6月, 2018 - 平和外交研究所 - Page 4
2018.06.06
台湾の名称は複雑だ。各国での扱い、国際機関での扱い、民間での扱いの3つの次元を区別して見ていく必要がある。
国のレベルでは、まず、日本政府は「台湾」を使っている。日本と台湾の間には外交関係がないので、実務を処理する公益財団法人が設置されており、その名称は2017年1月1日から、「公益財団法人日本台湾交流協会」に変更されている。この名称はこの財団法人が独自で決めたのではなく、日本政府の事実上の承認を得ている。
米国は台湾との関係を法律、Taiwan Relations Actで定めており、‘Taiwan’と呼んでいる。後で述べる’Republic of China’は使用していない。
当事者である台湾では、「中華民国」が正式の呼称であり、通称は「台湾」であるが、むしろこの通称のほうが好まれる傾向がある。
中国は「中華民国」という名称を認めない。逆に、台湾も「中華人民共和国」という中国の正式名称を認めない。両者は、法的には、今でも内戦状態にあるからだ。
中国は、また、「台湾」については、中国の一部であることが表示されれば構わないという立場のようにも見受けられるが、実際には「中国台北」という名称を使っている。
なお、台湾では、この「中国台北」は受け入れないが、「中華台北」ならしぶしぶだが、受け入れている。どちらも奇妙な名称だが、何が違うのか。「中国台北」では中国が前面に出るので、中国政府は、それでよいとし、台湾は同じ理由で受け入れないのだ。しかし、「中華台北」であれば、「中華」は「中華民国」にも入っているので受け入れているのだろう。
いずれにしても、この違いは台湾や中国にとっては重要なのだろうが、漢字を使わない大多数の国にとっては、いずれの訳も’Chinese Taipei’となり、どちらでも構わないということになる。
国際機関においては、国連での扱いがモデルになる。1971年、中国を代表するのは「中華民国」でなく「中華人民共和国」となって以来、国連には台湾を表示する機会が原則的になくなった。
しかし、統計などではどうしても台湾に言及する必要があり、その場合には、長い注を付けて誤解のないようにしている。
たとえば、国連には「世界地理区分」という統計スキームがある。そのなかで、「アジア」とはどの国と表示されており、台湾を無視することはできない。そこで国連は、次の注を付けている。
Note on Taiwan
Several institutions and research papers using classification schemes based on the UN geoscheme include Taiwan separately in their divisions of Eastern Asia. (1) The Unicode CLDR’s “Territory Containment (UN M.49)” includes Taiwan in its presentation of the UN M.49. (2) The public domain map dataset Natural Earth has metadata in the fields named “region_un” and “subregion” for Taiwan. (3)The regional split recommended by Lloyd’s of London for Eastern Asia (UN statistical divisions of Eastern Asia) contains Taiwan. (4) Based on the United Nations statistical divisions, the APRICOT (conference) includes Taiwan in East Asia. (5) Studying Website Usability in Asia, Ather Nawaz and Torkil Clemmensen select Asian countries on the basis of United Nations statistical divisions, and Taiwan is also included. (6) Taiwan is also included in the UN Geoscheme of Eastern Asia in one systematic review on attention deficit hyperactivity disorder.
国際的には、国連など国際機関と並んで、国際スポーツ団体でも台湾を表示する必要があり、国際オリンピック連盟では’Chinese Taipei’名義を用いている。競技種目ごとに国際団体があるが、このオリンピック方式に倣っている。
民間での呼称は国際的に決まっているわけではない。個人、あるいは個々の企業が決めることだが、通常は所属国政府が用いている呼称、具体的には’Taiwan’を用いている。今回中国の民航当局から通告を受けた企業も、確かめたわけではないが、’Taiwan’としているのだろう。中国政府はこれを嫌い、今般の通告を発したのだ。
オーストラリアのカンタス航空はこの通告を受け入れる方針だと伝えられているが、米国企業がどう対応するかは不明だ。
かりに、航空会社が中国の通告に従わなければ、中国への飛行を、適当な理由で阻まれることになるのだろう。それは困るので、中国政府の言うなりに対応するということである。
米ホワイトハウスのサンダーズ報道官は5月5日、中国の通告を厳しく批判して、”We call on China to stop threatening and coercing American carriers and citizens.” “part of a growing trend by the Chinese Communist Party to impose its political views on American citizens and private companies.”と述べ、また、中国当局の要求は “Orwellian nonsense”だともこき下ろした。「ジョージ・オーウェルが書いた『ナンセンス詩』のようにわけのわからない話だ」という意味であろうか。
ナンセンスかどうかはともかく、サンダーズ報道官の言うとおりである。中国は最近台湾の孤立化を進めようと躍起になっている。世界保健機関(WHO)オブザーバー参加を阻んだのも中国の差し金だ。要するに、中国は台湾統一を実現するためにあらゆる可能な手段を用いているのである。
さらに注目すべきは、中国が、市場が巨大であることを利用して、強引に主張を通そうとしていることである。
日本の場合は、日本航空も全日本空輸も、日本政府と同様「台湾」と表示している。中国は日本の航空会社に対しても同様の要求をしてくるか、今のところ不明であるが、このような政治的な問題に日本の企業を巻き込まないよう願いたいものだ。
中国は外国航空会社に台湾の呼称を改めるよう要求
去る4月、中国の民航当局は外国の航空会社に対し、「台湾」の呼称を改めるよう要求した。対象となった会社は30以上。日本の会社は含まれていないようだ。‘Chinese Taipei’ならよいという。台湾の名称は複雑だ。各国での扱い、国際機関での扱い、民間での扱いの3つの次元を区別して見ていく必要がある。
国のレベルでは、まず、日本政府は「台湾」を使っている。日本と台湾の間には外交関係がないので、実務を処理する公益財団法人が設置されており、その名称は2017年1月1日から、「公益財団法人日本台湾交流協会」に変更されている。この名称はこの財団法人が独自で決めたのではなく、日本政府の事実上の承認を得ている。
米国は台湾との関係を法律、Taiwan Relations Actで定めており、‘Taiwan’と呼んでいる。後で述べる’Republic of China’は使用していない。
当事者である台湾では、「中華民国」が正式の呼称であり、通称は「台湾」であるが、むしろこの通称のほうが好まれる傾向がある。
中国は「中華民国」という名称を認めない。逆に、台湾も「中華人民共和国」という中国の正式名称を認めない。両者は、法的には、今でも内戦状態にあるからだ。
中国は、また、「台湾」については、中国の一部であることが表示されれば構わないという立場のようにも見受けられるが、実際には「中国台北」という名称を使っている。
なお、台湾では、この「中国台北」は受け入れないが、「中華台北」ならしぶしぶだが、受け入れている。どちらも奇妙な名称だが、何が違うのか。「中国台北」では中国が前面に出るので、中国政府は、それでよいとし、台湾は同じ理由で受け入れないのだ。しかし、「中華台北」であれば、「中華」は「中華民国」にも入っているので受け入れているのだろう。
いずれにしても、この違いは台湾や中国にとっては重要なのだろうが、漢字を使わない大多数の国にとっては、いずれの訳も’Chinese Taipei’となり、どちらでも構わないということになる。
国際機関においては、国連での扱いがモデルになる。1971年、中国を代表するのは「中華民国」でなく「中華人民共和国」となって以来、国連には台湾を表示する機会が原則的になくなった。
しかし、統計などではどうしても台湾に言及する必要があり、その場合には、長い注を付けて誤解のないようにしている。
たとえば、国連には「世界地理区分」という統計スキームがある。そのなかで、「アジア」とはどの国と表示されており、台湾を無視することはできない。そこで国連は、次の注を付けている。
Note on Taiwan
Several institutions and research papers using classification schemes based on the UN geoscheme include Taiwan separately in their divisions of Eastern Asia. (1) The Unicode CLDR’s “Territory Containment (UN M.49)” includes Taiwan in its presentation of the UN M.49. (2) The public domain map dataset Natural Earth has metadata in the fields named “region_un” and “subregion” for Taiwan. (3)The regional split recommended by Lloyd’s of London for Eastern Asia (UN statistical divisions of Eastern Asia) contains Taiwan. (4) Based on the United Nations statistical divisions, the APRICOT (conference) includes Taiwan in East Asia. (5) Studying Website Usability in Asia, Ather Nawaz and Torkil Clemmensen select Asian countries on the basis of United Nations statistical divisions, and Taiwan is also included. (6) Taiwan is also included in the UN Geoscheme of Eastern Asia in one systematic review on attention deficit hyperactivity disorder.
国際的には、国連など国際機関と並んで、国際スポーツ団体でも台湾を表示する必要があり、国際オリンピック連盟では’Chinese Taipei’名義を用いている。競技種目ごとに国際団体があるが、このオリンピック方式に倣っている。
民間での呼称は国際的に決まっているわけではない。個人、あるいは個々の企業が決めることだが、通常は所属国政府が用いている呼称、具体的には’Taiwan’を用いている。今回中国の民航当局から通告を受けた企業も、確かめたわけではないが、’Taiwan’としているのだろう。中国政府はこれを嫌い、今般の通告を発したのだ。
オーストラリアのカンタス航空はこの通告を受け入れる方針だと伝えられているが、米国企業がどう対応するかは不明だ。
かりに、航空会社が中国の通告に従わなければ、中国への飛行を、適当な理由で阻まれることになるのだろう。それは困るので、中国政府の言うなりに対応するということである。
米ホワイトハウスのサンダーズ報道官は5月5日、中国の通告を厳しく批判して、”We call on China to stop threatening and coercing American carriers and citizens.” “part of a growing trend by the Chinese Communist Party to impose its political views on American citizens and private companies.”と述べ、また、中国当局の要求は “Orwellian nonsense”だともこき下ろした。「ジョージ・オーウェルが書いた『ナンセンス詩』のようにわけのわからない話だ」という意味であろうか。
ナンセンスかどうかはともかく、サンダーズ報道官の言うとおりである。中国は最近台湾の孤立化を進めようと躍起になっている。世界保健機関(WHO)オブザーバー参加を阻んだのも中国の差し金だ。要するに、中国は台湾統一を実現するためにあらゆる可能な手段を用いているのである。
さらに注目すべきは、中国が、市場が巨大であることを利用して、強引に主張を通そうとしていることである。
日本の場合は、日本航空も全日本空輸も、日本政府と同様「台湾」と表示している。中国は日本の航空会社に対しても同様の要求をしてくるか、今のところ不明であるが、このような政治的な問題に日本の企業を巻き込まないよう願いたいものだ。
2018.06.01
2018年5月の選挙で、野党連合PHは与党連合BNに大勝した。1957年の独立以来初めての政変であった。
野党連合が結成されたのは1990年代の末であり、その指導者は、当時の首相マハティールに辞任を求める運動を展開して逆に副首相兼財務相の職を解任されたアンワル(Anwar Ibrahim)であった。この時以来、アンワルは野党勢力のリーダーとなり、与党UMNO(統一マレー国民組織)やマハティールと対立することになった。
アンワルは1999年、汚職の罪で6年の刑、翌年には同性愛の罪で9年の刑を受けた。
同性愛の容疑については、これから後すさまじい法廷闘争が始まり、国際的な関心も集まった。西側の人権団体、アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチは、いずれの容疑についてもアンワルの訴追は不当であると強く批判した。当時の米副大統領、アル・ゴアは、同性愛罪に対する裁判は嘲笑に値するとアンワルを擁護した。
アンワルの逮捕後、同人の支持者は、アンワルの妻ワン・アジサを押し立て、People’s Justice Party (Parti Keadilan Rakyat in Malay、略してPKR、2003年からこの名称)を結成した。PKRは政府批判の中核となり、PAS( Pan-Malaysian Islamic Party )およびDAP( Democratic Action Party、中国系、社会民主主義)とともに野党連合(Pakatan Harapan 略してPH)を形成した。
アンワルの支持者は裁判の再審を求めて運動を展開した。そして2004年、マレーシアの最高裁判所は同性愛の罪状を覆す判決を下し、アンワルは9月2日に釈放された。しかし、マレーシアの法律では、刑期が終わった後も5年間は政治活動を禁止されており、アンワルは、2008年4月まで、つまり次回の選挙が終わるまで政治活動をできなかった。
アンワルは同年8月、ペナンのプルマタン・パウ選挙区で行われた補選で当選し、政界に復帰し、2013年5月の選挙に向けて政治活動が可能となった。与党連合BNはすでに退潮傾向にあり、アンワルは選挙で勝つ自信があると公言していたという。実際、PHは50・9%の得票率を獲得し、47・4%のBNを打ち破った。しかし、獲得議席は過半数に届かなかったので、この時は、政権交代は起こらなかった。
この間、アンワルはすでに容疑が晴れたはずの同性愛の罪で再び訴追されており、2012年1月、マレーシアの裁判所は無罪を言い渡した。しかし、2014年3月、上訴裁判所は一審の無罪判決を覆し、禁錮5年の有罪判決を下した。そして、2015年2月、マレーシアの連邦裁判所は上告を退け、有罪判決が確定し、アンワルは収監された。
裁判が確定後に同じ容疑で国が再審を求めるのはあり得ないことであり、しかも政治的な圧力が働いている疑いが濃厚であった。再審の決定を欧米諸国は強く批判した。米国政府は直ちに、”The United States is deeply disappointed and concerned by the rejection of Anwar Ibrahim’s final appeal and his conviction … The decision to prosecute Mr Anwar, and his trial, have raised serious concerns regarding the rule of law and the independence of the courts”というメッセージを発した。
マレーシア政府はこれに対して聞く耳を持たないという態度であったが、ナジブ首相はこの件で強い圧力を受けたであろう。また、この裁判と並行して大騒ぎになっていた1MDB問題でもナジブ氏は困難な立場に立たされていたが、ナジブ時代は何も変わらなかった。
結局、この問題が解決されたのは選挙後であり、マハティール新首相の推薦を受けてマレーシア国王は恩赦を決定し、アンワルは2018年5月16日に釈放された。
アンワルが置かれていた過酷な境遇は極めて複雑であったが、要するに、アンワルは1998年の解任以来20年の間に3回裁判を受け、半分近くは収監されていたのだ。また釈放されても政治活動は制限されていた。マハティールが2003年に首相を辞任して以来、2004、08、13、18年と4回選挙が行われたが、アンワルは13年以外選挙に出られなかったのである。そのときも、裁判を戦いながらの選挙であった。
アンワルとマハティールの関係はドラマチックだ。アンワルはもともとマハティール首相の下で認められ、第一の後継者候補となった。しかし、後にマハティールと袂を分かち、野に下り、同性愛の罪で投獄された。
しかし、アンワルの恩赦を勧めたのもマハティールであった。アンワルは釈放後、マハティール首相と副首相に就く妻、ワン・アジサ人民正義党総裁を「全面的に支援する」と表明した。
マハティールとアンワルは和解したのだ。マハティールは再度首相に就任したが、すでに92歳、長く続ける意図はなく、1~2年でアンワルに譲るとも言われている。
アンワルが実際に政治の前面に出てくるのはいつか、必ずしも明確でないが、新政権において事実上強い影響力を持つであろう。
PH新政権の政策
マハティールは選挙キャンペーン中、消費税の廃止、石油に対する補助金の復活、低所得層に対する医療保険の導入などを掲げていたが、これらを実施すると財政負担が増加する。
かといって、公約に違反すれば世論の反発を招くことになる。新政権に課せられている課題は複雑かつ重い。
経済状況は回復するか。現在、原油安、中国経済の減速、米国の利上げ、財政赤字、1MDB問題など環境はよくない。17年の成長率は前年比+5・9%であり、停滞状態が続いている。
中長期的にも、賃金の上昇などによりマレーシアは生産拠点としての優位を失いつつある。東南アジアの中でいち早く工業化を達成したが、それだけに「中進国の罠」に陥いるのも早かったと指摘されている。マレーシアは2020年までに先進国入りを果たすことを目標としているが、道筋は描けていない。
政治面では、従来のブミプトラ中心の政治がもはや維持できなくなりつつあるという見方もある。
サバ、サラワク両州はこれまで旧与党連合BNが強い地方であったが、新政府と離れたくないので、BNから離脱していく可能性がある。
ジョホール州もBNの強い地方であるが、今次選挙では票が激減しており、同様の状況にある。
中国系のMCAやインド系のMICも今次選挙で支持母体からの票が減少した。MCAの指導者、Liow Tiong Laiは落選した。
一方、UMNOは同じイスラム系のPASに接近する可能性がある。しかし、PASとすれば、権力を失ったBNやUMNOに魅力はなかろう。
政治構造の変化はBNだけの問題でない。ペナン州のGeorge Townで選挙日の2日前に起こった大規模なPH支持のデモ行進には、この地に多い中国系だけでなく、マレー人やインド系も参加した。つまり、「マレーシア人」であることを強調する傾向が出てきているのである。この傾向はインド系に顕著で、中国系はいつまでも中国人であり、「マレーシア人」のアイデンティティが全体的にどの程度高まっているか、疑問の声もあるようだ。
一方、今次選挙については短期的な側面に注目する向きもある。PHが勝利を収めたのはマハティール効果が大きかったという指摘である。前回選挙まで中国系やインド系の票はほぼ野党に流れており、マレー人はそのため野党連合を嫌う傾向があったが、マハティールが首相になればマレー人を中心とする国の枠組みが大きく変わることはないとの安心感が生まれたという。
しかし、マハティールが政治を指導するのは長くないとすれば、マハティール効果はどうなるか、マレー人はまたPHから離れていくか、という問題もある。
このほか、マレーシアとしては汚職体質を改革していかなければならず、そのためには強力で独立した汚職取締機関が必要であると指摘されている。これも新政権にとって大きな課題である。
また、政治の影響を受けることが多く、汚職対策について十分な力を発揮できなかったメディアの体質を改善し、独立で自由な言論空間を確保することはマレーシアがさらに発展するのに絶対的に必要である。
マレーシアの政治② 変化
鉄人アンワルと野党連合2018年5月の選挙で、野党連合PHは与党連合BNに大勝した。1957年の独立以来初めての政変であった。
野党連合が結成されたのは1990年代の末であり、その指導者は、当時の首相マハティールに辞任を求める運動を展開して逆に副首相兼財務相の職を解任されたアンワル(Anwar Ibrahim)であった。この時以来、アンワルは野党勢力のリーダーとなり、与党UMNO(統一マレー国民組織)やマハティールと対立することになった。
アンワルは1999年、汚職の罪で6年の刑、翌年には同性愛の罪で9年の刑を受けた。
同性愛の容疑については、これから後すさまじい法廷闘争が始まり、国際的な関心も集まった。西側の人権団体、アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチは、いずれの容疑についてもアンワルの訴追は不当であると強く批判した。当時の米副大統領、アル・ゴアは、同性愛罪に対する裁判は嘲笑に値するとアンワルを擁護した。
アンワルの逮捕後、同人の支持者は、アンワルの妻ワン・アジサを押し立て、People’s Justice Party (Parti Keadilan Rakyat in Malay、略してPKR、2003年からこの名称)を結成した。PKRは政府批判の中核となり、PAS( Pan-Malaysian Islamic Party )およびDAP( Democratic Action Party、中国系、社会民主主義)とともに野党連合(Pakatan Harapan 略してPH)を形成した。
アンワルの支持者は裁判の再審を求めて運動を展開した。そして2004年、マレーシアの最高裁判所は同性愛の罪状を覆す判決を下し、アンワルは9月2日に釈放された。しかし、マレーシアの法律では、刑期が終わった後も5年間は政治活動を禁止されており、アンワルは、2008年4月まで、つまり次回の選挙が終わるまで政治活動をできなかった。
アンワルは同年8月、ペナンのプルマタン・パウ選挙区で行われた補選で当選し、政界に復帰し、2013年5月の選挙に向けて政治活動が可能となった。与党連合BNはすでに退潮傾向にあり、アンワルは選挙で勝つ自信があると公言していたという。実際、PHは50・9%の得票率を獲得し、47・4%のBNを打ち破った。しかし、獲得議席は過半数に届かなかったので、この時は、政権交代は起こらなかった。
この間、アンワルはすでに容疑が晴れたはずの同性愛の罪で再び訴追されており、2012年1月、マレーシアの裁判所は無罪を言い渡した。しかし、2014年3月、上訴裁判所は一審の無罪判決を覆し、禁錮5年の有罪判決を下した。そして、2015年2月、マレーシアの連邦裁判所は上告を退け、有罪判決が確定し、アンワルは収監された。
裁判が確定後に同じ容疑で国が再審を求めるのはあり得ないことであり、しかも政治的な圧力が働いている疑いが濃厚であった。再審の決定を欧米諸国は強く批判した。米国政府は直ちに、”The United States is deeply disappointed and concerned by the rejection of Anwar Ibrahim’s final appeal and his conviction … The decision to prosecute Mr Anwar, and his trial, have raised serious concerns regarding the rule of law and the independence of the courts”というメッセージを発した。
マレーシア政府はこれに対して聞く耳を持たないという態度であったが、ナジブ首相はこの件で強い圧力を受けたであろう。また、この裁判と並行して大騒ぎになっていた1MDB問題でもナジブ氏は困難な立場に立たされていたが、ナジブ時代は何も変わらなかった。
結局、この問題が解決されたのは選挙後であり、マハティール新首相の推薦を受けてマレーシア国王は恩赦を決定し、アンワルは2018年5月16日に釈放された。
アンワルが置かれていた過酷な境遇は極めて複雑であったが、要するに、アンワルは1998年の解任以来20年の間に3回裁判を受け、半分近くは収監されていたのだ。また釈放されても政治活動は制限されていた。マハティールが2003年に首相を辞任して以来、2004、08、13、18年と4回選挙が行われたが、アンワルは13年以外選挙に出られなかったのである。そのときも、裁判を戦いながらの選挙であった。
アンワルとマハティールの関係はドラマチックだ。アンワルはもともとマハティール首相の下で認められ、第一の後継者候補となった。しかし、後にマハティールと袂を分かち、野に下り、同性愛の罪で投獄された。
しかし、アンワルの恩赦を勧めたのもマハティールであった。アンワルは釈放後、マハティール首相と副首相に就く妻、ワン・アジサ人民正義党総裁を「全面的に支援する」と表明した。
マハティールとアンワルは和解したのだ。マハティールは再度首相に就任したが、すでに92歳、長く続ける意図はなく、1~2年でアンワルに譲るとも言われている。
アンワルが実際に政治の前面に出てくるのはいつか、必ずしも明確でないが、新政権において事実上強い影響力を持つであろう。
PH新政権の政策
マハティールは選挙キャンペーン中、消費税の廃止、石油に対する補助金の復活、低所得層に対する医療保険の導入などを掲げていたが、これらを実施すると財政負担が増加する。
かといって、公約に違反すれば世論の反発を招くことになる。新政権に課せられている課題は複雑かつ重い。
経済状況は回復するか。現在、原油安、中国経済の減速、米国の利上げ、財政赤字、1MDB問題など環境はよくない。17年の成長率は前年比+5・9%であり、停滞状態が続いている。
中長期的にも、賃金の上昇などによりマレーシアは生産拠点としての優位を失いつつある。東南アジアの中でいち早く工業化を達成したが、それだけに「中進国の罠」に陥いるのも早かったと指摘されている。マレーシアは2020年までに先進国入りを果たすことを目標としているが、道筋は描けていない。
政治面では、従来のブミプトラ中心の政治がもはや維持できなくなりつつあるという見方もある。
サバ、サラワク両州はこれまで旧与党連合BNが強い地方であったが、新政府と離れたくないので、BNから離脱していく可能性がある。
ジョホール州もBNの強い地方であるが、今次選挙では票が激減しており、同様の状況にある。
中国系のMCAやインド系のMICも今次選挙で支持母体からの票が減少した。MCAの指導者、Liow Tiong Laiは落選した。
一方、UMNOは同じイスラム系のPASに接近する可能性がある。しかし、PASとすれば、権力を失ったBNやUMNOに魅力はなかろう。
政治構造の変化はBNだけの問題でない。ペナン州のGeorge Townで選挙日の2日前に起こった大規模なPH支持のデモ行進には、この地に多い中国系だけでなく、マレー人やインド系も参加した。つまり、「マレーシア人」であることを強調する傾向が出てきているのである。この傾向はインド系に顕著で、中国系はいつまでも中国人であり、「マレーシア人」のアイデンティティが全体的にどの程度高まっているか、疑問の声もあるようだ。
一方、今次選挙については短期的な側面に注目する向きもある。PHが勝利を収めたのはマハティール効果が大きかったという指摘である。前回選挙まで中国系やインド系の票はほぼ野党に流れており、マレー人はそのため野党連合を嫌う傾向があったが、マハティールが首相になればマレー人を中心とする国の枠組みが大きく変わることはないとの安心感が生まれたという。
しかし、マハティールが政治を指導するのは長くないとすれば、マハティール効果はどうなるか、マレー人はまたPHから離れていくか、という問題もある。
このほか、マレーシアとしては汚職体質を改革していかなければならず、そのためには強力で独立した汚職取締機関が必要であると指摘されている。これも新政権にとって大きな課題である。
また、政治の影響を受けることが多く、汚職対策について十分な力を発揮できなかったメディアの体質を改善し、独立で自由な言論空間を確保することはマレーシアがさらに発展するのに絶対的に必要である。
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