平和外交研究所

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2020.06.29

コロナ問題専門家会議の改組?

 新型コロナウイルスによる感染問題に取り組む政府の中枢に異常事態が生じている。6月27日付の時事通信は以下のように伝えた。

「新型コロナウイルス対策の方向性を主導してきた政府の専門家会議が突如、廃止されることとなった。政府が廃止を発表したのは、折しも会議メンバーが位置付けの見直しを主張して記者会見していたさなか。
(中略)
 専門家会議の見直し自体は、5月の緊急事態宣言解除前後から尾身氏らが政府に打診していたこと。この日の会見では、政府の政策決定と会議の関係を明確にする必要性を訴えていた。
(中略)
 (専門家)会議の存在感が高まるにつれ、経済・社会の混乱を避けたい政府と事前に擦り合わせる機会が拡大。5月1日の提言では緊急事態宣言の長期化も念頭に「今後1年以上、何らかの持続的対策が必要」とした原案の文言が削られた。関係者は「会議の方向性をめぐりメンバー間でもぎくしゃくしていった」と明かす。
揺れる専門家を政府は「どうしても見直すなら政府の外でやってもらう」(内閣官房幹部)と突き放していた。亀裂を表面化させない思惑が働いたことで最近になってから調整が進み、(1)会議の廃止(2)法的な位置付けを持つ新型コロナ対策分科会への衣替え(3)自治体代表らの参加―が固まった。当初は尾身氏らの提言を受け、25日に発表する段取りだった。
 それが覆ったのは24日の尾身氏らの会見直前。「きょう発表する」。西村再生相の一声で関係職員が準備に追われた。ある政府高官は西村氏の狙いを「専門家の会見で、政府が後手に回った印象を与える事態を回避しようとした」と断言する。
 専門家会議の脇田隆字座長や尾身氏には連絡を試みたが、急だったため電話はつながらないまま。「分科会とは一言も聞いてない」とこぼす専門家らに、内閣官房から24日夜、おわびのメールが送られた。
 後味の悪さが残る最後のボタンの掛け違い。会議メンバーの一人は「政治とはそういうもの。分科会で専門家が表に立つことはない」と静かに語った。」

 このまとめには不正確な部分があるかもしれないが、特に関係者の発言の引用部分は正確だと思う。その前提であるが、本件についてはいくつか非常に懸念されることがある。

 第1に、専門家会議のあり方について、政府と専門家会議の間には考えが違っているところがある。「あった」と過去形で言いたいが、考えの違いが完全に解消されたとは思えない。具体的にどう違っているかについては、専門家の側からは「十分な説明ができない政府に代わって前面に出ざるを得なかった」などの説明はあったが、それだけでは本当の問題が何か、よく分からない。

 第2に、専門家会議の方が、政府とのすり合わせのないまま記者会見を開いて同会議としての立場を説明しようと見える。しかし、政府の方でも専門家会議の訴えを突っぱね、「どうしても見直すなら政府の外でやってもらう」との立場を取ったことは重大な誤りであった。なぜならば、この重要問題が新型コロナウイルス感染症対策本部の本部長である安倍首相に上がっていなかったと推測されるからである。上がっていたのに、それでもこのように突っぱねるということは政府の常識としてあり得ない。政府の側でこの問題を知っていたのは西村康稔経済再生担当相しか見えない。

 第3に、西村再生相は専門家会議による記者会見直前に、(1)会議の廃止(2)法的な位置付けを持つ新型コロナ対策分科会への衣替え(3)自治体代表らの参加を内容とする対応方針を発表した。この内容については、原則として専門家会議側の理解があったような印象だが、問題はこの方針の発表を西村再生相の判断で1日早め、しかも、そうすることについて専門家会議側の了承を得ていなかったことである。政府側は、試みたが連絡できなかったと言っているそうだが、そうであるならば連絡できるまで待つべきだ。この間の政府側の対応は強権を振るったとしか言いようがない。

 第4に、西村再生相は、無断発表についての強い批判を受け、政府の専門家会議を廃止する方針について「(公表に際し)十分説明できていなかった」と釈明したうえ、「専門家会議の皆さんを排除するようにとられたことも反省している」、「『廃止』という言葉が強すぎた。発展的に移行していく」と大わらわでダメージコントロールを行った。率直に非を認めたのは評価できるが、安倍首相がどのような役割を果たしたのか、とくに専門家会議と政府とのずれを解消しようと努めたのか、不明であり、こんな状況では第二次感染に備えなければならないのに不安が残る。今後、西村再生相は重要問題は安倍首相の指示を受けて対処すべきである。

 第5に、加藤勝信厚生労働大臣の姿がまるで見えないのは不可解である。新型コロナウイルスによる感染問題は西村再生相の担当だが、政府と感染症の専門家との間のズレについて厚生労働相は無関係でおれないはずである。
2020.06.23

沖縄1945年6月23日

 1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。当研究所は、戦って命を落とされた方々を悼んで、毎年以下の一文をアップしている。1995年の同日、読売新聞に寄稿したものである。

 「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。

 個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。

 歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
 では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
 個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。

 これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。

 他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
 さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。

 したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。

 もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
 顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。

 戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
 一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。

 もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。

 個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。

 個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
2020.06.18

金与正氏の突出ぶり

 南北朝鮮間の緊張が高まっている。北朝鮮は6月16日、開城(ケソン)に設置されている南北共同連絡事務所を爆破した。この事務所は韓国の文在寅政権が進める南北融和政策の象徴として2018年9月、韓国政府が建設費用の約180億ウォン(約17億円)を支払って開設したものであり、南北の当局者が常駐して日常的に意思疎通していた。

 関係悪化の原因は、北朝鮮に対する制裁を解除するよう韓国が米国を説得できないことである。北朝鮮は脱北者による北朝鮮への気球を使ったビラ散布も攻撃しているが、それは一部の問題である。新型コロナウイルス問題については「感染者ゼロ」というのが北朝鮮の公式見解だが、中国との貿易はそのあおりを受けて大幅に減少している。

 関係悪化が目立ってきたのは去る3月からであり、北朝鮮側で韓国批判の先頭に立ったのは金正恩委員長の妹、金与正党第一副部長であり、同氏の言動には印象的なことが2点あった。1つは、突然、恐ろしい言辞を弄し始めたことと、2つ目は同氏が北朝鮮の軍隊の上に立って指示を下していることである。

 同氏はこれまで北朝鮮の高官のイメージには似つかわしくない、人当たりの良い性格であることで知られていた。これは単なる一時の印象でなく、かなりの時間、また、複数回南北会談などの場で共に働いた韓国側の高官が観察したことであり、また、日本政府も日朝関係の打開のために同氏がキーパーソンだとみていたという。同氏はこれまで金正恩委員長の特別秘書的な役割を務めていた関係で外国のメディアで写真が報道されることも多かったが、まさにこのような印象の映像であった。

 ところが、さる3月3日、金与正氏名義で初めて発表された談話では、韓国の大統領府を「不信と憎悪、軽蔑だけをいっそう増幅させる」「非論理的で低能な思考」「行動と態度が三歳の子ども」「怖気づいた犬ほど騒々しく吠える」などと罵倒し、6月4日には、ビラ散布を激しく攻撃するとともに、南北共同連絡事務所の閉鎖を含む措置をとると発表した。9日、北朝鮮は韓国の青瓦台と金正恩委員長の執務室である労働党本部3階書記室とのホットラインをはじめ、南北共同連絡事務所、軍の通信線などをすべて閉鎖すると発表。13日、金与正は「韓国当局と決別する時が来たようだ」と恐ろしい宣告を行い、15日、文在寅大統領が金正恩委員長へ行った特使派遣提案を拒否したうえ、16日、南北共同連絡事務所の爆破を実行。17日には、南北関係の悪化は、「韓国当局の執拗で慢性的な親米屈従主義が生んだ悲劇だ」と批判し、さらに、文在寅大統領が15日に「緊張をつくり出し、対決の時代に戻ってはいけない」などと求めたことにも言及して、「事態の責任まで我々に転嫁しようとするのは、実にずうずうしい不遜な行為」だとこき下ろしたのである。

 これら一連の北朝鮮の行動に韓国側が強い衝撃を受けつつ、金与正氏に一体何事が起ったのかいぶかったのは当然である。

 第2に、金与正氏は談話で「敵国への次の行動の行使権は、わが軍の総参謀部に委譲する」など、いかにも自分が軍を指揮していると言わんばかりのことを述べたことである。朝鮮人民軍はこれを受けて、開城(ケソン)工業団地と金剛山観光地区に部隊を展開すると発表し、韓国側の出方によって「今後の連続的な対敵行動措置の強度と決行時期を決める」とも表明した。

 これらはきわめて不自然なことであり、金委員長は金与正氏に特別の任務を与えたのだと思われる。そうしたのは、金委員長には以前から健康に問題があり、歩行が自由でないこともあったが、最近、健康への不安が一層強まる出来事があったためではないか。

 金委員長は去る4月、20日間動静が伝えられなくなったばかりでなく、祖父の故・金日成主席の生誕を記念する4月15日の「太陽節」に姿を現さなかった。これはよほどのことが起こらない限りあり得ないことである。このころ、中国から大規模な医療団が訪朝したことが明らかになっている。また、金委員長は1月末から2月にかけても22日間動静が伝えられなかった。これらのことから金委員長が重い病にかかった可能性が高い。

 要するに、金委員長は、万が一の場合金与正氏に後を託するほかないと考え、手を打ち始めたのではないか。北朝鮮の指導者としては恐ろしいこともしなければならない。とくに、人民軍をコントロールするのは決定的な問題である。これらのことを考え、金与正氏に準備させようとしているのである。同委員長には10歳をはじめに3人の子がいるといわれているが、性別は確認されていない。いずれにしても若すぎる。金与正氏が金委員長の後継者になる可能性は高くないとみるべきだろうが、少なくとも金与正しか委員長の代行になれる人物はいないと金委員長は判断したのではないかと思われる。

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