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2020.01.30

韓国における政権と検察

 韓国の文在寅政権は検察改革を大々的に進めている。そんなことをしている国は他には見当たらない。ITなどの分野では世界のトップクラスにある先進国には似つかわしくないという印象もあるが、韓国では1980年代の民主化以来の大懸案なのである。

 文大統領の下で検察改革を進めようとしたのが曺国(チョ・グク)前法相であるが、就任後1か月余りで辞任に追い込まれた。ムン大統領がそもそもなぜチョ・グク氏を法相に任命したのか、チョ・グク氏はなぜ短期間で辞任せざるを得なかったのか、韓国政治への影響いかんなど注目されているが、この問題は氷山の一角である。

 文政権の検察改革は、①検察の過去の清算、および、②権限の大幅縮小であり、本稿ではそれに③検察庁人事の抜本的一新、を加えた3本柱で見ていくこととする。

 韓国の検察についての最大問題はあまりにも強大な力を有していることであり、政権の道具となることも、逆に政権に歯向かうこともあった。

 民主化後初めて民間人として大統領になった金泳三は1995年、過去の軍人政権の清算を図るとして全斗煥、盧泰愚両元大統領の訴追を主導した。この時は、大統領と検察が協力し合ったと思われる。

 その後任の金大中大統領は、自身が政治的な検察の被害者であり、死刑判決を受けたこともあったので、当然、検察改革には熱意をもって取り組むだろうとみられていたが、政権についた後は検察の権限を縮小せず、むしろ権力の道具にするようになり政治癒着は激しくなったといわれていた(韓寅燮 ハン・インソプ:ソウル大学法科大学教授)。

 検察の改革に積極的に取り組んだのは廬武鉉大統領であったが、成果を上げることはできなかった。退任後は自身の側近・親族が贈収賄容疑で検察によって厳しく追及されるようになり、追い詰められた廬武鉉氏は自殺した。このことは、廬武鉉大統領の側近であった文在寅氏にとっていやしがたいトラウマとなり、今日の検察改革への原動力となっているという。

 次の李明博大統領は、退任後、文在寅政権下で、巨額の収賄などの疑いで訴追された。

 朴槿恵大統領の場合は、現職中に国会で弾劾される中で、特別検察官が国政介入疑惑における収賄を認定して失職への道筋を決定づけた。

 韓国の検事総長は実質的には大統領が任命する。そして法務相の監督を受ける。日本と原則的に同じ仕組みである。にもかかわらず、韓国の検察が大統領に恐れられるほど強大な力を持っているのは、大統領が外見的には強力に見えるが、実際には脆弱なところがあるからだ。

 韓国の大統領は、自らは清廉潔白であっても、不正を働く側近や親族に囲まれているので、検察としては追及は難しくないのである。廬武鉉も李明博も朴槿恵もみなそういう状況にあった。朴槿恵の場合は友人の崔順実(チェ・スンシル)が不正を働いた。文大統領の場合も、チョ・グク氏の扱いをあやまると検察の追及を受ける危険があっただろう。

 また、大統領選挙の際の不正な資金の流れが検察に把握されている。この点でも完全に安泰な大統領はいないのが現実である。

 つまり、韓国ではどの大統領も、自身は潔白でも、親族や側近、選挙の関係で、たたけばほこりが出る状況にあるのだ。検察は、朴槿恵の場合のように国会で弾劾手続きが進められる場合は例外として、大統領の現職中はさすがに行動を起こすことを控えているが、退職するとそのような制約は取り払われる。

 ここでは大統領の場合を例に挙げたが、政治家には、多かれ少なかれ、同様の問題があるために検察に対して脆弱な立場にあり、標的になるのは珍しくないのである。

 検察のもう一つの問題は、「過去の清算」をしなかったことである。「過去の清算」は歴代政権にとって重要課題であったが、国民を弾圧したことがある機関のうち、国家情報院(元は韓国中央情報部 KCIA 後に国家安全企画部を経て現在の名称になった)と警察はすでに一定程度行ったとみられている。しかし検察だけは何もしなかった。

 文在寅大統領はまさにそのような考えの代表的人物であり、盧武鉉元大統領の死後、2011年に出版した共著『検察を考える』でも、「警察はある程度過去事の清算を行ったが、検察はまったくしていない」とし、これを「既得権守護」だと批判していた。また、2019年2月15日、大統領府で主宰した「国家情報院・検察・警察改革戦略会議」でもそのことを指摘していた。

 2017年12月、文政権は検察過去事委員会(キム・ガプペ委員長)を設置し、過去の検察権乱用事例に対する徹底した真相調査を行わせた。同委員会は約1年3カ月間、真相調査を行い、さまざまな事例を挙げて検察の行動を論じ、批判した。韓国法務部はその指摘の履行状況を点検することになっている。これが①の改革である。

 もう一つの問題である大統領など高官に対する訴追(②の問題)については、2019年12月30日、「高位公職者犯罪捜査処(公捜処)」設置法案が最大野党「自由韓国党」を除く与野党の賛成多数で可決された。準備が整って実際に設置されるのは約半年後だと言われている。

 「公捜処」の捜査対象は大統領、国会議員、大法院長(最高裁長官)および大法官(最高裁判事)、憲法裁判所長および憲法裁判官、首相と首相秘書室の政務職公務員、中央選挙管理委員会の政務職公務員、判事、検事、高位の警察官などであり、このうち警察官、検事、判事については、公捜処が直接起訴し、公判を維持できることになった。たとえば、検事総長に対しては、従来は大統領と法務相の監督下に置かれていたが、新体制では「公捜処」が起訴し、後半を維持できることになったのである。「公捜処」は憲政史上初めて検察の起訴権を分けて持つ常設捜査機関だと評されている。

 この①と②により検察の権限は大幅に制限されることになった。文大統領は、「先輩」であり「友人」であった盧武鉉大統領がなしえなかった検察改革を17年たった今、ようやく実現できたと言われている。

 文政権の検察改革③の人事一新については、1月8日、秋美愛新法相(チョ・グクの後任)が32人もの検察幹部を交代させる人事を発表した。その中には、大統領府による選挙介入疑惑などの捜査を指揮していた最高検の部長2人が含まれており、それぞれ済州地裁の検事正と釜山高検の次席検事に異動となった。事実上の島流しだと言われている。その後任には、大学の後輩など文大統領に近い人物が起用された。

 さらに1月23日には、第2弾として検事759人が異動になり、チョ・グク被告の疑惑を捜査していたソウル中央地検とソウル東部地検の次長検事ら計3人が地方に追いやられた。

 2回にわたる異例の人事によって、チョ・グク被告の疑惑の捜査を指揮する尹錫悦(ユン・ソンヨル)検事総長の立場はいちじるしく困難になった。保守系の『朝鮮日報』などは「文政権を捜査する『尹師団』の大虐殺」などと批判している。進歩系メディアも、「尹錫悦師団総入れ替え、公正捜査の原則が揺れることのないよう」(京郷新聞、同)「検察の破格人事注目、公正な捜査は保証されなければ」(ハンギョレ、同)と危機感を示している。

 検察改革は文在寅大統領の公約第一号であり、外交面、とくに日本、米国、北朝鮮との関係でも、また経済面でも成果を上げられず、支持率は不支持率より下がったり、上がったりの状況にあって検察改革を実現したことは文政権の唯一といってよい成果であろう。このことには文在寅氏の「過去の清算」にかける強い思い入れがうかがわれる。

しかし、大ナタを振るって検察をあるべき姿に戻せたか。「公捜処」の公平性をだれが担保できるか。大統領の権限が過度に肥大することにならないか。民主主義の国家において二つの検察機関にすることが果たして機能するか。疑問は少なくない。また、異例の人事異動には、来る4月に行われる総選挙を控えた政治的な意図があるとの指摘もある。

 文政権からは強いパンチを食らったユン検事総長だが、国民の間の評判は「うなぎのぼり」ともいう。文政権の検察改革の評価にはまだ時間が必要なようである。
2020.01.29

ロヒンギャ問題で苦悩するミャンマー

ザページに「解決遠いロヒンギャ問題 窮地のミャンマーに接近する中国」を寄稿しました。
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2020.01.17

米朝非核化交渉と北朝鮮の主要関係者人事

 2019年2月のハノイにおける第2回米朝首脳会談後、金正恩委員長は非核化交渉にかかわる人事配置について手直しを行ったようである。

 金英哲は平昌オリンピックの閉会式に出席したほか、金委員長の外交活動に常に同行し、金委員長の特使としてトランプ大統領に2回会って首脳会談のおぜん立てをした実力者であり、また、非核化交渉においては北朝鮮側の責任者であった。当時の肩書は「朝鮮労働党副委員長兼統一戦線部長」。党の副委員長は以前の中央委員会書記であり、枢要なポストである。

 しかし、ハノイ会談が決裂した責任を問われてその任を解かれたらしく、活動が伝えられなくなった。6月の初めには金委員長の芸術公演鑑賞に随伴したことが報道されたが、「統一戦線部長」ではなくなっていた。同人が持っていたもう一つの肩書であった「朝鮮アジア太平洋平和委員会委員長」だけは変わらなかったが、同月30日の板門店会談には姿を見せず、降格になっていたことが明らかになった。板門店会談において金英哲に代わって金委員長に同行したのは、金成男(キム・ソンナム)労働党国際部第1副部長であった。
 
 金委員長の妹である金与正「党中央委員会の第1副部長」も米朝首脳会談後動静は確認されなくなり、4月の金委員長のロシア訪問にも同行しなかった。5月末には韓国紙によって、出過ぎた行動を理由に謹慎処分が下ったとも報じられたことがあったが、間もなく北朝鮮の報道で活動が伝えられるようになった。謹慎処分があったか、確認は困難だが、かりにあったとしてもそれは一時的なことだったと思われる。6月30日の板門店での米朝首脳会談には金委員長に同行し、いつもの特別な人物ぶりが目撃された。

 金英哲アジア太平洋平和委員会委員長は降格となった後、対米強硬発言を命じられたとみられる。11月には、米韓両政府が合同軍事演習の延期を決めたことに関して「米国に求めているのは演習の完全中止だ」とし、また、非核化交渉について「米国の敵視政策が完全かつ後戻りできないよう撤回されるまで」は応じる考えがないと強調する談話を行った。さらに12月には、トランプ大統領のツイッター発言を批判しつつ、金委員長はトランプ大統領に対し、いかなる刺激的な表現も使っていないなどと発言した。

 金英哲の降格後、李容浩外相と崔善姫外務次官が米国との交渉(が行われれば)の窓口となると言われたこともあり、両人とも金委員長に随行して板門店会談に姿を見せた。しかし、李外相は昨年末開かれた労働党中央委員会総会で解任されたのではないかと言われている。総会には出席していたが、総会後の、金委員長を囲む記念集合写真には写っていなかったからである。

 李洙墉(イ・スヨン)党副委員長兼国際部長も北朝鮮外交の主要人物のひとりであり、李外相より序列は上である。アントニオ猪木元参議院議員が訪朝した際にはいつも面会していたことでも知られている。昨年末の党中央委員会総会では李外相と同様、会議には出席していたが、解任されたとみられている。李国際部長の場合は、後任者がすでに金衡俊(キム・ヒョンジュン)元ロシア大使と確定しており、李洙墉の解任は決定的である。

 李容浩外相の場合は後任者が確定しているわけではなく、一時的な措置ともいわれている。李容浩は駐英国大使を務めたことがあり、自己主張をするような人物でないとみられている。「平壌のメッセンジャー」にすぎないともいわれているが、北朝鮮から韓国に亡命した太永浩(テヨンホ)元駐英公使は著書で、李氏について「部下に声を荒らげたことがない。実力と品格を兼ね備えた人物」と紹介している。

 要するに、ハノイの首脳会談に際し、金委員長は「段階的非核化」で米国と合意できると聞かされていたが、それが不可能だということをトランプ大統領との会談で悟り、対米戦略を立て直した。2019年末に労働党中央委員会の総会を開催したことも、金英哲や李容浩に交渉決裂の責任を取らせたのもその一環であったとみられる。

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