2022 - 平和外交研究所 - Page 5
2022.06.23
そのような考えから、毎年この日には、沖縄で戦い命を落とされた方々を悼む一文を本研究所のHPに掲載している。これは元々1995年、読売新聞に寄稿したものである。
「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
沖縄1945年6月23日
沖縄が本土に復帰してから今年で50年。沖縄を扱った記事は例年にも増して多かった。77年前の6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日であり、犠牲者の追悼が行われる。沖縄で起こったことを将来に伝えるためにさまざまな努力が行われているが、私はこの日を迎えるたびにいつも一種のもどかしさを感じている。過去のこととは言え、戦後日本の政治状況の中で、戦争を讃えていると誤解されることには触れないほうが安全だと考えられるためか、沖縄の人々が勇敢に戦ったことが十分フューチャーされていない感じがするからである。そのような考えから、毎年この日には、沖縄で戦い命を落とされた方々を悼む一文を本研究所のHPに掲載している。これは元々1995年、読売新聞に寄稿したものである。
「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
2022.05.24
歴代の米政権は中国が台湾に侵攻した際、米国が軍事介入するか明言せず、バイデン氏の今回の発言は「あいまい戦略を踏み越えた」とも、「失言」であったとも評された。これらの評論は必ずしも間違いでないが、適切であったか疑問の余地がある。
「あいまいな戦略」については、これは米政権自身が命名したことでなく、研究者やメディアが使ってきた言葉である。
実は中国が台湾に武力侵攻した場合、米国が軍事力を行使して阻止するかについては法的には「あいまい」な面があった。米国と中国の関係を規定している2つの基本文献を以下に引用しておく。
1つは1972年のニクソン大統領訪中時の「上海コミュニケ」であり、「米国は,台湾海峡の両側のすべての中国人が,中国はただ一つであり,台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は,この立場に異論をとなえない。米国政府は,中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する」とした。
上海コミュニケの後米国で制定された「台湾関係法」は、「台湾人民の安全または社会、経済の制度に危害を与えるいかなる武力行使または他の強制的な方式にも対抗しうる合衆国の能力を維持する」とし(台湾関係法2条B項6)、さらに「大統領は、台湾人民の安全や社会、経済制度に対するいかなる脅威ならびにこれによって米国の利益に対して引き起こされるいかな危険についても、直ちに議会に通告するよう指示される。大統領と議会は、憲法の定める手続きに従い、この種のいかなる危険にも対抗するため、とるべき適切な行動決定しなければならない。」と明記した(同法3条C項)。
上海コミュニケと台湾関係法によれば、米国が「軍事力を行使することはありうる」が、「そうすることが義務である」とは述べられていない。法的には米国は武力行使するかもしれないが、しないかもしれないのであり、その意味では「あいまい」であった。米国の歴代政権は「あいまい戦略」を取ってきたといわれるが、米中の国交樹立の時点から「あいまい」だったのである。
米国による武力行使については直接述べられていなかったが、「米国は台湾問題の平和的解決に関心を持つ」、「米国は、台湾人民の安全に危害を与えるいかなる武力行使にも対抗しうる能力を維持する」など間接的な言及はあり、中国が台湾に武力侵攻してきた場合、米国は武力で対抗するだろうというのが大方の解釈であった。
では今回のバイデン大統領の発言は「あいまい戦略を踏み越えた」か。発言は武力を行使して対抗することを明言している点では踏み越えたように見えるが、バイデン大統領や政府は「武力行使の決定はしていない」という立場であろう。「政治的な意図の表明だ」と弁明するかもしれない。それも間違いとは言えない。実際に米国が武力行使に踏み切る場合、議会に報告し、了承を取り付ける必要がある。また、米国憲法では宣戦布告の権限は議会にあるので、その制約を超えるわけにいかない。つまり、バイデン大統領は「武力行使する」といったが、その前提になっている憲法などの制約に従うことは当然であり、バイデン氏が記者会見で「武力行使」の発言をしても直ちにとがめられることはないのだろう。
米国政府は米国の対中政策は変わらないといち早く表明した。これもバイデン発言が問題になるのを抑えた。
バイデン氏の発言は失言でなく、用意されたものであったと思われる。バイデン氏はロシアがウクライナに侵攻する前の2021年末に、「ロシアがウクライナに侵攻した場合に米軍をウクライナに派遣することは検討していない」と述べ、台湾をはじめアジアにおいても注目され、懸念された。今回の日米首脳会談では台湾が主要議題の一つとなるので当然関連の質問を想定し、準備もしていただろう。その結果が、今回の政治的発言になったと思われる。
バイデン大統領の台湾に関する発言
バイデン米大統領は5月23日、岸田文雄首相との共同記者会見で、中国が台湾に侵攻した際に米国が台湾防衛に軍事的に関与するかとの質問に対し、「イエス。それが我々の約束(コミットメント)だ」と答えた。歴代の米政権は中国が台湾に侵攻した際、米国が軍事介入するか明言せず、バイデン氏の今回の発言は「あいまい戦略を踏み越えた」とも、「失言」であったとも評された。これらの評論は必ずしも間違いでないが、適切であったか疑問の余地がある。
「あいまいな戦略」については、これは米政権自身が命名したことでなく、研究者やメディアが使ってきた言葉である。
実は中国が台湾に武力侵攻した場合、米国が軍事力を行使して阻止するかについては法的には「あいまい」な面があった。米国と中国の関係を規定している2つの基本文献を以下に引用しておく。
1つは1972年のニクソン大統領訪中時の「上海コミュニケ」であり、「米国は,台湾海峡の両側のすべての中国人が,中国はただ一つであり,台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は,この立場に異論をとなえない。米国政府は,中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する」とした。
上海コミュニケの後米国で制定された「台湾関係法」は、「台湾人民の安全または社会、経済の制度に危害を与えるいかなる武力行使または他の強制的な方式にも対抗しうる合衆国の能力を維持する」とし(台湾関係法2条B項6)、さらに「大統領は、台湾人民の安全や社会、経済制度に対するいかなる脅威ならびにこれによって米国の利益に対して引き起こされるいかな危険についても、直ちに議会に通告するよう指示される。大統領と議会は、憲法の定める手続きに従い、この種のいかなる危険にも対抗するため、とるべき適切な行動決定しなければならない。」と明記した(同法3条C項)。
上海コミュニケと台湾関係法によれば、米国が「軍事力を行使することはありうる」が、「そうすることが義務である」とは述べられていない。法的には米国は武力行使するかもしれないが、しないかもしれないのであり、その意味では「あいまい」であった。米国の歴代政権は「あいまい戦略」を取ってきたといわれるが、米中の国交樹立の時点から「あいまい」だったのである。
米国による武力行使については直接述べられていなかったが、「米国は台湾問題の平和的解決に関心を持つ」、「米国は、台湾人民の安全に危害を与えるいかなる武力行使にも対抗しうる能力を維持する」など間接的な言及はあり、中国が台湾に武力侵攻してきた場合、米国は武力で対抗するだろうというのが大方の解釈であった。
では今回のバイデン大統領の発言は「あいまい戦略を踏み越えた」か。発言は武力を行使して対抗することを明言している点では踏み越えたように見えるが、バイデン大統領や政府は「武力行使の決定はしていない」という立場であろう。「政治的な意図の表明だ」と弁明するかもしれない。それも間違いとは言えない。実際に米国が武力行使に踏み切る場合、議会に報告し、了承を取り付ける必要がある。また、米国憲法では宣戦布告の権限は議会にあるので、その制約を超えるわけにいかない。つまり、バイデン大統領は「武力行使する」といったが、その前提になっている憲法などの制約に従うことは当然であり、バイデン氏が記者会見で「武力行使」の発言をしても直ちにとがめられることはないのだろう。
米国政府は米国の対中政策は変わらないといち早く表明した。これもバイデン発言が問題になるのを抑えた。
バイデン氏の発言は失言でなく、用意されたものであったと思われる。バイデン氏はロシアがウクライナに侵攻する前の2021年末に、「ロシアがウクライナに侵攻した場合に米軍をウクライナに派遣することは検討していない」と述べ、台湾をはじめアジアにおいても注目され、懸念された。今回の日米首脳会談では台湾が主要議題の一つとなるので当然関連の質問を想定し、準備もしていただろう。その結果が、今回の政治的発言になったと思われる。
2022.05.10
ロシアによるウクライナへの侵攻状況は悪化している。首都キーウの攻略は失敗した。現在東部の要衝はウクライナ軍によって徐々に奪還されつつある。黒海艦隊はウクライナ軍の攻撃により深刻なダメージを受けた。ロシアに対する経済制裁はじわじわと効果を発揮しつつある。6月になるとウクライナへの支援兵器がすべて到着する一方、ロシアからの兵器供給は鈍化し、ロシア軍の装備不足は深刻な状態に陥るという見方が強くなっている。ロシア軍はそれでも市民への攻撃を続け、甚大な被害が生じているが、今後、軍事的にロシアが有利になるという見解は皆無と言える。
プーチン大統領がウクライナへの侵攻という深刻な過ちを犯したのは、つぎのような問題を見誤り、ロシアに都合よく解釈したからではないか。
第1に、ロシアは2008年のジョージア紛争ではオセチアとアブハジア、14年にはクリミアを武力を用いて強引にロシアの支配下に置くことに成功した。これが一種の成功体験となってウクライナの抵抗力を過小評価し、キーウを数日間で攻略でき、ゼレンスキー政権を倒せると考えた。
第2に、日本を含む西側が一致してロシアに対する経済・金融制裁を実施、強化した。ドイツをはじめヨーロッパ諸国はロシアの天然ガス及び石油に依存する割合いが高く、ロシアからまったく購入しなくなるとは予想できなかった。ドイツなどはたしかにかなり困難だったようだが、それでも今後ロシアからの購入は中止する方向に転換した。
一方、ロシア経済は、以前からのことであるが、天然ガスと石油の輸出に依存する体質を改善できないままできており、経済・金融制裁への対抗はままならない。
第3に、ロシアの安全保障・軍事態勢が大方の予想を超えて弱体化していた。ウクライナ紛争でロシア軍は多数のウクライナ人を殺傷したが、戦闘能力には問題があることを露呈してしまった。海上でも、「モスクワ」をはじめ黒海艦隊の主要艦が数隻撃沈させられている。
核だけは別で、いまでも米国に十分対抗できる戦力を維持しているだろうが、かりに戦術核であっても全面戦争に発展する危険は払しょくできず、もしそうなれば、米国だけでなくロシアも壊滅する危険が大きい。プーチンは核の脅しを口にするが、ロシアにとっても究極的には恐ろしいはずである。
ともかく、通常兵器の面では、一部戦車や火砲は最先端のものを開発しているが、継続的に生産し、軍を近代化するに至っていない。兵器の供給状況は制裁の影響でますます悪化している。また、ウクライナでの戦闘においてロシア軍の士気は上がらない。
第4に、NATOの未加盟国に対する影響も大きく、フィンランドとスウェーデンは第二次大戦後の安全保障戦略を見直し、NATOへの加盟の可能性を公言するに至っている。スウェーデンは5月15日に加盟申請を決定する。フィンランドも同じころのはずである。
しかるに5月10日から12日まで、サンナ・マリン・フィンランド首相が訪日する。その目的は、同国がNATOへの加盟申請を決定した結果ロシアが強く反発しても、日本にフィンランドを支援するよう求めることではないか。これしか考えられない。
第5に、中国はロシアによるウクライナ侵攻に一歩距離を置いており、経済支援は行っているが、軍事支援は控えている。ただし、この点は明確でない部分もあるので断定はすべきでないかもしれない。
中国にとって最大の問題はウクライナ侵攻が台湾の統一にどのような影響を及ぼすかを見定めることであり、ロシアのウクライナ侵攻が成功しても、しなくても、台湾の統一に障害となる危険がある。
ロシアは中国にとって、今後も米国との関係や国連での対応に必要な仲間であり、ロシアにすげなくすることはできないが、かといってウクライナ問題は中国の利益にどのように影響するか不明であり、当面中国としてはウクライナに関して旗幟を鮮明にすることは困難であろう。
ウクライナ侵攻を冒したプーチン大統領の誤算
プーチン・ロシア大統領は5月9日、1945年のナチスドイツに対する戦勝記念日において演説した。事前には、ウクライナでの戦況、戦争宣言、核の問題などについて言及するかもしれないと予測されていたが、行われなかった。もっとも、そのような問題点を騒ぎ立てた責任の一半は西側のメディアにあり、プーチン演説は意外なものでなかった。全体の印象は力強さが感じられない低調な演説であり、ロシアの身勝手な論理でロシア国内向けに発したプロパガンダであった。記念パレードが華々しいものでなかったことも指摘されている。ロシアによるウクライナへの侵攻状況は悪化している。首都キーウの攻略は失敗した。現在東部の要衝はウクライナ軍によって徐々に奪還されつつある。黒海艦隊はウクライナ軍の攻撃により深刻なダメージを受けた。ロシアに対する経済制裁はじわじわと効果を発揮しつつある。6月になるとウクライナへの支援兵器がすべて到着する一方、ロシアからの兵器供給は鈍化し、ロシア軍の装備不足は深刻な状態に陥るという見方が強くなっている。ロシア軍はそれでも市民への攻撃を続け、甚大な被害が生じているが、今後、軍事的にロシアが有利になるという見解は皆無と言える。
プーチン大統領がウクライナへの侵攻という深刻な過ちを犯したのは、つぎのような問題を見誤り、ロシアに都合よく解釈したからではないか。
第1に、ロシアは2008年のジョージア紛争ではオセチアとアブハジア、14年にはクリミアを武力を用いて強引にロシアの支配下に置くことに成功した。これが一種の成功体験となってウクライナの抵抗力を過小評価し、キーウを数日間で攻略でき、ゼレンスキー政権を倒せると考えた。
第2に、日本を含む西側が一致してロシアに対する経済・金融制裁を実施、強化した。ドイツをはじめヨーロッパ諸国はロシアの天然ガス及び石油に依存する割合いが高く、ロシアからまったく購入しなくなるとは予想できなかった。ドイツなどはたしかにかなり困難だったようだが、それでも今後ロシアからの購入は中止する方向に転換した。
一方、ロシア経済は、以前からのことであるが、天然ガスと石油の輸出に依存する体質を改善できないままできており、経済・金融制裁への対抗はままならない。
第3に、ロシアの安全保障・軍事態勢が大方の予想を超えて弱体化していた。ウクライナ紛争でロシア軍は多数のウクライナ人を殺傷したが、戦闘能力には問題があることを露呈してしまった。海上でも、「モスクワ」をはじめ黒海艦隊の主要艦が数隻撃沈させられている。
核だけは別で、いまでも米国に十分対抗できる戦力を維持しているだろうが、かりに戦術核であっても全面戦争に発展する危険は払しょくできず、もしそうなれば、米国だけでなくロシアも壊滅する危険が大きい。プーチンは核の脅しを口にするが、ロシアにとっても究極的には恐ろしいはずである。
ともかく、通常兵器の面では、一部戦車や火砲は最先端のものを開発しているが、継続的に生産し、軍を近代化するに至っていない。兵器の供給状況は制裁の影響でますます悪化している。また、ウクライナでの戦闘においてロシア軍の士気は上がらない。
第4に、NATOの未加盟国に対する影響も大きく、フィンランドとスウェーデンは第二次大戦後の安全保障戦略を見直し、NATOへの加盟の可能性を公言するに至っている。スウェーデンは5月15日に加盟申請を決定する。フィンランドも同じころのはずである。
しかるに5月10日から12日まで、サンナ・マリン・フィンランド首相が訪日する。その目的は、同国がNATOへの加盟申請を決定した結果ロシアが強く反発しても、日本にフィンランドを支援するよう求めることではないか。これしか考えられない。
第5に、中国はロシアによるウクライナ侵攻に一歩距離を置いており、経済支援は行っているが、軍事支援は控えている。ただし、この点は明確でない部分もあるので断定はすべきでないかもしれない。
中国にとって最大の問題はウクライナ侵攻が台湾の統一にどのような影響を及ぼすかを見定めることであり、ロシアのウクライナ侵攻が成功しても、しなくても、台湾の統一に障害となる危険がある。
ロシアは中国にとって、今後も米国との関係や国連での対応に必要な仲間であり、ロシアにすげなくすることはできないが、かといってウクライナ問題は中国の利益にどのように影響するか不明であり、当面中国としてはウクライナに関して旗幟を鮮明にすることは困難であろう。
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