2017 - 平和外交研究所 - Page 41
2017.02.10
当時、南スーダンに派遣されていた国連PKOを維持できるか、国際的にも、日本でも問題となっており、日本の国会では、首都ジュバでの政府軍と反政府勢力との間の大規模な衝突は「戦闘」であり、日本の部隊は撤収すべきではないかということが審議されていた。日本政府はその紛争の存在を認めつつも、PKOの派遣・維持の前提である停戦は維持されていたという認識であり、強い反対論があったがその立場を貫いた。自衛隊の部隊は今も南スーダンに派遣されている。
しかるに、2016年9月、ジャーナリストの布施祐仁氏が当時の日記の開示を防衛省に請求したのに対して、防衛省は12月2日、その日記はすでに廃棄していると回答することにし、稲田防衛相にもその旨を報告した。
しかし、そのような処理は問題だと考える者がいたのだろう。元文書管理担当相の河野太郎議員に情報提供があった。その内容の詳細は不明だが、同議員は日記の電子データさえ残っていないのは不可解だとして防衛省に調査を求めた。その結果、数日後に電子データが残っていることが判明した。
河野議員は2月6日に防衛省から開示を受け、ただちにツイッターやフェイスブックでそのことを公表した。
一方、防衛省内部では、稲田防衛相への報告は調査結果の判明後迅速に行われず、河野議員への開示のわずか10日前、つまり1月末になってようやく行われた。事務方は防衛相に数週間報告しないでいたらしい。
(以上は諸報道を要約したもので、未確認だが、本件の背景として記しておく)
1月末に開会した国会では、昨年7月当時の政府説明には問題があった、衝突の状況を記した日記がないというのは事実でなかったなどの指摘、批判が行われ、稲田防衛相が矢面に立たされた。
とくに焦点となったのは、当時の衝突が「戦闘」であったか否かであり、日記は「戦闘」であると描写していた。そうであれば、自衛隊はやはり撤収すべきであったということになり、ひいては当時の政府答弁には瑕疵があったことになる恐れがある。そうなることは何としてでも避けなければならないと考えたのであろう。稲田氏は「戦闘」という言葉は今でも使わず、「戦闘とは国際的に言われる「戦闘行為」ではない」という意味不明のことを繰り返すだけである。
このような答弁が日本国民に受け入れられるか疑問だ。今後、国会でどのような結論になるか関心を持って見守りたい。個人的には、防衛省内部でも十分に補佐されず、大事なことを、一時的とはいえ、隠され、また国会では官僚の作った無理な答弁を繰り返している稲田防衛相に同情を禁じ得ないが、稲田防衛相には大きな責任がある。憲法論でよく言われる文民統制の責任は首相、次いで防衛相にある。今国会で起こっているような状況では、有効な文民統制が働くとは到底思えない。
稲田防衛相を含め、今回の一連の不祥事に心を痛めている人には、PKOへの日本の参加のあるべき姿、体制についてよく考えてもらいたい。
PKOは、国連も日本国憲法も全く想定していなかったことであるが、戦後の国際政治において新しく生まれてきたものであり、それがいかに必要か、その歴史と予算額の大きさ(国連の通常予算よりはるかに多い)を見れば明らかである。
PKOは、停戦・和平の成立を前提としており、したがって、日本がそれに参加することは日本国憲法の「国際紛争に巻き込まれてはならない」という重要原則に反しない。日本はそのことを明確にしたうえで具体的な参加の態様を決めるべきであった。たとえば、警察を拡充してPKO部隊を派遣できるようにするのも一つの方法だった。警察というと、すでに文民警察が派遣されているが、それができる行動の範囲はPKO活動の小さな一部分にすぎない。
しかし、日本はPKO部隊として自衛隊を派遣することとした。政治的な理由でそうせざるを得なかったのだが、自衛隊は本来日本の防衛のための組織であり、PKOという国際活動には向いていない。日本の自衛隊は憲法の認めるごくわずかな例外的行為しか行えず、それではPKOとして十分な活動を行うのが困難だからだ。そのような制約を無視してPKO活動を拡大し、またそのため自衛隊の海外活動が拡大すると憲法違反の問題が出てくる。
したがって、「駆けつけ警護」に代表されるように日本のPKO活動を拡大するという決断を下すにあたっては、憲法との関係、自衛隊の性格などを改めて整理しなおすべきであった。
私は今でも「PKOは日本国憲法上認められる」という大きな判断をすべきであり、その上でPKOへの参加のあり方についての理論構成をし直すべきだと思っている。そして、自衛隊を今後もPKOに派遣するのであれば、「自衛」とともに「国際協力」をその主要業務として位置付けるべきである。この二つの異なることを自衛隊の業務とすると自衛隊の性格が不明確になるのであれば、「国際協力」のための別の組織を新設すべきである。そのような検討は日本の憲法体制にとっても自衛隊にとっても必要なことである。
しかるに、現在国会で起こっていることは、政府答弁の一貫性、整合性のための議論だ。それらを揺るがせば、政府の姿勢が問われ政治問題になるのでそうせざるを得ないのだろうが、しょせんそれは技術的な問題だ。
今回の問題について防衛省の対応の拙劣さを指摘するのは容易だが、その背景には自衛隊のあり方が、憲法との関係を含め、明確になっていないという現実がある。それは日本全体の問題であり、早急に是正すべきである。
(平和外交研究所HP 2014年4月26日「PKOと武器使用」、東洋経済オンライン2016年10月22日「稲田防衛相も視察した南スーダンPKOの苦渋 自衛隊員の「武器使用」をどう解釈すべきか」も参照願いたい。)
PKOへの参加体制は見直すべきだ
2016年7月、南スーダンの首都ジュバで起きた大規模な衝突が「戦闘」であったことを示す/示唆する自衛隊の日記をめぐって国会が紛糾している。当時、南スーダンに派遣されていた国連PKOを維持できるか、国際的にも、日本でも問題となっており、日本の国会では、首都ジュバでの政府軍と反政府勢力との間の大規模な衝突は「戦闘」であり、日本の部隊は撤収すべきではないかということが審議されていた。日本政府はその紛争の存在を認めつつも、PKOの派遣・維持の前提である停戦は維持されていたという認識であり、強い反対論があったがその立場を貫いた。自衛隊の部隊は今も南スーダンに派遣されている。
しかるに、2016年9月、ジャーナリストの布施祐仁氏が当時の日記の開示を防衛省に請求したのに対して、防衛省は12月2日、その日記はすでに廃棄していると回答することにし、稲田防衛相にもその旨を報告した。
しかし、そのような処理は問題だと考える者がいたのだろう。元文書管理担当相の河野太郎議員に情報提供があった。その内容の詳細は不明だが、同議員は日記の電子データさえ残っていないのは不可解だとして防衛省に調査を求めた。その結果、数日後に電子データが残っていることが判明した。
河野議員は2月6日に防衛省から開示を受け、ただちにツイッターやフェイスブックでそのことを公表した。
一方、防衛省内部では、稲田防衛相への報告は調査結果の判明後迅速に行われず、河野議員への開示のわずか10日前、つまり1月末になってようやく行われた。事務方は防衛相に数週間報告しないでいたらしい。
(以上は諸報道を要約したもので、未確認だが、本件の背景として記しておく)
1月末に開会した国会では、昨年7月当時の政府説明には問題があった、衝突の状況を記した日記がないというのは事実でなかったなどの指摘、批判が行われ、稲田防衛相が矢面に立たされた。
とくに焦点となったのは、当時の衝突が「戦闘」であったか否かであり、日記は「戦闘」であると描写していた。そうであれば、自衛隊はやはり撤収すべきであったということになり、ひいては当時の政府答弁には瑕疵があったことになる恐れがある。そうなることは何としてでも避けなければならないと考えたのであろう。稲田氏は「戦闘」という言葉は今でも使わず、「戦闘とは国際的に言われる「戦闘行為」ではない」という意味不明のことを繰り返すだけである。
このような答弁が日本国民に受け入れられるか疑問だ。今後、国会でどのような結論になるか関心を持って見守りたい。個人的には、防衛省内部でも十分に補佐されず、大事なことを、一時的とはいえ、隠され、また国会では官僚の作った無理な答弁を繰り返している稲田防衛相に同情を禁じ得ないが、稲田防衛相には大きな責任がある。憲法論でよく言われる文民統制の責任は首相、次いで防衛相にある。今国会で起こっているような状況では、有効な文民統制が働くとは到底思えない。
稲田防衛相を含め、今回の一連の不祥事に心を痛めている人には、PKOへの日本の参加のあるべき姿、体制についてよく考えてもらいたい。
PKOは、国連も日本国憲法も全く想定していなかったことであるが、戦後の国際政治において新しく生まれてきたものであり、それがいかに必要か、その歴史と予算額の大きさ(国連の通常予算よりはるかに多い)を見れば明らかである。
PKOは、停戦・和平の成立を前提としており、したがって、日本がそれに参加することは日本国憲法の「国際紛争に巻き込まれてはならない」という重要原則に反しない。日本はそのことを明確にしたうえで具体的な参加の態様を決めるべきであった。たとえば、警察を拡充してPKO部隊を派遣できるようにするのも一つの方法だった。警察というと、すでに文民警察が派遣されているが、それができる行動の範囲はPKO活動の小さな一部分にすぎない。
しかし、日本はPKO部隊として自衛隊を派遣することとした。政治的な理由でそうせざるを得なかったのだが、自衛隊は本来日本の防衛のための組織であり、PKOという国際活動には向いていない。日本の自衛隊は憲法の認めるごくわずかな例外的行為しか行えず、それではPKOとして十分な活動を行うのが困難だからだ。そのような制約を無視してPKO活動を拡大し、またそのため自衛隊の海外活動が拡大すると憲法違反の問題が出てくる。
したがって、「駆けつけ警護」に代表されるように日本のPKO活動を拡大するという決断を下すにあたっては、憲法との関係、自衛隊の性格などを改めて整理しなおすべきであった。
私は今でも「PKOは日本国憲法上認められる」という大きな判断をすべきであり、その上でPKOへの参加のあり方についての理論構成をし直すべきだと思っている。そして、自衛隊を今後もPKOに派遣するのであれば、「自衛」とともに「国際協力」をその主要業務として位置付けるべきである。この二つの異なることを自衛隊の業務とすると自衛隊の性格が不明確になるのであれば、「国際協力」のための別の組織を新設すべきである。そのような検討は日本の憲法体制にとっても自衛隊にとっても必要なことである。
しかるに、現在国会で起こっていることは、政府答弁の一貫性、整合性のための議論だ。それらを揺るがせば、政府の姿勢が問われ政治問題になるのでそうせざるを得ないのだろうが、しょせんそれは技術的な問題だ。
今回の問題について防衛省の対応の拙劣さを指摘するのは容易だが、その背景には自衛隊のあり方が、憲法との関係を含め、明確になっていないという現実がある。それは日本全体の問題であり、早急に是正すべきである。
(平和外交研究所HP 2014年4月26日「PKOと武器使用」、東洋経済オンライン2016年10月22日「稲田防衛相も視察した南スーダンPKOの苦渋 自衛隊員の「武器使用」をどう解釈すべきか」も参照願いたい。)
2017.02.08
メリットとしては次のようなことが考えられる。
○トランプ大統領には、日本の安全保障について日本自身が行っている努力、あるいは日米両国間の貿易などに関するはなはだしい誤解がある。それを解く努力が必要だ。
○トランプ大統領は経済交渉には自信があるようだが、国際政治や安全保障の面では不安がある。日米の同盟関係は日米両国にとってはもちろん、アジアや世界の平和と安定にとっても重要な役割を果たしており、このことについてもトランプ大統領に理解してもらうことが必要だ。
○米国の新政権に安倍首相が親近感を持っていることを、理屈抜きに行動で示すことが重要である。トランプ大統領と安倍首相が個人的に親しい関係を築き上げれば今後の日米間の意思疎通、相互理解が容易になる。
反面、次のようなデメリットも考慮すべきだ。
○トランプ氏は非常に個性的で、特異な大統領であり、今後日本として呑めない要求が出てくる危険がある。日米関係を最初から緊密だとしてしまうと、ノーということもできなくなる恐れがある。新政権内部で今後意見の対立が生じる危険もある。
○日本で安保法制改正が行われた結果、日本が米国の軍事行動に貢献・協力する余地は大きくなっている。かりに南シナ海で米国が第3国と衝突すれば、日本は当然貢献・協力を求められるだろう。日本国民としてはそのような覚悟を持っていなければならない。
○日本から対米投資の予定額などを含む経済貢献パッケージを持参するというのが本当であれば、トランプ氏としては「やはり日本にもまず強く出たのは正解であった」と思わせることとなるのではないか。そうであれば、将来はさらに一方的な要求が出てくる恐れがある。
それから、これはメリット、デメリットと言えるほど割り切れないことだが、今後、日米のみならず、中国、ロシア、欧州などの間の相互関係が大きく変化する可能性がある。英国のメイ首相は新政権の米国と伝統的な友好関係を確認したが、トランプ氏に同調しすぎた、西側として重視してきた価値を軽視したとして英国内外で批判を浴びた。
一方、メイ首相は中国との関係を重視しており、訪中予定も早々と発表している。経済的な理由から英国はメイ首相の前の政権から中国との関係を積極的に進めている。
今後、日米関係も広い国際的視野で推進していくことが必要だ。
(短評)安倍首相のトランプ大統領との会談
安倍首相は2月10日にトランプ大統領と会談する。注目度が非常に高い会談だ。メリットもデメリットもあると思う。メリットとしては次のようなことが考えられる。
○トランプ大統領には、日本の安全保障について日本自身が行っている努力、あるいは日米両国間の貿易などに関するはなはだしい誤解がある。それを解く努力が必要だ。
○トランプ大統領は経済交渉には自信があるようだが、国際政治や安全保障の面では不安がある。日米の同盟関係は日米両国にとってはもちろん、アジアや世界の平和と安定にとっても重要な役割を果たしており、このことについてもトランプ大統領に理解してもらうことが必要だ。
○米国の新政権に安倍首相が親近感を持っていることを、理屈抜きに行動で示すことが重要である。トランプ大統領と安倍首相が個人的に親しい関係を築き上げれば今後の日米間の意思疎通、相互理解が容易になる。
反面、次のようなデメリットも考慮すべきだ。
○トランプ氏は非常に個性的で、特異な大統領であり、今後日本として呑めない要求が出てくる危険がある。日米関係を最初から緊密だとしてしまうと、ノーということもできなくなる恐れがある。新政権内部で今後意見の対立が生じる危険もある。
○日本で安保法制改正が行われた結果、日本が米国の軍事行動に貢献・協力する余地は大きくなっている。かりに南シナ海で米国が第3国と衝突すれば、日本は当然貢献・協力を求められるだろう。日本国民としてはそのような覚悟を持っていなければならない。
○日本から対米投資の予定額などを含む経済貢献パッケージを持参するというのが本当であれば、トランプ氏としては「やはり日本にもまず強く出たのは正解であった」と思わせることとなるのではないか。そうであれば、将来はさらに一方的な要求が出てくる恐れがある。
それから、これはメリット、デメリットと言えるほど割り切れないことだが、今後、日米のみならず、中国、ロシア、欧州などの間の相互関係が大きく変化する可能性がある。英国のメイ首相は新政権の米国と伝統的な友好関係を確認したが、トランプ氏に同調しすぎた、西側として重視してきた価値を軽視したとして英国内外で批判を浴びた。
一方、メイ首相は中国との関係を重視しており、訪中予定も早々と発表している。経済的な理由から英国はメイ首相の前の政権から中国との関係を積極的に進めている。
今後、日米関係も広い国際的視野で推進していくことが必要だ。
2017.02.06
以前、軍内の反腐敗運動が進まない原因であった軍の規律検査委員会を王岐山の中央規律検査委員会の直接の指揮下に置き、サボれないようにした。
また、同じく軍内の反腐敗運動に消極的であった人民解放軍総政治部(総参謀部などと並ぶ4つの「総部」の一つであり、軍と党を結ぶ役割を果たしていた)を他の3つの「総部」とともに解消し、中央軍事委員会に「政治工作部」を置いた。これは2015年11月末のことである。
(当研究所HP2015年12月15日「(短文)中国軍の改革」を参照願いたい。)
この機構改革から1年余りが経過したが、軍内の反腐敗運動はその後も順調でないらしい。米国に本拠がある『多維新聞』などは次のような状況を報道している。
「徐才厚および郭伯雄の問題が片付き、習近平の3年越しの軍改革は全面勝利を収めたと見られているが、解放軍内では、2人の摘発は物事の始まりで、習近平は人民解放軍を作り替えようとしているのではないかと恐れられている。
2015年末の軍改革工作会議はもっと早く開催される予定であったが、問題があるという理由で延期されていた。習近平はそのことに強く不満で、「誰が改革に反対しているのだ。反対なら辞職せよ」と一喝したと言われている。この一事を見ても軍の改革が容易でないことがわかる。
2016年8月、大胆に意見を言うので有名な国防大学の劉亜洲政治委員の演説原稿がネットで流れた。そのなかで劉は「この十年、我々の軍はどうなった? 軍は一大市場になったではないか。我々の前にあるのは戦場ではない。市場だ。しかも売り場である。すべてのものに値段がついている。軍はこけおどし(一滩烂泥)に成り下がっている」と言っている。
軍はこのように骨の髄まで腐りきっているので改革が必要なのだ。解放軍の魂を作り替えなければならない。
2016年末から17年にかけ、軍内で将官級の人事異動が頻繁に行われたのは、習近平による改革の一環である。」
中国軍の改革―反腐敗運動はいまだ進まず
習近平主席は軍に対しても反腐敗運動を鋭意進めてきた。中央軍事委員会の副主席(軍のトップにある数人)であった徐才厚および郭伯雄を摘発し、前者は獄中で死亡、後者は無期懲役となった。以前、軍内の反腐敗運動が進まない原因であった軍の規律検査委員会を王岐山の中央規律検査委員会の直接の指揮下に置き、サボれないようにした。
また、同じく軍内の反腐敗運動に消極的であった人民解放軍総政治部(総参謀部などと並ぶ4つの「総部」の一つであり、軍と党を結ぶ役割を果たしていた)を他の3つの「総部」とともに解消し、中央軍事委員会に「政治工作部」を置いた。これは2015年11月末のことである。
(当研究所HP2015年12月15日「(短文)中国軍の改革」を参照願いたい。)
この機構改革から1年余りが経過したが、軍内の反腐敗運動はその後も順調でないらしい。米国に本拠がある『多維新聞』などは次のような状況を報道している。
「徐才厚および郭伯雄の問題が片付き、習近平の3年越しの軍改革は全面勝利を収めたと見られているが、解放軍内では、2人の摘発は物事の始まりで、習近平は人民解放軍を作り替えようとしているのではないかと恐れられている。
2015年末の軍改革工作会議はもっと早く開催される予定であったが、問題があるという理由で延期されていた。習近平はそのことに強く不満で、「誰が改革に反対しているのだ。反対なら辞職せよ」と一喝したと言われている。この一事を見ても軍の改革が容易でないことがわかる。
2016年8月、大胆に意見を言うので有名な国防大学の劉亜洲政治委員の演説原稿がネットで流れた。そのなかで劉は「この十年、我々の軍はどうなった? 軍は一大市場になったではないか。我々の前にあるのは戦場ではない。市場だ。しかも売り場である。すべてのものに値段がついている。軍はこけおどし(一滩烂泥)に成り下がっている」と言っている。
軍はこのように骨の髄まで腐りきっているので改革が必要なのだ。解放軍の魂を作り替えなければならない。
2016年末から17年にかけ、軍内で将官級の人事異動が頻繁に行われたのは、習近平による改革の一環である。」
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