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2019.12.26

日韓首脳会談

ザページに「徴用工問題は長期化する? 打開のカギは他問題との「切り離し」」の一文を寄稿しました。
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2019.12.24

徴用工問題

 韓国国会の文喜相(ムン・ヒサン)議長は12月18日、徴用工問題の解決をめざす「記憶・和解・未来財団法案」など2つの関連法案を提出した。裁判所が認めた元徴用工のみならず、韓国政府が認めた元軍人ら「強制動員被害者」にも慰謝料を支給する内容である。

 この法案にはいくつか注目してよい内容が含まれている。
〇「記憶・和解・未来財団」により慰謝料に充てられる資金は、日韓両国の企業や個人による寄付および韓国政府の拠出などが想定されているが、企業や個人には拠金を強要しない方針が盛り込まれた。
〇原案段階では、元従軍慰安婦を支援する財団に日本政府が拠出した10億円の残金約6億円相当を移管する案が検討されたが、元慰安婦関連団体が強く反発したため見送られた。
〇基金や支給対象の規模は明示されなかった。
〇慰謝料を受給した者は裁判による企業への請求権を放棄したとみなされ、係争中の訴訟は取り下げとなる。
〇財団の運営は韓国の政府と国会で構成する理事会が担う。

 2018年10月の韓国大法院判決以来、日本が主張してきた国際法違反の是正について韓国側が打開を模索する初めての動きであり、肯定的に評価できる面があるが、この財団が成立する可能性は高くないと言わざるを得ない。

 原告を支援する団体はこの財団構想に反対を表明している。また、韓国大統領府高官は20日、「被告の日本企業が出資しなかった場合、問題解決につながらない可能性がある」と述べ、否定的な見解を示した。「政府が最も重視してきたのは、(日本企業に賠償を命じた)最高裁判決を尊重することだ」とも述べたという。

 韓国政府としての立場を明確に表明しないまま、大法院判決の尊重を日本政府に求める姿勢は何ら変わっていないのである。これでは徴用工問題解決の展望は開けてこない。韓国政府は問題の解決に責任を負っていることを明確に表明すべきである。

 日本側としては、今後も、韓国側が国際法違反の状態を是正するよう求め続けるほかないが、同時に、力づくで韓国政府を屈服させようとすべきでない。今後は、徴用工問題を他の問題と関連付けることなく粘り強く解決を目指すべきである。

 こうした中、日韓両国の有志の法律家らが12月23日、東京都内と韓国・ソウル市内でそれぞれ記者会見し、日韓請求権協定の尊重を求める共同声明を発表した。日韓の法律家が徴用工判決で一致した見解を示すのは異例である。

 声明は、両国民の請求権について「(協定が)『完全かつ最終的に解決された』ことを明示的に確認している」と強調した。「不法で反人道的な植民地支配」の被害に基づく慰謝料請求権を認めた韓国最高裁判決に対しては「特定の歴史解釈を下すことは、法解釈の側面においても学問研究の側面においても、決して望ましいものではない」と批判した。
 また、判決について「日韓関係に大きな亀裂を生じさせ、戦後最悪と評される日韓関係の悪化をもたらす重大な要因となった」と非難し、「協定の趣旨を尊重することが、将来にわたって、両国の友好関係と発展を保証する唯一の道」と訴えた。
 原告側が韓国内にある日本企業の資産売却手続きを進めていることには「原告らが主張する請求権は韓国の国内問題」とし、韓国政府と司法当局が資産売却をめぐる強制執行を停止するなど、適切な対応をとるよう求めた。

 韓国政府が自ら国際法違反の状態を正すことができるか。文在寅政権においては困難だと推測するのが合理的であろう。しかし、同政権の姿勢では、慰安婦や徴用工のみならず、植民地統治下で損害を被ったすべての韓国人からも賠償を求めることを促すという大問題があり、そうなると日韓関係は完全に崩壊する。

 韓国側においても、日韓関係を破壊してはならないという考えが、一部かもしれないが、強くなってきたことは注目に値する。
2019.12.16

五島列島は遠いと感じていたが

 12月4~6日、初めて五島列島を訪問した。今に至るまで五島へ行ったことがなかったのは物理的にも心理的にも遠かったからである。直線距離で測ると同列島から東京までの距離は上海までより遠く、約1.5倍である。

 五島を訪れてそれまでのイメージを大幅に修正することになった。第1に、五島はガイドブック的には教会群の島であるが、実際にはそれは五島の一面に過ぎない。個人の好みや興味にもよることだが、私のような人間には、教会群よりも遣唐使の遺跡の方がもっと印象的であった。

 時系列的に五島の特徴をあげれば、遣唐使時代、中国や朝鮮との交易時代(中世)、教会群時代、それに現代となる。これには異論があるかもしれないが、大づかみな方が分かりやすいだろう。

 この四つの時代が五島で折り重なっているように思った。つまり、五島では、地域ごとに違った時代(の跡)があるのではなく、同じ場所で四つの時代があったことが感じられたのである。

 たとえば、三井楽という地区(下五島)は遣唐使が出発したところであり、空海の「辞本涯(日本のさいはてを去るの意味)」の言葉の記念碑がある。ここは「なるほどこのようなところから決死の覚悟で船出していったのか」と当時の険しい状況を想像させてくれる印象深い場所であるが、そこから車で5分もかからない場所に「三井楽教会」がある。

 このように遣唐使の遺跡と教会が近接しているのは三井楽だけでなく、他のところでも同様である。遣唐使と教会は何の関係もないのに、同じ場所にあるのだ。なぜそうなったのかと言えば、遣唐使関係の遺跡は海岸にあり、五島列島の中でも西端に多い。一方、教会は隠れキリシタンが受難したところ、たとえば、牢屋跡などに作られることが多く、それらは人里離れた場所なので、結局同じ場所になるということではないかと思った。

 五島の現代の特色としては、養殖がある。以前はもっぱらハマチ、今はマグロと牡蠣であるが、五島の入り組んだ地形で囲まれた海は養殖に適している。入り江の入り口に網を張って天然の養殖場にしているところもある。そして、これら養殖場は遣唐使関係の遺跡とも、教会とも近いのである。
さらに、風力発電も現代の五島の特色であり、どこへ行っても風車を見かけるが、これもまた海岸沿いに設置されているので、遣唐使関係の遺跡や教会の近くで見ることになる。
 
 第2に、五島列島の地理的環境であり、時代によってはその地理的特性のために日本の中心と関係が強かったことに気付いた。特に遣唐使の時代である。遣唐使についてはこれまで日本の歴史として、また中国との交流として、また仏教の関係で見ていたが、今回の旅で、遣唐使船が中国へ渡航するのに必要な最終準備が五島で行われていたことを実感できた。五島は、遣唐使派遣という国家的事業のなかで不可欠の役割を担っていたのである。
 
 一方、キリスト教信仰の関係では、五島は京都や大阪から遠く離れていたため、キリシタンが迫害を逃れることができたのだろう。当時の五島は、遣唐使とは逆に、日本の中央と関係がないことが役立ったのであろう。

 第3に、現在、五島には、遣唐使やキリスト教信仰ほど全国的な問題でないかもしれないが、注目してよいことがいくつかある。
 
 五島は沖縄と同様「東シナ海」に面している。かつては日本の安全保障上重要な場所であり、日露戦争中、五島列島の西南端の大瀬崎に置かれている旧海軍の望楼が、海上でロシアのバルチック艦隊を発見した信濃丸などからの電信を最初に受信したこともあった。 
 現在、五島には航空自衛隊のレーダー基地が置かれており、ロシアや中国の軍用機が日本の情報区(FIR)に侵入してくれば、この基地から情報を発信し、近辺の航空基地から自衛隊機がスクランブル発進する。しかし、五島の住民が巻き込まれることはないようである。

 五島はこのほか、釣り人が集まる場所である。先日他界した梅宮辰夫氏もよく来ていたという。また、五島うどんは全国的に有名だ。椿油がよく取れるのも特色の一つである。かつて捕鯨基地として名をはせた上五島の有川には鯨をウォッチするための小山があるが、椿が山いっぱいに植わっていた。

 五島には、さらに地理的環境を利用して上海や済州島を結ぶ観光ルートを建設しようという考えもあるそうだ。実現までには時間がかかるだろうが、夢のある構想である。

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