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2024.07.30
中国共産党第20期中央委員会第3回総会(3中全会)は7月18日に閉幕した。コミュニケは21日に発表された。
これまでの例によると、共産党代表大会が開催されると、ほぼ1年後に3中全会が開かれていた。代表大会後の政策や基本方針は早く発表したほうがよいが、その準備にどうしても1年くらいかかるからであった。だが2022年10月に開催された代表大会(第20期)においては今年の7月になって漸く開かれた。いつもより1年近く遅れたわけである。
中国政府は今後に向けての方針策定に苦慮したらしい。あるエコノミストは次のように述べている(Milton Ezrati, Forbes JAPAN 2024年7月11日。一部表現をわかりやすくした)。
「経済に影響を及ぼしている不動産問題について、中国政府は当初から対応を誤ってきた。不動産開発大手の中国恒大集団(エバーグランデ)が2021年に債務不履行(デフォルト)に陥って不動産危機が発生したとき、政府はまるで大した問題ではないかのように扱った。
当局は恒大集団や同社の顧客を支援したり、金融市場が余波を受けないようにしたりするなどの措置を一切取らなかった。こうした無為無策から、問題は中国の経済と金融全体に広がった。その間、他の不動産開発企業も経営難に陥り、問題はさらに悪化した。2023年、政府はようやく事態が深刻だと認識し、小さな一歩を踏み出した。しかし、政府が打ち出した対応策では不十分だろう。
中国政府は1兆元(約22兆円)の超長期特別国債を発行するとしている。このうちの約5000億元(約11兆円)で売れ残っている住宅を購入して手頃な価格の住宅として活用するというのだ。
(中略)
これはかなりの額に見えるものの、対策として打ち出した買戻し計画としてはあまりに少なすぎる。1兆元という額は、恒大集団の約3000億ドル(約48兆円)もの負債の前では微々たるものだ。加えて、碧桂園(カントリーガーデン)など、恒大集団に続いて経営難に陥った不動産開発企業の負債もある。効果を上げるには何兆元もの公的資金が必要である。」
何兆元もの公的資金が必要か、議論の余地はあるだろう。リーマンショックの際に中国政府が4兆元をつぎ込んだことは高く評価された一方で、巨額の債務が残り、財政の健全性に懸念が生じた。そのような経験をしたが、今回、習政権は年度の途中で大幅な予算の修正に踏み込まざるをえなかった。習政権が景気の現状に強い危機感を抱いている表れだろうと指摘されている。
中国の不動産市場においては、住宅の平均価格が高騰しており、バブル状態になっている。その一方で、プロジェクトが建設途中で放棄されることが多発している。道路が作られてもあまり車が通らないため、農地の代わりに使われているところもあるという。
これまで不動産と土地の取引で潤っていた地方政府は相次いで資金不足に陥っており、銀行からの融資や債権の発行によって資金を集め、インフラ開発を推し進めることは困難になっている。各地の地方政府は「地方融資平台(英語ではLocal government financing vehicleと訳されている)」という特殊な投資会社を設立して中央政府の金融規制をかいくぐろうとしているが、そこでも新たな債務が膨れ上がっている。地方融資平台は不動産バブルを煽っているともいわれている。
不動産業が激しい不況に陥っているのも、資金の調達に問題が生じているのも、地方政府が財政破綻の危機に陥ったのも、市場が十分機能していないことに根本的な原因があるのではないか。
中国政府は1980年代以来「改革開放」を進め、その一環として計画経済から市場経済への移行を目指し、国有企業の民営化と民営企業の成長を促してきた。1990年代の後半、朱鎔基総理は国有企業を改革する荒療治をした。それは効果があったとみられている。
2001年に中国は世界貿易機関(WTO)に加盟を果たしたが、交渉の過程で中国がほんとうに市場経済に移行できるか各国から厳しく問われ、これに対し中国の代表は中国経済が市場化の方向にあり、WTOに加盟する資格があることを懸命に力説して各国を説得した。
しかし、実際には、国有企業は政府の支援を引き続き受けながら、多くの分野において独占的地位を享受する一方、民営企業は種々の制約のもとにおかれてきた。
2002年胡錦涛政権になると、民営化はにぶくなった。国有企業の全面的な民営化は否定され、民営化に代わって、国有企業に民間資本を取り入れる「混合所有制改革」の方針が打ち出された。
近年は、国有企業への党と政府による介入が増えており、各企業は党支部を設置することを義務付けられている。国有企業の経営者は公務員化しているともいわれている。
1993年以来中国は「社会主義市場経済」を公式見解としており、表向きは市場経済化を一貫して重視しているように見えるが、実態は大きく変化し、国有企業中心の経済に回帰しつつある。それは党政府にとって都合がよいことだろうが、重要と供給のバランスを維持し、民間の活力を発揮させることは困難であろう。
そのような問題は中国経済が右肩上がりで伸びているときは表面化していなかったが、成長が鈍化し、財政が苦境に陥ると隠しとおせなくなるのではないか。
今回の3中全会コミュニケでは、「2035年までに、ハイレベルの社会主義市場経済体制を全面的に完成させる」と謳ったが、これは目標である。コミュニケには、「市場メカニズムの役割をよりよく発揮させる」、「より公平でより活力のある市場環境をつくり出す」、「資源配分において効率の最適化、効果の最大化をはかる」、「しっかりと市場の秩序を維持して市場の失敗を補完する」など、市場を重視すると読める言葉が書き込まれているが、同時に、
「揺るぐことなく公有制経済をうち固めて発展させる」ことと、「揺るぐことなく非公有制経済の発展を奨励・支援・リードする」ことが同時に謳われている。公有制企業とは国有企業であり、国有企業の重要性をないがしろにすることは許さないという大きなメッセージが明確に示されているのである。これでは市場経済は事実上ますます影が薄くなるのではないか。
経済成長の回復状況にもよるが、不動産業と地方政府の財政危機が今後どのように展開していくか、目が離せない。
3中全会と財政改革
中国共産党第20期中央委員会第3回総会(3中全会)は7月18日に閉幕した。コミュニケは21日に発表された。
これまでの例によると、共産党代表大会が開催されると、ほぼ1年後に3中全会が開かれていた。代表大会後の政策や基本方針は早く発表したほうがよいが、その準備にどうしても1年くらいかかるからであった。だが2022年10月に開催された代表大会(第20期)においては今年の7月になって漸く開かれた。いつもより1年近く遅れたわけである。
中国政府は今後に向けての方針策定に苦慮したらしい。あるエコノミストは次のように述べている(Milton Ezrati, Forbes JAPAN 2024年7月11日。一部表現をわかりやすくした)。
「経済に影響を及ぼしている不動産問題について、中国政府は当初から対応を誤ってきた。不動産開発大手の中国恒大集団(エバーグランデ)が2021年に債務不履行(デフォルト)に陥って不動産危機が発生したとき、政府はまるで大した問題ではないかのように扱った。
当局は恒大集団や同社の顧客を支援したり、金融市場が余波を受けないようにしたりするなどの措置を一切取らなかった。こうした無為無策から、問題は中国の経済と金融全体に広がった。その間、他の不動産開発企業も経営難に陥り、問題はさらに悪化した。2023年、政府はようやく事態が深刻だと認識し、小さな一歩を踏み出した。しかし、政府が打ち出した対応策では不十分だろう。
中国政府は1兆元(約22兆円)の超長期特別国債を発行するとしている。このうちの約5000億元(約11兆円)で売れ残っている住宅を購入して手頃な価格の住宅として活用するというのだ。
(中略)
これはかなりの額に見えるものの、対策として打ち出した買戻し計画としてはあまりに少なすぎる。1兆元という額は、恒大集団の約3000億ドル(約48兆円)もの負債の前では微々たるものだ。加えて、碧桂園(カントリーガーデン)など、恒大集団に続いて経営難に陥った不動産開発企業の負債もある。効果を上げるには何兆元もの公的資金が必要である。」
何兆元もの公的資金が必要か、議論の余地はあるだろう。リーマンショックの際に中国政府が4兆元をつぎ込んだことは高く評価された一方で、巨額の債務が残り、財政の健全性に懸念が生じた。そのような経験をしたが、今回、習政権は年度の途中で大幅な予算の修正に踏み込まざるをえなかった。習政権が景気の現状に強い危機感を抱いている表れだろうと指摘されている。
中国の不動産市場においては、住宅の平均価格が高騰しており、バブル状態になっている。その一方で、プロジェクトが建設途中で放棄されることが多発している。道路が作られてもあまり車が通らないため、農地の代わりに使われているところもあるという。
これまで不動産と土地の取引で潤っていた地方政府は相次いで資金不足に陥っており、銀行からの融資や債権の発行によって資金を集め、インフラ開発を推し進めることは困難になっている。各地の地方政府は「地方融資平台(英語ではLocal government financing vehicleと訳されている)」という特殊な投資会社を設立して中央政府の金融規制をかいくぐろうとしているが、そこでも新たな債務が膨れ上がっている。地方融資平台は不動産バブルを煽っているともいわれている。
不動産業が激しい不況に陥っているのも、資金の調達に問題が生じているのも、地方政府が財政破綻の危機に陥ったのも、市場が十分機能していないことに根本的な原因があるのではないか。
中国政府は1980年代以来「改革開放」を進め、その一環として計画経済から市場経済への移行を目指し、国有企業の民営化と民営企業の成長を促してきた。1990年代の後半、朱鎔基総理は国有企業を改革する荒療治をした。それは効果があったとみられている。
2001年に中国は世界貿易機関(WTO)に加盟を果たしたが、交渉の過程で中国がほんとうに市場経済に移行できるか各国から厳しく問われ、これに対し中国の代表は中国経済が市場化の方向にあり、WTOに加盟する資格があることを懸命に力説して各国を説得した。
しかし、実際には、国有企業は政府の支援を引き続き受けながら、多くの分野において独占的地位を享受する一方、民営企業は種々の制約のもとにおかれてきた。
2002年胡錦涛政権になると、民営化はにぶくなった。国有企業の全面的な民営化は否定され、民営化に代わって、国有企業に民間資本を取り入れる「混合所有制改革」の方針が打ち出された。
近年は、国有企業への党と政府による介入が増えており、各企業は党支部を設置することを義務付けられている。国有企業の経営者は公務員化しているともいわれている。
1993年以来中国は「社会主義市場経済」を公式見解としており、表向きは市場経済化を一貫して重視しているように見えるが、実態は大きく変化し、国有企業中心の経済に回帰しつつある。それは党政府にとって都合がよいことだろうが、重要と供給のバランスを維持し、民間の活力を発揮させることは困難であろう。
そのような問題は中国経済が右肩上がりで伸びているときは表面化していなかったが、成長が鈍化し、財政が苦境に陥ると隠しとおせなくなるのではないか。
今回の3中全会コミュニケでは、「2035年までに、ハイレベルの社会主義市場経済体制を全面的に完成させる」と謳ったが、これは目標である。コミュニケには、「市場メカニズムの役割をよりよく発揮させる」、「より公平でより活力のある市場環境をつくり出す」、「資源配分において効率の最適化、効果の最大化をはかる」、「しっかりと市場の秩序を維持して市場の失敗を補完する」など、市場を重視すると読める言葉が書き込まれているが、同時に、
「揺るぐことなく公有制経済をうち固めて発展させる」ことと、「揺るぐことなく非公有制経済の発展を奨励・支援・リードする」ことが同時に謳われている。公有制企業とは国有企業であり、国有企業の重要性をないがしろにすることは許さないという大きなメッセージが明確に示されているのである。これでは市場経済は事実上ますます影が薄くなるのではないか。
経済成長の回復状況にもよるが、不動産業と地方政府の財政危機が今後どのように展開していくか、目が離せない。
2024.06.22
当研究所は毎年6月23日に、沖縄戦で戦い、犠牲となった若者を悼む以下のような一文をホームページに掲載してきた(1995年6月23日、読売新聞に寄稿したもの)。沖縄は戦争において大きな犠牲を強いられ、しかもその傷跡は今もなお癒えていないからである。
「1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで一言申し上げる。
戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は疑問である。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。ひめゆり学徒隊の人たちは、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。それは任務である。
戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動の評価は行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。
また、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
沖縄戦で戦い、犠牲となった方々を悼む
この季節になると戦争に関連する歴史があいついでよみがえってくる。外国に関係することが多いのは当然だが、国内の問題も少なくない。日本国民として悔しいと感じることが多いが、元気づけられることもある。戦争は複雑で、何が悪かったなどと簡単には言えないが、日本が取った行動について言い訳がましく弁護したり、都合の悪いことは隠そうとするのはもってのほかだ。ごまかしからは日本の将来は開けてこない。当研究所は毎年6月23日に、沖縄戦で戦い、犠牲となった若者を悼む以下のような一文をホームページに掲載してきた(1995年6月23日、読売新聞に寄稿したもの)。沖縄は戦争において大きな犠牲を強いられ、しかもその傷跡は今もなお癒えていないからである。
「1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで一言申し上げる。
戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は疑問である。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。ひめゆり学徒隊の人たちは、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。それは任務である。
戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動の評価は行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。
また、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
2024.05.22
最も注目されたのは、台湾と中国との関係をどのように描写するかであり、頼総統は中国に対して、「武力による脅しをやめるよう求める」と述べつつ、次の諸点を強調した。
①(台湾と)中国との関係について「卑下することも、おごることもなく、現状を維持する」。
② 私(頼総統)は中国が中華民国の存在事実を直視し、台湾人民の選択を尊重することを望む。
③ 住民同胞の皆さん、我々が中華民国台湾の将来は2300万の人民が共同で決定するものだと主張するとき、私たちが決める未来は、私たち台湾の未来だけでなく、世界全体の未来になる。
④ 中華民国憲法は、中華民国の主権はすべての住民に属し、中華民国の籍を有する者は中華民国の住民であると定めている。このことからも分かるように、中華民国と中華人民共和国は互いに隷属していない。
頼氏は総統就任以前から台湾独立志向が強いと噂されてきたが、同氏が実際にどのような考えであるか、この4点の声明によく表れている。
第1の現状維持は蔡英文前総統から引き継いだ台湾の対外政策の根幹であり、これをもって台湾は中国に対して、独立を望んでいないことを主張、あるいは弁明できるし、また日米などの支持を得られるとの考えであろう。
第2の前段の、「中華民国の存在事実の直視」は意味が必ずしも明確でないが、後段の「台湾人民の選択の尊重」は、台湾人民が台湾か中国かの選択を行った場合、その選択を尊重すべきであるということであり、これは解釈いかんでは強い声明である。
第3の、「2300万の台湾人民が共同で決定するものだと主張する」にも意味不明なところがあるが、第2の点と一体になっている主張である。第2と第3の主張は、「台湾人は将来、台湾か、中国かを選択する可能性があり、その選択は尊重されるべきだ」と論じていると解される。
第4では、あえて「中華民国」を使った。第2と第3は台湾人の意思の尊重という極めて重要な政治的主張であるが、第4においては、論理は若干不明確な面もあるが、基本は、「国際法及び中華民国憲法によれば『中華民国』と『中華人民共和国』は対等である」と主張しているのではないか。
台湾と中国の関係については、李登輝元総統が任期終盤の1999年7月、ドイツの放送局ドイチェ・ヴェレのインタビュー中に「特殊な国と国の関係」としたことがあった。これには米国などで一定の支持が得られたが、これは「二国論」であり、その後、民進党政権も使わなくなっていた。
頼新総統は、中国との間で「一国」か「二国」か、論じたくないのであろう。その判断は賢明である。そして「台湾と中国は国際法的に対等」と解する余地があるという考えを打ち出したのであり、李登輝元総統の「特殊な国と国の関係」より、法的に認められる余地があると考えたのだと思われる。
カギは米国の手にある。ブリンケン国務長官は、台湾で頼清徳氏が新しい総統に就任したことを祝福する声明を行い、その中で「台湾の人々が改めて民主主義制度の強さを示したことにも祝意を示したい」としたうえで、「われわれの共通の利益や価値観を推進するとともに、長く続いてきた米台の非公式な関係を深め、台湾海峡の平和と安定を維持するため、頼総統とともに取り組んでいくことを楽しみにしている」とした。頼新総統にとっては歓迎すべき声明であろう。
The following was translated automatically.
New President Lai Ching-te and “One China”
In his inauguration speech on May 20, the new President, Lai Ching-te, some wondered whether he would make any remarks about the “1992 Consensus,” which China claims was agreed upon at the 1992 China-Taiwan talks, but he made no mention of it.
The most attention was focused on how the relationship between Taiwan and China would be described, and President Lai said he urged China to “stop using force,” while emphasizing the following points:
① Regarding relations with China, he said, “We will maintain the status quo without belittling or becoming arrogant.”
② I hope that China will face up to the facts about the existence of the Republic of China and respect the choice of the people of Taiwan.
③ Fellow residents, when we say that the future of the Republic of China (Taiwan) is one that our 23 million people will jointly decide, the future we decide is not just the future of Taiwan, but the future of the entire world.
④ The Constitution of the Republic of China stipulates that the sovereignty of the Republic of China belongs to all its inhabitants, and that all who hold the nationality of the Republic of China are citizens of the Republic of China. This shows that the Republic of China and the People’s Republic of China are not subordinate to each other.
Even before he became president, Lai had been rumored to have strong support for Taiwan independence, and these four statements clearly show what he really thinks.
The first, maintaining the status quo, is the foundation of Taiwan’s foreign policy inherited from former President Tsai Ing-wen, and it is believed that this allows Taiwan to assert or justify to China that it does not desire independence, and also enables it to gain support from Japan, the United States, and other countries.
The meaning of the first paragraph of the second statement, “facing up to the fact of the existence of the Republic of China,” is not entirely clear, but the latter paragraph, “respecting the choice of the people of Taiwan,” means that if the people of Taiwan make the choice between Taiwan and China, that choice should be respected, which is a strong statement depending on how it is interpreted.
The third point, “We insist that this is a joint decision of the 23 million Taiwanese people,” is also unclear, but it is an assertion that is integrated with the second point. The second and third points are understood to be an argument that “Taiwanese people may choose between Taiwan and China in the future, and that choice should be respected.”
In the fourth point, Mr. Lai deliberately used the term “Republic of China.” The second and third points are extremely important political assertions of respecting the will of the Taiwanese people, but in the fourth point, although the logic is somewhat unclear, the basis is that “According to international law and the Constitution of the Republic of China, the ‘Republic of China’ and the ‘People’s Republic of China’ are equal.”
Regarding the relationship between Taiwan and China, former President Lee Teng-hui once described it as a “special relationship between two countries” during an interview with the German broadcasting station Deutsche Welle in July 1999, toward the end of his term . This gained a certain amount of support in the United States and other countries, but this was a “two-state theory ,” and the DPP government subsequently stopped using this term.
President Lai does not want to discuss whether Taiwan and China are “one country” or “two countries.” His decision is wise. He put forward the idea that there is room for interpreting Taiwan and China as “equal under international law,” which seems to be more likely to be recognized legally than former President Lee Teng-hui’s “special country-to-country relationship.”
The key is in the hands of the United States. Secretary of State Blinken issued a statement congratulating Taiwan’s new president, Lai Ching-te, saying, “I would also like to congratulate the people of Taiwan for once again demonstrating the strength of their democratic system,” and added, “I look forward to working with President Lai to advance our shared interests and values, deepen the long-standing informal relationship between the United States and Taiwan, and safeguard peace and stability across the Taiwan Strait.” This will be a welcome statement for President Lai.
頼清徳新総統と「一つの中国」問題
5月20日、頼清徳新総統が就任に際して行った演説において、1992年の中台会談において合意されたと中国側が主張する「92年コンセンサス」について頼総統が何らかの発言をおこなうか問題にする向きもあったが、何も言及されなかった。最も注目されたのは、台湾と中国との関係をどのように描写するかであり、頼総統は中国に対して、「武力による脅しをやめるよう求める」と述べつつ、次の諸点を強調した。
①(台湾と)中国との関係について「卑下することも、おごることもなく、現状を維持する」。
② 私(頼総統)は中国が中華民国の存在事実を直視し、台湾人民の選択を尊重することを望む。
③ 住民同胞の皆さん、我々が中華民国台湾の将来は2300万の人民が共同で決定するものだと主張するとき、私たちが決める未来は、私たち台湾の未来だけでなく、世界全体の未来になる。
④ 中華民国憲法は、中華民国の主権はすべての住民に属し、中華民国の籍を有する者は中華民国の住民であると定めている。このことからも分かるように、中華民国と中華人民共和国は互いに隷属していない。
頼氏は総統就任以前から台湾独立志向が強いと噂されてきたが、同氏が実際にどのような考えであるか、この4点の声明によく表れている。
第1の現状維持は蔡英文前総統から引き継いだ台湾の対外政策の根幹であり、これをもって台湾は中国に対して、独立を望んでいないことを主張、あるいは弁明できるし、また日米などの支持を得られるとの考えであろう。
第2の前段の、「中華民国の存在事実の直視」は意味が必ずしも明確でないが、後段の「台湾人民の選択の尊重」は、台湾人民が台湾か中国かの選択を行った場合、その選択を尊重すべきであるということであり、これは解釈いかんでは強い声明である。
第3の、「2300万の台湾人民が共同で決定するものだと主張する」にも意味不明なところがあるが、第2の点と一体になっている主張である。第2と第3の主張は、「台湾人は将来、台湾か、中国かを選択する可能性があり、その選択は尊重されるべきだ」と論じていると解される。
第4では、あえて「中華民国」を使った。第2と第3は台湾人の意思の尊重という極めて重要な政治的主張であるが、第4においては、論理は若干不明確な面もあるが、基本は、「国際法及び中華民国憲法によれば『中華民国』と『中華人民共和国』は対等である」と主張しているのではないか。
台湾と中国の関係については、李登輝元総統が任期終盤の1999年7月、ドイツの放送局ドイチェ・ヴェレのインタビュー中に「特殊な国と国の関係」としたことがあった。これには米国などで一定の支持が得られたが、これは「二国論」であり、その後、民進党政権も使わなくなっていた。
頼新総統は、中国との間で「一国」か「二国」か、論じたくないのであろう。その判断は賢明である。そして「台湾と中国は国際法的に対等」と解する余地があるという考えを打ち出したのであり、李登輝元総統の「特殊な国と国の関係」より、法的に認められる余地があると考えたのだと思われる。
カギは米国の手にある。ブリンケン国務長官は、台湾で頼清徳氏が新しい総統に就任したことを祝福する声明を行い、その中で「台湾の人々が改めて民主主義制度の強さを示したことにも祝意を示したい」としたうえで、「われわれの共通の利益や価値観を推進するとともに、長く続いてきた米台の非公式な関係を深め、台湾海峡の平和と安定を維持するため、頼総統とともに取り組んでいくことを楽しみにしている」とした。頼新総統にとっては歓迎すべき声明であろう。
The following was translated automatically.
New President Lai Ching-te and “One China”
In his inauguration speech on May 20, the new President, Lai Ching-te, some wondered whether he would make any remarks about the “1992 Consensus,” which China claims was agreed upon at the 1992 China-Taiwan talks, but he made no mention of it.
The most attention was focused on how the relationship between Taiwan and China would be described, and President Lai said he urged China to “stop using force,” while emphasizing the following points:
① Regarding relations with China, he said, “We will maintain the status quo without belittling or becoming arrogant.”
② I hope that China will face up to the facts about the existence of the Republic of China and respect the choice of the people of Taiwan.
③ Fellow residents, when we say that the future of the Republic of China (Taiwan) is one that our 23 million people will jointly decide, the future we decide is not just the future of Taiwan, but the future of the entire world.
④ The Constitution of the Republic of China stipulates that the sovereignty of the Republic of China belongs to all its inhabitants, and that all who hold the nationality of the Republic of China are citizens of the Republic of China. This shows that the Republic of China and the People’s Republic of China are not subordinate to each other.
Even before he became president, Lai had been rumored to have strong support for Taiwan independence, and these four statements clearly show what he really thinks.
The first, maintaining the status quo, is the foundation of Taiwan’s foreign policy inherited from former President Tsai Ing-wen, and it is believed that this allows Taiwan to assert or justify to China that it does not desire independence, and also enables it to gain support from Japan, the United States, and other countries.
The meaning of the first paragraph of the second statement, “facing up to the fact of the existence of the Republic of China,” is not entirely clear, but the latter paragraph, “respecting the choice of the people of Taiwan,” means that if the people of Taiwan make the choice between Taiwan and China, that choice should be respected, which is a strong statement depending on how it is interpreted.
The third point, “We insist that this is a joint decision of the 23 million Taiwanese people,” is also unclear, but it is an assertion that is integrated with the second point. The second and third points are understood to be an argument that “Taiwanese people may choose between Taiwan and China in the future, and that choice should be respected.”
In the fourth point, Mr. Lai deliberately used the term “Republic of China.” The second and third points are extremely important political assertions of respecting the will of the Taiwanese people, but in the fourth point, although the logic is somewhat unclear, the basis is that “According to international law and the Constitution of the Republic of China, the ‘Republic of China’ and the ‘People’s Republic of China’ are equal.”
Regarding the relationship between Taiwan and China, former President Lee Teng-hui once described it as a “special relationship between two countries” during an interview with the German broadcasting station Deutsche Welle in July 1999, toward the end of his term . This gained a certain amount of support in the United States and other countries, but this was a “two-state theory ,” and the DPP government subsequently stopped using this term.
President Lai does not want to discuss whether Taiwan and China are “one country” or “two countries.” His decision is wise. He put forward the idea that there is room for interpreting Taiwan and China as “equal under international law,” which seems to be more likely to be recognized legally than former President Lee Teng-hui’s “special country-to-country relationship.”
The key is in the hands of the United States. Secretary of State Blinken issued a statement congratulating Taiwan’s new president, Lai Ching-te, saying, “I would also like to congratulate the people of Taiwan for once again demonstrating the strength of their democratic system,” and added, “I look forward to working with President Lai to advance our shared interests and values, deepen the long-standing informal relationship between the United States and Taiwan, and safeguard peace and stability across the Taiwan Strait.” This will be a welcome statement for President Lai.
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