オピニオン
2016.06.27
「6月23日、英国で行われた国民投票でEUからの「離脱派」が51.9%を獲得して勝利しました。
英国のEUからの離脱は第二次大戦終了以来最大の出来事だという見方もあります。日本への影響も少なくありません。円レートは上昇し、東京株式市場は大幅に下落しました。英国に進出している日本企業のなかには大幅な経営戦略の見直しを余儀なくされるところも出てくるでしょう。
欧州との関係を西口とすると、英国の東口でも一つの新しい展開がみられます。中国への接近です。
それを象徴的に表していたのが2015年10月の習近平中国主席の英国訪問でした。英国には人権問題などについて中国政府に批判的な意見がありますが、英国政府はそれを乗り越え、習近平主席を大歓迎しました。中国メディアが「最上級の待遇」と異例の報道をしたくらいです。
英国が中国への接近に踏み切ったのは経済問題が主たる理由でした。また、中国も英国との関係強化には熱心で、習近平主席とキャメロン首相は総額7兆円を超える巨額契約を結ぶことに合意しました。リーマンショック以来経済不振にあえいでいた英国にとってこれは目覚ましい成果でした。
英国はEUから離脱することによって経済的損失を被ることは覚悟したのですが、中国との関係では経済的利益を獲得したのです。中国は英国に対して「援助」を与えたのではなく、あくまで商業ベースの取引ですが、巨額のビジネス契約が英国の経済に必要だったことは明らかです。
ちなみに、中国との関係強化はEU内でもっとも経済状況がよいドイツも熱心であり、メルケル首相は何回も訪中しています。要するに、欧州諸国の経済にとって高度成長を続ける中国経済は新しい刺激の源であり、また、引っ張ってくれるエンジンになるのです。EUは英国にとって経済的にも重要な相手ですが、中国のような成長力はありません。
英中関係の目覚ましい進展には伏線がありました。英国は2013年ころから対中関係の改善を望む姿勢をアピールするようになっていたのですが、なかでも大きな出来事は、中国が進めるアジア・インフラ投資銀行(AIIB)に参加したことでした。
AIIBは世界銀行やアジア開発銀行への挑戦ととられる恐れのある大胆な試みであり、英国は当初参加していなかったのですが、2015年の3月、つまり習近平主席の英国訪問の約半年前に、米国から慎重に対応するようくぎを刺されたにもかかわらず、急きょ参加を表明し、他の欧州諸国が雪崩を打って参加する範となりました。
AIIBへの参加は唐突であり、国際金融に豊かな経験とノウハウを持つ英国がなぜそのような行動に出たか不可解でしたが、英国としては英国経済の活性化を図る戦略の一環として中国との経済関係強化を位置づけたのであり、その結果がAIIBへの参加にもつながったのだと思います。
英国と欧州との経済的関係は深く、それに比べ中国との戦略的経済関係はまだ始まったばかりであり、EU離脱の損失を中国が穴埋めするような段階には至っていないでしょうが、中国との経済関係は今後さらに進展する可能性があります。
しかしながら、英国は成熟した民主主義国家であり、国民の権利擁護、言論の自由などを重視していますが、中国は共産党の一党独裁(事実上)であり、国民の権利はかなり制約されています。このような違いがあるのに、英国として経済関係だけを進展させるわけにいかないことも事実です。英中両首脳の間で英国での原発建設に中国企業が関与することも合意されましたが、英国の安全保障に影響が及ぶ危険性もあります。さらに、EUを離脱した英国が、天安門事件以来禁止されている中国への武器輸出について再開の道を付けるのではないかという問題もあります。
そして、何より重要なことは、南シナ海などで孤立しがちな中国にとって、英国が理解者となる可能性があることです。英国は最近のG7首脳会議でも、外相会合でも他の国とともに中国の国際法を無視した恣意的な行動には懸念を表明しており、その姿勢は明確ですが、中国がいずれ中国流の要求を強めてくることは不可避だと思われます。軍事同盟などは考えられませんが、話し合いによる解決、つまり仲裁裁判など国際ルールに従った方法でない解決に支持を求めてくることはあり得ます。
そのように考えれば、経済面では中国との関係強化は英国にとってプラスであっても、政治的には移民・難民対策などで欧州諸国と意見を異にし困難な状況に立ち至ることもありえます。
また、若者の間では英国のEUからの離脱に反対する意見が非常に高くなっています。さらに、今回の離脱によりスコットランドでは英国からの独立を求める声が再度強くなっています。
辞任するキャメロン首相の後任として離脱派の人物が新しい指導者となっても、激しく分裂した英国のかじ取りは容易でありません。また、我が国を含め各国としては英中関係の動向を今まで以上に注意深く見守っていくことが必要になると思われます。
英国のEU離脱と中国への接近
英国のEUからの離脱と中国への接近について、6月27日、THE PAGEに次の一文を寄稿した。「6月23日、英国で行われた国民投票でEUからの「離脱派」が51.9%を獲得して勝利しました。
英国のEUからの離脱は第二次大戦終了以来最大の出来事だという見方もあります。日本への影響も少なくありません。円レートは上昇し、東京株式市場は大幅に下落しました。英国に進出している日本企業のなかには大幅な経営戦略の見直しを余儀なくされるところも出てくるでしょう。
欧州との関係を西口とすると、英国の東口でも一つの新しい展開がみられます。中国への接近です。
それを象徴的に表していたのが2015年10月の習近平中国主席の英国訪問でした。英国には人権問題などについて中国政府に批判的な意見がありますが、英国政府はそれを乗り越え、習近平主席を大歓迎しました。中国メディアが「最上級の待遇」と異例の報道をしたくらいです。
英国が中国への接近に踏み切ったのは経済問題が主たる理由でした。また、中国も英国との関係強化には熱心で、習近平主席とキャメロン首相は総額7兆円を超える巨額契約を結ぶことに合意しました。リーマンショック以来経済不振にあえいでいた英国にとってこれは目覚ましい成果でした。
英国はEUから離脱することによって経済的損失を被ることは覚悟したのですが、中国との関係では経済的利益を獲得したのです。中国は英国に対して「援助」を与えたのではなく、あくまで商業ベースの取引ですが、巨額のビジネス契約が英国の経済に必要だったことは明らかです。
ちなみに、中国との関係強化はEU内でもっとも経済状況がよいドイツも熱心であり、メルケル首相は何回も訪中しています。要するに、欧州諸国の経済にとって高度成長を続ける中国経済は新しい刺激の源であり、また、引っ張ってくれるエンジンになるのです。EUは英国にとって経済的にも重要な相手ですが、中国のような成長力はありません。
英中関係の目覚ましい進展には伏線がありました。英国は2013年ころから対中関係の改善を望む姿勢をアピールするようになっていたのですが、なかでも大きな出来事は、中国が進めるアジア・インフラ投資銀行(AIIB)に参加したことでした。
AIIBは世界銀行やアジア開発銀行への挑戦ととられる恐れのある大胆な試みであり、英国は当初参加していなかったのですが、2015年の3月、つまり習近平主席の英国訪問の約半年前に、米国から慎重に対応するようくぎを刺されたにもかかわらず、急きょ参加を表明し、他の欧州諸国が雪崩を打って参加する範となりました。
AIIBへの参加は唐突であり、国際金融に豊かな経験とノウハウを持つ英国がなぜそのような行動に出たか不可解でしたが、英国としては英国経済の活性化を図る戦略の一環として中国との経済関係強化を位置づけたのであり、その結果がAIIBへの参加にもつながったのだと思います。
英国と欧州との経済的関係は深く、それに比べ中国との戦略的経済関係はまだ始まったばかりであり、EU離脱の損失を中国が穴埋めするような段階には至っていないでしょうが、中国との経済関係は今後さらに進展する可能性があります。
しかしながら、英国は成熟した民主主義国家であり、国民の権利擁護、言論の自由などを重視していますが、中国は共産党の一党独裁(事実上)であり、国民の権利はかなり制約されています。このような違いがあるのに、英国として経済関係だけを進展させるわけにいかないことも事実です。英中両首脳の間で英国での原発建設に中国企業が関与することも合意されましたが、英国の安全保障に影響が及ぶ危険性もあります。さらに、EUを離脱した英国が、天安門事件以来禁止されている中国への武器輸出について再開の道を付けるのではないかという問題もあります。
そして、何より重要なことは、南シナ海などで孤立しがちな中国にとって、英国が理解者となる可能性があることです。英国は最近のG7首脳会議でも、外相会合でも他の国とともに中国の国際法を無視した恣意的な行動には懸念を表明しており、その姿勢は明確ですが、中国がいずれ中国流の要求を強めてくることは不可避だと思われます。軍事同盟などは考えられませんが、話し合いによる解決、つまり仲裁裁判など国際ルールに従った方法でない解決に支持を求めてくることはあり得ます。
そのように考えれば、経済面では中国との関係強化は英国にとってプラスであっても、政治的には移民・難民対策などで欧州諸国と意見を異にし困難な状況に立ち至ることもありえます。
また、若者の間では英国のEUからの離脱に反対する意見が非常に高くなっています。さらに、今回の離脱によりスコットランドでは英国からの独立を求める声が再度強くなっています。
辞任するキャメロン首相の後任として離脱派の人物が新しい指導者となっても、激しく分裂した英国のかじ取りは容易でありません。また、我が国を含め各国としては英中関係の動向を今まで以上に注意深く見守っていくことが必要になると思われます。
2016.06.23
「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
沖縄で「組織的戦闘が終了」した日-戦争責任など
1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで、また、戦争を指導した人たちの責任を論じて、1995年、読売新聞に以下の一文を寄稿した。「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
2016.06.17
米大統領選のトランプ候補はいち早く声明を発表し、「米国がイスラム過激派テロリストの攻撃を受けた」「犯人はアフガニスタンからの移民の息子だ」などと述べつつ、あらためて米国はイスラム系移民の受け入れを厳格化すべきだと強調した。
しかし、イスラム教徒の移住を制限することはできるか。基本に立ち返ってみておこう。
イスラム教徒は現在米国の人口の約1%を占めている。宗教別にみれば、キリスト教徒が抜群に多いが、第2位のユダヤ教徒と第3位のイスラム教徒は僅差である。米国への移民数では、イスラム教徒が年間10万人に上っており、2030年にはイスラム教徒は620万人に増加すると見込まれている。だからイスラム教徒が警戒されるのかもしれないが、一定の政治勢力であることも事実だ。イスラム教徒だけに制限を加えることは人権蹂躙などの問題があるが、政治的な問題も起きるだろう。
もともと、イスラム教徒は共和党支持者が多かったが、9.11同時多発テロ以降、共和党内でイスラム教徒に対する風当たりが強くなったためイスラム教徒は民主党支持に回るようになり、オバマ大統領の成立に際しては大多数のイスラム教徒が支持するに至った。したがって、共和党としては、今はイスラムの負の側面が目立っているが、将来は失われたイスラム教徒の支持を回復したいという気持ちがあるはずだ。
また、イスラム教徒についてだけ移民を制限することは困難だろう。米国はもともと移民の国であり、移民については明確な政策があり、国別の枠のほか、家族関係、職業上の技術、人道的理由などが考慮され移民の受け入れが決定される。その中に宗教上の理由を持ち込む余地は皆無なはずである。つまり、ほかの宗教は構わずにイスラム教徒だけ制限することはそもそも法的にできないはずだ。許されるのは移民政策の範囲内に限られる。
イスラム教徒を差別的に扱うことはそもそも移民政策の根幹を揺るがしかねないどころか、人種問題を惹起して米国のタブーに触れる恐れがある。米国では、移民問題について、移民が少ない日本では想像を絶するほど複雑な歴史と経験があり、米国は人種問題の爆発を防ぐため懸命の努力を行っている。だから、非白人のオバマ大統領を選ぶことができたのだ。また、日本では出身地を尋ねることはごく普通のことだが、米国では注意が必要だ。人種について間接的に質問していると取られる恐れがあるからである。
トランプ候補がイスラム教徒に対する移住制限を繰り返してもさほど問題にならないのは選挙戦という特殊な状況の中だからだと思われる。
(短評)イスラム教徒の移住制限は可能か
フロリダ州オーランドで、6月12日未明、銃乱射事件が発生し、50人が死亡、53人が負傷するという大惨事となった。米大統領選のトランプ候補はいち早く声明を発表し、「米国がイスラム過激派テロリストの攻撃を受けた」「犯人はアフガニスタンからの移民の息子だ」などと述べつつ、あらためて米国はイスラム系移民の受け入れを厳格化すべきだと強調した。
しかし、イスラム教徒の移住を制限することはできるか。基本に立ち返ってみておこう。
イスラム教徒は現在米国の人口の約1%を占めている。宗教別にみれば、キリスト教徒が抜群に多いが、第2位のユダヤ教徒と第3位のイスラム教徒は僅差である。米国への移民数では、イスラム教徒が年間10万人に上っており、2030年にはイスラム教徒は620万人に増加すると見込まれている。だからイスラム教徒が警戒されるのかもしれないが、一定の政治勢力であることも事実だ。イスラム教徒だけに制限を加えることは人権蹂躙などの問題があるが、政治的な問題も起きるだろう。
もともと、イスラム教徒は共和党支持者が多かったが、9.11同時多発テロ以降、共和党内でイスラム教徒に対する風当たりが強くなったためイスラム教徒は民主党支持に回るようになり、オバマ大統領の成立に際しては大多数のイスラム教徒が支持するに至った。したがって、共和党としては、今はイスラムの負の側面が目立っているが、将来は失われたイスラム教徒の支持を回復したいという気持ちがあるはずだ。
また、イスラム教徒についてだけ移民を制限することは困難だろう。米国はもともと移民の国であり、移民については明確な政策があり、国別の枠のほか、家族関係、職業上の技術、人道的理由などが考慮され移民の受け入れが決定される。その中に宗教上の理由を持ち込む余地は皆無なはずである。つまり、ほかの宗教は構わずにイスラム教徒だけ制限することはそもそも法的にできないはずだ。許されるのは移民政策の範囲内に限られる。
イスラム教徒を差別的に扱うことはそもそも移民政策の根幹を揺るがしかねないどころか、人種問題を惹起して米国のタブーに触れる恐れがある。米国では、移民問題について、移民が少ない日本では想像を絶するほど複雑な歴史と経験があり、米国は人種問題の爆発を防ぐため懸命の努力を行っている。だから、非白人のオバマ大統領を選ぶことができたのだ。また、日本では出身地を尋ねることはごく普通のことだが、米国では注意が必要だ。人種について間接的に質問していると取られる恐れがあるからである。
トランプ候補がイスラム教徒に対する移住制限を繰り返してもさほど問題にならないのは選挙戦という特殊な状況の中だからだと思われる。
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