002年胡錦涛政権になると、民営化はにぶくなった。国有企業の全面的な民営化は否定され、民営化に代わって、国有企業に民間資本を取り入れる「混合所有制改革」の方針が打ち出された。
近年は、国有企業への党と政府による介入が増えており、各企業は党支部を設置することを義務付けられている。国有企業の経営者は公務員化しているともいわれている。
1993年以来中国は「社会主義市場経済」を公式見解としており、表向きは市場経済化を一貫して重視しているように見えるが、実態は大きく変化し、国有企業中心の経済に回帰しつつある。それは党政府にとって都合がよいことだろうが、重要と供給のバランスを維持し、民間の活力を発揮させることは困難であろう。
そのような問題は中国経済が右肩上がりで伸びているときは表面化していなかったが、成長が鈍化し、財政が苦境に陥ると隠しとおせなくなるのではないか。
今回の3中全会コミュニケでは、「2035年までに、ハイレベルの社会主義市場経済体制を全面的に完成させる」と謳ったが、これは目標である。コミュニケには、「市場メカニズムの役割をよりよく発揮させる」、「より公平でより活力のある市場環境をつくり出す」、「資源配分において効率の最適化、効果の最大化をはかる」、「しっかりと市場の秩序を維持して市場の失敗を補完する」など、市場を重視すると読める言葉が書き込まれているが、同時に、
「揺るぐことなく公有制経済をうち固めて発展させる」ことと、「揺るぐことなく非公有制経済の発展を奨励・支援・リードする」ことが同時に謳われている。公有制企業とは国有企業であり、国有企業の重要性をないがしろにすることは許さないという大きなメッセージが明確に示されているのである。これでは市場経済は事実上ますます影が薄くなるのではないか。
経済成長の回復状況にもよるが、不動産業と地方政府の財政危機が今後どのように展開していくか、目が離せない。
3中全会と財政改革
中国共産党第20期中央委員会第3回総会(3中全会)は7月18日に閉幕した。コミュニケは21日に発表された。
これまでの例によると、共産党代表大会が開催されると、ほぼ1年後に3中全会が開かれていた。代表大会後の政策や基本方針は早く発表したほうがよいが、その準備にどうしても1年くらいかかるからであった。だが2022年10月に開催された代表大会(第20期)においては今年の7月になって漸く開かれた。いつもより1年近く遅れたわけである。
中国政府は今後に向けての方針策定に苦慮したらしい。あるエコノミストは次のように述べている(Milton Ezrati, Forbes JAPAN 2024年7月11日。一部表現をわかりやすくした)。
「経済に影響を及ぼしている不動産問題について、中国政府は当初から対応を誤ってきた。不動産開発大手の中国恒大集団(エバーグランデ)が2021年に債務不履行(デフォルト)に陥って不動産危機が発生したとき、政府はまるで大した問題ではないかのように扱った。
当局は恒大集団や同社の顧客を支援したり、金融市場が余波を受けないようにしたりするなどの措置を一切取らなかった。こうした無為無策から、問題は中国の経済と金融全体に広がった。その間、他の不動産開発企業も経営難に陥り、問題はさらに悪化した。2023年、政府はようやく事態が深刻だと認識し、小さな一歩を踏み出した。しかし、政府が打ち出した対応策では不十分だろう。
中国政府は1兆元(約22兆円)の超長期特別国債を発行するとしている。このうちの約5000億元(約11兆円)で売れ残っている住宅を購入して手頃な価格の住宅として活用するというのだ。
(中略)
これはかなりの額に見えるものの、対策として打ち出した買戻し計画としてはあまりに少なすぎる。1兆元という額は、恒大集団の約3000億ドル(約48兆円)もの負債の前では微々たるものだ。加えて、碧桂園(カントリーガーデン)など、恒大集団に続いて経営難に陥った不動産開発企業の負債もある。効果を上げるには何兆元もの公的資金が必要である。」
何兆元もの公的資金が必要か、議論の余地はあるだろう。リーマンショックの際に中国政府が4兆元をつぎ込んだことは高く評価された一方で、巨額の債務が残り、財政の健全性に懸念が生じた。そのような経験をしたが、今回、習政権は年度の途中で大幅な予算の修正に踏み込まざるをえなかった。習政権が景気の現状に強い危機感を抱いている表れだろうと指摘されている。
中国の不動産市場においては、住宅の平均価格が高騰しており、バブル状態になっている。その一方で、プロジェクトが建設途中で放棄されることが多発している。道路が作られてもあまり車が通らないため、農地の代わりに使われているところもあるという。
これまで不動産と土地の取引で潤っていた地方政府は相次いで資金不足に陥っており、銀行からの融資や債権の発行によって資金を集め、インフラ開発を推し進めることは困難になっている。各地の地方政府は「地方融資平台(英語ではLocal government financing vehicleと訳されている)」という特殊な投資会社を設立して中央政府の金融規制をかいくぐろうとしているが、そこでも新たな債務が膨れ上がっている。地方融資平台は不動産バブルを煽っているともいわれている。
不動産業が激しい不況に陥っているのも、資金の調達に問題が生じているのも、地方政府が財政破綻の危機に陥ったのも、市場が十分機能していないことに根本的な原因があるのではないか。
中国政府は1980年代以来「改革開放」を進め、その一環として計画経済から市場経済への移行を目指し、国有企業の民営化と民営企業の成長を促してきた。1990年代の後半、朱鎔基総理は国有企業を改革する荒療治をした。それは効果があったとみられている。
2001年に中国は世界貿易機関(WTO)に加盟を果たしたが、交渉の過程で中国がほんとうに市場経済に移行できるか各国から厳しく問われ、これに対し中国の代表は中国経済が市場化の方向にあり、WTOに加盟する資格があることを懸命に力説して各国を説得した。
しかし、実際には、国有企業は政府の支援を引き続き受けながら、多くの分野において独占的地位を享受する一方、民営企業は種々の制約のもとにおかれてきた。
2002年胡錦涛政権になると、民営化はにぶくなった。国有企業の全面的な民営化は否定され、民営化に代わって、国有企業に民間資本を取り入れる「混合所有制改革」の方針が打ち出された。
近年は、国有企業への党と政府による介入が増えており、各企業は党支部を設置することを義務付けられている。国有企業の経営者は公務員化しているともいわれている。
1993年以来中国は「社会主義市場経済」を公式見解としており、表向きは市場経済化を一貫して重視しているように見えるが、実態は大きく変化し、国有企業中心の経済に回帰しつつある。それは党政府にとって都合がよいことだろうが、重要と供給のバランスを維持し、民間の活力を発揮させることは困難であろう。
そのような問題は中国経済が右肩上がりで伸びているときは表面化していなかったが、成長が鈍化し、財政が苦境に陥ると隠しとおせなくなるのではないか。
今回の3中全会コミュニケでは、「2035年までに、ハイレベルの社会主義市場経済体制を全面的に完成させる」と謳ったが、これは目標である。コミュニケには、「市場メカニズムの役割をよりよく発揮させる」、「より公平でより活力のある市場環境をつくり出す」、「資源配分において効率の最適化、効果の最大化をはかる」、「しっかりと市場の秩序を維持して市場の失敗を補完する」など、市場を重視すると読める言葉が書き込まれているが、同時に、
「揺るぐことなく公有制経済をうち固めて発展させる」ことと、「揺るぐことなく非公有制経済の発展を奨励・支援・リードする」ことが同時に謳われている。公有制企業とは国有企業であり、国有企業の重要性をないがしろにすることは許さないという大きなメッセージが明確に示されているのである。これでは市場経済は事実上ますます影が薄くなるのではないか。
経済成長の回復状況にもよるが、不動産業と地方政府の財政危機が今後どのように展開していくか、目が離せない。
2024.06.22
当研究所は毎年6月23日に、沖縄戦で戦い、犠牲となった若者を悼む以下のような一文をホームページに掲載してきた(1995年6月23日、読売新聞に寄稿したもの)。沖縄は戦争において大きな犠牲を強いられ、しかもその傷跡は今もなお癒えていないからである。
「1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで一言申し上げる。
戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は疑問である。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。ひめゆり学徒隊の人たちは、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。それは任務である。
戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動の評価は行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。
また、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
沖縄戦で戦い、犠牲となった方々を悼む
この季節になると戦争に関連する歴史があいついでよみがえってくる。外国に関係することが多いのは当然だが、国内の問題も少なくない。日本国民として悔しいと感じることが多いが、元気づけられることもある。戦争は複雑で、何が悪かったなどと簡単には言えないが、日本が取った行動について言い訳がましく弁護したり、都合の悪いことは隠そうとするのはもってのほかだ。ごまかしからは日本の将来は開けてこない。当研究所は毎年6月23日に、沖縄戦で戦い、犠牲となった若者を悼む以下のような一文をホームページに掲載してきた(1995年6月23日、読売新聞に寄稿したもの)。沖縄は戦争において大きな犠牲を強いられ、しかもその傷跡は今もなお癒えていないからである。
「1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで一言申し上げる。
戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は疑問である。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。ひめゆり学徒隊の人たちは、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。それは任務である。
戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動の評価は行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。
また、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
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